音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽的なクオリアとファントムフリー1〜なぜその曲は切ないか?について答えを持つこと

若い受講生の方もこぞってチェックしているSoundQuestさん。

soundquest.jp

「不定調性」という用語もいち早く使って頂けています(不定調性論と不定調性は微妙に意味が違います)。サウンドクエストさんからこちらに流入してこられて色々ご質問いただいたり、DPはじめてくれたりと、静かなブームです。ここまでの体系的な音楽理論サイトが無料で公開されるのはWEBの歴史でもそうそうないと思います。


こちらも勉強させていただきながら、今回は、表題の用語感を知ったその先、について書いてみたいと思います。

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soundquest.jp


ここまでたどり着く人がどの程度おられるでしょうか。

ポピュラー音楽を楽しむ程度であれば思想的な段階に踏み込んだ作曲技法の必要性は限られてきます。


しかしながら不定調性論は、この「ファントム」の概念に気づいたところがスタートラインです。


作曲科学の一番の謎は「ファントムフリー」の状態でどう音楽を行うか、です。

それには一定の慣習的答えがあるのですが、明文化されていません。

今回はその曖昧な作曲技法習慣周辺の話をしたいと思います。

こうして拙論以外でも同様な発想が扱われ始め、道筋ができた以上、いずれこの重要性や可能性に気づき活用される方も多かろうと思います。

 

簡単な例題があります。

考えてみてください。

「この曲を聴くと元気が出る」

「この曲を聴くと切なくなる」

様々な反応が音楽を聴取すると自動的に感じられると思います(感じる人はね)。

では。

なぜ、その曲はあなたに「切なさ」を感じさせるのですか?その理由を答えてください。

 それは音楽理論的な答えになりますか。


これを考えるとき、不定調性論的思考を知らないと夜眠れなくなり、万一翌日から曲を作るよりも、なんでそのコード進行が「切なさ」を自分にもたらすのか、の研究に明け暮れてしまったら、5年ぐらいあっという間に過ぎます。

 

答えは「まだよくわかっていない」んです。また他人が感じる「切なさ」とあなたの感じる「切なさ」も、きっかけとなる記憶のデータは全て違うはずです。「皆が同様に感じる」ということを疑っています。

切なさの種類も微妙に違うとしたら、何が答えでしょう。


自分が感じたことを人と比較はできない、そう考えてみてください。

でもそんなことはわかっていますよね、でもそんな状態を方法論化することなんてできるんでしょうか?

音楽理論は伝統的に権威を持つ方法論の明文化です。

そこで発想を逆転させ「個別論を作ることを推奨する」方法論が伝統音楽理論と对となる不定調性論であり、その個別論の一例です。

そしてあなたも個別論を持てばいいんです。そうして初めて対極となる伝統音楽理論もしっかり学ぼう、という意欲になる事に気がつくでしょう。

 

不定調性論では、先の「なぜ切なさが生まれるか」の答えを

「そう感じたのであれば、それを信じる」

とします。ずっこけるかもしれませんが、これが意外と難しいです。

自分を信じる、というのは最初は意外に難しいんです。

 

しかしながら自分と真に向き合える人がいるとしたら自分しかいません。

 

昔の学校の先生ならこういうはずです。

「君はまだまだ未熟だから、自分の欲求は抑えなさい、もっと勉強して一人前になってからにしなさい。」

では、法律上で大人になったら自分の欲求のままに行動して良いのでしょうか。

いつ自分が感じるものを自分が自信をもって信じればいいのでしょう。そのタイミングを失うと悲惨です。

これを行うためには、自分の思想、思考、行動に責任を持つということを自覚する必要があります。まさに大人への第1歩。

 

人の「脳」は宇宙を構成する物質と同じ物質でできている量子力学の"答え"そのものです。私たちは宇宙の根元物質がなんであるか、どんな性能を持っているのか、について科学ではまだ解明されていません。しかしすでにその答えを体の中に持って我々生まれてきており、その究極の脳の性能を日々感じて生きています。

