ジェローム・カーン の名作です。元はミュージカルの作品です。
Very Warm for May - All the Things You Are
曲の後半の美しいコード進行の部分がスタンダード音楽となり、ジャズミュージシャンが営業演奏を終えた後の酒場で演奏バトルをしまくっていた、ことでしょう。
原曲は愛用青本から。
ジャズ楽曲を不定調性解釈してほしいというご相談があり、以前作ったDANNY BOYを紹介したのですが、そういえばこれはスタンダードジャズ、じゃないよなぁ、と思って、今回王道中の王道をアレンジしてみました。
文脈に関わらない声部連結
意味ありげに下降旋律が並んでいますが、流れの中でラインを作ろうとする、私の癖です。おそらく何か根拠っぽく見えるものがないと不安だ、という心の弱さの表れがこうしたラインになっていると感じています。これをやると安心するからです。
そんな自己主張に逃げなくても美しくできるはずだ、というのが機能和声論による芸術です。それは自分にはまだ難しすぎるし、その究極の姿がモーツァルトだとすればこれから自分が求めるには高すぎる頂きです。
こうして独自論で音楽を作るのは、自己満足なのか個性なのか。
しかし、まずは自己満足を晒せるか?って大事かも。その先に進むのはこれから、というのが難ありですが。
濁りのくぐもりと焦燥感
他にも何箇所かあるのですが、本来鳴らすべき和音の構成音とは異なる音を下降させて場を濁らせます。こうすると「もうやめて!」というような焦燥感が響きに募っていきます。
そういう感じが好きなのだ、ということは最近知りました。
だから「技法」ではなく、自己表現です。
響いていないのですが強烈な意味を感じるんです。
音集合の整然さを崩す響き
これもいくつかあるのですが、強烈な不協和を作ります。
しかしその感じが「かゆみの爆発」のように体を蝕んでいる、といえばいいでしょうか。
皆さんは経験ないですか?
体の一箇所が痒くなって、最初はポリっと掻くだけなのですが、しばらくそうやっていると、急に血が出るくらい掻きむしってしまう感じ。
私は最近はもうないのですが、そういう欲求みたいなものに抗えない意志の弱いところがありました。最近はそういうことは音で表現しているので体は以前より健康です。
自己の方法論を作ると、ちょっと健康になるのでは??
いらない小節
これも昔からあった欲望です。
急にダラァ、、、とコードが時間の中を流れて垂れてしまうんです。
引きずる、というか、急に思考停止になる、みたいな感じ。
それまで緻密に緻密に作業をしていてあるとき急に吹っ切れて、どうでもよくなる、あーあってなって全てが空中分解していく、というような時はありませんか?
それを表現したかったんです。
そりゃあ、タキシードを着ればある程度決まるとは思うけど、いつもタキシードを着ているわけにはいかない。欲望を発露させる時、タキシード着ていてもしょうがないんじゃないか。もがくことが今の表現なんだろうと思います。音はその残留物みたいな感じ?
自分が作る音楽が、結果として調性が不定な感じだったので、調性が不定になっても許容される理由を自分で作ったわけです。
面白いのはこうした作品ができる前から、そういう方法論を作りたい、と何と無く思っていた自分の感覚です。
ニワトリが先がタマゴが先か。
おまけ
チェレプニン9スケール/シンメトリカルスケール
前も何かで使ったと思うのですが、ホールズワース神に敬意を込めて、REHビデオで「シンメトリカルスケール」と紹介されていた音階をここで使いました。「ブルーノートと調性」が名著「近代和声学」からチェレプニンの9音音階として紹介していたものと同型になります。本来は全音-半音-半音なのですがここでは少し変則になっており、最後は半音でメロディにアプローチします。滑るような滑らかさと、ディミニッシュのような緊張感を持った独特のスケールで、スピードプレイに向いています。
そういうスピード感が表現するクオリアを察知したかのように、このスケールを選んだ感じをうまく捉えたホールズワース神の選スケール眼、勉強になります。