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不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

<変化盲と選択盲>音楽制作で考える脳科学3〜脳は作話する

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前回

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参考にするのは「自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80」です。

 

記憶は都合よく合理的に歪められる、という話と脳は偏見を持つ、という話です。

 

今回は選択盲(Choice Blindness)のお話。

例えば、あなたが街で道を聞かれて、スマホで確認して目をそらしている間に、聞いてきた人が別人に入れ替わっても、顔を上げた時に別人に変わったことには9割以上の人が気がつかないそうです。「変化に気づかない」脳の性質(変化盲)なんだそうです。

 

そんなバカな!という人は下記の動画を見てください。字幕をクリックして日本語を選択してね!見てから下を読み進んでください。

youtu.be

 

 

 

 

 

演者のシャツが変わったことに気がつけたあなたは「そんなバカな!」って云う権利があります笑

こちらの例も有名ですね。まずはご覧ください。

 

 

 

 

 

二度映る後半でピーターの髪型が変わっていることに初見で気がつく人はどのくらいいるでしょう。

 

選択盲」も同じで、二枚の異性の写真から好きなタイプの1枚を選んで、そのあとで、選んだ方ではない写真をわたされても8割以上の人が写真が自分が選んだものではないことに気がつかないそうです。驚きです。それだけ人は見ていない、覚えていない、脳の中に自分のイメージを作る力が強いのですね。それはそう起きて当たり前、きっと私の錯覚だ、とかいろいろ感じてするしてしまうんですね。そんなに問題でもないし、自分の生命を脅かされることは起きないだろう、と次の情報次の情報へと脳の注意力は進んで行きます。髪型が変わろうが、シャツが変わろうが「自分には問題ない変化」ぐらいに考えているとしたら、脳はやはり生命維持のためにのみ存在している、と言えないでしょうか。難しい数学を考えるようにではなく、生きるために必要なことの多面全力を投じてくれる器官です。

なんだか健気でありがたいですね。

写真が変わったことが気になって、その男性の言うことを聞き誤って騙されたり、脅されたりしていたら命がいくつあっても足りません。まず音がいうことに集中して注意を払いたい、そう思うものです。よほど他人に注意を払わない人でない限り。

 

さらにさっき自分が選んだ写真ではないのに、その違う写真の姿形から、好みの部分を探して話し始めるのだとか。

 

こういう性質も「脳の作話(さくわ)」です。

でっち上げた理由を「本当の理由」だと勘違いするのだとか。怖い。

真の理由は自分ではアクセスできない無意識の世界に格納されています。

 

脳は堂々と虚構を語る。

記憶は未来の自分に贈るメッセージです。将来の自分に役立って初めて意味をもちます。だから、うまく役立つように記憶内容が歪められます。

これを 記憶錯誤(Paramnesia)と言うそうです。

進化の過程では、生き残るためにそのくらいの機能が必要だった、ということでしょう。

 

これってアーティストに

「今回の曲はどのように作ったんですか?」

「聴きどころはどういうところですか?」

みたいなことも結局エンターテインメントなんだ、ということになります。

記憶は微細に将来のアルバム制作のために歪められています。たいしてうまくいかなくても仲間を鼓舞する意味を込めて「これからのためになる機会を持てた」とか言います。本人はいいこと言った的な感じでしょうが、後々それが脳の中で事実になってしまう訳です。

本人すら気がついていない本人と相手にとってそれっぽい理由を答えてしまう、という点でインタビューも回顧録も"聞き手がこう言って欲しい"を満たすエンタメ、と言えるかもしれません。

 

リスナーだってそうです。

・作品が気に入らないと、アーティストの人格まで否定するような発言になる。

・好きな人の作品は、どう転んでも全て「神曲」。

・偉大な先人の作品は、レコーディング時の失敗ですら魅力。

・犯罪を犯した人の作品は笑いのネタになる。

 

これ逆もあります。世界で有数の賞を取ると、いろいろなことが許されます。

なぜでしょう。同じ人間、平等ではないのですか?