なぜ空気の振動現象に感情が動くのか、という理由もまた同様です。

理屈を知らなくてもそこに感情が存在することを既に知っています。

 

その「切ない」という感情は、その科学的理由は分からなくても確かに自分の中に存在しています。

不定調性論では、次の構造を活用します。

音楽⇨脳⇨ブラックボックス関数⇨感情の表出

脳に電気的な刺激として音振動現象が変換されると、程なく感情的感覚を感じます。

教材では「クオリア」「共感覚的知覚」「模様感」「心象」などと表現しています。サウンドクエストさんでいうところの「ファントム」です(解釈間違っていたら訂正ください偉い人)。

 

もちろん不協和音にもなんらかの反応を心が持ちます(持つ人はね)。

最初は

「うわ、ひどい音」

などという嫌悪の反応から、慣れてくると、

「なんか、苦しみかな?」

みたいに"理解"を示すことができるようになる人もいます。さらに、無調音楽などを堪能できるようになる人は、そうした混沌のサウンドに対して、

「自分が中学校時代に体験した灰色の空の向こうへの憧れ」

というような具体的感覚を想起させていき(一例です)、そうした和音を自身の音楽表現で使えるようになります。

その和音を弾いてみて、

「うわぁ、灰色だ・・・あの日の切ない気持ちだ」

とか、中学生の頃の下校の風景などを鮮やかに思い出せてしまうんです。

 

拙論教材では「音楽的なクオリア」と言っています。不定調性論は、この感覚を頼りに作曲をしていきます。

 

個人的には、伝統技法を学ぶのと同時に、不定調性論的音楽感覚も並行してマスターしていただけると、効率よく自分の個性を扱えるのではないか?と普段レッスンをしながら肌で感じています。


常に選択肢を与えて、例えば「次のコードはCM7がいいか、Am7がいいか自分で決めてみてください」とか、自分で決める習慣をつけることで責任・失敗・覚悟・決断を経験していくことの方が作曲でも大切だ、と思います。

これが次に述べる「回路」の強化になると考えています。

 

不定調性論的学習は、

音楽⇨脳⇨ブラックボックス関数⇨感情の表出

この回路の回線を太く豊富にすることが目的です。この回線が太くなれば、

感情⇨ブラックボックス関数⇨脳⇨音楽

への流れも作れるからです。感情の刺激が肥大すると、想いが即メロディになったり、言葉になったり、音楽の残像となって考える間も無く想起されます。あとはそれを具体化するだけです。


音楽理論を学んでも曲が作れないのはあなたがファントムを鍛えないからです。音楽的クオリアを鍛えようとしないからです。

それは逆上がりのテストの前日まで、本だけを読んで、鉄棒を使わず、ベッドに寝転がったまま逆上がりをマスターしようと試みるようなものです。

いずれにせよ音楽理論は一生勉強です。だから1ページを学んだら、すぐ実際に曲を作り始めてください。鼻歌が浮かんだら録音しましょう。

歌うようにウキウキして話す時、あなたは作曲しているんです。

これが充実してくると、音楽理論をいちいち作曲段階で考えることはなくなります。

毎日1曲なのか、1年で10曲なのか、人が自分に目覚めるスピードも個人差がありますが、ひたすら作り込んでいく事でその状態を体得します。

 

この和音からこの和音へ流れると「苦しみ」、こっちは「清々しさ」、こっちは「軋轢」、みたいに音楽の流れを自分の中にある感覚と対応させて感じられる回線が太くなると、自分の中に勝手に答えが表出されるので、どっちを使えばいいか、などと機能や調や理論で考える隙すら必要なくなります(言語的存在を超えたなんらかのイメージのフォルムになる)。音楽的なクオリア=心象が、どっちを選べばいいかもやもやっと教えてくれます。このモヤモヤ!を掴むんです。あなたなりに。

火に触れたら考える暇なく手を引っ込めるでしょう?

