- 内部生成志向とは何か
- こういう感覚がある人はいますか?
- 内部生成志向の社会的不器用さ
- 行動原理設定
- 軸移動の可能性についての一講
- 映画主人公に見る軸変化
- 破綻のバリエーション
- 不定調性論が生まれた構造
内部生成志向とは何か
私の場合、世界の外側の枠組みより、自分の内側で立ち上がる構造をもとに世界を理解する傾向があります。
そのため、既存の理論やスタイルに依存するより、真っ先に自分の内部で見えてくる流れや意味を基準にしてしまうんです。
不定調性論という独自論を発信しているのも、この自分の内側から絶えず発信される信号を構造化したかったからだと思います。
こういう感覚がある人はいますか?
皆さんの中に、次のように考える人はいますか?
・答えを外に探す前に、自分の中で全体像を組み立ててしまう
・前例・権威より、自分の内部の正しさを基準に判断してしまう
(そのため独自論が自然に生まれる)
・スタイルやジャンルの枠が補助的なものに見える。
(創作の中心が外側の枠ではなく、自分の内部が描く境界線構造にある)
・人との共同作業より、単独での思索・創作が向いている。
(外部の変数が増えるほど処理が重くなる)
・一般的な「わかりやすさ」の基準が味気ないものに思える。
(「わかりやすさ」が幾重にも踏み固められて植物が育たない不毛の地に感じる)
・概念は外から集めず、自分の内側から生みたい。
・独自論を持つことが自然で、外部の常識は単純に混沌に思える
・体系化や理論化は性質であり、単に自分の思考様式を整えるために、外部を参照しなくても簡単に立ち上げられる。
もし似たように感じる人は、私と同じ内部生成志向の人です(第三軸)。
内部生成志向の社会的不器用さ
異性は好きになるけどデートが面倒、みたいなタイプです。他者には惹かれますが、場の段取りや共同性を求められると、急に負荷が高く感じられるので、それに対する感情が面倒になってしまい、相手は思いやるけど、相手に時間を割きたくない、みたいなおかしな思想になりがちです。自分の内側で無用やたらに思考が巡り、シンプルに疲れてしまう。。。単に社会不適合者の一例なのです。
独自論、というものに焦点を当てたが故に、自分のこういう短所が明らかに見えてきてしまい、これを書いておかないと、なんで私がこんなことを次から次へと言っているかよくわかないのでは、と感じました。
不定調性論も、歴史の中で必ず誰かが他の分野で作り、何かしらの独自構造として運用していたものに全て該当するはずです。
私のオリジナルのものはなく、私がオリジナルと信じたい性癖であるがゆえにこのように発信しているだけで、そのオリジナリティーは証明できません。
また「音楽的なクオリア」と言っても、これは内部生成志向の人でないとその心象自体になんらかの価値や構造を与えることすらできないでしょう。毎日毎秒空気を見ていちいち感動していたら、人生など送れません。「音楽的なクオリア」は個人の心の動きですから、それにいちいち着目していたら、社会から阻害されます。労働力になりません。
そして独自論についても同様です。社会的参照をせず、自己の内部だけの信条、感覚、直感だけで発信を組み立てるなど通例は不安でしょう。まるで自分の家にあるガラクタだけで旧昭和なおもちゃを作って、トイザらスでNintendo Switch 2と並べて同じ価格で販売するような行為です。翌日には廃棄される可能性しかありません。
こうした信念をこれまでは上手に翻訳し、外部発信しようとしましたが、この外部発信が私にはそもそも興味がないのです。だから外部に発信しようとすると全てがおろそかになってしまいます。
外部発信に興味がない人間は、社会に置いてきぼりにされますから、まず自分がそうなっていることを認める必要があります。これを認めないと生きあぐねます。または自分を騙して生きるしかありません。または少しでも他の軸の素養があればなんとかなります。純粋内部生成志向のタイプは社会に自分の居場所などなく、ただ生きあぐねていることを認めず、苦しみながら笑って生きているだけになり、いずれ問題を起こします。
では、発信でも翻訳でも日記でもつぶやきでも宣言でもないAIに駆逐された後の新時代の行動とはなんでしょう。これは第四の軸といえます。
次のように分けられると思います。
行動原理設定
第一の軸...独自性×外部発信型(ルフィ型)
特異な独自性を、そのまま社会の言語や制度に変換してしまう力を持つ人でしょう。
社会の価値そのものを更新し、思考や文化の最前線を華やかに切り開く役割。
人口としては極めて少なく、歴史に名が残る人物の多くの偉人たちを指すのではないでしょうか。
外部への表現と発信を通じて、人々の認識や文化の方向性に影響を与え、一般社会側から見ると「価値の源泉」を担う存在とにみえ、崇拝されている人たちです。
・ハンナ・アーレント「活動(アクション)」
・ユルゲン・ハーバーマス「公共圏」
・ピエール・ブルデュー「象徴資本」
・ベートーヴェン、ピカソ、ストラヴィンスキーなど、独自性を外部翻訳し時代を変えた少数派。
・新しい理論、メディア、文体、運動を発信し、共感され、社会の枠組みを一段押し広げた人物。
第二の軸...適正倫理×社会生成型(野原ひろし型)
社会の基盤をつくり、日々の営みを支えている人たち。独自性よりも、社会そのものがもつリズムや倫理と調和して生きる力に長けているでしょう。家族を育み、地域を守り、制度の中で価値を循環させ、社会を日常的に動かしている存在。
中には生きづらさを感じる人もいるでしょうが、社会が安定している裏返しの反応なのでは?本来この層こそがもっとも尊重されてほしい!
