音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

Lemon / 米津玄師(2「Lemonの"ふぇ"」編)

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Lemon / 米津玄師

あれは人の声をサンプリングしたものであり自分のなかで重要な音なのだが、それが何故なのかは自分でも分からない
この答えを真に受ける必要はないと思います。
動画のほうでは意図的である旨が語られていますね。
これは日本人独特の「不協和音」教育=違和感が引き起こす感覚の活用が確立されていくだろうと思いますので書きます。
日本人は雷や地震、雨や風や虫や静けさにまで、音の存在意義を瞬間的に把握します。
不協和音に情緒や意味を直観できます。「ウェっ」に感じた違和感は、突如遠方で鳴った雷への注意と同様であり、違和感や嫌悪感を持つが、自分に気がいないとわかると情緒になる、という特質をこの音は作っています。この違和感も、音楽的な違和感、というよりも、「アテンション」を感じただけで、何度も聞くと、これが情緒になっていくわけです。海外の人にはまた海外の人の音の文化があるでしょうが。日本人にはまた日本人独特の理解がある、というだけで、そこまで何か紐解こうとしなくても、日本人が生まれてからずっと住み続けた世界から刷り込まれてきた感覚で聞き、掌握するだけです。
 
 
 
ご本人の言葉を良い意味で無視して、考えてみましょう。批判はありません。
 
0:12ですね。最初に聞いたときは確かに一瞬違和感でした。
でも「あ、このレベルでの違和感をドラマの曲で出せるような時代になったんだ」と感じました。最近でいえばback numberの歌なんかにも同じ違和感をかんじました。新しい感覚です。
 
「違和感」とは義務教育で慣らされた協和音教育の洗脳の賜物かも、です。
相対するものへの反応です。
でも何度も聞くうちに、これがないと只の普通の名曲で終わり、になっていることがわかります。
 
この音は「曲の雰囲気との不協和」ともいえる音ですから、これはこのアーティストがずっとやってきたことです。
その違和感に社会が若干ついていけていません(2018)。
なかなか分かりづらい感覚ですから、ご当人のあのような回答が出くるのは、なんとなくうなずけます。
でも古くからのファン的には、いまさら何言ってんの?って言う話です。
そしてこの違和感が今では当たり前になったように、"Lemonのふぇ"も常識になり、当たり前になります。自己の非常識を世間に認めさせたければ思い切り晒すことで大衆に慣れて貰えばいいのです。遠くでなるに身に危険のない遠雷と同じく、もはや情緒です。
 
 
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たとえば作曲しているとき、この「ふぇ」音が偶然入ってしまった、
「お、いいねえ」
なんておもわず「押す鍵盤間違った」と言ってすぐ削除してしまって曲の雰囲気に合う音にしてしまうでしょう。FX系の音は鍵盤にランダムに並んでいるので、作業のミスでそうした音が入ってしまう時があります。
 
EDMなどでも変わった音をアクセントで入れるのは昨今の習慣です。
 
いいメロディできたし!!こんな声ネタ要らねーし!
 
なんて思ってしまうのがフツーです。
このような自分の作曲時の予期せぬ音(この音は意図的です)がもしあなたの楽曲制作時に生まれたら、立ち止まって聴いてみることをお勧めします。そういう時でしか、過去の自分を越えられないからです。
 
でもそうした偶然も潜在意識がどこかで求めていれば、そうなる、という風にもう人類はすでに知ってるんです。
 
「求めよ、さらば与えられん」
 
この言葉、紀元前ぐらいの話です。
既に潜在意識がもたらす力について知られていたわけです。

 

この音が入ることで、どんよりとしそうな音空間がドライになります。グーッと曲に入り込みそうな感情を少し冷まして、冷静になれます。感動的な曲になってしまいすぎるのを押さえてくれます。違和感による調和が保たれています。

