音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

ハーモロディクス理論と現代的解釈;オーネット・コールマンのインタビューを不定調性論的に解釈する

前回

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コールマンの言葉をハーモロディクスと絡めて読み解いてみたいと思います。

<動画リンク>

【日本語字幕】オーネット・コールマン 音楽がもたらす感情【哲学】 - YouTube

彼のような境地に達するのはなかなか難しいですね。

人種的な思想や文化感覚の壁もありそうです。

コールマンの話を聞いていると、境地が違いすぎて、現実離れした文言だと感じます。それは日本民族が「自然性」から離れてしまったからでしょうか。

 

たとえ誰一人共感されなくても、自分で解釈し、納得できて、仕事ができて、人生が送れれば、それ以上何の不満があろうか、それを礼賛せよ。くらいの気持ちで音楽ができればそれがハーモロディクスだ、と言わんばかりです。

やはり理論とかではなく思想的発言になっています。相応気質の方なのでしょう。

理論的思考はあまり得意ではないように感じました。

 

それらの境地も若い頃、通りを歩いてるだけで命の危険すらあった彼らしい境地とも感じます(最初の1の記事参照)。

 

解釈し、あとは手応えがあるまで自分の表現に繰り返し繰り返し具現化して「解釈自体」を深め、トライして下さい。

 

アーティストは話すのが得意な人ばかりではありません。

 

 

"やっていることの質を大切にしている"

仕事の現場にあわせて自分を打ち出す、ではなく、どんな場所でも、ちゃんと自分の中の音楽的なクオリアに正直に向き合えている状態が完成しているかをより大切にする、というニュアンスでしょうか。どんな現場でも自分の音楽的な信念に従えているか、現場の雰囲気に左右されていないか?といったストイックな境地が指針になっている、と感じました。

 

"心に悦びを与えてくれる音楽表現が大切"

現場で必要な仕事ができたことに喜びを感じる、というより、どんな現場でもその演奏が自分のイメージを具現化できているか、心に悦びを感じられているか、それを自分に作れているか、が大事、と感じているように解釈しました。「宗教的」と述べてますが、そういう敬虔な気持ちでちゃんと今プレイできているか?を常に自分に課した人だったのでしょう。儀礼的です。日本人なら、どんな派手な演出が前後にあっても、神主が祓串振ったら自然と神妙になる、的なことができるみたいな精神かな、と感じました。「自然とそうなること」が彼には理論よりも大事だったのかな、と。

また、それがいつでも得られるかどうかが大切で、どんな現場か、どんな仕事かなんて関係ない的な。ハーモロディクスで求めた「自由さ」も多分に魂が自由になるかどうかを目論んでいたように感じます。音楽理論というよりもそれを超えていかにスピリチュアルになれるか、という要素が必要であり、それについてはかなり個人によって壁が高い人もあろうかと思います。

 

"耳には聞こえても、目に見えないこと"

自分の喜びがちゃんと自分に感じられた音かどうか。

これは自分が感じることであり、耳で聞こえる音そのものとは違う表現時の体感がちゃんとできたかどうか、ということへの悦びの方が大事だ、そして本来それを味わうことが音楽体験では大事だ、それこそが音楽を通して光を与える、ということにつながるんだ。的な。

本当に宗教的な敬虔さ、または誇り高き民族が持つ自然への畏敬の念を感じます。

これでは「ハーモロディクス理論」をビジネスライクな音楽教材として出せそうにありません笑。今となっては思想書だけでも出して欲しかったけどね。

 

このインタビューで、コールマンも同じインプロヴィゼーションを聴いても「皆が違う感情を持つ」ということを明言してますね。バンドの作品も、即興演奏を共にするメンバーも違う感情を感じて、それぞれに影響を与え合って交信している。「自分で作曲してると思っていない」というような発言はコールマンが本当にそういう感情の機微を感られる人だからだと感じました。この状態に達することをこのインタヴューではハーモロディクス理論だ、と呼んでいますね。

