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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「リディアン・クロマチック・コンセプト」方法論を作るということ(その9/10):読書感想文

<前回>

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リディアン・クロマティック・コンセプト

 

ラッセルを聴こう!

オーネット・コールマンと調性

("Jazz Review"1960より転載)

ジョージ・ラッセル、マーティン・ウィリアムス

 

まだフリージャズの解釈に対して動揺が見られる時代に、どのように冷静にフリーという存在を語ればいいか、という事についての独特の当時の雰囲気が感じられます。現代ちっくに言えば、ボカロ音楽が出て8年目ぐらいの頃と言えばいいでしょうか。

それまでミュージシャンが積み上げたものがあって生まれる価値は、常に等しくない、ということが明確になった以上、一つの解釈やルールによって音楽を語るのは、野球のルールでサッカーの面白さを解こうとするようなものだ、と知るに至ります。

それらの動揺についての文言はここではスルーすべきでしょう。

しかしそれをスルーすると、残る言葉は全て現代において語り尽くされたことばかりになってしまいます。

せっかくですから、ラッセル氏が名前を上げているアーティスト、作品をここでは改めて聴いて頂くことで各位の解釈を再構築していくのがこのインタービュー掲載が最も意義があることかもしれません。

 

 P146

1930年代にはスポルディング・ギブスというピアニストが調性から大きく開放された演奏を行っていました。レスター・ヤングはずっと以前からコードに対する攻撃を率いてきました。レスターは、個々のコードをはっきりと表現せずに、コード進行がどこに向かっているかを感じ取り、その行き先を一連のコードにスケールを当てはめることによって示しました。レスターは複数のコードの遥か上に立って演奏しました。


スポルディング・ギブスについては下記の音源がYoutubeにありましたのでリンクを貼っておきます。

Blue Tide - YouTube

Day Dream - YouTube

わたくしはラッセル氏のいう調性から開放された演奏を聴いたことがないのでここでは述べる言葉がありません。このピアニストの"開放された演奏"を聴いてみたいですね。

 

レスター・ヤングについては語る必要はないと思います。太く甘いサウンド。なんでみんなこんなふうに吹けないんだろう、とかって思っちゃいますが、それが誰でも努力だけでできたら名前なんか残りません。

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独特の間、コードとコードの間を貫く一音(ビッグ・バンド出身らしい声部の動きが意識されたようなメロディ展開)が、言い方が違うかもしれませんがロック的です。

これをホリゾンタル的というのであれば、この先にロックのペンタ一発主義(チョーキング一発主義??)がある、ともいえます。

これは個人的な意見ですが、ジャズにおけるホリゾンタル、とは、そもそもクラシック音楽やブルースの中にもともとあったもので、それがあまりに懐古的過ぎて、より鋭利な雰囲気を作り出すバーティカルな解釈の連鎖によるジャズが生まれたのでは??と思っていました。

   

レスター・ヤングのような演奏は、"優れたプレイヤーの演奏"であり、これができる人は極めてまれです。全くつながりのないコード進行において、または複調的なメロディの構成において、ホリゾンタルな「意味がつじつまをもって連鎖した旋律」を創り出すのは本来難しいことです。そして安易なのは、ただコードの縦の集合に合わせて無意識的に手癖の旋律をつなぎ合わせることで、難解なメロディっぽく聴かせることです。ハッタリっぽいフレーズでもいいわけです。

当時の空気感を感じていない私が述べるのも失敬ですが、

・バーティカルな解釈は最低限のスキルでもジャズを難解な意味の連鎖にできるファストフード的プレイ

が可能になったという意味であり、そこからジャズに入る、音楽の世界に入る、となって、そこから、そこに留まらず、ホリゾンタルなプレイを目指し精進しないといけない、わけですね。

コード的なフレーズが意味も脈絡もなく連鎖していくだけのジャズが量産されてしまう、という危惧、はなんとなく分かります。現代でいうなれば、DTMの機能やAIの処理に任せ、作曲を楽器で行わない作曲家がこのまま増えれば、音楽はどうなる?的な危惧に似ています。

しかしレスター・ヤングのようなプレイを誰でもできるわけではありませんし、今名前が残っていてプレイが聴けるアーティストにそうした不器用なアーティストは残っていません。ましてや誰もがレスター・ヤングのように演奏できたら芸術の価値は下がってしまいます。

