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オーネット・コールマンの偉大な発明は、「敬虔に提示された即興的旋律であれば、そこに意味が生まれる」ということでした。
この意味がわかる人はこの記事を読む必要はありません。
ためしに「枯葉」のコード進行上で、コードやスケールを全く意識せず、感覚的にソロを弾いてみてください。
もしそれでバップフレーズではないものができて、周囲もそれを「面白い」というなら、あなたはコールマンがやろうとしたことを実践できている、と言えます。
これがハーモロディクス理論の行き着く先、だと思います。
コールマンは現代のコンテンポラリージャズが行き着いた先の地点(またはこれからの未来)から音楽活動をスタートしていた男でした。
自分の音楽の人間くさい面と、競争の激しい音楽・エンターテインメント業界を生き抜いていく方策の間に、なかなかうまく折り合いがつけられなかった
ジョン・リトワイヤ―
今回紹介する『オーネット・コールマン ジャズを変えた男』で著者はコールマンをこう評しています。訳者もこの文章がオーネットの人生を良く言い表している、と言っています。
しかし私は「あの音楽性でありながら、人生上手く渡り歩けたほうではないか?」って感じました。
彼のやった音楽をよくよく考えてください。半分は詐欺だと言われ、半分は真理を突きすぎていたので周囲は恐れ、理論的追求を避けられたスタイル。
もしコールマンを認めてしまうとほとんどの音楽家の創造の水準が下がってしまうからです。
全てのジャズを葬りされる武器を作ったが行使しなかったジェントルマン。
彼がパーカーのように振舞っていたら殺されていたかもしれませんね。
バップやスウィングの語法では感じられない独特の「光」「神秘さ」のような肉体経験を敬虔さによって追い続けました。
長生きしたのも良かったな、と感じます。
愛された変人。
大好きな音楽家です。
彼は有名になると、道端で出会ったホームレスを家に招き入れて体を洗ってやって食事の世話をした、というような人だったのだそうです。また女性への欲望が湧かないように、自分を去勢するよう医者に相談したこともあるのだそう。
こう聞くと、確かに不器用で、愛に溢れた変人というのが良く分かります(褒めてます)。
これではお金はたまらないだろうし、ストレスも減らなかったろうな?と感じました。
寛容で忍耐強い男、オーネット・コールマン、きっといまだに多くの人に理解されていないミュージシャンであると思います。
『自由』とは何か知っているか?自分らしく死ぬ権利の事さ
オーネット・コールマン
街でちょっとした瞬間に殺されていたかもしれない彼の貧しい青春時代が感じられます。 生も死も自由にならないと感じて育ったのでしょう。
今回は彼の「ハーモロディクス理論」を私なりに紐解いていこうと思います。
しかし、先に結論を述べておくと、これは理論ではなく思想にとどまっています。具体的な記述をコールマンが残していないためです。
ただ不定調性論と凄く似たコンセプトなので、これ解説できるの自分だけじゃね?とかって思いながら、生意気ついでにまじめに書いてみました。
最初に謝っておきます。生意気ですいません。
そして結論が出てなくてすみません。
何より前提知識がありすぎて読んでたら死ぬともいます。
『オーネット・コールマン―ジャズを変えた男 』は生い立ちから、音楽的活動の全てが詳細に記録されています(98年訳書刊行、存命時に書かれています)。
情報量が膨大で、コールマンのオフィシャルな歴史、近しい人が語った人物像、ジャズメンとの交流の詳細が網羅されています。ハーモロディクスについての情報や発言、雑誌記事引用も豊富です。
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まともにサックスの吹き方を学んだことがなかったコールマンに対して教会のバンドリーダーはこう声をかけました。
「あいつを見ろよ、二年間も間違って吹いてたんだぜ。あいつがサックス奏者になれるわけがないな」
彼はいわゆる神童でした(頭が良かった)。
黒人で貧しく、やっていることがめちゃくちゃだったので、神童に見えなかっただけでしょう。
コールマンのコード進行に対するアプローチの発見について(高校を卒業してすぐ後ぐらいの頃-40年終わりから50年代初頭)は、
演奏していた曲は、「スターダスト」か何かのスタンダード・ナンバーだった。コード・チェンジに合わせてソロをとる順番が私に回ってきた。(中略)そのとき私は一度すべてのコード・チェンジを頭に入れると、今度は文字通り頭のなかをからっぽにして、無心でサックスを吹いた。
このときから、コード・チェンジのパターンに従わずにいかにインプロヴィゼーションをするか、というオーネットの探求が始まった。だがその晩オーネットはクビになった。バンドを雇っていた人間が彼に向かって、「フツーにやれ!いいか、フツーにやればいいんだ!」とどなった。(中略)
ジョン・カーターによれば、オーネットは49年(ブログ主注;19歳ごろ)にはすでにコードの置き換えについて研究を始め、(中略)モフェットは、「オーネットは十七歳のころには、彼自身の音を見つけていた」と断言する。
;ジョン・カーター(木管)、チャールズ・モフェット(tp)ともにオーネットのバンド仲間
雇っていた人は、「何か難しいことをやっていた」ように見えたんでしょうね。「テキトーに吹くんじゃねー」と言わない辺りが(文言が定かではないけど)。