 

 

もっと身近に、部下が遅刻した理由を問いただしても、失敗した理由を問いただしても、ある意味では嘘しか出てこない、と言っても良いかもしれません。

宇宙人にコントロールされた、などと言っても信じてもらえません。事実でない、という証拠は出せないのに、です。

 

社会は、事実ではなく、なーなーで成り立っています。

 

これらは脳は基本的に偏見を持つ性質があるのだ、と考えると楽です。

「偏見をなくそう」というのは無理な話、となります。

こうした偏見にプラスして「選択盲」「変化盲」が起動するわけです。

手に負えません。自覚がないのですから。

 

さらに口が上手いともはや誰も止められない。

それが現代では具体的生産性成果が出なくても、フォロワー数でなんとかなる、フォロワービジネスに繋がっているのかもしれませんね。誰にでも通じる「フォロワー数」という事実を人は信じるからです。果たして。

 

だから重要な決定を左右させる人材をそばに置くなら、この全てのバイアスを自分と共有できる人材が良い、ということになります。または口の巧みな人笑。

 

レコーディングでディレクティング側にある種の偏見があると、礼儀を知らない初心者プレイヤーに何十回もレコーディングさせて、結局3番目のテイクを使ったり笑、逆に3番目が一番良いのだけど、意地になってしまって最後のテイクを使ってしまったりして、結果「君はまだまだだ」といういかにもな批評をミュージシャンに影で浴びせてしまったり(そんな人ばかりではないので安心してください)。

 

しかしそういう人は、そこからその人が売れたりすると、いきなり扱いが変わる、「最初は最悪だった」または「最初から頑張ってた」とか色々批評したくなるのも脳の偏見のせいなのかもしれません。

 

だからこそ「君はすごい」と言われているうちはヒット曲が作れ、「君の時代は終わった」と言われればヒット曲が書けなくなります。

本人が自信を失うのもありますが、偉い人がそう批評すると、本人も周囲もファンも社会もそういう「それっぽい意見」に洗脳されて「この新作は勢いがないのでは?」とかそう思ってしまうからでしょう(同調圧力-Peer presure-)。

流行はそうして作られていくものであるなら、流行に乗るのはやはりビジネスとしてだけで十分です。

 

世の諸行無常な理由も、脳の性質にその一端があるのかもしれませんね。

本来は栄枯盛衰などなく、ただ流れているだけであり、常に死があれば生があるのですから、よほど自分本位でものを見ない限り、世界は常に混沌である、としか言えません。

 

不定調性論では「脳が感じたこと」を音楽に生かします。

そこには嘘、勘違い、錯覚、作話が潜んでいます。そうした作話に、適度に騙されていたとしても、変に踊らされないように「音楽理論」や楽譜、DAWプラグインの画面が示す現実的な数値データがあります。

だから理論と感性、両方頑張らないと!

特にエフェクターのEQやコンプレッサーは画面で視覚的に波形が見えるタイプのほうが錯覚の影響を受けなくて済むと思います。また、質の悪いプラグインはこの波形情報の精度が低い笑、ので今度は自分の耳を信じないといけません。やはり両方必要です。プロは怠けられません。

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どの音が反応しているか目で見えた方が初心者にはわかりやすい

 

自分の脳は自分に嘘をつく、と少し理解できたら、他人にイラつく機会も減るかもしれません。また、好きな人同士でも、先輩後輩でも、いじわるするつもりがなくても脳の作話によって人間関係がギクシャクする、なんてこともわかっていれば、「あ、この人、いま脳のバグ!」で済ませられるシーンもあるかもしれません。

特に酔ったときなんか200%バグですよね。

 

でもこういうことは事実であるとはいえ、人に伝えちゃうと本当に人との関係がつまらなくなりますよね。

だからそれは言わないで表面だけ付き合う社会、と本当に自分と言葉を交わせる人間関係、と分けながら、上手に右から左へ受け流したいものです。結局社会に対してどのくらい諦められるか、で生き方が変わる、ということなのではないでしょうか。

 

・表面的人間関係(乗りこなす)

・内面的人間関係(活力にする)

 

今どっちなのか、役割をごっちゃにしないようにしたいものです。全部悟と僧侶になるしかありません。

また、好きな相手とは、内面的人間関係が作れるように工夫したいですね。

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