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前回
前回の続きです。
第6講 共感
導入窓の言葉が素敵だったので引用します。
悩みながら社会生活を送っている私たちは、ふと自分とはなんだろう、どうして今ここにいるんだろうなどと思ったりします。孤独を感じるときもありますが、他者のために考え、行動するときに喜びを感じる賜物も授かっているのです。
悩んでいるときは、自分のポテンシャルに気がつきません。
悲しさを感じる能力の裏返しは喜びを感じる能力です。
どちらも自分に備わっているなら、自分の意思で、辛い、苦しいと感じる"能力"を、喜びを感じる"能力"の発動に向けて行動していくこともできる、という可能性について述べた文章だと思います。
そう簡単にはできなくても、自分が感じている苦しみが、科学的な事実などではなく「一つの感じ方から生じた一時的な"解釈"に過ぎないのだ」ということに気づかされます。
何事も自分次第、という言葉が重いです。
心の理論は他者の心を類推し理解する能力のことで、社会の中で生き抜くためにとても重要な機能です。心の理論のネットワークは内側前頭前野、側頭頭頂接合部(temporo-parietal junction)、後部上側頭溝(posterior superior temporal sulcus)から構成されています。
あまり専門用語の内容を引用しませんでしたが、同書自体はこんな感じで全体にわたり、脳科学の分野が図柄と一緒に網羅されています。
<ミラーニューロン>
細かい解説は省きますが、
他者の行動を見て、まるで自分自身が同じ行動をとっているかのように「鏡」のような反応をすることから名付けられました。
このくらいの知識は持っておられるでしょう。
さらに、
ミラーというと相手の動きをそっくりそのまま真似ることと受け取られかねませんが、ミラーニューロン活動の本質はアクションの脳内表現(あるいは意図・目的)にあります。例えばテーブルの上にあるコーヒーカップに手を伸ばすというアクションの場合、ミラーニューロン活動はコーヒーカップに手を伸ばすというアクションを表現しているのであって、そのときの指の形などは重要ではありません。したがって行動の模倣ではなくて、アクションの意図(コーヒーを飲もうとしている)を理解している活動だと考えられています(キーザーズ:共感脳)
などなど最新の情報も詳しいです。
相手を見ただけでわかる、理解する、というような"ツーカー"な感覚もこのミラーニューロンの働きだそうです。セッションや演奏、演劇などでも、"するどい人"は何をしようとしているか相手の行動、表情、演奏のニュアンスから察知します。
これらの共感性こそがミラーニューロンの働きだそうです。
別の書では、動物が「まだ一度もしたことがない行動のための準備、訓練」のためにミラーニューロンがある、とあります。
音楽演奏には欠かせない脳機能のようにも感じます。
「よく相手を見ろ!」といってもミラーニューロンの働きが理解できていなければ相手の意図を即座に理解することはできません。だからセッションの時だけ相手を見てもその感覚は鍛えられないわけで、普段から他者の表情を感じ取ったり、人の仕草から感情を感じとったり、映画を見て共感したり、動物を見て行動を予測したり、といった日常訓練が演奏での対応能力を上げてくれるのかもしれませんね。
またミラーニューロンが重視するのはアクションですから、その他の解釈はやはり自分に任されています。本人が意図していないのにその人の気持ちを察したりする気が利く人もいますが、一時的なものにせよ自分で解釈するからこそ独自性が生まれる、という意味では不定調性論の考え方もミラーニューロンの活動を活用したもの、と言えるかもしれません。
著者によれば
ピアニストはピアノの音を聴くとアクションつまり演奏時の指の動きなどを連想できるからだと思います。音とアクションを結びつけるネットワークが脳内に作られているからです。
ピアニストは音と指の動きが関連づけられています。
私もギター弾きでしたから、チョーキングしている人を見ると中指が痛い笑。
楽器の練習も必要、相手を見る訓練も必要、というわけですね。