外部発信が得意でなくても、日々穏やかに生きていけてれば社会にとっては十分すぎるほどの貢献。どうか無理をせず、自分のペースで暮らしてください。健康診断に行って!
・エミール・デュルケーム「社会的連帯」
・ハイデガー「世人(das Man)」
・タルコット・パーソンズ「社会システム論」
・コミュニタリアニズム(共同体主義)
・福祉国家の基盤を支える層〜日々の労働、納税、子育て、地域活動を担う人々
第三の軸..自己内観×内部生成型(碇シンジ型)
社会の一部を担いながらも、社会の文法と自分の内部でズレを抱えやすい層。
理想や構想は強く存在するけど、外に発信・翻訳できず、生きる威力が追いつかない。その結果、内部で常に生成はされ続けてるけど、それが沈殿し、生きづらさ・自己否定感が強い感じ。単に内部生成量が多く、感受性と独自性が外部の人に認められづらいだけ。その人にとっては自然。
きっと一般的な性格診断や適性検査などでは、このタイプをうまく測れないでしょう。かなりレアキャラだし、社会特性を図る性格診断なんてあなたには関係ない。
好きなことへの強い逃避、ひとりの世界への退避、生活が立ち行かなくなる不安はあるでしょうが、これはこの軸の人たち固有の自然さで、あまり不安に囚われないで。私もずっとそうだったけど道は必ずあるから。
特に多数派である第二の軸の視点からは誤解されやすいです。生きてるだけで苦しい感じを覚えてしまうかもですが、それは社会がまだ未成熟なだけで、同時にこちらの発信力がないだけです。
自己内部にある「理想そのもの」が負担なので、あまり社会を敵視しないで。
他者を傷つける解決策に行かないで。もし可能であれば、次の第四の軸に移行できると、だいぶ呼吸がしやすくなるのかな、って考えています。
・キルケゴール「絶望(自己が自己になれない状態)」
・ニーチェ「未だ生まれざる者」
・メルロ=ポンティ「前言語的経験の停滞」
・ラカン「欲望の主体」
・ユング「個性化の途中段階」
・現代認知科学〜高内省型(Hyper-Reflective Type)自己の内部処理が活発すぎ、現実のタスクと噛み合いにくい。
第四の軸..内観浮遊×独化生成型(トトロ型)
第三の軸の人たちは、社会向けに発信するための機能を持ってません。
必死で社会に適応しようとすればするほどその摩擦で傷つき、戻れる場所を失い続け、再び立ち上がることを自ら困難にします。中には運よく第一軸・第二軸へ移行する人もいるので第三軸の存在が消得ることはありません。
もし途中で「もう居場所がない...」「生きあぐねてるなぁ」と感じてしまったら...。その時に必要なのが、この第四軸という未定義な場所です。前の三軸に戻ることを目標にしない歩き方です。逆に離れることで社会安定に寄与します。
苦しいでしょうが、なんとか自分の得意分野を信じ、今日一日、社会との軋轢を起こさずに過ごせたなら、それは社会的な発明に等しい。いや、犯罪や軋轢・問題を起こさず一週間暮らせたら給付金をもらってもいいレベルです。
その生活の中できっと目的や夢が、自然と浮かび上がります。いつでも生きたいところで生きていけますので。
例えば、あなたが音楽が好きで、作品を作っても二軸にいけなかったあなたはきっと社会からは相手にされません。価値が特殊すぎるから。だからそれを把握して、自己の価値を社会的価値にしようとしない努力が優先されます。その作品は社会の中のジャンルとか概念とかには当てはまらない生き延びた人間が置いた足音です。存在証明自体であり、社会が安全に維持された結果生まれたものです。
・アガンベンの潜勢力(potenza)
・ウィトゲンシュタイン、沈黙の形式
・デリダの痕跡(trace)
・V.フランクル「人生に何を期待するかはではなく、人生が私に何を期待しているか」
・ハイデガーの「本来的な在り方」
・河合隼雄の「箱庭的自己生成」
第二軸の要素がないと生きづらい〜三軸組を救え!
