音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

<論文を読む3>音楽心理学の動向について-音楽知覚,音楽と感情,音楽療法を中心に(1)

参考

www.terrax.site

本日はこちらを読んでみましょう。

音楽心理学の動向について:

音楽心理学って何だろう、ってところからですが、

・特に多い誤解は,音楽心理学がどのような音楽あるいは音が快適であるか,あるいは感動や癒しを与えてくれるかについて,明快な解答を与えてくれるというものである。しかし,このような難問に対して簡単に解答が与えられるのであれば,とっくに音楽心理学の研究所がいくつもできているはずである。

ということです。淡い期待を抱くのはまずやめましょう。

この論文では、音楽心理学の人って何を研究しているの??っていうの最新の動向(2010年当時)についてまとめたものだそうです。

 

音楽心理学-wiki

ここには、

・音楽心理学は、音楽的行動や音楽体験の解明・理解を目指す。

・音楽心理学は音楽構造をコンピュータモデリング等を行い音楽理論の発展に貢献する。

・作曲者と作品に関係する知覚的・情緒的・社会的反応の心理学的解析が、音楽語法の体系的学習に寄与する。

・音楽民族学には、異文化間の音楽認識の違いを学ぶ際の心理学的アプローチが寄与している。

などとあります。ほうほう、これは日頃から不定調性論が言っている、音楽と印象の問題を学術レベルで考察している、ということでこれこそお前やるべきじゃね?っていう専門分野だ・・。すみません、、、できてなくて。。

「どうして人間は 莫大な量の時間・労力・金を音楽活動に費やすのか」ということの追及も音楽心理学の分野だそうです。こういう根本的な欲求に疑念に興味のある人は本を探して読んでみてはどうでしょうか。これを研究していくことで、人生の質の向上をめざそう、という意図があるようです。

音楽の心理学〈上〉 

確かにこの辺の著作は、読んだことありますねぇ‥ほかの参考文献も読んでみたいです。。

さてでは論文のほう読んでいきましょう。

"音楽心理学が聴覚心理学からは独立した分野として確立したのは,Seashore (1938) がこの分野の知見を書物にまとめた頃"

 
seashoreさんとは、Carl Emil Seashore(1866 - 1949)という方のようで、心理学者だそうです。お名前調べたら記事が出てきました。

「音感(おんかん)」は測れるのか | ON-KEN SCOPE 音楽×研究

ヤマハさんの記事が面白いです。その下のリンクには、このブログでも紹介した幸福学の前野教授のインタビューも載ってます。

 

====

"聴覚研究にゲシタルト心理学の観点をとり入れることは,流行に近いと言ってもよいくらいに当たりまえのことになっている。"

ほうほう。ゲシタルト心理学。

これは分かります。形態から人が感じてしまう印象に基づいた感覚の研究ですね。

「ゲシュタルト心理学は被験者の人間が感じることを整理分類して、人間の感覚構造を研究した。」 by wiki

〇〇  〇〇  〇〇

この近接した〇の状態を見ると、それらはグループだと認知できる、という感覚を持つこと、などから発展する心理学です。それに気が付いたのが凄いですね。

だから音楽も和音になった時に、何らかの印象が生まれる、ということに関係しているんじゃないか??みたいな発想になるわけですね。

音楽の場合、宇宙物理の研究と違って実に曖昧で局所的な研究になります。やがて量子力学が最終粒子を特定すれば、そこから改めて生命の感覚構造について研究されるのではないか、と思います。「なんで音楽を人は求めるの?」という答えも宇宙物理学が宇宙の起源をつきとめない限り本当の答えはやってきません。

不定調性論では、それがゆえに、「まず感覚があることをそれぞれ個々が活用しよう」ということにしています。最終理論から逃げるのではなく、それが結果として「印象」を創り出しているのだから、個々人がどのように感じるかそのものに特化して追及していけば、「自分を扱う事が出来るのではないか」という発想です。

自分を扱うって大変ですね。

 

何で長三和音は協和音だと感じるの?と小学生が聞いてきても最新の脳科学で答えがでていないので、まず君がそう感じたことを大切にしてごらん、そこから何をクリエイトしたくなったか、その印象をどう扱いたいのか考えてみよう?という点に思考をフォーカスする事によって音楽制作を円滑に進めよう、というわけです。

そうしないと解決しなので。。・500年後の人類がどれほど宇宙について詳しく知っておられるのか、を考えると羨ましいですね。そのころ音楽はどういう形になっているのでしょう。

 

音楽心理学でも「意識とは何かについて正面から議論がなされることも増えている(たとえば,LeDoux, 2000)。」と論文にもありますので、中々最近ですね。

"音楽心理学の分野においても,感情のような心そのものに関わる研究対象への抵抗感が次第に薄れてきていることが,Juslin と Sloboda (2001) の編集した書物に明確に示されている。心,行動,脳活動の三つを同じ現象の異なった側面であると考えることは,これからの心理学,脳科学の基本になる可能性が高いと思われる ( R a m a c h a n d r a n , 2 0 0 4 ; P e r e t z , 2 0 0 6 ;Bhattacharya とPetsche, 2005)。"

まさに不定調性論的なアプローチここに極まれりです。

論文はとても分かりやすく書かれていて、一般書よりもデータが適切ですから、ぜひリンク先の論文を暇な時に読んでみて頂けると、良く分かると思います。

 

2. 音楽の知覚と認知~

最初にリズムの知覚について書かれています。当ブログではなぜかリズム面に弱いので記事を増やしていきたいのですが、短時間の中ではとても追いつかないので、割愛いたします(リズム学会の理事なのにごめんよww・・)。

