不定調性論を見つけていただきありがとうございます。
- 定義〜不定調性論*1とは...
- 不定調性の簡単な例(和声を例に)
- 「音楽的なクオリア」の話
- 不定調性論はいつ使うのか
- なぜ不定調性という言葉が必要だったか
- 音楽理論から独自論へ
- 技法と原理の全編解説(全ての関連記事へのリンク)
定義〜不定調性論*1とは...
不定調/不定調性*2
=「調性組織を前提とせず、調的感覚を自在に扱う楽想状態を指す語」
という私が用いた用語から生まれた私自身の作曲技法集/独自論です*3。
方法論の核は、音楽制作/鑑賞を感性*4と直観*5で執り行う場合において真価を発揮するよう整えた点にあります。
■自分の感覚を優先して音楽を作りたいときほど、力を発揮しやすい方法論です。
■周囲と比べることなく、自分自身の理解を深めやすくなる特性を持ちます。
■自分だけの表現を探し続ける道筋を組み立てやすくする考え方が豊富です。
私以外の人には不定調性論ではなく、「独自論(Social-Idionomia)」の必要性の方が面白いかもしれません。*6。
不定調性論は理論ではありません。
また、不定調性≠不定調性論です。
「不定調性論」はSound Jankyのスラングとして使ってください。
不定調性の簡単な例(和声を例に)
転調を伴う不定調性
Dm7 G7 DM7
という進行のDm7→G7はCメジャーキーのII、Vですから、G7の後には本来CM7、Em7、Am7に流れると調の予測が慣習的につきやすい、とされます。
一方上記のようにG7からは通例予想もしないDM7や他には例えばA♭m7等(ノンダイアトニックコード)に流れたりすると調性が和音連鎖の流れでは定まりません。こうして別の調性にどんどん展開してくような楽曲は不定調性楽曲と言えます。この場合、中心的調性が定まらずどんどん展開していく、という意味になります。
独創型の不定調性
Dm7 F#aug BmM7
のように、和声連結の根拠が一つに定まらないような進行も不定調性楽曲といえます。和声連鎖という形式はあるものの、調性的慣習に従っていません。
その他、メロディが調性判別しづらい楽曲(ラップのメロディ等も含め)や、無調的楽曲で通例の三和音に類似した和音が使用されている場合、部分的に「この楽曲のこのパートは不定調性的である」と表現しても良いでしょう。
不定調性論型不定調性
/C+w \|E h| D-q< /F#+w
といった、調性的和声すら用いておらず、「調性」という存在を前提としない音楽制作方法等で音楽を作る場合があります(既存論から見た不協和音の使用など)。私が自分の作品制作で用いているのは、この不定調性論型と独創型を混ぜて発展させたものです。
「音楽的なクオリア」の話
では実際、拙論を用いて、どうやって音を置いていくか?ですが、この問いの答えは
「直感的に音を置いていきます」
です。こういう言い方に尽きます。もう少し砕いて言うと、
テキトーに感じるままにやりたいように作る
です。これを真ん中に置く体系化された方法論自体がなかなかなかったためトライしました。この非権威で"価値のなさげ"な雰囲気ゆえに誤解を受けやすい外観ですが、誰も手をつけなかった分、非常に面白いです。
不定調性論はどのようなテキトーな音連鎖になっても、必ずその意味が解けるような様々な関係性構築のための概念や技法集を設けています。例えばピアノの全部の鍵盤を弾いたらその記号は「r0A⚫︎88」です。
だから安心して「テキトー」を発動してください。テキトーにやってもそれをあなたが「私の表現だ」というなら、不定調性論はその一つ一つに必ず関係性を構築できます。そして関係性が生まれれば作品を作品であり続けます。
しかし主観・思いつき・なんとなくの感覚自体は全て本人の経験(学習・研究・実践)から生まれています。
テキトーは本人の意識をスルーしやすいので変幻自在で創造的です。
つまりなんらかの豊富な経験や学習経験は必須で、それ無くして"テキトーでも収まる表現"は作れない、という考え方です。逆にしっかり学習し、現場を経験してきたなら、こまたり悩んだ時、覚悟を決めて考えず直感を頼りに進んでください。
困った時の最終奥義として身につけておくと窮地の助けになるでしょう。
毎日音楽と真剣に向き合ってきていないと、この「テキトー」の精度はすぐに落ちます。
作曲中に「なぜ今その音を置いたのか」「その音の意味は?」という答えや解釈も千差万別です*7。
そうやって音楽行動を進める時に、言語化しにくい個別判断の根拠となる感覚="なんとなく"のことを、拙論では「音楽的なクオリア」と呼びます。
これまでの「なんかテキトーにやったよ」という言葉を
