反応領域による調の概念拡張
ダイアトニックコードによる調的システムは基音Iに対してVを想定し、
I V I
というドミナントケーデンスを調性の確定進行「確調機能」として用いてきました。
これが、機能和声論が作り上げた調の流れを感じさせる印象を構築する方法論になります。この感覚は文化によって植え付けられた感覚です。
ここでVというのはIに属する音とされてきました。基音Iに対して上方倍音第三倍音にVと近似した音が現れ、この二つの音は協和し、
V I
という流れにおける和声的連鎖が、音楽の伝統的に「解決する」という印象を与えていた、とされたからです。
私達が生まれた時、すでにその理屈がそこにあり、教科書に書かれていました。そしてその方法論で書かれた音楽に親しんで、すっかりこの方法論を納得させられていました。
これはあくまで慣習だ、と分かっていても、この感覚から逃れてポピュラー音楽を作ることはできません。
では反応領域という考え方を用いて、次のイメージ図を用いながらドミナントケーデンスを考えてみましょう。

真ん中の「C」が基音cです。ここから各構成音に対して上方領域、下方領域にレンジ3までを反応させています。
この中でまず上方領域のgから派生するG∇を見てください。図でブルーに塗られた構成音です。
調という存在を「主和音の支配」と「主和音への集中」を示すものとすると、単純な調性を持つ音楽の旋律の背後には常に主和音があり、主和音はどんな和音や旋律が存在しているときもその調的システムの牽引を行っている、というイメージになります。
よってG∇→C∇という進行によるドミナントケーデンスのイメージは、G∇の背後にC∇が隠れていて、
g b d(c e g) →変化→ c e g(主和音への帰着を欲する慣習)
というような意味であることが分かります。主和音以外は全て「主和音が変化した姿」であり、さまざまな変容を遂げた末、主和音に帰着することで背後に隠れていた「調=主和音」の支配が確立されます。
主和音を中心にその構成音から派生する音を用いて、別の親和音を作り、それらを主和音を中心に連鎖させることで調的中心意識を保つ方法論が機能和声論である、と言い換えることができます。
g b d(c e g) → c e g
というのは使用可能な旋律音の集合を示しているとも言えます。そして実音以外は和音の中に表記しないため、表記上は、
g b d →c e g
であり、
G∇→C∇
というコードのみの表記で調を認識させる感覚をポピュラーミュージック学習者は身に付けていきます。
同じようにcから派生するeにおいても同様の解釈が可能です。

E∇→C∇
という進行にも、また少し異なる解決感(進行感)を感じることができないでしょうか(Cを主和音と認識することによって)。E∇→C∇という流れにおいて中心はCである、と認識すればよいだけです。
これは科学的根拠ではなく、表現者の自由な思索の展開による音楽的文法の確立です。このE∇→C∇を聴いて、「ぜんぜんC∇に解決した感じがしない」と思う人もいるでしょう。それは問題ではありません。あなた自身がどのような感覚をこの進行に持つか、をここで考えるのです。そこで感じたことが自身の動機になることで独自の音楽表現は初めて生まれるからです。
音楽理論は「音楽通論」であり、そこから個人の裁量の重要性を見つめ「独自論」を作る必要がある人もあるでしょう。

この図は、従来の調的システムを反応領域的な考え方でモデル化したものです。「主和音」という絶対的な存在が常に潜在している風景です。
これらの派生した和音(X∇やXm)はこれまで述べてきた反応領域的な考え方で主和音から生みだした和音であるとすることができます。このように主和音という存在をまずイメージし、そこから自分が生み出した和音を配置したのだ、と自分に言い聞かせることで「調性」は「主和音中心主義」であることがわかります。
すると主和音を変えれば、生み出す和音を変えれば、この中心主義は自在に変化してゆきます。あとはそれが心理的に受け入れられる技術を自分が身に付けたいかどうか、です。
コード進行に調的中心を分数表記すると、
G∇/C C∇/Cや、
E∇/C C∇/C
となるでしょう。最低音に基音がドローン(低音が単調に長く存在し続けている状態)が配置されているようなイメージです。
反応領域は、人工的な概念ですから、放っておけばその可能性は12音以上に拡散してしまいます。それこそ本来の音楽的自由なのですが、これを考えてしまうときりがないので、不定調性論では、いったんオクターブレンジという「枠組み」で段階的に考えるわけです。
C∇の各音からレンジ3で作られる周辺音は、
cの上方にC7、下方にFm6
eの上方にE7、下方にAm6
gの上方にG7、下方にCm6
です。
例えば、反応領域を利用する極端な例として、
CM7 Dm7 Em7 FM7 G7 CM7
という進行において、以下のようなl5領域の反応領域を出してみましょう。
CM7/Cl5 Dm7/Dl5 Em7/El5 FM7/Fl5 G7/Gl5 CM7/Cl5
こうなると、完全に背景は崩れてしまい、調的中心はそのコードの流れの中で阻害されてしまいます(下方領域による基音の乱立により、伝統的調性感覚が破壊される)。
しかしながら、コード連鎖の最後にトニックコードに戻ってくると、ある種の終止感があるから慣習というのは不思議です。
CM7/Cl5 |Dm7/Dl5 |G7/Gl5 |C∇
このように調という存在は、簡単に崩れ、簡単に拡大解釈でき得る存在です。
そもそも主和音なんて存在しない、としたら、もっと自由な和声進行と和声解釈ができるはずです。
C∇ |F∇ |G∇ |C∇ |
を
C∇/E♭∇ |F∇/ E♭∇ |G∇/ E♭∇ |C∇/ E♭∇ |
という世界に作りかえられる音楽が生成可能なら、調的中心は作曲者の意思の中心となります。
長三和音+短三和音
C∇の基音cに、下方のfを反応させると、f,c,e,gという集合になり、低音優先主義のみで考えてしまうと、Csus4(10)やFadd9など、いずれにせよハ長調での主和音としてはあまり用いられない和音解釈になります。
例えばFadd9を、
C∇→F∇→G∇→Fadd9
と終止和音として置くと、私たちの調的な「平均律の耳」は「終止感」を持ちづらくなります。しかしFadd9に流れる時、確かに「進行感」を感じるはずです。成り立たない、ということはないと思います。
次のような進行に独特の終止感を感じる人はいませんか?
C∇→F∇→G∇→C∇→Csus4
ある種、ふわっと浮いて終わるエンディングです。つまり終止しなくても良い、終止だけが終止ではない、と考えることができれば、また和声進行へのアプローチも変わってきます。
低音優先の機能和声論に基づけば、下方倍音はいわば、基音の乱立であり、低音部分にいくつも基音が並列され、結果として他の音と機能和声論的な不協和を生み出し、従来の調という枠を破壊します。これは以下のような構造を持っているからです。
Iに発生するIVmについてcとgの関係からみてみましょう。