火が熱い、と知っているからです。

作曲もその感覚になるまで作り慣れるんです。

 

コードとメロディの組み合わせは膨大です。次適切なコードがどれか、をコード進行辞典の1ページ目から確かめていては曲はできません。

なぜならこのやり方では

「本当にその先のページに今選んだ以上のコードはないか?」

という問いに対して答えられないからです。

だから自分の直感的回路を太くして、火に触れたら手を引っ込めるが如く「確かな感覚」になるまで音楽を取り扱うしかありません。クオリアは具体的な形ではなりません。具体的な感覚や感情ではありません。それをつかめるようにするには、常日頃作曲して「選択する」ことを繰り返して行かなければなりません。

多くの作曲家は似たような実践をしています。その決定過程が曖昧すぎるので方法論として明言していないだけです。


3000円の壺と300万の壺を見分けるためには子供の頃から300万の壺に触れ続けなければならないそうです。これも音楽的クオリアと同じものでしょう。


とりあえず片言のフレーズで20曲ぐらい作ってみて。

20曲作る頃には自分がこれからどうすべきかもなんとなく見えてきます。

そうして音を決めていると、

CM7 |F#%$#??{}}  |

的な、もうコードネームで書けないような"いい感じの擦れた不協和音"が心地いいと感じられるようにもなります(人によっては)。

感覚で聞きながら音を選んでいけます。

コードネーム概念からの卒業です。

考えて置いた時よりも、何も考えないで置いた和音の方が自分の感覚にしっくり来る。

という体験ができれば、あなたの体の中の回線は太く繋がりはじめています。

サウンドクエストさんが求めておられるのは、そういう段階の方法論化でしょう。"ちゃんと"音楽理論を研究されている人がたどり着いた結論が同様な概念であるということは、とても心強いです。


これからは周囲の人の「感覚的発言」に耳を傾けてみてください。

根拠のない英断にたくさん出遭いましょう。無茶な人と過ごしてみましょう(笑)彼らが何を基準に判断しているのかを体験しましょう。


教材やブログでは「矛盾を理解しようとせよ」みたいなことも書いています。

なんで今日カレーにしたの?とか

なんで今日その服を選んだの?とか

自分はなんで今日メロンパンが無性に食べたいんだろう、とか。

なんか今日は気分がいいのはなぜだろう?

とかについて感じてみましょう。

きっとそれは生理的な理由、記憶と気候のマッチング、などの理由と、個々人の脳が記憶と体調との照合で紡ぎ出した直感的確信のためだと思います。

しかしうまく説明できません。

答えが先、質問は後です。

これが火に手をかざして熱さを実感する前に手を引っ込めた状態です。

「感性だけで作る」というのは、いわば膨大な作曲経験が作り出す脳のスーパー機能で音楽を作ることです。当てずっぽう作るのとはまるで違います。


これまでは、なんでそうしたか、を解説しなければいけなかったのですが、音楽的なクオリアの存在が方法論として明確になった以上は説明できる必要はないんです。

 

それを選んだ根拠をうまく説明できない、という状況にたくさん立ち会ってみてください。脳はその理由を知っていますが、言語にしてはくれません。

(世に数名の天才は違うのかも)。

脳のARAS機能(上行性網様体賦活系)といえば、これはすでに知られた脳の機能ですね(RAS機能っていう用語は少し古いようですね)。

脳科学については私も無知に近いので皆さんも検索してみてください。

 

これまでは「これから作る曲は失恋の歌だからマイナーキーだな」などと考えたはずです。でももし週に7曲作るなら、そのうち4曲はこうした"いかにもな理屈"を考えないで自分の脳のストッパーを外し、出てくるままのアイディアで曲を作ってください。最終的にはこれが「ファントムフリー」になると思います。