「無心で弾く」とは、指癖やフレーズ感覚を頼りに、耳を澄まして音楽の進行を追いかけ、反射神経を駆使してソロをその場で紡いでいく、という意味で空っぽではありません。「完全即興」で二時間の舞台を演じ、物語を完成させ観客に伝える胆力が必要です。
当時のコールマン、19歳であれば、まだまだ指癖は少なかったかもしれません。それによって、変なことをしている少年、音楽を知らない少年と思われたかもしれませんが、それなら「フツーにやれ!」とはいわれなかったでしょう。きっとそのフレーズが、どこか難しいジャズをやろうとしてる感=そういうクオリアを聴き手に与えていたのでしょう。
ビ・バップがパーカーのスタイルなら、フリーとはコールマンのスタイルです。パーカーとコールマンが比べられるのもそのくらい凄いことを作り上げたからです。
コールマンもビバップに含まれる、という考え方があるかもしれませんが、それはコールマンが体に染み込ませたジャズ言語がビバップだったというだけです(それ以外のジャズがなかった)。それらの体に覚え込ませた「言語感覚」で自在に話す時、ハナモゲラ語のようにはならず、独自の言語として即興的に組み立て、そこにメッセージすら組み込むことができる天才になったわけです。ジャズから見たら英語(ビ・バップ)に似たような言語ですが、明らかに英語ではない言語で話すことができるようなった人です。
音楽表現創造のアプローチが普通のジャズ人とはまるで違い、その全く異なる価値観でも音楽を作ることができる、ということを証明した最初のジャズ人だった、ということはできないでしょうか。フリーや完全即興はここから生まれ派生しているわけです。
だからそこをビ・バップが下地にある、とするのは少し議論の矛先が違うのではないか、と思います。彼がスパニッシギターしか知らなければ、ジョン・マクラフリンの上位版のような音楽ができたと思います。
ただコールマンが作ったフリージャズの真骨頂は、自分の音楽的クオリアを音に適切にかつ瞬時に音に置き換えられる能力を示すことであり、究極すぎて比べるものが少ないのだと思います。
フリーは決して適当に感じたまま音を羅列すれば良い、という軽い世界ではありません。一音必死です。
コールマンの中期の演奏はまるで「楽譜を吹いているような野太いフリー」です。
神がかっています。
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頭を使っている、と見破られるのはジャズでは損です。
ジャズの演奏=膨大な経験から「無心」にやってもコードの流れを追いかけることができて、フレーズをその流れに合わせることができる反射神経、の事です。
そこでバップのフレーズではなく、不協和を恐れず、よりソリッドなテンション感を求めて調性組織から逸脱していく、というのがフリージャズの冒険の原点であり、不定調性論の作曲の仕方そのものです。
前例がないところに行くので真っ暗闇を明かりなしで全力で走ります。
真夜中の草むらでやってみてください。5歩目には窪みに落ちて顎を骨折します。
一音必死なのです。
作曲をするとき、適当に弾いた和音に「あ、これは草原の風だな」と感じたら、変な響きでも"理解しようと努め"意味を創造し、そこから作曲を進めます。
ある意味でII-Vは諸悪の根元です。
コールマンはこんな風に言わなかったからジェントルマンだと思います。
「自分にとっての意味」だけを拾っていきます。これが言うほどに難しい。
頼るものは自分の意思だけ(雑念が多く入ります。後悔とか、疑念とか、修行みたい)。
次に置く和音、フレーズが、ちゃんと"「草原の風」を受けた音"になっているかどうかだけを感じながらフレーズを作ります。理論的根拠も前例的慣習も一切ないところで戦うのがフリー。無我との戦い。
一人でやるフリージャズ自体は瞑想みたいなものです。
無言で記憶や経験と対話してるみたい。
コールマンは17歳のときにその激しさの面白さに気づき、すでに19歳で実践の場で用いていたとしたら、私はそういう人を天才と呼ぶと思います。
南部では、自分がだれなのか、何をしたいのか、なんてことは考えない。考えるのは生きていくことだけだ。だから貧しいことと生きていくことは、自分がだれなのかとは無関係だと知った時、私はつぶやいた。-「ちょっと待てよ」。それから、私はこう決めた。自分がこれからも貧しくて、黒人であることに変わりないのならば、せめて自分がだれなのかを見つけよう、と。自分のことは、すべて自分で決めること。
オーネット・コールマン
この言葉、このブログでたどり着いた現状の答えと一致していますね。
19歳の頃には、外見はキリストのようになり、街を歩いていてもかなりいちゃもんを付けられたり、喧嘩をふっかけられたり、さんざんな日々と書かれています。
個性的であることが命とりですらある時代。
そのころコールマンはすでにビ・バップの限界を試し、その先に進もうとしていました。
コールマンの最初の録音、28歳の時です。
これジャズ初心者さんが聴いたら、フツーのジャズだね、としか思えないでしょう。
すでに巧みにバップとはまるで違う音楽になっていますね。
この時はすでに「テーマ(キメフレーズ)→フリー(ふわっと曲のキーに戻ること、逸脱することを忌避しない=不定調性的ソロ)→テーマ(キメフレーズ)」がいい感じ。
テーマそのものもぎりぎりの協和音を使い、ソロはコードや背景との兼ね合いを意識しながら無視していて、「協和ではなく、もっと別のものが"合っている"感じ」を目指してます。
彼は”適当に吹く”ことも極めれば音楽になることを証明してしまいました。
現代ならわかりますが、当時の反発はものすごいものがありました。
イメージしてください。
目を瞑って、車を運転できる人がいたらあなたは信じますか?受け入れますか?
