2018.7.15⇨2020.11.9更新
長調はアイオニアンというモードであり、このモードからV7という和音を作ることができたことから、「長調」という概念が確固として確立されました。
このV7⇒Iというのはアイオニアンの中でのセンターコードへの帰着でした。
短調での主たるモードであるエオリアンではV7が作れないため、短調という存在意義を長調と同じ位置に持ってくるために作成されたのが、V7⇒Imという仕組みです。
つまりこの時点で、V7というコードが独立行動していたことが分かります。
決して長調からV7を借用したのではなく、V7⇒Iという音楽的習慣によって確立された終止感、進行感を短調という流れの中で応用、活用していった、と考えてみてください。
よって機能和声が作り上げた調性システムは以下のように表現するのが現実的でしょう。
長調 = アイオニアンの調べ+V7
短調 = エオリアンの調べ+V7
つまりV7という存在はモードから独立させて考えることもできる、ということです。
たまたまアイオニアンというモード構成音からV7という存在を作ることができた、これがアイオニアンが優遇された点です。この考え方を発展させてみましょう。
CM7 Dm7 Em7 FM7 G7 CM7
という進行があるとき、G7はアイオニアンから作られた和音ではなく、調を確定する和音として独立的に挿入された和音である、と考えるのです。
- CM7 D7 Em7(b5) Fm7 G7 CM7
- Dm7 Em7 Dm7 A7 Dm7(b5) G7 CM7
- Gm7(♭5) F#M7 Fsus4 F7 F#dim7 G7 CM7
とすると旋調的な流れのG7の独立的存在が見えてくるでしょうか。
G7がきて、トニックコードが続けば、「とりあえず」調のようなものが確定されます。終止感も現れます。
CM7 E♭m7 F#7 Em7 C#7 F7 G7 CM7
こうした進行でさえもG7さえあれば、Cメジャーキーの感触を覚える方もおられるでしょう。
ジャズではV7でのスケール仕様の種類が豊富です。
このV7という存在の独立性に気がつくと、あとは「どこまで自分自身が許容するか」という選択の話になります。V7以外のパートも調の中で止まるか、V7以外のパートでどこまでも調を超えていくか、の選択です。