cとgという二和音にはeもe♭も共鳴しますが、eとe♭を両方並立すると不協和を起こします。これは単にeとe♭が短二度の関係にあるからです。
これらを実音として混在させると、C∇とCmが合成された和音になります。
皆さんはこの和音にどんなクオリアを感じますか?
これらが実音となってしまえば、倍音がどうのということは関係がなくなります。この不可思議な和音は、C∇(#9)というコードとして用いられるでしょう。この和音は調を破壊することなく、ドミナント系の和音として使用されます。C7(#9)等がよく知られた和音でしょう。このサウンドは、ジャズはもちろんロックやファンク系の音楽でもよく使用されます。
特筆すべきはこれらの和音がそれまでの機能和声論体系を発展させたアヴェイラブルノートスケールという考え方の中で発展できたことです。この和音は現行のジャズ理論において、下方領域の原理について一切触れることなく解説ができます。
明るい和音C∇(=低音からc,e,g)、暗い和音Cm(=低音からc,e♭,g)、そして苦い和音C∇(#9) (=低音からc,e,g,e♭)、そして怖い和音Cm(10) (=低音からc,e♭,g,e)というような個人のニュアンスも与えることができます。
これは自分の意識を拡張するだけです。あとは、この和音をあなた自身がいつ使えるか、先入観にとらわれず研究するだけです。
今度は旋律的に考えてみましょう。C∇というコードの上で、Cmを弾くと、フレーズのブレを引き起こせます。

どこかで聴いたことのあるフレーズではないでしょうか?
実にブルース的ですね。
しかしこれは、ブルースフレージングの有様を反応領域の発生音を用いて真似ただけで、ブルースとは本来全く関係がありません。
現代ブルースという音楽は、旋律的表現から発展し、西欧的和声を得て、和声の協和の概念を覆してしまいました。つまりcとgという二つの音はeでもe♭でも共鳴し、それらを同時に確立すると、また別の和声感、旋律感が現れる、ということを体現してしまっていた音楽であるといえます(三度の存在感に非重要性を持たせた音楽)。
このように反応領域という可能性を常に考えておけば、協和するか、使えるかが重要ではなく、常に使用可能音素材が音楽の背景に潜在している、という考え方になります。そして現代の音楽表現においてはこうした表現がすでに確立されています。
和音はどのような構造であっても、何らかの感情的印象を作り出します。それを音楽家が見つけて、単語や文節を与え、音楽を作り出す、という表現の発明が、音楽の進化そのものといえます。
cとgの二つの音を分割する平均律音はc#,d,d#,e,f,f#という6音があるなかで、eとe♭が用いられた理由を、この上下の領域発生音からも考えることができます。四度領域には、下方にd、上方にb♭が基音cから、基音gなら上方にf、下方にaが現われます。これをさらに活用すると、
c,gの二和音が持つ可能性は、二つの基音の並立された姿として、
「長三和音」c e g(基音c) →しかしG6sus4で用いればgが中心に感じられる。
「短三和音」c e♭ g(基音g)→しかしCmで用いればcが中心に感じられる。
「長二和音」c d g(基音c) →しかしGsus4で用いればgが中心に感じられる。
「短七和音」c b♭ g(基音c) →しかしGmsus4で用いればgが中心に感じられる。
「完全四度和音」c f g(基音g) →しかしCsus4で用いればcが中心に感じられる。
「長六和音」c a g(基音g) →しかしC6で用いればcが中心に感じられる。
というような三和音の和音構築法のバリエーションを、上下の領域、オクターブレンジ3の活用と、コードシステムの慣習を併用することで気がつくことができます。
音の数理の理解によって、三和音は長三和音と短三和音だけではないのだ、ということを改めて実感できると思います。
これらの三和音には、長三和音や短三和音に引けを取らない雰囲気と個性を持っていると思いますし、作曲家や音楽家のクオリアを刺激するでしょう。