コールマンとはそういう存在です。現状この境地を説明し得る方法論は少ないです。
不定調性論もそこを説明しようと膨大な文字数を割いています。
「完全即興」は私自身の性癖だからです。やめられませんし語り尽くしても語りたくなる話です。
コールマンが、クオリアや共感覚的知覚、をどこまで理解していたのかは知りませんが、あとで出てきますが、コルトレーンがコールマンから学びたかったのもコールマンが「どうやって聞いて、どうやってフレーズを想起して瞬時に落とし込み、かつそれを周囲に音楽的だと思わせるか」だったのではないでしょうか。
ジャズの素早い流れの中で、聴衆は「それが正しいか正しくないか」を判断しながら聴き続けることは不可能です。
だから不協和でも何でも「それっぽいフレーズ」であることが連発されれば、「イイネ」と一瞬でも人に感じさせることができます。そのためにタイム感やノリは何より大切だったでしょう。
これは剣道で一本を取ったのと同じです。
他の音楽家はコールマンに一本を取られまい、と彼のスタイルを否定し続けました。
コールマンはそれをバップ的なものではない、もっと違う、似たような概念によって相手に思わせよう、自分で思えるようなろう、としていたのかな、と感じました。
まるで手品みたい。
不定調性論がある現代では、皆さんはこう言えばいいんです。
「独自論を極めたんだろ?身勝手なやつだ」
で済みます。でも当時はビバップという絶対的な唯一の権威がありながら、それを無視して音楽が成り立つなど、ましてや独自論で成り立つなど、到底許せなかったのです。
いや信じられるはずがありません。目隠しして街中を高速運転など。
テーマフレーズそのものが凄くブルージーでカッコよくて緻密なのが好きです。
初期のコールマンの素晴らしさでしょう。名作「Free」はそういう意味ではどちらかというと、ちょっと隣の港まで行ってみた、という感じで、本来はその次の次ぐらいがコールマンがやりたかったことにようやくたどり着いたように思います。
「Free」は天才が論理的にまとめようとしたけどうまくいかなった、という印象も持ちます。
大丈夫です!不定調性論でまとめたから!安心して!
と私は勝手に言いたい。目隠しで運転するんじゃないんです。それは聞き手の思い込みで、コールマンにはちゃんと道筋は目の奥に見えていたんです。それが科学的ではないから信じられなかっただけ。彼は人が通ったことがないあらゆる道をおおり、毎日何度も何度も目隠しして通り、通り慣れてしまったんです。
皆さんだって、自宅のトイレなら目隠しして入れるでしょう?
彼はそれを町中歩くところまでやれるように訓練してしまったような感じです。
みんなビバップというダンスを踊ることに夢中だったから、コールマンみたいなやり方が注目されるなんて、全く土俵違い、彼のは普遍的価値じゃない、ただの大道芸、人と違うだけ、としか見えないわけです。
そうではなく、彼は「独自論で生きる」ことを当時から発明してしまっただけです。
60年代にいたスティーブ・ジョブス、イーロン・マスクだったのに誰もそう思わなかった。色々時代的な不運が災いしました。
「自分らしく死ぬ権利」って、命ではなくて、社会的な死のことも含んでいたのかな、と感じます。
コールマンのスタイルは音楽家や音楽ファンによって否定され続け、彼を社会的な死の直前まで追い込みました。
第二回
==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題==
この人の場合、"ジャズを変えた男"という文字面以上の意義を感じました。