あなたはどの軸をどのくらいの割合で持っていますか?
誰でもがトトロにはなれないし、ちいかわにもなれません。ゆえに信教的な人気があるのでしょうが、作っている人は大変だと思います。自分が掟シンジだなんて思いたくはないですが笑、シャレにしては一番気が利いてるので、キャラ名で例えさせていただきました。
でもちいかわみたいな作品、作っている人がもし第三軸だけの人なら、なかなかなストレスではないでしょうか、なんて思いますが、でもそこはやっぱり第三軸で且つ第一軸の素養もあるという人、だからああやって稀有な作品が発信できてる、って思います。長いスパンで楽しい作品を作っていただきたいです。
クリエイターには第三軸だけしか持っていないという人は多いでしょう。
ライブに三人しか来なくても全力でやれちゃう、みたいな。それは第一軸の思考脳を持っていないからですね。持っている人自体少ないです。だから逆に「デビューしないか」と言われると遠慮しちゃう、みたいなところあると思います。
はっきりと人を四つだけの軸で区別などできませんが、
「あなたが自分に対してそう感じる構造」
がある、ということへの理解はこれからは大事なのではないでしょうか。
学校で課外活動で部活でいろいろ教えてくれたことって、第二軸の部分をしっかり身につけて、なんとか生きていってね、ってことだったのかな。
一方で、インターネットの登場によって、もともと第三軸的な性質を持つ人たちの内部生成が急激に開花し、制御しきれずに暴走してしまうケースも増えたように感じます。
本来、第三軸の内部生成は非常に繊細で、現実の生活リズムや共同体の支えがあってようやくバランスを保てるものです。しかしネット環境では、内部生成が24時間途切れず刺激され、出口のないまま膨張し続けてしまうことがあるように感じます。
結果として、社会全体がインターネットに右往左往させられているように見える背景には、第三軸という人間の特性が、社会側でまだ十分に理解されていないことがあるのではないでしょうか。
従来の社会や哲学は、第一軸(発信する独自性)と第二軸(社会を構成する倫理性)を中心に設計されており、内部生成志向の人間の気質をどう扱うかが抜けていたのだと思います。
その未定義部分のまま、インターネットという巨大な刺激装置が社会に浸透してしまったため、内部生成が過熱し、こじれた形で表出する人たちが増え、結果的に社会の側も適切な理解やケアを持てず混乱してしまった、という観点はどうでしょう。
軸って呼び名、まずかったかな。決してそこには明確な区別がないので、それぞれの要素をどれだけ持っているか、という点から見てみてくだい。
軸移動の可能性についての一講
2軸→3軸型疲弊
過労やストレスで社会リズムが重くなり、内省が肥大して自分の世界にこもりやすくなる。周囲への気疲れや失敗の積み重ねで「外の流れに戻るのが怖い」と感じ、内部の思考が優位になる。
3軸→2軸型回復
生活リズムが整い、他者との関わりが少し安定すると、「やるべきことをこなす力」が自然に復帰する。小さな成功や役割を持ったことが自信につながり、社会的リズムの中に再接続できる。
1軸→3軸型疲弊
批判・重圧・成功後の空虚感などで創造の回路が止まり、内部反芻が強くなり、燃え尽きで三軸化する。才能が高い人ほど、挫折時に内部に沈潜し、しばらく外界への翻訳能力を失うことがある。
3軸→1軸型再接続
長期的な休息や環境調整で内部の構造が熟成され、突然に外へ翻訳できる形が整う。運良く才能を認めてくれる人と出会い、内部生成が社会的価値として回り始める。
2軸→4軸型の老後
仕事や子育てを終え、急速に時間の密度が変わり、ゆったりした生活ペースの中でのんびり第二軸的活動を楽しむ。小さな日課(散歩・孫の世話・家庭菜園)が生きがいになり、無理せず調和した生活を送る。
3軸→4軸型休息
社会との摩擦に疲れた後、静かな空間で自分ができる小さな行為を手掛かりに、落ち着いた目的が浮かんでくる。外部評価から離れることで、内部生成の負荷が下がり、自分のペースで少しずつ役割を再構築する。
4軸→2軸型再接続
