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自分の意思に従う、って結構覚悟が必要です。
通例はなるべく社会のニーズに答えられる選択ができるよう法律や行動倫理を支える教育が整備されています。
不定調性論は「直感」を重視します。理屈ではなく自分の意思を重視したいと感じてしまう欲求の瞬間を大切にしよう!と言う方法論です。
人は幻のような確信、根拠に突き動かされています。
少しでも間違いが起こらないように迷わないように人は法則を発見し、理論を作ってきました。より確実な数値データを信頼するようになりましたが、人はそれを目の当たりにしても事実を受け入れない時があります。
迷わない、という人はいるでしょうか。
音楽などの表現分野で、全ての楽曲を大ヒットさせた人はいません。
一般理論を学んでも、自分の身勝手な確信を信じてしまう「魔が差すとき」があります。
人に脳がある限り。
ここではその「自分の意思」がどの程度曖昧なのかを、実際の研究などから俯瞰してほしくて書きました。その上で「自分の信じる」ことを楽しんでほしい、と思っています。人は脳の性質ゆえに幻想を超えられませんし脳科学も認知科学も言うほど信頼できないかも?と言う疑念が最近は出されています。このブログの記事もピクンときたら、ちゃんとご自身で研究成果の少佐、現状、をご確認ください。私も自分が書いた内容に半信半疑です。
音楽理論を勉強しても、過去の慣例の再現能力の低い人は知識を活かしきれません。
オリジナリティを出すために音楽理論を学ぶ、と言うことが向いている人も一握りです。
「確実に自分のスペックを活かす」ために、勉強し失敗し、繰り返して確信を導き出すための過程において様々な勉強も必要でしょうが、結局最後は、本を閉じ、失敗を覚悟し、踏み出さないとケーススタディができません。最後に頼りになるのは、今自分はどう考えて、それがどう言う理由でそうなっていて、どうすれば解決に近づけるか、考えられる力です。ドギマギしているとチャンスは風のように去ってしまいます。
理論を学んで、脳科学の現状を知ったら、あとは目を見開いて走り出すしかありません。それでも失敗の回数が減るわけでも、大ヒット曲ができるわけでもない、と言うところを早く認めましょう笑。やるっきゃないのです。その時、直観が物をいい、それを感じる感覚を自覚するあなたの冷静さが物をいいます。不定調性論はそう言う感覚感を少しでも掴むために作りました。
このページも心理学などと言っていますが、読書感想文程度の文章ですので、気楽に読んでいただければ幸いです。
この記事の中で出てくるさまざまな心理効果や、認知バイアス、心理実験、専門家の間で常識となっている社会通念、歴史的論文から引用した、という事実も絶対的な信頼で読まないでください。時代が変われば、これらの成果も変わっていくかもです。
一つ一つ、あなたご自身の実感と、直感でお読みいただき、そこから少し冷静になってあなた自身の独自論におけるあり方を改めて模索いただければ、と思います。
まず。疑ってかかってください。
今回の参考文献で、脳科学者は次のように書いてます。
実際のところ、私たちの「直感」は有益です。ほとんどの場面で、反射的に浮かんだ「直感」を信じて問題ありません。ただし、たまたま想定外の条件が揃うと、直感は珍妙な回答を導くことがあります。それが認知バイアスです。つまり、認知バイアスとは、脳が効率よく作動しようと最適化を進めた結果、副次的に生まれるバグなのです。
直感を頼りにする以上、認知バイアスについて考えることは有益のようです。
自分が、相手が出した結論の中に認知バイアスがあるのか、ないのか、そしてそれはそのまま生かすべきか、修正すべきか、そういったことも瞬間的に行動しなければならないような現場では"直感的に"処理して行く必要があります(それでも結果は五分五分)。
音楽の場合は、そうしたバイアスが個性的な表現になるときもあります。
ここでは脳がどういう性質を持っていて、それが音楽制作/音楽活動にどのような影響があると考えられているのか、を考えてみましょう。
最終的にはその人の個人的判断で「悔いのないように」という理由で決定されます。
このブログでは音楽的選択における直感的材料を「音楽的なクオリア」という名称で呼んでいます。
社会通念と個人的感覚の狭間でどうやって生きるかの答えは人類はまだ出せていないので、いくら知識があっても失敗しますから、最後は自分の選択で責任を取るしかありません。それがその後の世代の「データ」になります。人間皆人柱。
音楽の伝統、方法論の"べき論"が充実した現代だからこそ、自分は今どういう判断をしたいか、を知ることについて考えるのは有意義だと信じています。
「自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)」です。
最初に参考にするのがこちら。クイズ形式で脳のバグ、脳の癖などを世界中の最新の研究に基づいて提示してくれて素人な私でも読みやすいです。
著者の池谷祐二氏は気鋭の脳研究者だそうです。せっかくですからその面白い研究成果や英語論文紹介をベースにそれらのトピックを音楽の分野に振り向けたいと思います。
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今回は表題の「選択肢過多効果」です。
ポイント1;脳はあまりたくさんの情報を一挙に処理できない、という話です。
同書では、
デパートで6種類と24種類のジャムを試食して販売するブースは、どちらが売り上げが伸びたでしょう?
という問題が書かれていました。情報量が多すぎると脳は処理できません。
6種類のブースの方が満足度も高く、売り上げも伸びる、と書かれていました。
原本をお調べになりたい方は、「Choice Overload Effect」で英語論文でも調べてみてください。
これをこちらなりにちょとシンセで考えてみましょう。
400種類と1500種類のプリセットを持つシンセ、値段が同じだったらどちらを購入しますか?
試食販売と違って、音色は曲を作るとき選ぶのでシンセを買うときは音色が多い方がいいかな?なんて思ったりしてしまいます。
synthmasterの初期プリセット数1800 10000円くらい
SERUMの初期プリセット数450以上のプリセット 144のwave table 19000円くらい
Avengerの初期プリセット数750 23000円くらい
DIVAの初期プリセット数1200 18000円ぐらい
SPIREの初期プリセット数800以上 19000円ぐらい
値段、プリセットの数だけ見るとSynthmasterは魅力的です。でもこれ買ってみたけど使いこなせるか、っていうと当ブログでも詳しく書いていますが、なかなか専門的です。
それに比べるとEDMに特化して完全に使い勝手が振り切れているSERUMの方が人気の声が高い、みたいなこともうなずけます。
そういうことも考えながら、でも、シンセの場合は「自分の音楽活動のどのシーンで使いやすいシンセか」をはっきり決めて揃えた方がいい、っていうのもありますよね。
SERUMは"ぶっとい音""EDMの激しいやつ"というときに使います。それに比べてSynthmasterはオールマイティにエレクトロで使用できます。それゆえに膨大なプリセットを探しながら疲れてきて「やっぱSERUMでEQ削ればいいや」みたいにして閉じることはないでしょうか?笑
このときにこそ選択肢過多効果が働き、選ぶことをやめてしまうのだと思います。
同書では、
客のことを考えると、つい多くの選択肢を用意したくなりますが、それは偽善的な自己満足です。
と述べています。なかなか手厳しい。
うちのブログも記事数だけはたくさんあって、これも自己満足だなあ、ちょっと文字数減らそうかな、、、とか感じてしまいました。
ソフトシンセは持ってても邪魔にならないからいいや、って結局買うんですが。
適度な量を配置できるページできるというのも、才能なんじゃないかなと感じました。
次回以降もよろしくお願いします。