音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

<論文を読む2>ヒットを作る・たまたまヒットする・芸術を極めるの三つの話〜感動の心理学的研究

参考

www.terrax.site

今日は音楽の作り方の三つの違いについて書くのですが、その前にフックになる論文をテーマに少し人の情動について考えます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/70/0/70_2EV068/_pdf/-char/ja

音楽聴取による感動の心理学的研究(2006)

ここでは、

「音楽聴取による感動は複数の情動の総合と関連して生起するとの示唆」とあります。

その指標を「厳粛な」「悲しい」「憧れに満ちた」「おだやかな」「優美な」「楽しい」「高揚した」「堂々とした」という指標を設け、結果として「感動」にはこれ以外の指標も関わりがあるという示唆がある、としています。

用語として、単極7件法(例;0,1,2,3,4,5,6)、両極7件法(例;-3,-2,-1,0,1,2,3)、というのが出てきます。方法名があるんですね。例えば後者なら、すごく嫌い、嫌い、まあまあ嫌い、どちらでもない、まあまあ好き、好き、すごく好き、ってやつですね。

これらの結論の中で

音楽聴取による感動についての検討を行う際には、演奏者に対する聴取者の好悪について、まず考慮する必要がある

としています。

まあ、そうですよね。

大好きな人が目の前で作った料理と、

大嫌いな人が目の前で作った料理

に対する人の情動がたとえ同じ味でも複雑に揺れ動くのは、その人への感情があるからだと思います。好き、嫌い、美味しい、不味いの他にも、先入観とか、日頃の思いとか、「なんで料理してくれてるんだろう?」とかその人にしか言葉にならない情動が複座うに入り混じって、かつその人の今日の気分によっても左右している、というのはイメージできます。

 

同研究(2007)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/71/0/71_3EV068/_pdf/-char/ja

こちらは同じ研究者の方々を含んだ翌年(2007)の研究。上記の8つの指標と合わせて、「鳥肌が立つような感じがした」(以下、鳥肌、と省略)「胸が締め付けられるような感じがした」(以下、胸、と省略)などの身体反応についての項目との相互関係を調べています。

結論として、5つの身体反応、8つの情動の間の40の相関関係のうち18が有意に高い連関があったそうです。

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とあります。細かい結果はリンク先を参照ください。

「背筋」=背筋がゾクゾクするような感じがした

「涙」=涙が出るような感じがした

「興奮」=興奮を感じた

です。

「背筋がゾクゾクするような感じがした」というのは共感覚的な知覚(下記によれば脳の神経の密集??)ですので、そのように感じない人もあろうかと思います(私も)。

音楽を聴いて鳥肌が立つのは特殊な脳の構造を持つ人だけが経験できるという研究結果 - FNMNL (フェノメナル)

だから、別に鳥肌など立たない、という人が自分が「自分は冷めているのかなぁ」なんて思ってしまうかもしれませんが、情動と身体反応も一人一人違うべきですのから、皆が感動して泣いているときに、ぐっと噛み締めているあなたがいても、味わっている感情は同じことであり、表現がただ異なるだけであると思います。

ですから、あなたは指標にとらわれず、もっともあなたがしっくりくる身体反応、情動を大切に自分の人生における魂と身体の反応に対してポジティブであってほしいです。「感動」だって、共感覚的なもので、一つの刺激に対して、どの知覚が共に現れるかは人それぞれであると思います。「感動しない」というのは、その刺激に対してその人は、そこまでその他の共感覚的知覚が働かない、というだけで、別に冷めてるのでも、鈍感なのでもないと思います。

それは数字を見ても色味は見えない、というのと同じではないでしょうか。

ま、要実験ですね。

同研究(2008)とその他

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/72/0/72_3EV135/_pdf/-char/ja

こちらはさらに翌年の研究です。すごいですね。こうして研究されている方がいるんですね。

ここではダイナミクスについての反応を取り扱っています。

こうやって共通性があぶり出されていくことは有意義だと思います。 

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcogpsy/6/1/6_1_11/_pdf/-char/ja

こちらの論文にまとまっています。その中の表で、音楽経験と身体反応について、

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という表があります。対象は大学生55名です。リンク先P14をご参照ください。

私は、音楽を聴いて「鳥肌が立つ」という経験をしたことがありません。

小学生の頃など、プールの授業で寒い時などにのみ鳥肌がでました。

最近は鳥肌にすらなりません笑。

背筋がゾクゾク、というのも覚えがないように思います。

その代わり、どんな音楽にも風景や意味、意図、を感じます。音楽だけでなく、音全般に見出せます。それが興味深すぎて、こういった身体反応を忘れているのかもしれません。まさに人それぞれですね。

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またこちら。ノクターンが、優美、穏やかな、というのはわかります。確かに私もそう感じます。カンパネラが悲しい、というのもなんとなくわかります。というかそれ以外当てはまりようがないと思います。

これ、ノクターンなどに対してより個人的に感想を書かせてみたらさらにプライベートな価値観がそこに加わると思います。

こうした大枠の指標に共通性が現れる、のは言語の優位性なのか、人の情動の共通性なのか。。それがこの研究課題なんですね。難しそう!!

