音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

「視点」の話〜心理的協和と心理的不協和を考えてみよう

今回はWindowsの「ペイント3D」を使って視点の違い、相手の視点を理解する、というお話しします。 

www.microsoft.com

f:id:terraxart:20180919094722p:plain

この四つを四つの和音のコード進行と考えてください。

f:id:terraxart:20201011150027p:plain

黒い縦線は小節線です。

 

この進行が美しいか、調和がとれているか、調があるか、よく聞く流れか、感情を揺さぶる流れかはその人の音楽環境の結果、自分自身の感覚で自由に捉えられます。

 

これらの四つの星は水平に一直線に並んでいるように見えます。

ここに白紙のキャンバスをおきます。

f:id:terraxart:20180919095117p:plain

じつはこれ、キャンバスの左下から見てるんです。

では、キャンバスの正面から見てみましょう。

f:id:terraxart:20180919095226p:plain

はい、実はこれだけ距離感があったんですね。夜空の星座のフォルムも似たような話です。

正面から見たら、キャンバスに収まってもいないし、統一感もありません。見方によればおかしな和音の連鎖、と言われても仕方がありません。

当然サイズも違います。

f:id:terraxart:20180919152331p:plain

 

 

 

自分が

f:id:terraxart:20180919094722p:plain

こう見えているから、相手も同じように見えているだろう、というのはエゴかもしれません。

 

さらに、感性の豊かな人は、

f:id:terraxart:20180919100656p:plain

この二つの視点を同時に見るがごとく、

f:id:terraxart:20180919100803p:plain

こんな風に立体以上の幾つもの観点からそれを見ている人もいるかもしれません。

あなたがいるところはあなたと大差ない人たちがいる、というだけで、本来世界にはもっともっと多様な可否感を有する人があなたの考えられない次元に存在するかもしれません。

つまり「断定する」というのは本来愚かな行為です。断定などできるはずがありません。"断定して楽しむ界隈"はあるでしょうが、それはあくまで小さな世界の中の価値観です。

 

====

また明らかに違えば議論にも発展しないでしょうが、 

f:id:terraxart:20180919101908p:plain

ちょっとした角度で微妙な違いが生まれていたりすると、喧嘩になります。

 

Cメジャーコードを聴いて

f:id:terraxart:20180919102612p:plain

こんなふうに聞く視点と、

f:id:terraxart:20180919102828p:plain

倍音までわずかに聞こえてしまう(感じてしまう)二人の人が「響いているね」と同じ発言をしても、本人達が感じているニュアンスも意味も印象も何もかもが全く異なっているかもしれません。

 

別のモデルで考えてみましょう。

 

f:id:terraxart:20180919105648p:plain

C△(#9)という和音を考えてみましょう。

f:id:terraxart:20180919110317p:plainこのように左から見たら三度のe音にd#を内包できたり、

f:id:terraxart:20180919110433p:plainちょっとずれて左下から覗くと、五度と三度をつなげるような意味合いで感じてみたり、

f:id:terraxart:20180919110503p:plain反対側から見てd#を強烈な#9thとして感じたり。

 

「そのサウンドイイネ!」と感じている時、その人は自分なりの聴き方をしています。

共有できているようで共有できていないかもしれない、と考えてみましょう。

自分が正しい、と思っていると自分が正しい、と思う方に傾きがちです。

 

誰もが同じ聴き方をしていない、ということへの理解も大切です。

様々な視点があり、差異があり、色々な価値がある、そう理解できていれば、自説をごり押しする必要はありません。相手には相手の価値観があるわけです。

 

それゆえに音響的に自分が描いてるように聞かせたい、という思いが生まれます。それが正しさのごり押しのように捉えると、正誤論になります。彼は「そう表現したい」と思いそれをしただけで、それが誰かにとっての正しさになるわけではないと思うのです。

 

その音楽理論はその音楽理論を作った人の視点です。

 

意見が食い違う時、喧嘩になってしまうと後で双方理解をすることも譲り合うことも難しくなります。それは民度の低さです。

 

まず相手がどの視点からどのように眺めているかを尋ねてみましょう。

そしてあなたも一度相手の視点に立ってみてみましょう。二つの視点の相違をまずしっかりと考えてから、エンタメとして議論する暇があるならすれば良いと思います。

 

視点の違いを変えさせるのは至難の技なので、相手の間違いを指摘するのはずるい、と言えます。相手への間違い指摘は当たり屋のように面倒な存在なのです。飛び出されたこちらも当たり屋を無視できませんし、怪我させたらこちらの責任です。

 

当たり屋に対して日頃お世話になっている人と同じような態度ができる人は少ないでしょう。そのぶん、最初から損をするんです。私自身が若い時分当たり屋的に議論をふっかけていたのでその愚かさに片腹が痛いです。

相手への配慮がまるでない、ただ自説を普及させたい、という小さな野望しか頭にありませんでした。

そのくらい自説に興奮していたのですが、結局それは「自分に気がついた喜び」であったのであり、それは初めての経験だったからでしょう。

そんなこと他人には関係のない話だったのです。

今思えばやばいテロリスト状態です。

 

いちばんの問題は、相手が間違っている!と思うと、その時の感情をコントロールできなくなり突発的に相手をあげつらってしまう、という感情の性質です。

そういう人はまだまだ自説に興奮しすぎです笑。

若いです。ある意味羨ましい!こちらもうまく受け入れられる大人になりたいです。

 

双方の視点が違うとき、自説の言い方によっては他人が拒絶してしまう時があります。 

(感情的に受け入れてもらえなくなる)

理解してもらいたれば、敬意を持って言い方を工夫しましょう。理解は同意ではなく、あくまでコミュニケーションなので、そのやりとりで生まれた合意が、宇宙の真理を突いているのではなく、あくまで生物感情的な和合のやり取りにすぎません。

感情が支配していゆえに変な合意が起きるんです。

全ての人があなたが正しい、と言っても100年後はわかりません。

正誤の指摘で生活を終えるのは幻想の世界で法を構築しようとするようなものです。

 

私自身このようにまだまだ自信たっぷりに話してしまう時があり辟易します笑。

あなた自身の意見であなたの作品制作ができる土壌を作ってください。

 

当ブログの楽理関連記事目次はこちら

www.terrax.site