音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

プラシーボ的反応と独自論1〜概略

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上記シリーズで錯覚がもたらす勘違いのカッコ悪さは人間の常、としながらも、本当にただの勘違いなのか、嘘から真は出ないのか、という疑問を感じていました。

 

私自身、自分の壊滅的な体調を、未知の代替療法であるアーシングが整えたことはいまだに不思議な体験です。今でも合間を見て文献を読んだり専門団体と研究をしています。いまだアーシングの絶対的な科学的根拠は見出されていません(ヨガや鍼灸治療より下位に当たる代替医療の部類/断片的な実験成果は出ています)。

しかしながら勘違いでも実際に痛みがなくなる、という多くの事例に触れていても(当ブログへも感想いただきます)、その仕組みがいまいち理解できていきません。

それでも勉強しながら、なんとなく私の体が回復した要素には「プラシーボ反応」が関わっていた、と推測するようになりました。

本当に痛みが生まれそして無くなったのか、それとも全て思い過ごしだったのか、を知りたかったのです。

 

今回のテーマはこの不思議なプラシーボ(的)反応の仕組みを理解し、医療だけでなく実際の仕事やさまざまな社会的ストレスと対応するときに活用することで、独自論的な直感的判断をより適正さへと繋げるような道のりを作ろうと深堀しました。

これもまた「独自論の重要性」を臆面もなく訴える自分だからこそ書ける記事かな、と考えて公開しています。

 

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プラシーボの治癒力: 心がつくる体内万能薬

今回の引用/参考図書、こちらを下記より「同書」として表現します。ミシガン州立大学「生命科学における倫理と人間性センター」所長経験者で、家庭医療および哲学教授による著作です。博士であり、開業医として街の住人の治療にもあたっているそうです。

 

プラシーボという語は、一般用語"プラセボ効果"の「プラセボ」と同じ意味です。
しかし、お医者様でもない限り、社会では正しく使えていないように読後感じました。

私もこれまで、プラシーボという言葉を"思い込み"とか、"勘違い"なんていう侮蔑の意味で使っていたように思います。

 

この記事はプラシーボ反応の医学的意義を解説する記事ではありません。

人体における不思議な治癒反応を肯定的に受け止め、それを病気の時だけでなく、制作作業や、人間関係、業界での生き方に少しでも活用してもらうために、「知識として知っておくと悩みすぎないで済む/騙されないで済む」という内容にまとめたものです。

あくまで音楽制作心理学の側面から書きます。

 

そして記事にまとめたのは、これが「より良い独自論の探究のためのヒント」になることを知ったからです。

 

用語の定義を行いましょう。

                   

これは同書の定義に基づき、この記事シリーズ専用の概念とさせていただきます。

同書のプラシーボの定義

医学研究においては、プラシーボとは、研究対象である薬剤または処置と外見上はそっくりだが、シンボル的なもの以外の治療特性を持たないもので、二重盲検(対象群はにせの治療を受けるが、実験者も被験者もどちらのグループが本当の治療を受け、どちらのグループがにせの治療を受けるのかを知らされない実験)での対象として用いられるもののことである。

治療の場では、プラシーボは、そのシンボル的な意味の力だけでからだに作用することができるとの確信のもとに、患者に与えられる薬品や処置のことである。

 

 

同書のプラシーボ反応の定義

治癒の場で、人がなんらかの出来事や物に付与したシンボルとしての意味が原因となって、からだ(あるいは一体としての心とからだ)に起こる変化。

「プラシーボ」という言葉は、同書では「病気が治癒する」時に起こる反応に限定して定義しています。ラテン語で「私は喜ばせるだろう」という言葉が語源なのだそうです。

アスピリンを飲んだ時も、薬の実際の効果以外にプラシーボ反応が加算される場合があります。「よし薬飲んだからこれで大丈夫だ」と思う心が、人体の製薬工場(後述)で、薬を受け止めやすくし(外部からの物質を非自己ではなく"自己を構成するもの"として受容する)、効能が効きやすくする、といういわゆる自然治癒効果の促進もある、と考えるわけです。

 

「抗生物質」は風邪には効きませんが、子供の頃それを飲んで治った印象深い経験があると(家族が喜んでくれた、頑張ったご褒美に美味しいものを食べさせてくれた等)、風邪の時に抗生物質を飲むことでプラシーボ反応が出て、実際に風邪が治る、という現象が起きるそうです。

