参考
デュボワ和声、内容1ページ目に、こういう記述があります。
P12 発音体の自然共鳴
(以下引用)
近代和声は、ほとんどすべて発音体の自然共鳴に根ざすことに注意するのは有益であると信じる。
(引用以上)
そしてここから倍音の話になって、
このように第9倍音までを列挙してC7(9)を作ります。これが属和音である、という事は明白です。
さらに、
(以下引用)
短旋法の起源を説明するのはより困難であるが、前例のsol,si♭およびreにおいてその要素の萌芽が見られる。
(引用以上、P12)
つまり、短三和音は、このC7(9)の中に含まれているではないか、と提示します。
(以下引用)
発音体の共鳴によって与えられる和音は属音に位し、その解決が始めて(「初めて」?ブログ主注)主音の和音を発生させることに注意すべきである。
したがって、次のような結論が生じる。
1)調的見地から言えば、音階中最も重要な音度は主音でなく属音である。主音は、その結尾的性格のため、調性に音名を与えるに過ぎない。
2)属音-主音の連結が、自然より与えられた典型的連結である。
このように和声学は単に習慣によって生じた学問ではなくて、その原理と根元的組合せとは自然に基いている。
(引用以上、P12)
さあどうでしょう。この論を受け入れる、受け入れないの前に、「ああ、確かにこういう見方もできるようなあ」と思わざるを得ない状況が満載です。リディアン・クロマチック・コンセプトの触れた時、
「まあ、ivが中心と謂われれば、たしかにそれでもいいかなぁ」
程度にその理論展開を見守ったものです笑。
ここでは見守るしかないですよね。それがどうなっていくんだろうって。
そうしてその間にいろいろなことを学習し尽くした感が生まれ、いつか分からずいつのまにかその前提立った話が絶対になってしまいます。
学習期間の長さに起因する不可避的な弱い洗脳です。
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■まず最初にC7(9)を出していますよね。
このとき、b♭は近似音として、除外する場合もありますが、なぜここではどのような理由でこの音をbフラットとして列挙しているか、という理由が明確ではありません(別著で明記されているのかもしれませんが、ここではわからない、と言われても仕方ありません)。つまりその近似音を許すルールはどこにあるかを示さないと、「その第七倍音は少し近似過ぎませんか?」と突っ込まれる要因があるわけです。これは有名なヤジなのでスルーしますね。
■また、属和音である、と言っていますが、第15倍音にはbが現れます。この第9倍音まででとどめた理由は何なのか、が分かりません。
9倍音までは属9だけど、それ以上倍音を挙げるとM7も出てきますが、そこは何故無視なのか?範囲設定の根拠をはっきり示さなければなりません。
(これについては拙論では"反応領域"という考え方で、自分で範囲を設定し、その範囲で方法論を設定できる、という考え方に展開していきます。)
■自然倍音は属和音だ!と言っていますが、属和音というのは人が作った概念ですから、属和音が解決する、という事が既成の事実であってはならないと思います。それならば「このC7(9)こそ主和音であり、主和音はI7(9)であるべきだ!本書はここから始まる!!」となっていなければならない、とならないのはなぜか、です。
■それからなぜGmが現れ、これがなぜVmで、これは現行の短調の使用法とどのように関わっているのかはここでは全く触れられていません。というか触れようがないですよね、これだけの材料では。同書でも「困難」と言われスルーされています。
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困るのが生半可な知識で教えなければならなかった講師側です。
誰も理解していないんです。何で音がこうした構造を持っているのか。
教えようがないですよね。そしてこれらの理解が音楽演奏や作品にどれほどの影響があるか、を学生が知るのはずっと後になってからです。
上記の四つの■の疑問の不定調性的な発想を下記にご案内します。
生意気で毎度恐れ入ります。
■C7(9)について
倍音の出現数理において、基音が1,2,4,8,16..と現れるそれぞれの範囲を『オクターブレンジ』として段階的に区切ります。あとは方法論作成者が自由に使用範囲を選択します。不定調性論では、和音を作るための素材としてレンジ3(第八倍音までの素材)を用いて行います。これは私がの感性が決めたことで、皆さんはもっとおおざっぱでも細かくてもいいんです。個人の自由。
(第16倍音(レンジ4)まで用いると、あらゆる和音形態がほとんど作れてしまいますし、後で下方倍音を用いる際に、重複して出てきてしまう音が現れてその発生所在が分からなくなるので、和音の基礎を作る場合は第八倍音までを用います。)
またピッチクラス的な発想で、24平均律の数値を割り出して、近似的な第七倍音を"致し方なく"b♭に割り振っています。振動数をどうやって音名割り振りするか、という点を明確に示すことでその理論における音素材の割り振りが決まる、ということを示しています。
→不定調性全編解説の動画もご参照ください。
■自然倍音は属和音である、という点について
上記の通り、近似音を無理やり12音名に振り分けていることを忘れてはなりません。人為的に行っているのです。
ということはその数理の発生状況を静観し、それをどう使うか、を自分の意思で考えることから自然的な音楽的素材を再考しなければなりません。
ひとつの音は属音でも主音でもない、ただの一つの音であり、その音が別の音を指向する、という事はなく、それは人の意志によって自在に行われるべきなので、どの時代のどの理論を誰から学ぶか、をよくよく選択しなければならない、と言えます。
■Gmは短三和音の萌芽なのか
もしそうだとする、これはc音から発せられているので、
Gm構成音はcに収束するという構図ができます。しかしそんな和声進行は基礎的な学習からは出てきません。
Gm→Cという進行は一般的ではありません。
またここではC7→Fを想定しているので、Gm→Fという流れも成り立つことになります。この進行もまた慣習的な音楽方法論がV⇒Iを絶対に置いていることを考えるとどこか不自然です(IIm-I)。
そして本当であればCに対してCmが現れてきてほしいのに、なぜGmなのか、を明確にしなければなりません(これには理由があり、基音と和音構成音は別のレンジ【c,g,fの三つのレンジ】から用いる、という発想が、根音の所属する位置がずれ、このような和音命名になってしまうだけです)。
またこのGmを重視するのであれば、その序列より若いところで現れる、e,g,b♭という減三和音の存在をもっと重要視しなければならないでしょう。つまり「短三和音以上に重要なのは減三和音である」という理屈はなぜ出てこないのか、となってしまいます。
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どれも古典音楽の世界では常識とは程遠い出現音の構図です。
不定調性論は、短三和音を導き出すために上下の倍音と、各構成音を中心にする和音構築法を用います。
実音はみな平等、という発想から、三和音の構造そのものをバラバラにし、短三和音も減三和音も平等の形態である、という理解からスタートします。だから属和音もないし、主和音もありません。当然長三和音=Xu5と同列に置かれるべきXu4、Xl5、Xl4という和音と共存させることによって、
「機能和声論は上方五度領域を用いた際にできる方法論」
という"音楽表現方法の選択肢の一つ"に置かれます。
機能和声論によるただのそれを用いる派閥の集団による音楽表現の一つであるとすると、音楽そのものにおいて、何をどうするかを自分で決める、というスタートラインが生まれます。
あなたが持って生まれはぐくんできた美意識が何を良しとするか、を信頼できる講師に相談しながらどんどん独自的な音楽を生み出していっていただきたいです。
同書が名著であることは変わりがありませんし、和声学がこの記事によって揺らぐこともありません。
(参考)和声学 理論篇
テオドール・デュボワ著 平尾貴四男訳 矢代秋雄校訂・増補
1978
音楽之友社
(※譜例はブログ主が作成)