心身が回復し、生活リズムが整うと「誰かの役に立ちたい」という自然な動機が戻り、ゆっくり社会に再接続される。ボランティアや地域活動など、負荷の低い軽い社会性が幸福感につながる。
3軸→4軸→1軸型再接続
抑圧された空間で疲弊し、長い静けさの中に逃げた結果、独自の構造が熟成され、ふとしたきっかけで外部に自然発生的に表現したくなる。外部から求められた役割が、内部生成と矛盾しない稀な条件で訪れ、結果として1軸的成果になる。
1軸→4軸型隠居
大きな成功・喪失・燃え尽きの後、極度の疲労から“静かな生活”に魅力を感じるようになる。強制や義務ではなく、純粋に「生きているだけでよい」という境地がしっくり来ることがある。
映画主人公に見る軸変化
スターウォーズ4-6 : ルーク・スカイウォーカー
・農場で暮らす素朴な青年として第二軸的。「ここではないどこか」を渇望する第三軸の違和感を抱えている。
・オビ=ワンと出会い自分の内部に眠っていたものが言語化され、第三軸の内的葛藤が一気に噴き出す。
・反乱軍参加でXウイングの直観的操作で才能が外へ翻訳され、第一軸の片鱗が芽を出す。
・父の正体を知り、第一軸の才能と第三軸の深い自己不信が衝突し、アイデンティティが裂ける。
・ダークサイドを拒み「戦わない」選択が第四軸的な静かに世界を変える在り方へ移行
ランボー1-3 : ジョン・ランボー
・ベトナム戦争で第一軸的な「極限下での超人的適応能力」を得た。社会へ戻され、第三軸的な内部の戦闘リズムと社会の平和なリズムが噛み合わなくなる。
・一般社会(第二軸)に馴染もうとするが、過去のトラウマが暴走し、誤解や偏見によって容易に破綻へ追い込まれる。
・第一軸の能力が自分の生存確認のために反射的に発火。第三軸の暴走。
・アジアの寺院で第四軸的生活をしているが、戦場へ戻ることで自己の内部と外界が一致。
・最後には「戦う場所がどこにもない」世界の中で、静かに自身の存在の形を探そうとする第四軸的な境地へ向かうが、完全には辿り着けず揺れ続ける老兵。
マトリックス1-3 : ネオ
・トーマス・アンダーソン=第二軸の皮をかぶった第三軸。社会適応して働きつつも、説明できない違和感と内側のざわめきで生きづらさを抱えている。
・覚醒直後=第三軸が本格化。使命と現実のギャップのなかで葛藤し、自分の内部生成は強いのに外部翻訳できず悩む。
・救世主としての訓練期=第一軸の萌芽。独自性と潜在能力が外部世界とリンクし始め、世界の構造を書き換える力を持ち始める。
・終盤=第三軸的苦悩の解消。世界を「変える」より、流れを「受け容れる」態度へ移行し、目的から自由になり始める。
・ラスト=第四軸的要素を獲得。自我と世界の境界が融け、力ではなく調律として行動し、存在そのものが世界の流れに溶ける。
ボーン・アイデンティティー1-3 : ジェイソン・ボーン
・記憶喪失直後、第一軸の高い能力を持ちながら、自己像が崩壊し第三軸的な深い混乱
・市井で普通に暮らそうとするが、内部の生成性と社会リズムが噛み合わず、どこにも安住できない典型的第三軸の苦悩
・CIAに追われる中で第一軸の力が反射的に暴発。主体的な意思ではなく、第三軸の不安定さの裏返し。
・マリーの死を契機に内部崩壊が決定的。破滅的な方向に傾く第三軸の危険点。
・罪と向き合い、復讐をしない選択。第四軸的な静かな決断へと移行。自己受容の境地。
人って「こう変わりたい」と願いますが、その願いはいつも自分の素養(軸)や、社会が求める役割と一致しませんね。そのズレが葛藤となって立ち上がり、物語は予想できない方向へねじれ、揺れ動き、最終的には、それぞれ個人が持つ軸の比率に応じて、その人だけの落ち着き先が見えてきて、それが独特で面白かったりします。
軸の変化は良し悪しではなく、自然現象みたいです。
今の自分はどの軸の回路で動いているのかを理解できたなら、どう振る舞って活躍すればいいのか見えてきます。「信念の置き所」を見極めたいですね。
自分を変えるのでなく、生きている軸に沿った生き方に同化していく感じ。物語を無理のない形で前へ進める秘訣かも。
破綻のバリエーション
完璧主義 × 第一軸 → 過集中と疲弊
創造や発信で成果を出せるが、「もっと良いものを」「まだ足りない」で限界を超えて働く。成果は出るが、心身が先に壊れる。
