2017-12-08-2020.5.22更新
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Good day sunshine
(コード参考)
不定調性論の楽曲理解の方法はシンプルです。
「この歌のこの部分は○○○○という感じ」と私は理解した。
となればOKです。
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極端な話、専門的な知識も音楽的才能も必要ありません。
(もちろん音楽を勉強しなくていいって意味じゃなくて)
専門的な知識の必要な機能和声論的分析方法と、不定調性論的な心象の連環による分析が両方できるといいのかな、と思っています。
例を挙げます。
https://youtu.be/NWYWgda5f0I?t=1029
↑コルトレーンの「My favorite things」です。17分過ぎぐらいからのクライマックスです。
このソロを"音楽に疎い"小学生が聞けば、
「なに、プカプカやってるんだろぅ」
としか思えないはずです。これが不定調性論的な心象による分析です。
え?っと思うかもしれませんが、この小学生は自分の意見を述べただけです。それが現状のその子の音楽知識による理解ですしそれがこの子が自分で考えたことです。
これをこれでよし、とするのが拙論的な音楽理解の方法です。
(10年後、ロックスターになっているかもしれません。それは誰にもわかりません。)
時に音楽学習は、伝統的価値を理解するために、最初期に勝手に自分の現状の感覚で音楽を判断することをよくないことだ、とします。
確かに社会生活において、大人としてそれを言ってしまったら無知だと言われます。
ただ「思っても言わなきゃいいんだよ」なんて教えることはできません。
不定調性論は、思っていいんだよ、と言っています。社会への入口を開くなら、もう一方の出口も開けておくことです。
あなたに社会性があるが故に、心の内で「なんだこのわけわからん演奏は」なんて思ってはいけない、なんて思ってはいませんか?
それは教育の賜物、というだけです。
ジャズを知らなければコルトレーンが何を目指したかを知る由も無いし、なんでこういう演奏になっているか、というこの頃のコルトレーンの精神性もわかりようが無いでしょう。彼はコールマンなどにも教えを乞うて、ひたすら探究し続けました。
いかに即興的に吹いて、音楽を構築するかについての可能性も生涯探っています。宗教的な価値観を音楽に統制する才能も豊かな人でした。
人となりを知ると、コルトレーンの演奏の中に彼の人間性が見えてきます。すると聞き逃した音も聞こえるようになり、その音色の別の側面が見えたりします。
生でコルトレーンの演奏を見たら卒倒したでしょう。
聞き手側の意識が変わると最初聴こえなかった音が聞こえるんです。または聞こえるはずのない音が聞こえたりします。事実とは別に意識が認識する事実があります。
不定調性論は事実とは別に意識が認識することを捉えて無視せず、そっと壁にかけておくことができます。それが何らかの答えを出すときのヒントになったりするからです。
答えは自分自身を納得させるものであり、そうした答えは自分がどう感じたか、自分がどう感じやすい性格かを認識した先にあったりします。だから自分がその時正直にどう感じたか、ということを公言せずとも記録しておくことは、勉強の一助になります。
「そう思うことを自分に許す。」です。そんなこと個人の感想だ、というかもしれません。これまではそうやって無碍に扱っていたと思います。社会的事実や、科学的真理と比べたら個人の感想は意味のないものかもしれませんが、個人が人生に迷って探求する時、突破口になるのは自分がどう感じる人間なのか、を知っておくことから始まると思います。個人の感想をいちいち公言する必要はないと思います。
個人の感想=私自身を理解するための糸口、です。
自分のことがわからないと、他人を攻撃することでやんわり自分をなんとなく守ろうとします。自分を見つめる能力の欠如です。ただこれには安らぎが訪れません。
長い前置きでした。
"解放させた自分"を用いて、下記楽曲を聞いて感じてみてください。
表題曲冒頭です。
good day~
B | F# |B |F# |E |E7 |
I need ~
A F# |B |E |A |
パッと今の私の印象を即興的に書くと、
「あっけらかんとした雰囲気」
「ピーカン!という感じ」
なんて感じます。みなさんはどうでしょう。
この青字のEのところでメロディが#9thでブルージーにぶつかります。
知識があると、これもE7(#9)にしなくていいのかな?とか考えるかもしれません。
一方で拙論的に、「うぉ!なんかエグいけどポールスゲェ」と感じたらそれもちゃんと感じましょう。
他者から植え込まれたルールのみを守ると、あなたが元来持っていた野性が失われます。
B | F# |B |F# |E |E7 |
good day~
A F# |B |E |A |
I need ~
この部分、おてんきピーカンなら、その雰囲気通り明るくM3rdを使いそうですが、ここだけぶつけてちょっとブルージーにするあたり、ポールの天衣無縫さを感じます。いや、たぶん英語圏て、こういう音感が普通なのだと思います。
バーンスタインがこの曲を賞賛した、なんてwikiに書いてあります。
そうなると誰もNG出せなくなるっていうのは、洗脳社会の便利なところ(または弊害)です。
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また、"デデデデン"とピアノが下がるところ(0:21)、まさに"I need to laugh"という文章感が音楽に現れています。
ビートルズの心象の音表現はとても豊かです。気持ちを音に出来るバンド。それもすごくカラフルに。やってることは不定調性なのに、こんなにポップ!
これができないんですよね。狙ってもできないし、狙わないと永遠にできない笑。ビートルズはこのバランスのすごさが、凄すぎて一つ一つはわかるんだけど全体を通してマルっと出せ、と言われても出せないし、出してもビートルズの二番煎じになってしまう。このスタイルはビートルズしか作れないんですね。だから偉大。
曲ごとに使用楽器も声色も、雰囲気も全曲異なります。
曲の雰囲気がイントロからわかりやすい印象があります。そして曲がおちゃらけすぎないようコード進行は難解で理知的です。とにかく言えばいうほどすごいバランス。
理知的で且つトチ狂ったサイケなポピュラー音楽文化の誕生でした。
無知そうに見えず、難解すぎず、最強。
こういう感覚ってオタクの心を揺さぶるんですよね。ギャップヒーロー。
このF#は「VI度の和音」というただの概念ではなく、曲の中でちゃんと活きたエッジの役割になっています。この箇所、
A F# |B |E |A |
I need ~
は
A |B |E |A |
でも歌えます。デデデデン!!とF#に落とすことで、コミカルな感じ、陽気な展開感を与えています。ただ歩くのではなく、ぴーかんだから、ちょっと誰も見ていない隙にスキップしたんだろうな、って心象分析できちゃいます。
ビートルズは、全曲こうしたイメージを沸かせてくれる要素がふんだんにあることです。音楽を知らなくてもそれがわかる曲が多いです。
きっと私のイメージとあなたのイメージは異なるでしょう。
こうした自己解釈(その時その時に感じる一時的解釈の積み重ね)をどんどんしていくことで表現や音楽、人生はちょっとだけ個性的になってくれるのはないでしょうか?
それを公に言える方法論を不定調性論、という形でまとめています。