 

そしてこの記事用に、「そう思い込むとそうなる効果」や、「褒められるとできる気がする!」的な反応に対して「プラシーボ的反応」という言葉を随時使うことにします(このブログ専用の造語です)。

これは医学的反応ではなく、自分の思い込みが自分を変えたり、一人の思い込みが時に大勢を動かしたり、良い効果をもたらす場合がある、と言う意味を指します。「音楽制作心理学」のシリーズで「錯覚だ」としたものの反応に心が動かされる時、相応のプラスの効果が出る時がある(逆も)、ことについて考える、という意味です。

 

え?プラシーボなんて稀にしか起きないだろ?と思うかもしれませんが、

患者を三つのグループに分け、第一のグループは治療をせず、第二のグループにはプラシーボ(偽薬)を与え、第三のグループには試験薬を与えるとする。すると多くの場合、プラシーボを与えられたグループは治療なしのグループよりいい結果つまりずっと高い治癒率を示し、おそらく試験薬グループとほとんど同じか場合によってはそれ以上の治癒率を示すだろう。

ウジェーヌ・F・デュボワ(1946年)

 

現代の治験においても5-30%の割合でプラシーボ反応がさまざまな結果の側面に混じってしまいます。これは、

10人いたら1-3人は「幽霊見たことある」って答えるみたいな割合です。

大学生10人集めたらそんな割合になりそうですよね。

 

医学的に厳密な現代の投薬実験でも必ず30%前後プラシーボ反応が起きるそうです。

同様なことが他でも書かれているのでこれは常識値なのでしょう。

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自然治癒力を高める何らかの機能が、投薬なしで実際に症状を改善させるための化学物質を体内で作ってしまう機能が、人体にはあるわけです。

それを同書では「人体の製薬工場」と呼んでいます。

その工場が稼働すると、治療なしで病気が本当に治ってしまうことがあります。

 

「痛いの痛いの飛んでけー」と母親に言われて傷口に貼った絆創膏をなでられると痛みが飛んだのは、気のせいではなく、それによって、何らかの人体の機能が働き、治って良い、と認識解釈(意味づけ)し、結果として脳内で痛みを緩和させる化学物質が放出され、痛みがなくなったという思い込みと合わせて、実際に痛みが緩和している化学的効能もそこに混じり、相乗効果として炎症を食い止め、実際に治癒が早まる、と解釈するわけです(精神神経免疫学的経路)。

 

しかし、どの程度が気のせいで、どの程度が脳内化学物質の役割で、どの程度が自然治癒の効果で、どの程度が実際に処方された薬の効能なのか、判別するのが難しいために、プラシーボ効果の詳細を把握することが実際難しいのだそうです。

現代医療も実は綱渡りなのですね。

 

ゆえにプラシーボ反応を医療の現場で治癒の効能として「処方する」ことは困難です。その代わり副次的な効果として、患者と医師との関係性の信頼関係構築の補助手段としてプラシーボ反応を促進するようなやり取り、応対を、ある程度可能性として持って用いる、と言うのが常識のようです。

 

先の「痛いの飛んでけー」のように、脳は解釈して、意味を与え、理解することで必要な化学物質生成を自分自身が実際におこなってストレスに対処してくれます。これは本来細胞が生きようとする自然治癒力とは少し異なります。

人体の中に待ち時間ゼロの"あなた専用薬局"があるんです。

 

「よし治るぞ!」って(心の底から信じて)思うと治りやすいわけです。

またそれによって体の治るための活動が活発になります。

病は気から、という側面が実際にあるのですね。治った時の状況を思い浮かべ、それをイメージすることで、その健全な状態に人体が自然と近づこうと奮闘するからです。

ただ、その人のこれまでの全人生の経験、思想、体験がそれを補助しないとこの反応は起きないこともあります。

 

  意味があれば多くのことに耐えられる----ひょっとするとあらゆることに

           カール・ユング

高名な心理学者ジェローム・ブルーナーは、私たちが人生に意味を見いだすいちばんの方法は物語を作ることだと言い切っている。(中略)人生の出来事に意味付けを出来るように、私たちが自分の世界観を構築するのだ。

 

病やストレス、事象に意味を与えて解釈の構図を作るのは自分です。

もし自分が誰かの役に立った、と感じると前向きになれるでしょう?