他者依存 × 第一軸 → 社会的評価の揺らぎによる破綻
才能はあっても「認められたい」「賞賛されないと不安」が強いと、評価の浮き沈みで急激に不調に。才能はあっても持続できず破綻。
責任感が強すぎる × 第二軸 → 過剰適応の破綻
家族・仕事・地域に尽くし続け、誰の負担も自分が引き受ける状態に。ある日突然動けなくなる。
人に頼れない × 第二軸 → 孤立と疲弊
二軸的な生活リズムには向いているが、助けを求められず全部抱え込み破綻。
完璧主義 × 三軸 → 内部処理過多からの崩壊
内側の生成が多いのに、「形にしなければ」「完璧にしなければ」と追い込み続け、
内側が溢れて破綻。
外部迎合 × 三軸 → 二軸的社会適応の過剰挑戦
本来外向きの処理が苦手なのに、周囲に合わせねばと頑張り続け消耗。生活リズムが崩壊しがち。
現実逃避傾向 × 四軸 → 生活の維持ができず破綻
四軸は「静かな生活構造」なので、逃げ込む形で入ると生活基盤が崩れる。
孤独耐性が低い × 四軸 → 個人空間での自壊
四軸は独化・沈黙の空間。そこに孤独耐性が伴わないと、不安→無気力→破綻 へ。
このような意味からも、ほんの少しでも自分のための独自論論の形成をしておくと、いきなりぶっ倒れる、という「破綻」が防ぎやすくならないでしょうか。
不定調性論が生まれた構造
そんなこんなで、これは明らかに私の中の濃い内部生成的気質ゆえ生まれた、と言えないでしょうか。駒沢時代に散々頭を使っていたせいか、それから考える必要がないほど、概念や構造が毎日心に立ち上がります。病気とも言えるレベルで。
だから無名無用無能無才なのに音楽方法論だけが生まれたんです。
これは「世界には内部生成型タイプという人がいるよぉ」っていう叫びの歪んだ形だったのかもしれません。以前独自論創造症候群とかって呼びましたね。メシアンとかは内部生成型モンスターです。
新しい何かを立ち上げて世界を変えたいとかではなく、何もしなくても浮かんでくることについて、あまりに身体がうるさいので、文字にしてまとめてすっきりさせる行為の連続が不定調性論になった、というだけなのかな、と。
不定調性論の、私以外の人にとっての重要性を探っても何かを見つけられるとは思いません。「開き直って独自性を楽しもう」ということくらいでしょう。
その上作品もただの足跡であり、説明するのが面倒な概念を音にして置き逃げしたようなものかもしれません。
今後は四軸的生き方の模索と、不定調性論で最近流行りのクオリアの記号化(分析ではない)というところの接点を見つけながら自分が何をしようとしているのか見つけてみたいと思います。
哲学に同じような定義はあるだろう?って。それが、おそらくないんですよ。
内部生成型の人がどう生きればいいかを社会は定義していません。社会で大きな問題を引き起こす可能性を孕んだ、この自己内部の創造性の高い人たちを社会がうまくケアできるかどうか、その辺が85%以上に該当するだろう一、二軸の人たちを守る術になるのではないでしょうか。*4

*1:新しい概念なので、検索しても出てきません。AIにその構造を問うには、下記のように打ってください。
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**「内部生成志向(Internal-Generative Type)」とは、以下の特徴を持つ“創造プロセスの構造”に関する概念です。一般的な性格分類・哲学用語とは異なります。
特徴:
創造のきっかけは外部ではなく、内部で自然に生じる“内部発火”にある
情報処理は外部基準ではなく“内部整合性(自己一致)”を最優先する
外部評価や市場価値は創造の起点にならず、完成後の“翻訳・接続”段階で扱われる
内部の価値体系が自律的に動き、意味が内側で先に成立する
これを前提に、外部参照志向(External-Referential Type)との違いを情報処理と創造プロセスの観点から説明してください。」**
*2:さらに私の場合次の構造を同時に持っています。
