ただ、どうしても創りたかった作品。
音の渦。旋律ではなくて渦。
そよ風から嵐まで。さざ波から大時化まで。
音楽ではなくて音楽的な自然音。
世界に必要のない作品かもしれないのですが、どうしても今作りたかったんです。
制作年不明ですが、2005年にはスケッチがありました。
2017年頃より、具体的に不定調性論を用いて様々な作曲を重ねて来ました。
少しずつ自分の曲が作れるようになりました。不思議な感情を覚えました。
自分が頭に描いてるものが音にできるようになったのです。
満を持して、この曲を制作し始めたのは2020年1月。
この曲にはこれまでの能書き全てが反映されていますが、音については本当に目隠し手放しで音楽的なクオリアのなすがままに配置していったので、自分ではその意味を説明できません。ただ、拙論無くして完成しなかったタイプの作品です。
まるで自己と対峙するような消耗戦でした。
結果として自分にとっての強みとなった理屈は、
その音が配置された理由を説明できなくても(思考の雑音なしに)納得しながら音楽を作れる
ということです。
それ以前は説明できなければその音は使ってはいけない、と思っていたからできなかったんですね。きっと。説明できるというのは次元の低い話で、説明はできないけど、納得するっていう意識状態が作られることもあると知ったんです。それと、向き合い続ける訳ですから、頭がおかしくなります。
この制作は1日60分が限界でした。タイムラインは無視しているので人間ぽくはなったとおもいますが、音を配置する目安がなかったので、一旦タイムラインにおいてから、目分量で一つ一つずらしていく、という途方もない作業をやってきました。
そんなことより経営が傾いてるんだ、という雑念を無視して。社会人としてどうなんでしょう。でもこれは音楽家にもっと早い段階でならなかった私自身の責任です。
この曲からもう一度やり始めるしかありません。
同曲はこれまでの音楽史とは特に関係を持たせていません。
自分にとってはここが一つの終わりで、ここからが新たな始まりです。
現在の世界の状況を「新たな夜明けだ」と思えるか、ではないでしょうか。
協和が引き起こす不協和と濁りだけが突き動かす感情もある、という一つの矛盾の体現でした。それまでの基準通りの美しさでなければならない、ということをやめた作品です。
今まで恐れていた矛盾(協和=不協和)を形に落とすことで、その先に進みたかったんだと思います。
協和音でも重なりあうことによってうねりのような不協和音を生み出します。
自然にしていれば音は濁るものです。それを違えて協和のみを作り出そうとするのは人の傲慢ともいえます。
どこまでが秩序で、どこからが混沌か、本当は決めることなどできないのではないでしょうか。これは諦めではなく、時に自分が無力であることを認める、という勇気。たくさん勉強したけど自然にはかなわないと認める謙虚さ、みたいな。
・無理に楽譜に書けるような旋律にしないこと
・その時の自分の意思が音楽の理屈に沿わなくてもより強く感じる自己の美意識を信じること
・不協和か否かではなく響きが何かを物語るか、それが今必要かどうかを感じて判断すること
これを20代の時は問題意識もなく、解決する手段もわかりませんでした。
「これでは自分の音楽は書けない」と途方に暮れました。
その後勉強し、自分なりに探求していく中で、
・楽譜でなくDAWを使う
・不定調性論的思考による美意識を使う
・youtubeで何曲か小品を書いて方法論を実践試行発表しながら「意味」を感じ取る訓練をする
ことで今回の作品が初めて形になりました。何十年越しかわかりません。サクッと書きましたが"不定調性論的思考を使う"を作るのに20年以上かかってしまいました。
DAWとYoutubeに感謝です。これら無くしてこの曲は生まれなかったからです。
しかしながら同曲が完成し、おかげさまで、これから何をやろうか、と少し冷静になることができたように感じています。
親元を離れ、一人暮らしを始めた時のような気分です笑。
それにしても、何故、かような時にまで音楽で表現しなければならないのか、自分は。
世界の荒ぶる禍いが一日も早く鎮まりますように。
たとえ地上の灯が消えても、きっと宇宙の星々は変わらずずっとそこにあります。
我々がいなくても宇宙はちゃんとそこにあり続けるから、少し省みて、これまでのことを少し手放してみよう、と思います。
安心してください。宇宙は我々がいなくても安泰です。ウイルスのように容赦無く自己増殖するしか手段がないのではありません。我々は自分の意思を持って破壊を止めることができます。そう望めば誰かを助けることもできます。
それが人類とウイルスの違いです。
災いとは何かを、今思い知らされています。しっぺ返しと言うのかもしれません。
もう起きてしまったことなのですから、あとは皆で協力していくしかありません。
世界中で。
そうやってもし、また明日があれば、一日一生、新しい自分の人生を精一杯。
良いスピーカーで大音量で聴くと、うねりが本当に嵐になって一人で感動してます笑。
低音の濃淡はローインターバルリミットを勇気を持って打ち破ることでそれは「嵐」になる。
それがいいのか悪いのかは自分では判断しません。
耳その瞬間が判断する(矛盾)。
作曲の勉強が、ずっとこれからも終わらないことだけは今回痛いほど良く分かりました。
m(_ _ )m
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<追記>
<記事書いてくださった!>シェアさせていただきます。
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同曲は著作権フリーで販売もしております。