当ブログ的に置き換えれば、作曲を上達したければ、作曲行動を重ねながら、起きたアクション、相手のリファレンスに応じた一時性を理解した独自解釈で独創性や共感性の高い作品を生み続けることで「解釈⇨表現」の脳内ネットワークができ、用いることで強化され、その方法論も精錬される、となります。
方法論だけ作っていた時代が私は30年ほどありましたが、全くもって遠回りだったと言えます。同時に曲も作り方法論も作らないといけなかったわけです(今やってます!!)。
このミラーニューロンの発見もまたセレンディピティ(serendipity:偶然の発見)だ、と著者が紹介しています。研究者の無駄は、無駄ではないんですね。
自分は研究者にならなかったぶん、やはり無駄を恐れて逃げた結果となり、本当にその時「無駄」にしてしまった、という意味ではすごく大きな教訓を得ました。これからなんとか回収したいです。
<心の痛み>
ここも興味深い話が目白押しですが、一つ想像してください。
・タンスに足の小指をぶつけました。あの時の痛みを思い出してください。
・好きだった人に告白したらいい感じにフラれてしまいました。その時のなんとも言えない気持ちを思い出してください。
人はどちらの痛みもシミュレーションできたと思います。これらの痛みのイメージの活性化についてはセイリエンス・ネットワークという脳内ネットワークで行なっていることが最近わかったそうです。
タンスの痛みはともかく、音楽を作る原動力にもなる心の痛みはある種の脳内ネットワークでの活動です。音楽を聴くと癒されたり、心が揺さぶられます。そういう時の方が普段できないメロディや、言葉がぽっと浮かんだりします。
それらは創造性にも関わっているのだろうと思います。
曲を作りたければ恋をしろ!
と昭和平成の頃は言いましたが、今ではそれらは映画を見ても似たような反応を作ることができます(映画自体もバリエーションが豊富になったので)。
この理屈で言うなら、アイドルに恋愛を禁止するなら、脳内活動で恋愛を想定することを禁じないと意味がなかった、となります笑。そしてそれは不可能ですから、いかにそれらのルールが表面的ななんの効力もない肉体的接触だけをさせない拷問のような行為だとわかります。人が人であるならこそそれは難しいわけです。
なぜなら、
脳を使って恋をイメージしたら、脳は実際の恋と判断区別ができないからです。
これに従える人は本当に仕事一筋な人で、恋愛禁止というより安易な一夜限りの恋愛は禁止で「仕事一筋になれ、そして命がけの本当に本当の恋をしたら恋を生きよ」という意味と理解して温かく見守りたいところです。
アイドル文化が好きになれない人は、きっとこうした"女性の取り扱い"に対して嫌悪感を感じ、その楽曲にも魅力を感じないのかもしれません。
脳がどこまでできるか、脳機能をどんな風に活用するか、そういうこともこれからの芸術学では論じられるのかもしれませんね。
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また共感度が高すぎてストレスになる「ウィリアムズ症候群」の様々な症状などにも同書は触れています(人の心を理解するのが得意、音楽に対する感情反応が並外れて強い、過剰な社会的交流etc)。
これらの症状を軽度に持つアーティストもいますね。周囲は苦労します。そういう人が講師だと生徒も疲れたりします。感情を扱う音楽家は知識としてこうした脳機能についても知っておくと、これから付き合うことになる先輩ミュージシャンの"症状"にも対応しやすくなるかもしれません。その才能の発揮のために周囲がその症状を"介護"してあげる必要があります。
他にも同書では聖書や夏目漱石などを引用しながら、脳科学を知らなかった先人たちが呈した表現、疑問などが語られます。
我々が疑問に思っていることもあと100年後には綺麗に解決しているのでしょうね。
バッハの時代にEDMがなかったのように、我々の時代の音楽も未来にはありません。しかしバッハは残っていますし、今の時代の音楽で受け継がれる音楽もあるでしょう。
音楽家として、後世の人に伝える音楽を作るか、今生きている人たちを楽しませる音楽を作るか、そういった根本的な個人の目的意識の設定から脳科学的見地が関わっているようにも感じます。