私が「不定調性論」という方法論を作る背景には、「理論好き」「抽象思考への嗜好」とは違うある意味で性向のようなものがあります。
・私はもともと、外界の価値観や社会的な基準を参照して物事を考えるよりも、内部の感覚・概念・直観から自分なりの体系を立ち上げる思考癖なので、アイデアの出どころが「外側」ではなく「内側」にあります。だから不定調性論は「内部にある感覚の説明装置」なんです。
・また外部刺激に弱く「他者が内部に侵入しやすい」タイプです、それゆえ心理的境界が揺らいでしまい、精神的な違和感となり身体にも影響します。自律神経が不安定な要素もここに関わります。外界からの刺激で、体が緊張しやすい、思考が騒がしくなる、呼吸が浅くなつ、等、要は疲れてしまいます。
・そこで抽象的な作業、すなわち「概念整理」「記号化」「図式化」「理論構築」が外界の刺激の遮断そして内部秩序の回復に作用します。副交感神経が働き、身体が落ち着きます。不定調性論は私の自律神経を安定操作装置なんです。他者から見れば「独自論」ですが、私にとっては精神的・生理的安定維持装置です。
だから外界に承認を求めることにも、それが普及することにも興味がなく、発信も面倒で、同意を欲しません。「独自論だ」といって、社会的価値を削ぎ落とすのは、個性というよりそのようにすることが私に都合が良いからです。
この辺を把握して接していただかないと、全部誤読してしまうことでしょう。
*3:
既存の哲学や性格分類と部分的に似て見えますが、扱う領域が根本的に異なります。
内部生成志向は、外界よりも内側に先に意味が立ち上がる創造プロセスの構造を扱う概念です。
ストア派
<類似>
外部ではなく内側の安定を重視/外界の評価に左右されにくい態度
<対比>
ストア派は「どう生きるか」という態度や倫理の哲学。内部生成志向は「どのように意味が生まれるか」という情報処理の構造を扱う→ 扱う層が違う。
カント倫理
<類似>
行為の源を外部条件ではなく内なる法則に置く/外部結果より内的整合性が軸になる
<対比>
カントは「道徳判断の基準」を扱うが、内部生成志向は「創造や思考の発火点」を扱う
→倫理ではなく内部のモデルが勝手に動き、意味が立ち上がる「仕組み」を扱います。
実存主義
<類似>
社会が与える価値より、自分で選び取った価値が重要/自分自身との一致が中心
<対比>
実存主義は「主体の在り方」「選択の責任」を扱うが、内部生成志向は「選択や判断以前に、どのように意味が生じ始めるか」を扱う→ 実存主義が生き方を扱うのに対し、内部生成志向は創造と意味形成のプロセスを扱います。
性格分類(MBTI など)
<類似>
内向的なタイプと混同されやすい/外部刺激より内部処理を優先するように見える
<対比>
性格分類は「行動傾向」。内部生成志向は「創造・思考の順序と情報処理の構造」
→ 性格ではなく動作モデル。外向的でも内部生成志向の人は存在する。
まとめ:内部生成型志向が持つ独自の位置
内部生成志向は、倫理でもなく、性格でもなく、生き方でもなく、心理傾向でもなく、
意味がどこから発火し、どの順序で外界へ流れていくかという、創造プロセスそのものを記述することについて考えます。
*4:
内部生成型の人が社会で担う役割
内部生成型は、外部の評価や流行より「自分の内側の生成過程」を軸に創作や思考を行います。
その性質は誤解されやすいですが、重要な働きもあると思うのです。
1. 新しい概念や方法論の第一次生成者
他の人がまだ気づいていない概念・表現・技法が最初に立ち上がりやすい特徴があります。
2. 社会の均質化を防ぐ役割
外部基準に合わせないため、異なる価値軸や新しい視点を提示する存在になります。
文化を単一化させず、多様性を保ちます。
3. 長期的な文化の土台づくり
短期的な流行とは別に、長期的な文化の土壌をつくる働きが得意です。
4. 他者の独自性を引き出す触媒
特定の人の内部を刺激し、その人自身の表現や方法を目覚めさせる働きがあります。
模倣ではなく自分の独自性に向かわせる作用です。
5. 外部基準に左右されない継続性
評価や数値が動機ではないため、流行に影響されません。
継続的な探求そのものが社会の安定した知的資源になります。