 

・ハーモロディクスとは...全ての音の意味の集合によって「意義」を生み出すこと、感じること、その意義を知る行為

と捉えました。

コールマンは音楽をやることで、無意味なことで誰かの時間を無駄にしないように貢献できるように心がけていた、と述べます。ただのビジネスライクなキャッチーな音楽で汗を流して終わり、ではなく、もっと魂が悦ぶような音楽体験の質を発信しよう、としていたのでしょう。

音楽ビジネスと正反対ですね笑。

 

インタビュアーも中半最初の問いをニュアンスを変えて質問していますが、それに対してオーネットは、先の「質」について、

「自分がとても得意なことをやるのが、自然で、ベストなことだと思うよ」

と訳がついていました。

これが最初の「質が大切」を噛み砕いた表現でしょう。

どんな現場でも、どんな地位に立っても、誰と一緒にやるのでも、彼は音楽に対する敬虔な気持ちを表現することができたかどうか、を貫いてきたのでしょう。

この人はそれを求められた人として、まさに表彰されるべき音楽人です。

求められていないことを好きでやってしまう私とは、やってることは同じであったとしてもまるで立場が違います。

 

だから技法として彼のやり方をまねることは不可能で、まず敬虔な精神がどれだけあるか、によってその人それぞれハーモロディクス感覚が生まれているのではないでしょうか。そういう意味ではコルトレーンはそういう境地にあったな、と感じますね。

 

"音に順列はない"

これは、決まったフレーズを吹かなければならない法はない、という根源的なことを言っているのだと思います。軽々しく引用できません。

一瞬商業音楽批判を含んでいるようにも聞こえますが、彼らへの一定の理解を評しつつも、彼らがそうやってるからといって君が真似をする必要はないんだ、、というニュアンスでコールマンは話していると思います(そういう人だから=主観)。

 

音の存在意義を説いていますが、これも重要なのは音が存在していて、それを人が営みの中で利用している、というその事実を礼賛しようではないかと言っているように解釈しました。

コールマンは結局ハーモロディクスを教えて、と言われたとき「宗教的敬虔さ」を伝えようとしたけどそれが現実味を持って伝わらなくて(=もっと具体的方法論を知ろうとしてくるから)それっぽいやり方を伝えなくてはならなかったのではないでしょうか。

 

「目の前のギャラを忘れて、シェアしたい知識を忘れて、ただ音に悦べ」ということをハーモロディクスと呼んでいたのかもしれませんね。

ハーモロディクスの-icsは「現象」という意味もありますから、音楽の種類を問わず、その演奏時の精神状態に対して敬虔であれ、そうした心の現象を感じろ、ということがもっとも言いたかったことかもしれませんね。

 

バンドメンバー、観客との悦び自体を集めて、皆でそれを発して、共に体感すること、共に音を作ること、で普段の音楽の先にあるものを共に分かち合おう、それが僕の音楽だ、と言っているようにこのインタビューからは読み解きました。

まさにアフリカ系アメリカ人の血の奥に潜んだ儀式音楽の体現がハーモロディクスだ、と言わんばかりです。

 

悦びの前に技術なんだ、という人が大半ですから、彼のレベルの発言は「伝説」の類で語り継いだほうが良いのかもしれませんが、現代でも、これから先の時代でも受け入れられるべき精神でもあるな、と感じます。

コールマンが今の世界を見たら、自分の音楽に忠実に、自分の行動を律して、目先の利益やフォロワー数やいいねの数に捉われず、みんなとにかく心を鎮めて自分の中の音楽をじっと聴いてみてくれ、それがあればいいじゃないか、それを発信するんだ、って言いそうですね。

またはさらっと容認して全て礼賛してくれるのかもしれませんけど。

"競争による焦燥"という概念がなさそうですし。

 

音は見えない感情だと捉えたい

オーネット・コールマン

 

 

オーネット・コールマン―ジャズを変えた男