それがLCCによって実践できる、などということはますます芸術の価値を下げ、「誰でもできる」みたいなことは出来れば受け入れがたいものです。現代よりさらにアナログだった昔、何十年も努力して得た演奏バランスを、一冊の本を読むだけで理解できる、なんてことはとたえ真実であっても受け入れられないでしょう。LCCが手放しの賞賛を持って受け入れられない最後の理由は、"芸術は人智の届かないところにあるべき"、という信仰が背景にあるからではないかと思います。

方法論をつくる、ということに背徳性が匂うのもそうした信仰があるからでしょう。

方法論によって音楽を安易に作ってはいけない、というような信仰が「音楽理論に縛られる」といった表現とほぼ同列に存在しているように見えます。

 

方法論は、秘中の秘であり、個人にしか通用しない「自分の能力活用マニュアル」です。

LCCはラッセル氏のマニュアルでありながら、「より多くの人が活用可能なものを作らねばならない」という使命感などもあったのでないでしょうか。拙論も最初はありました。

ジャズの作曲におけるジェリー・マリガンの第一の功績は、ホリゾンタルな考え方にあったと思います。このことは、ビル・ホルマンやボブ・ブルックマイヤーにも当てはまります。ホリゾンタルな作曲を行う派自体がタイニー・カーンを経てカウント・ベイシーからずっと新しくなっています。

(中略)

例えば、"Young Blood"やビル・ホルマンの素晴らしい"Theme and Variations"の中などにこのような動きが見られます。

(中略)

 垂直的に演奏したり現れてくる行動を次々に表現しなければならないとすると、リズム的にもメロディー的にも大きな制約を受けることになります。ホリゾンタルのアプローチは物事を前に進めていく自由を与えてくれます。

(中略)

 チャーリー・パーカーから現在に至るまで、チャーリー・ミンガス、テディー・チャールス、ギル・エヴァンス、ジョン・カリシなどをはじめとする多くのミュージシャンがいました、彼らは全て、様々な方法でコードを攻撃した人達です。

(中略)

 現在、マイルス・デイヴィスが入り込んでいるモードの時代はコードに対する反乱です。彼はおそらく全体がたった二つのモードで組み立てられているような曲を演奏しています。これは本質的にはホリゾンタルなアプローチであり、コードに対する反乱です。

 

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それぞれのアーティストを聴いてみてください。 ここはもう個人が判断して考える内容になっていますね。

この辺に当時の方法論的混乱が感じられなくもありません。それだけコールマンの登場は騒然としたものであったのでしょう。LCC冷めやらぬ中、全くそれを覆す価値が生まれてしい待ったのですから。ベートーベン全盛時代に、いきなりワーグナーが出てきたような感じです。

 

P147

シェーンベルクはクロマティックスケールの12音はすべて平等であると言いました。しかし、私にとっては現代音楽の根底にある最も重要な事実は、クロマティックスケールです。つまり、クロマティックスケールには全ての音、全てのインターバル、全てのコード、全てのスケールが含まれています。

これも個人の解釈、としてみてはどうでしょう。

ここを討議しなくて済むように、拙論では、直接「あとはあなたの解釈をしっかり磨き続けるだけ」というところでとっとと制作に邁進する、となるわけですが、そうなると他者の解釈を教義的に伝える雑誌文化が必要なくなってしまいます。

でももうそうなっていますよね。教義性の高いものより、より話題性の高いものがバズる時代です。

   

P150

管楽器奏者とベース奏者がこのクロマチック・パン・モーダル法を使って同時に即興演奏を行っているのならば、完全に新しいバーティカルの中心が自然に作り出されます。そして、ホリゾンタルの中心は曲全体に渡る大きな一つの調性の中心を除いて、事実上なくなってしまいます。この即興演奏に、全体的な一つの大きな調性の中心が存在するかどうかは、アカデミックな問題にまでなってきます。全体的な調性の中心は、演奏者や聴衆のために存在していますが、なくてはならないわけではありません。

(中略)

バーティカル・トニックもホリゾンタル・トニックも、もしそれらを認めれば存在するということです。もし認めたくなければ認める必要はありません。実際に、音楽の中のものはすべて相対的です。

これにラッセル氏が気が付いたのはいつなのでしょうか。

もしLCC制作当時に気が付いていたら、私は汎用を目指した方法論など作らなかったのでは??などと思ってしまいます。

 

 P152

 オーネットに関しては、私はまず始めに全体的なインパクトを聴き取ります。なぜなら彼はほとんどの場合、強烈な主張を持って突き進んでくるからです。オーネットは新しい音楽の最もドラマティックな例だと思います。これは彼自身の強烈な人間性によるものです。

 

P153

このインタビューの締めです。

(記者)誰かがオーネットにバスター・スミスのように演奏し、次にパーカーのように演奏し、最後はオーネットのように演奏するよう頼むと、彼がその通りにやってのけた時のことをお聞きになったことがありますか?

