余暇を利用して、最新の脳科学の研究やトピックを題材に少しずつ音楽や作曲に応用した記事を作っています。
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前回
参考にするのは「自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80」です。
ポイント2;脳は作話する、という話です。
今回は表題の「熟慮の悪魔(The Devli in the Deliberation)」です。同書では、
善は急げ。脳は、直感的に即断すればするほど、全体に利する行動を取ります。
とあります。
判断の遅い人でも、迅速に考えてください、と促すと利他的になり、判断の速い人でも、じっくり考えてください、と促すと利己的になるそうです。
ショッピングも熟考すればするほど目的がブレるのだとか。
考えすぎるとよくない、スポーツのフォームを意識しすぎるとかえって良くない、ということも書かれています。
また
事件を目撃した人が、犯人の顔の特徴を警察に報告すると、あとで真犯人を見たときに正しく認識しにくくなることも知られています。
これはその特徴を言語に置き換えたことで記憶や印象が歪み、言語隠蔽効果(Verbal Overshadowing Effect)という効果が起きるからだそうです。
好きになった人を、友人に語っていると、どんどんイメージが自分の都合の良いように変わり、実際は付き合ってみると「思ったよりそうではなかった」ことに余計にがっかりしたり、みたいなことはよくありますね笑。
脳は勝手に自分のストーリーを作ってしまうそうです。
不定調性論はこの「直感に従う方法論」です。
音楽を制作するときに、じっくり手法や理論的に考えてその時々に一時的解釈していると、音楽がどうもクサくなったりします。
また拙論ですが「勉強したことを思い出そうとしてはいけない」とも書きました。
作りながらポッと学んだことが浮かんでくる、というのがより純度の高い学習成果だ、としてます。
"そろそろこの曲のこの辺りでモーダルインターチェンジを使ってやろう!"
みたいに考えるとうまくいかない、ことが多い、というわけです笑。
でも最初はみんなこうやって音楽理論を応用するんですよね。
自分もそうやってたくさん失敗しました。
少しずつ脳の作話に気がつき、じっくり考えるときに「都合よく考えないように」なれます。熟練した作曲家の作品が一味違うのもやはりそうした脳の膨大な思考経験の結果なのではないでしょうか。意図が極限まで削られて聞き手に必要なものがそのまま伝わってくる自然さ(あとはそれが好きか嫌いか、聞き手次第なのですが)。
言語化とは、言葉にできそうな容易な部分に焦点を絞り、その一部を切り取って強調する歪曲化です。
不定調性論では、本を閉じて、バシバシ直感的に作ることを推奨しています。最初は、
"せっかくあれだけ勉強したのに、できる音楽はスリーコードかよ!"
って嘆くかもしれません。
でもそれが、現在のあなたの学習成果の活用能力、なんです。
でも10曲、20曲作っていくうちに自然とセカンダリードミナントが使われ、自然とII-Vが使われ、自然と転調し、自然とモーダルインターチェンジが出るようになります。
たいていの人は20曲作るところまで続きません。頑張って20曲作ってみてください。
また逆に「熟考しながら音楽を作るやり方」という方法論を作ろう、というのも面白いと思います。拙論でも初期段階は厳密なやり方がありますが追求してはいません。
「あなた自身がどんな風に曲を作りたいか」が、あなたの方法論になる。
これが不定調性論的思考です。
このトピックで考えれば、
「さっきより制作のペースが落ちて時間をかけている部分」が出てきたら、それは制作が熟考的になっている、と考えた方が良い
です。まさに作曲の心理学。
コンペ作品は利己的になるより、利他的になった方が良い作品ができる、と言えます。そういう意味で、コンペの期間が短いのはある意味でその方がクライアントが求める作品が生まれやすい伝統があるのを皆なんとなく察知しているからかもしれません。
作る方は大変ですけど。
次回