でもこれらの共通性を直感的に把握できる人がいます。ヒットメイカーです。彼らは他人の興味関心に敬意と関心が持てる人達です。

 

下記はその他のレポートを並べて引用したものです。ご了承ください。

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私はポロネーズで泣ける派、かもです。。ポロネーズには勇壮と試練と希望を感じます。曲にもよりますが。映画的な印象もありますし・・まあそれは映画が好きだから、ポロネーズに泣けるんでしょうね。ポロネーズが、というより、やっぱり個人がそういう人間だから、という分析になりますでしょうか。これだけで、共通性がずれているのだから、ヒット曲は作れないのではないか、なんて感じたりしますね。自分の生き方極めなくちゃ!

 

感動の研究??

P18

"日本語での「感動」に相当する概念についての研究自体が欧米では皆無だと言われている"

と引用があります。

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あわせて、音楽は時間という概念が必要な存在で、まったくもってどのように理解すればいかわからないレベルの話ですね。

そこで不定調性論では、「感動する」という反応が体内に発したら、その根拠より、そう感じた事象そのものを優先して、全ての行動のモチベーションにしていく、とします。

その行動様式はまるでルフィーです笑。

感動したから行動する、それ以外の理由がないわけです。

そしてこれを補うのが、周囲の冷静で理論的な仲間です。

不定調性論では、伝統機能和声論がそれに該当します。二つのバランスを上手にとっていくことで、最強のチームになるのは、ワンピースを見れば明らかですね笑。

なんでその音楽に興奮したかを探るには、その音楽の構造がわからなければいけませんし、演奏者について考察するだけの判断力が必要です。ここに音楽理論や音楽経験が必要です。それがないと音楽の意味も自分に起きたことにも素通りしてしまいます。なぜなら瞬間的にそれを分析できないと感動はすぐ冷めてしまい、それがあったことすら忘れてしまうからです。

感動は、急激に来る身体内の変化に対応できないために動悸が起きるのですから、それはいつもやって来るとは限りません。いつも来たら病気ですので心臓検診を受けましょう。

あなたの感覚を捉え、感動を引き起こし、かつそれを分析し、自分で咀嚼できる、というスキルは音楽教育者にも必要なスキルです。音楽を教える人は、ひたすら伝統の音楽理論を学び続けましょう笑。。

そう、結局基礎がわからないと話にならないんです。。

 

ヒットメーカーは大衆の期待を把握し、研究しています。何に関心があり、どうみせるべきかいつも検証しています。研究者とは全く違うアプローチで日々検証しています。

「ヒット」とは何か、という定義をせずにヒットについて考えるのは妥当ではありませんが、人の情動を動かさずにヒットはあり得ません。ゆえに共通性を有する部分に訴えかけられた時にヒットは生じます。

あとはその大衆の一般性に気が付けるタイプか、気が付けないタイプか、それを追求するのが楽しいか楽しくないか、で音楽活動も変わってくると思います。音楽教室の仕事は相手がどのようなタイプかを判断し、適切な活動の方法をアドバイスできることであると思います。

 

どう見られるかを気にかけて化粧できる人と、全くそういうことに関心がない人とでは目指す道が同じになろうはずがありません。

若い受講生のその感覚感の種類を把握できるかどうかが先生の仕事です。

 

感動を察知できる力とヒットメーカー

===

一気に飛躍します。

ここからわかることがあります。それは

1、ヒット曲を狙って作る

2、たまたまヒットしてしまう

3、自分の望むものを作る、オーダーに合わせて作る

は全く違う学習行動であることです。

 

1のヒット曲を狙って作る人は、上記した「大枠で共通する感覚に狙い撃ちする」わけですから、自分の好みよりヒット曲を大量に分析し、カノン進行を使う、とか、1分以内にサビに入る、とか、サビで最高音を使う、といったヒットの手法をベースに用いながらオリジナリティを入れていく行動様式を洗練させていきます。そしてそれがとても楽しいと思う人だけが続けられる作り方です。

ひたすら作っていく以外に方法がないとされています。

ヒットメーカータイプ、彼らは他者を、社会を幸福にすることに喜びを感じています。

私も人の幸福を願ってはいますが、彼らはもっと桁違いに社会の幸福を願っているカリスマタイプです。

 

そして2の、たまたまヒットしてしまう曲、というのは予測不可能なので、当人はその後二作目も狙っていくことはできません。一発屋、と呼ばれるタイプです。ややこしいのは、それによって新たなヒットの構図が一瞬できること(当たったものの二番煎じタイプヒット)で、作者サイドが「狙っていた」と発言したり、周囲が注目することで、そうすればヒットする、といったような流行様式が生まれることです。これが後に述べるマスメディアの購買意欲を作るスタイルによって拡散されます。