・2.2. 音の高さの知覚

無限音階について言及されています。

また

f:id:terraxart:20190407091338p:plain

 

という言及があります。不定調性論は、このように和音の塊を「コードネーム」とせずに"心理的に分類・確立"できるように「和声単位」という塊を倍音の数理から3音単位で確立できる方法論にしました。これにより、不協和音でも、協和音よりも印象的な和音があるのは何故か、というような問題を飛び越えて、個々人が自分の所有欲を満たせる形で不協和音を楽曲制作上の過程において私物化できれば、そこに意味を見いだす力が音楽理論的な制約によって散漫とならない、という発想を用いています。

つまり、名前の付かないぐちゃぐちゃな不協和音でも、ちゃんとその作り方が協和音同様に論理的に探り当てられれば、その人はその和音にゲシタルト心理学的な分類感を持てるので、その和音が「音楽理論的にオカシイ」というようなコンプレックスを飛び越えて表現に集中できる、という考え方です。・・いみわかります??

変な表現思いついちゃったけど、これ使いたい!と思ったら使えるし、不定調性論がそれを理論的に下支えしますから、安心して使ってね!って意味です(犯罪はダメだよ)。

 

2.3. 調性の知覚

論文5-6ページはこのブログ的にも核心をついています。

"音楽において,音の高さの異なる複数の音が用いられることが多い。いくつかの音が鳴らされるとき,音の高さの出現頻度や並び方に何らかの規則性が生まれる。このとき,私たちの心の中に何かしらの予測や期待の枠組みが作られ,次に鳴った音がそれまでの文脈に当てはまっていないと,意外であるという印象を受ける。音楽心理学の分野においては,このような予測や期待の枠組みを調性と考えることができる (Krumhansl, 1990; 中島,2004)。このような調性は,旋律の記憶にも影響していると考えられる (奥宮と大串, 1997)。
この予測や期待は,私たちが生まれながらにして持っているものなのだろうか。それとも,音楽経験によって変化するものなのだろうか。このような疑問は,音楽に関わる者であれば一度は抱いたことがあるのではなかろうか。"

 

そこでは「完全4 度と完全5 度は人間が音階を習得する際に重要な音程であると考えられる。」となっています。

機能和声論は五度のみを重視した、というのが不定調性論的な観点です。

では五度同様に四度を中心にした音楽理論(和声構成法)を考えたら、どんな音楽になるのか?を教材の第6章で押し進めています。結果として民族音楽的、ブルース的、ジャズにおけるオルタード感覚、ジャズにおけるアウトサイド感がそこに生まれ、現代の音楽においてようやく「五度を中心にした西洋音楽」と「四度を中心にした民族音楽」が融合されたR&Bのような音楽がポピュラーミュージックにおいて確立された、というところに落とし込んでいきます。

つまり四度を中心にした五音音階的な音階の「歩幅」も同様に重視しないと、現代のポピュラーミュージックは解析できない、という提案です。

詳しくは・・・うーん、動画シリーズが一番だらだら見れていいかなぁ・・

テキスト動画(本人解説)〜不定調性論全編解説1-33★★★★★ - 音楽教室運営奮闘記

 

論文の実験結果だけ引用しますと、

和声の学習は,長潜時処理で“認知的に”聞き分けられるようになった後,短潜時処理で“感覚的に”聞き分けられるようになる,という段階を踏む可能性があると考えられる (菅家 (奥宮) ら,2008)。菅家 (奥宮) ら (2007, 2008) の研究により,音楽経験によって,我々の脳が行う和声の処理が異なる可能性が示された。

とあります。

長潜時処理」・・ここでいう意味は、和音を聴いて、しばらく脳・意識が反応していくちょっと長めな脳の解釈処理です。短潜時処理は逆にぱっと処理する感覚です。

不協和音の連続があるような音楽は、最初理解できないし、分かりません。しかし学習していくうちにその芸術性などを自分で感応し始め(不定調性論的には単なる思い込みであり、個人の印象の想像)、やがてだいたいの不協和音の連鎖でも、その人個人の学習経験によって、その人なりに理解できるスピードが上がる、という意味です。

だから音楽をやって追及していくと、聴き方や捉え方が変わっていくため、一般人の理解できない感覚を優先して作ってしまうことがある、という例えです。

20世紀になり、一般人と芸術家の耳の進化が全く違うレベルで進んでしまったことで、現代音楽への理解が進まなくなった理由もそうした解釈スピードの違いでしょう。

しかし、人類は、偶然にも20世紀にジャズを見いだしました。音楽史上最大の発明ですよね。そこから「一般人でも楽しめる音楽を制作する文化」としてポピュラー音楽が生まれたわけです。

だからアイドル音楽を安易だ、と考えて蔑むのは意味がないことです。安易なのではなく、音楽に対する理解学習の進んでいない層が、音楽を楽しむきっかけを与えている音楽文化、なんです。言ってみればテレビみたいな入り口です。テレビで知ってそこから人生が変わる、という人だっているわけです。そこからもっと深い音楽を聴くようになる人もいるわけです。その可能性を広げているという意味で、音楽は皆兄弟です。アイドル音楽を聴いて、もし音楽そのものが面白いなぁ、と感じる人がいたなら、我々は上手に「次はこういうの聴いたらどう??」って薦めるくらいの余裕が必要、というわけです。

それが最終的には音楽業界の盛り上がりにつながるので、「音楽が好き」という人をちゃんと仕事人+芸術家へと育成できるような精神環境を芸術音楽家・講師の立場が持ってくれればいいな。。と思います。

 

後半に続く!!