それ自体が「プラシーボ的反応」と感じてみてください。その時の興奮、喜び、感覚が、病の時にも活用できるんです。

そして自分の人生に自分に合った意味を見出す、というのはすなわち「独自論」です。

急にはできないタイプの独自論もありますが、自分で選択し、決断し、責任をとる人生を送ると決めた瞬間独自論は動き出します。自分一人で今日から開店できる薬局です。

 

 

また皆さんは偉人の名言や、自分にとって心地の良い言葉に心を動かされませんか?

言葉はただの空気の振動なのに、それがあなたの心を捉えるのは、あなたの脳がそれらの言葉を心地よく感じるように、瞬時に「意味の創造」をしているためです。

しかし、それを「自分は騙されやすい、その気になりやすい、調子に乗りやすい」なんて思わないでください。

 

この本を書きながら、私が切に願うのは、皆さんが(中略)、プラシーボ反応にネガティブの意味を持たせるという落とし穴にはまり、いざという時それに救いを求める可能性を閉ざしてしまうことがないように、ということである。あなたも、私も、私たちすべてが、このとても強力でポジティブな治癒の力に反応する可能性をもっていること、それにはペテンは全く関わっていないことをわかっていただきたい。

自分はプラシーボなど感じない、と思ってる人は、その時点ですでに、そう思い込んでいることに気がついていません。人が勘違いや思い込み、天狗になったり、調子に乗れる、というのは社会的には迷惑になることもありますが、病を得た時、心の動き次第で他の人よりも早く治る可能性を持っている(人体の製薬工場がいち早く稼働しやすい)、ということになるのだと思います。

「お調子者」というのは思い込みで難病すら治すポテンシャルを持っている、という解釈もできますよ?欠点は可能性です。お調子者を見たらいきなり唾を吐きかけるのではなく、遠くを見る目で「あーこいつ難病とかになっても治しそうだなぁ」とか思ってあげてください。

 

騙されやすいこと自体は悪ではないんです。

 

もしあなたが誰かの言葉に影響を受けられる心の素直さがあるなら、あなたもプラシーボ反応、プラシーボ的反応を人生に活用することができます。

 

健康のためにいい、新しい行動パターンは、たとえ始めはまやかしで偽物のような気がしても、ぜひ試してみることが大切だ。 (中略)自分の喫煙の習慣をいやだと思い、心からやめたいと思うなら、煙草を吸わないという行動を試してみるのは、別に偽善でもまやかしでもないはずである。

自分の思いに真っ直ぐになれないと、つまり自分の意識を上手に騙していかないと、せっかくの願望も機能しません。願望や破廉恥、欲望が自然に機能しないと、喜びがなくなっていきます。喜びは理知的に湧くものではないので、自分なりに心が騙される様子を楽しめないと、自分に喜びを許容できない人になるのではないでしょうか。

 

 

ある人がプラシーボ的な状況から得られる暗示や考え方を利用できることは、その人が受け身だと言うしるしではなく、心の持ち方で自分の力を高める能力を持っているしるしである。受け身と呼ばれているものは、本当はコミュニケーションを受け入れようという自発性なのだ。

プラシーボはあらゆる人に起きる可能性がありますが、プラシーボ反応が起きやすい唯一の性格的条件は「素直さのある人」だそうです。

騙される、というのはコミュニケーションを取りやすい人であることを意味しています。頑なな人よりも医師との関係性で病気が治りやすいわけです。

人が「効く」と言ったから偽薬でも効いた、のは自分が騙されやすいバカだからではなく、素直だからです。その人の体内まで素直なのでしょう。

素直になれる環境も大事ですね。素直にさせてくれる人や猫とかと一緒にいて癒される、っていうのは素直になれることで、いろんな体の巡りも整うからなんでしょうね。

実験終了後、彼らが処方されたとおりにクロフィブレートを飲んだ患者と、しょっちゅう飲み忘れていた患者と死亡率を比較してみた。すると、明らかに統計的に有意な違いが出てきた。飲み忘れの多かった患者の死亡率は、医者のいう従順な患者よりもかなり高かったのである。(中略)次にプラシーボ群を見てみると、同じ結果が出ていたのである。指示通り素直にプラシーボを飲んでいた患者たちは、飲み忘れの多かった患者たちよりも死亡率が低かった。

 