失恋の曲をメジャーにしたっていいし、リズムだけでラップにしたっていい。

たまたまヒップホップの映画を観た後で、失恋の曲を書きたくなって、それがヒップホップの曲調になった時、自分は単純だな、とか思う必要はありません。実は潜在的に斬新な失恋の曲を作りたい、と日頃感じていたことで、気がつかないうちにヒップホップの映画を観たのかもしれません。動機がいつ始まり、どういう形で収束するか、など「よくわからない」んです。


私たちは自分の体の機能について何も知らないにも拘らず、健康な時、あ、正常だな、と感じることはできます。なぜでしょう。気分がいいからではないでしょうか。「気分がいい理由」わかりますか?体の何が気分の良さを作っているのですか?

答えが先にあります。

そうした小さなリアルを確かに感じられれば、今置いた音が(自分にとって)良いか、悪いかも判断できるはずです。

これが判断できることがファントムフリーの状態ではとても重要です。

 

もしそうやって自分の意思のままに音楽を作った時、それが無調音楽だったり、現代音楽になるなら、ポピュラー音楽でヒットチャートに登るのは諦めましょう(笑)。

いえ、諦めがつくと思います。

 

また学校で学ぶなら「音楽的クオリアの機能」「ファントムフリー」を理解している講師を探してください。かならずそれを肌で知っている先生がいます。

 

「ファントムフリー」にたどり着いたら、もうその先は孤独な戦いが待っているだけです笑。

思い切って、頭の理論スイッチを切って、ひと月ほどひたすら曲を作る生活を送ることをおおすすめします。

それまでは学んだことを使っていこうとしていたはずです。


そこから先は、学んだ概念を使おうとしないで、自分の心に浮かんでくるものだけで作るんです。そうして初めて学んだことがイメージになって適切な時に浮かんでくれるんです。水の中で泳ごうとする必要はありません。体を自由にすれば勝手に浮かんで流れてくれます。身体はそういうふうに最初から出来ています。

脳にも使い方があると思います。

そこから依頼仕事も受けてみると、自分と考えをやたら入れ込むような作風にはならないと思います。相手にも相手なりの正当性のあるクオリアがあるだろう、と感じるからです。

 

他のブログの記事も読んでいただくと、また違う側面が見えてくると思います。

このように、あるコード進行を聴いた時に、我々の記憶と認知によって引き起こされる「仮想のディグリー感や機能展開」のことを、接続系理論ではファントムPhantomと呼ぶことにします。

 

そこで、今回ここから先考えていくのは、ファントム・フリーPhantom Free。つまり、「ファントムが存在しない進行を積極的に採用することで、従来とは違う曲想を生み出すことは出来ないだろうか?」という考察をするのです。

 

とサウンドクエストさんの先のページにあります。ようやくこの感覚の存在を私以外の人が使っているのを拝読しました。

ファントム・フリーは「音楽的クオリアで認知できる範囲を超えよ」と言わんとしているのかもしれません。偶然性の音楽というのが音楽の歴史にはありますが、もちろんそこに向かうのではありません。

これは真に「直感で選択できて着想できる太い回路」が出来上がった思考の持ち主が行う作曲方法と言えます。お題を三つあげたら曲ができる、というようなスキルのことです。ただ表現しようがないので、方法論化されていないんです。「勘でやってる」なんて言っても何の説得力もないし、考えていないから説明もできません。

浮かんでくるんです。それをただ音にしているだけ。

 

しかしながらこうして言語や概念になった以上、以後、これからどんどん深められて、いつかメジャーな方法論になることでしょう。

権威もないのに偉そうなことを言ってすみません。

私自身はこの自分のやり方でこれからも音楽を作って参りたいと思います。

どうぞよろしくおねがいいたします! 

その2

www.terrax.site

 RAS機能についての簡易な書籍。

具体的に行動イメージを持ちたい方の知識の活用に下記の科学的アプローチも有効です(スピリチュアル動画ではありません)。

www.youtube.com

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