しかし、それが引き続きヒットするかを見極められるかどうかは、ヒットしてしまった人本人の分析よりも「ヒット曲を狙って作る」行動様式に長けたヒットメイカーの分析を待った方が良いと思います。日頃からヒットを貪欲に探求していなければ、なんで当たったかを適切に述べることができるはずがありません。一発屋の人は、ヒットメイカーに教えを乞い、アドバイスをよく聞きながら、ヒットを作る構図に移行するか、一発屋を売り物にするか、色々と考えなければならないと思います。

自我へのベクトルが強いタイプです。そこから他者に向かって感情を向けられるかが鍵でしょう。

 

コンペなどは、オーダーがあり、それに沿っていながらもヒットさせる様式を織り込んでいくので難易度がとても高くなります。ヒットメイカーがこぞって参加しているのは、「ヒットを狙っていく構図」がそのモデルの中に存在するのでやっているためです。決してコンペをやればヒットするのではないと思います。さらにコンペはいろんな人、案件が入り混じっているので、しっかり信念を持っていないと自分の方向性を見失います。まずは自分が得意な案件だけをひたすら極めていくのが良いと感じます。

 

その他のオーダー、企業BGMや個人のオリジナルソング、販売用楽曲、などを作る際には、上記の「ヒット曲を狙って作る」という学習様式をどの程度生かすか、で、ただのBGMもキャッチーなものになるでしょう。ただそういうことをせず、オーダーに完全に沿っていけばヒットの構図から外れますが、クライアントは満足します。あなたがどういうやり方が気持ちいいと思うかで、こうしたオーダー形式の仕事のやり方も変わってくるでしょう。

 

ふつふつとヒット曲をなんとなく狙っているなら、オーダー仕事など取らずに、ひたすら小さなコンペで腕を磨いていくしかないと思います。小さなコンペなら誰でも取れます。私ですらヒットを狙ってもいないのにいくつも採用経験があります。

 

3、自分の望むものを作る、というのがArtです。

これだけに現代において集中できる人がいたら、それこそ真のアーティストでしょう。

変人タイプです。生きているうちは認めてもらえないような。決して演じているのではなく、もともと感性や共感覚的知覚で刺激される部位が人と全く違うようなタイプと感じます。

 

大抵の人は、芸術と一緒に商業用楽曲も並行して作り、その中に自分らしさや、ヒット曲の構図などをそれなりに盛り込んでしまい、それを「こちらのやり方がより芸術的である」というように思い込んでいます。そしてヒット曲もアートと呼ばれてしまうので厄介です。そう呼んでいるのはマスメディアです。後でなぜ彼らがそう振る舞うか書きます。

芸術、という定義も広い範囲になってしまったので、ヒットしなくても芸術性が高そうな印象を与える曲の方が他者が堂々と評価する状況が起こり、また個人を混乱させます。

 

これらは全て人の情動が支配します。

社会からすると、たまたまヒットした人は羨ましいし、ヒットが作れる人も羨ましいし、と思うし、それとは真逆に芸術をひたすら探求できる人も羨ましいと思うものです。

「羨ましい」は購買欲求を作ります。メディアがそれを活用しないはずはありません。だからメディアにあるのは購買欲求の探求であり、正解の提示ではありません。

どの立場の人も購買欲求をそそるなら讃えられ、削ぐなら、批判することで別の購買欲求を作ろうとしてきます。マスメディアから出てきた言葉はよく考えなければなりません。こうしたブログもです。ここに矛盾があり、そのバランスをとるために不定調性論を展開しています。

それはさておき、

 どうせどっちに転んでも批判されるなら、自分が探求したいと思うことを見つめて、堂々と探求して好きなことをやって批判されようではありませんか。

・ヒット曲を作って印税生活したい!

・ひたすら後世に残る芸術を探求したい!

・なんとなく適当に好きなことやって、ヒットする作品作っちゃいたい

あなたがそう思うなら現代はノウハウがあります。めちゃくちゃ大変だけど。

今をときめく人の中にはこの三つができちゃう人もいますね。天才と呼ばれる人です。

それか人の3倍努力している人です。普通に生きていたら普通にしかなりませんので、普通を楽しむ工夫をした方が良いです。

これ三つできちゃう人って、やばいですよね。努力しないで、なんとなく作った曲がヒットする、ってわけですから。

できればどれか一つに絞ってまずは攻めていきなさい、などと、ついレッスンでは偉そうに述べてしまうところを慌てて飲み込む次第です。

ひょっとすると目の前の人が天才かもしれませんからね。

 

自分は縁側で寝転がる猫のように生きたいと思っていたフシがあるので、耳の痛い話ですが、自分なりに昨日よりも頑張るっという気持ちで少しでも誰かの助けになれるよう頑張ります。

 

自分はこれらの違いをまったくわからずに音楽をやってきてしまったので、若い方にはこの違いを早期にご理解いただき、自分が興奮する情動と目指す生き方を理知的に考えていただけることを願います。