プラシーボ薬を飲んだ患者の有意差にも驚きですが、ここでも素直さがテーマになっています。

治ろうという意思と、その効果を自ら信じる、という主導権を本人が本人に持つことによって効果が変わる、というプラシーボ反応の典型例とも言えます。

なお、この実験については、医師の指示に従う人ほど、そもそも健康に留意できる勤勉さがある、という別の側面が考えられる、とのことです。

 

若い時分は誰でも無意味に反抗したくなるものです。

しかし、反抗するのは自分の正直な意思/主張なのか、適切に対処するのがつまらないから、相手に振り回されて反抗という手段しか取れないのか、という自分自身の思いを正直に捉えらえる(独自論があるかどうか)といいですね。無駄な反抗(素直になれない)は後年癖になり、自らを滅ぼしかねません。

私も自分で方法論を作ってみて、改めて、学校で教わるやり方は、ずば抜けて分かりやすいな、と素直になれました笑。

 

 

 

もちろんこの記事は、自然治癒力、プラシーボ反応で痛みがなくなったから病院に行かなくていい、と推奨するものではありません。
実際にホメオパシー(歴史的に代替医療行為とされた方法論の一つ)を信じた看護婦が新生児を死なせた、という事件も起きています。

ja.wikipedia.org

一方で下記の記事のように、ホメオパシーがキツネの皮膚病に効いたとも読める記事も普通に存在します。イギリス王室もホメオパシーを用いている、といった記述などが併記されると読者は信じてしまうかもしれません(有名な話です)。

www.pen-online.jp

記事だけでは、状況がわからないので、科学的研究で断定された内容でない限りスルーします。

 

いくら一時的に体調が戻っても、習慣を変えたり何らかの処置をしないと進行する病気もありますので、状況や体調がすぐれないときは、早期に病院に行ってください。

私も業務におけるストレスが膨大だった頃、背中の腎臓あたりが痛くて耐えきれず ついに病院に行って血液検査を受けたのですが、異常はないと鼻で笑われました。お腹冷やしたの?的な(笑)

そして実際医者から戻ってきたら痛みが引いていたというのは内緒です笑。

私はストレスに弱い。

カフェイン中毒で自律神経が弱い。

 

痛みや苦しい時、発作が起きたり、不安症で胸が締め付けられる時、冷静に考えることは難しいです。

同様にパワハラなどの行為を受けている時や、過度なストレスを感じている時も冷静に考えることは難しいでしょう。その時 第三者に相談できる自立性というのは失ってはいけないなと感じます。

 

今、もし冷静なら、この物語を読んで、様々に自分なりに意味づけする、深く解釈する訓練(独自論で生きる訓練)をしておいてください。

誤った解釈は事故になることもあります。

専門的な勉強や、最低限の科学的観測は欠かせません。遠回りでも、肝心な時の直感(直観的熟慮)の精度を上げるために、広い知見から答えを出す訓練を。

 

 

同書には、プラシーボ反応が形成されると考える三つの医学的経路

・エンドルフィン経路(ある種の痛みを鎮痛するために人体がエンドルフィン-脳内麻酔-を特定の部位に放出する時痛みが緩和される)

・ストレス-リラックス反応経路(外的なストレスが要因で発生するコルチゾールなどによる緊張を、何らかのプラシーボ反応が関わると、それらの数値を下げる命令が下され、リラックスできるようになり治癒につながる)

・精神神経免疫学的経路(感情や心の動きに反応して免疫系が働き、それに応じて神経系も呼応して働く、という複合的なやり取りによって、治癒に必要な免疫反応が得られる)

の三つの可能性を推してます。

 

ただ、これらはかなり医学的反応についての言及でありながら、現代においてもまだ完全な理論として証明されているわけではない(プラシーボ反応自体にさまざまな種類があり、必ずいつでもそれが効くわけではない=意思でコントロールできない)ので、今回の記事では詳しく述べません(興味のある方は同書にてご参考を)。

むしろ「自分が何を信じて、どう生きていきたいか」を明確にした方が("独自論"を丹念に追求できているほうが)、適切なプラシーボ(的)反応を受け入れやすいと言えます。

 

この記事では、その周辺にある、より一般的な、実際に論文等で成果も出ている、

・素直さと、思い込むことで効能を生み出す

・意味付け/条件付けが効能を生み出す

・シンボライズされたものと自分との関係が効能を生み出す

といった比較的わかりやすい概念によって説明されるトピックをもとに構成しています。そこから独自論のあり方、制作思考の整え方、その先の社会生活への応用を考えてゆきます。

 

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