「自分の経験が作り出した音楽的なクオリアに基づいて音楽を作った」
と翻訳できるのが不定調性論の特徴的な思想になるかと思います。
逆に論理的に音楽を作った、としても最後の判断は個人の直感的な決断で音をおかねばなりません。つまり、「俺はこうしたくはないが、理論的にはこれが正しいから仕方ない」という音の置き方をする人には不定調性論は必要ありません。
不定調性論はいつ使うのか
自分の意思で自分だけの音楽を制作するときに最も有効です。
誰かの依頼でリファレンスのある音楽を作るときは極力用いません(制作依頼者の指示を制作の動機とする必要がある→ぶっ飛んだ依頼でない限り既存方法論で対応可能な場合が多い)。
また、学校を卒業して自分一人で活動する、とか、フリーで自分の表現を追求する、趣味で自分の表現を構築する、といったセルフスタートアップ的期間も考えるより行動、といった段階で相性がいいと考えます(学生時代頑張って勉強していれば)。
なぜ不定調性という言葉が必要だったか
調性を拡張して捉える一般的概念として「多調」「複調」「汎調性」などがあります。
20世紀以降、大衆音楽の世界でビートルズやニルヴァーナのように伝統的な調性概念だけでは捉えきれない音楽が現れました。嗜好や非体系的学習による経験値の中から生まれ(つまり才能豊かな人が発動する直感的な制作)、かつ高い商品性を持っていたため広く普及しました(ラップ等に見られる旋律感も、その延長上にある)。
こうした音楽を「多調」「複調」という既存の枠組みを前提とした語だけで呼ぶのでは不十分だと感じました。
私はそれらの楽曲ニュアンスを「不定調性」と呼びました。「不定調性」は、調という概念自体が曖昧(不定)で、経験値的・直観的に作られた場合の外観を言い表すことができます(彼らの音楽の魅力すべてを不定調性で説明できるわけではない)。
音楽理論から独自論へ
音楽理論は社会の中で共有するための共通語です。
たまたま私にとっての音楽は、社会の一翼を担うためではなく、ただ自分のバランスや輪郭を保ち、存在理由を確かめるための行為でした。
そして自分が好きな音楽は少し不安定な要素を持つような音楽が好きなのです。私自身が自律神経が過敏なために、穏やかな曲は逆に不安に感じてしまい、むしろ少し殺伐とした感じの曲を聴くことで、自分の敏感さと闘うような行為で音楽をやる癖がついてしまいました。この辺がひねくれているのです。そのため、私には私自身の音楽理論と音楽作品制の道を作らざるを得ませんでした。これは社会からの離脱であり、一般的な音楽活動との訣別でもありました。
こういう自己に適した方法論=不定調性論をまとめました。
初期は理論として書き始めましたが、追求すればするほど外部翻訳不能性を感じ、内的追求に専念しました。
自分の思いを無視しない生き方...メシアンは「(自分が)偏愛する(対象)」とも表現しました。
独自論を練磨し実践を重ねながら心象と直観の目利きを目指します。
技法と原理の全編解説(全ての関連記事へのリンク)
不定調性論教材より/技法/用語/概念紹介記事目次一覧(2026)
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*1:The Tonal Indeterminacy Approach
*2:Tonal IndeterminacyまたはIndeterminate Tonality、邦語作成が先
*3:あえて専門的に言うとしたら、「自己モデル化を目的としたReflective practiceに基づく独自論哲学」です。つまり個人の内面で起きている現象を構造化し、それをツールとして扱える形にする「独自論哲学」の実践と記録です
*4:論理によらない思考や判断、分析的過程より無意識的,情報統合的な過程。-(「論理によらない」=脳の認知が表面的論理思考に追いつかないスピードで判断できるの意味、脳を使っていないのではない〜ブログ主注)-コトバンク
*5:瞬間的に対象の特質や関連性,問題の意味や重要性を認知・理解する認識の一形式。コトバンク
*6:私自身の思考体験の観察/記述/構造化行為集です。専門的には第一人称方法論-first-person methods、実践反復の省察的実践-リフレクティブ・プラクティス、自己記述である点で自己ナラティブといった単語と関わります。こうした「自己方法の省察と自己記述」にこだわる行為も芸術研究に近い自己実践研究に属します。
*7:「音認知は脳の中で作られる主観」と考え、同じ音を聞いても人は同じ心象を持たないとします。個人の人生経験の違いが心象の違いを生む(いわゆるシニフィエの違い)からです。逆転クオリアの話にもつながります。その個々人の心象の違いからさまざまな行動の違いが生まれます。