でも、hiphopはそういう雰囲気を作ることが上手ですよね。海外の音楽から輸入した部分と、日本人らしさが合体したオリジナルな感性を感じます。これがこの部分おおぞましいほどのオリジナリティを産んでいると感じます。

 

動画では葬式の時に鳴った指笛の話がされていますが、そういうことを美しい、と捉えられる感性があることに注目しましょう。違和感の中に潜んでいる意味を読み解く感性を持つアーティストだってことですよね。

 

たぶん一般的な違和感が歪んだ意見として抽出されている点には、

「もっと他の声ネタ・入れるべき音、があったんじゃねーの?」

って言うニュアンスになっていると思います。以下はその点も考慮して書いています。

(注;声ネタ、というのはヒップホップでは「サンプリング」という手法で様々なレコードから短く切り取られた声ネタが使われてきた歴史があります。歌の一節、マーティン・ルーサーキングの言葉、叫び、話し言葉、なんでもありです。そういうサンプル集も売られていますし、打ち込み用のドラムセットのプリセットの中に一つそういったエフェクト音が一つ配置さえている場合もあります。

そこでそれらをあまりにそのまま使うのは芸がないので、楽曲のキーやテンポに合わせて加工したりして使います。だからこの「ふぇ」も元はもっと低い音だったかもしれませんし、別の言葉を切り取ったものかもしれませんし、わざと機種がわかるように、そのまんま使ったりしている場合もあります。)

 

 

 

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スタンダードジャズを全部三和音で弾いたら、どうなるか知ってますか? 

ダサいです(当社比)。

ジャズっていうスタイルからだけで言うとですよ?

 

話逸れますが、

このジャズを三和音にして"良い"って思える音楽が"フォーク"です。

フォークはカッコいいでしょ? 日本人の血がたぎる。 

"ジャズの違和感"がフォークを作ったんですかね、、、。なんて思います。

なんで動揺のようなフォークが受けたか、というと、魅力的な、学校では絶対出さないような声で学校では絶対発しない歌詞を歌うからでしょう。

もちろん綺麗な歌詞も、綺麗な歌もあります。それらは汚い歌、汚い歌詞の文化の中で初めてひかるんです。ライブの最初から最後まで学校唱歌だったらこういう魅力は出ないんです。汚い音、汚い言葉、というのは、情緒です。遠雷です。蝉の声であり、雨の音です。人はそこにえも言われぬ情緒を感じ、注意をひかれます。そうやってこの風土で皆と一緒に生きてきからです。

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ジャズも汚い四和音にして、更にテンションを添えることで、クラシック音楽にはない調性音楽が生まれます。人が好んだのは、その危うさであり、クラシックにはない情緒の斬新さと摩訶不思議なSwingに心惹かれたんです。

 

不定調性論でも言っていますが「不協和音を感じようと思えば、そこに絵が浮かぶ」人は沢山いると思います。

だから、あなた自身が何かをやろうと思う時、表現しようと思う時、自分が作ったものを世間の標準的価値観で判断するのではなく、あなたが持って生まれた感性で捉えられたら、それが答えになる、という発想を持って頂きたいです。

 

不協和音と不協和音

違和感と違和感

を結び付けた時に生まれる、未知のクオリアを理解できるトレーニングをしましょう。

 

それを海外の音楽の文化で考えようとするのも良いですが、日本人として、どういう霊感を感じるか、で捉えた方が落ち着く人もあるでしょう。人それぞれ生育環境によって変わると思います。

あなたが思ったこと、それが言葉になるならないに関係なく、答えそのもの。

 

この記事内容も、皆さん自身で考えて自由に解釈してください。

嫌いなら嫌いの理由があり、好きになれるのにも理由があります。

この音の違和感を違和感のままにしておくのは、読めない漢字をそのままにしておくだけかもしれません。それでもいいですが、夏の夜の虫の音のように、自分にとっての情緒にできたら、もっと面白くなると思うのです。