(ラッセル)彼なら出来ると思いますが。

 

(記者)そして彼はヒッピーたちの目を醒ましてしまいました。しかしそうは言っても、アルト・サックスを一生カズーのように演奏して行くことがはたして出来るでしょうか。

 なかなか批判的な締めくくりです。ラッセル氏は脅威を感じながらもその音楽を明らかに認めていた、というように読めますね。すごいです。

 

オーネット・コールマンは結果的に、その音楽性を進化させ続けて、グラミーの特別功労賞生涯業績賞となりました。

結局この時世間的には、所詮「カズーのよう」でしかなかったわけです。

60年と言えばまだコールマンはまだまだ30歳。

現代もそうですが、20歳の作った寿司がおいしそうに感じたくないのは、本来君にはまだ迷いがあるはずだ、という思い込みがこちらにあるからでしょう。

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黙ってコールマンを聴きましょう。

例えばこういうのを聴くと、「ジャズ分かってるぜー」って言っている人の立場がまるでなくなって、ジャス一筋何十年ていうキャリアもなくなって、ただ「今現在」のみがあって、音楽があって、何の価値もないけど、全部ある、っていうことしか残らない、っていうのが素晴らしいと感じます。

君の価値も、僕の価値も、何もなくて、方法論も、セオリーも、こうしなければならない、とか、これをやっていればいい、とか何にもなくなって、そこに意味を見出せるか、見出せないかもただの価値観で、それに5000円払ってみることも意味があるのかどうかわからなくなって、何をよりどころにしていいか分からなくなったけど、それを認めるのも難しいという大人が、無理して聴いている様が最高にファンキーです。

結局私もそこが自分なりに解釈できなければセオリーの意味がない、と感じたので、「価値も意味も自分で与えているだけでそれ以外は何もない」というのを認めなければならないな、と思い不定調性論を掲げてます。

 

この曲、最後にキメがあるのがめちゃくちゃカッコいいよね。

コールマンの得意のやり方ですが。

これがフリーが作った新たな形式ですよね。「呼応箇所を作る」。

 

フリーで最初にこれを聴いたときは、「おまえらさ、希望が安直に周囲に見当たらないと、最後まで絶望しかないと思ってはいないか?」って言われてるみたいな衝撃でした。

 

暗闇の中でいつでも光を作れるアーティストだなって、感じます。

ただの安直なフリー(無形式即興音楽)とは全く違う力強さと勤勉さ、理想への探求を感じてしいまいます。真摯な姿勢だなあ、と。真摯さしかあるう時期は伝わってきませんでした。

こういう音楽表現をしっかり自分に通じる言葉と意味感で解釈しようと思うと不定調性論しかない(まあ独自論であなたがそれをお持ちならそれでいいのですが)、と思っちゃうあたりが自分はまだまだなのかなぁ。

 

理解し合おう、分かりながら聴きたい、っていう価値感がすでに束縛じゃない?

バンドを聴くだけじゃなく、CD聴くだけじゃなく、音楽表現を聴こうとするのではなく、自分でやるか、自分で作るかしかない。そして出来上がったものは自分の人生にとっては有意義だけど、他の人には関係の無いもの。今現在しかないんだ、というリアリティ。

そういったことから音楽人口を、音楽理解を高めようとしたコールマンのやり方は結果として意義のあるものだった、と言えるのではないでしょうか。

もし「明日から国民全員に毎月15万払うので、現在の財産はすべて没収となります」

 と言われて、財産を持っている人は納得するでしょうか?

コールマンは、音楽をやるっていうことはそういうことだから、それを受け入れる準備があるか?と毎秒毎秒訴えてくるわけです。過去を捨てられるうっか?今を捨てられるか?それでも何か表現できる余裕がお前にあるのか?と。

 

お前はどう生きるんだ??と意識を攻め立ててくる。

 

行動を起こそう、って思わされる音楽だといつも感じます。

フリーが熱いのは、彼らが行動を起こしていることだけが純粋に現れているからでしょうか。

調性音楽は人生からの逃避、みたいに思わせたフリーの力強さ。

そしてそを音楽で表現した、スタイルを作ったっていうのがやっぱり凄いし、ちょっと想像できません。

 

 

さあいよいよ明日は最終回!

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