音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

<ビートルズについての参考文献>ビートルズの作曲についての言葉を集めてみました。

2019.3.23⇨2020.7.20更新

『ビートルズ カバーソングの聴き方』恩藏茂 著 / 河出書房新社

 

P11
ポール・マッカートニーは、少年時代を回想して、「あのころ、ジョン(レノン)はバディ・ホリーになったつもりで、ぼくはリトル・リチャードかエルヴィスになったつもりでいた。(後略)

→初期のビートルズに黒人と白人の音楽性が混在し、それが彼らの幅広い音楽性になって行ったのが分かりますね。

 

P13
ジョンが一歳か二歳のころ、母親は彼によくディズニー映画の歌を歌ってやった。ポールは寝そべりながら父親の弾くピアノを聴くのが楽しかった。そのときに聴いていたスタンダード・ナンバー「ララバイ・オヴ・ザ・リーヴス(木の葉の子守唄)」はいまでもポールの好きな曲だという。

→音楽のある家庭に育つ、ポテンシャルというのは無限の可能性がありそうですね。
この曲は、完全にスタンダードジャズで、イギリスの当時のトラッド・ジャズブームの中にあった一曲だと思います。
こうした音楽を自然と聴いていたポールにとって、ロックンロール以前の「つつましやかな音楽」はクラシックではなく、こうしたスタンダードジャズだったのではないでしょうか。

「木の葉の子守唄」のコードをとってみましょう。作曲はバーニス・ペトキアという人で、1932年発表の曲です。
コードの参考は、realbookからです。
Dm7 B7(#11) |E7 A7(b13) |D7su4(9) D7(9) |Gm7 Gm7/F |
Em7(b5) | A7(b13) |Dm7 FM7(9) | E7(#9) A7(b13) |

Dm7 B7(#11) |E7 A7(b13) |D7su4(9) D7(9) |Gm7 Gm7/F |
Em7(b5) | A7(b13) |Dm7 | % |

Bb7 |% |% |% |
DM7 |% |Bb7 |% |
F#m7 F7 |BbM7 A7(b13) |~ 1verceへ

これだけ見ても、ポールの子供時代にはこうしたサウンドが溢れていて、
「こんな複雑な響きはビートルズには無い」
「オレはロックがやりたい」
と少年時代のポールがいずれ思うようになったとしても、バックグラウンドには常にそれがあって、音楽の原風景にこうしたサウンドがあったとしたら、ビートルズで複雑なジャズ的響きを簡素化した「ビートル進行」が生まれても何ら不思議ではない、という構図ができますね。


ここにジョージ・マーティンが現れ、ビートルズが反抗していたクラシックの要素と、作曲編曲の知識を導入して、あの奇跡的なビートルズサウンドが出来上がった、と本書では書かれています。

たしかにジョージ・マーティン無くして、ビートルズのサウンドは生まれなかったでしょう。まさに奇跡の出会い!ですね。バンドを育成する人って大事!

 

第二章「ビートルズを形作ったもの」より

P40
ビートルズにおけるアイルランドの血統は、たとえば「ノーウェジアン・ウッド」に使われた古いヨーロッパの教会旋法であるミクソリディアン旋法(アイルランドでは現在でも一般的な<ソラシドレミファソ>の音階)などに見ることができる。だが、よりたしかなのは、ケルトの古い音階がアメリカにわたってヒルビリーを生み、カントリー&ウエスタンに姿を変え、さらに黒人のリズム&ブルースと融合してロックンロールに変化し、ケルトの遠い子孫であるジョン、ポール、ジョージ、リンゴ少年の心を揺さぶったことである。

P43
音楽的環境に最も恵まれていたのはポールである。父ジム・マッカートニーをはじめ、マッカートニー一家はミュージック・ファミリーだった。祖父のジョーはブラス・バンドでベースを弾き、(中略)弟のジャックがトロンボーン、いとこもバンドのメンバーだった。
 父親の影響でポールもトランペットを吹き始めたが、独学でピアノをマスターしたジムは、ポールにピアノを覚えるようにすすめた。彼が息子達によく弾いて聴かせた曲の中で、ポールのお気に入りは、(中略)ポール・ホワイトマンの「スタンブリング」やジョージ・ガーシュインの「ステアウェイ・トウ・パラダイス」だった。(中略)こうした曲が自分の音楽的ルーツだと語り、「ぼくは伝統的なミュージックホールの世界に浸って大きくなった」と回想しているポールは、16才ですでにミュージックホール的(アメリカ風にいえばボードウィル的)なナンバー、「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」を書いている。

→以後ポールのカバー曲になる「Till there was you」をカバーしていたペギー・リーのレコードを紹介したのはポールのいとこのベティだそうです。

 

P49
ポールとジョージは、一緒に「暴力教室」を観に行っている。映画館で初めて「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を聴いたポールは、「感動のあまり背中がゾクゾクしてしまった、それでただテーマ曲を聴くためだけに、また観に行った」(後略)

→初めて接したロックンロールのサウンドに遺伝子が反応してしまったんですね。

 

P50
ビートルズのメンバーのなかでもロックンロールのイメージが最も強いジョンだけが、ビル・ヘイリーに大した関心を示さなかったことになる。ビル・ヘイリーが”大人”の側にいることに、ジョンは本能的に気づいていたのかもしれない。

→ジョンの独特な感性が感じられます。ジョンは野太いロックなように見えて、もっと繊細な感性が優勢のような感じがします。ビル・ヘイリーとは先の「暴力教室」のテーマを歌った人物です。

そしてエルヴィスが登場し、「ロック」が目に見える社会現象になった、と同書は書いています。

そしてバディ・ホリーの登場です。
ビートルズという名も、ホリーのバンド「ザ・クリケッツ(こおろぎ)」から生まれた、というぐらい根深い所でビートルズに影響を及ぼしています。

P56
(前略;ポールの言葉)ジョンと僕が曲を作り始めたのは、バディ・ホリーの影響だった。”すごい!この人はミュージシャンなのに曲も書いてるぞ”って興奮したんだ。

→当時は珍しかったんですね。オリジナルを書く人が。

 

P56同続き
バディのような"ミュージシャン"のいちばんの魅力は、自分で曲を書いて、しかもそれがスリー・コードだというところなんだ。自分で曲を書こうとしている人間にとって、それは素晴らしいことだった。だって、僕らはコードを四つか五つくらいしか知らなかったんだから。(MOJO THE BEATLEMANIA SPECIAL EDICION)

 

P58
(前略;ジョンの言葉)
僕らに歌と演奏が同時にできることを初めて教えてくれたのはバディ・ホリーだった。それもただ適当にかき鳴らすだけじゃなくて、ちゃんとリフも弾いてね。

→ここから様々なエピソードが紹介されていますが、少年時代、レコードを持っている、という友人宅に行っては、曲を聴き、パーティでレコードが大量に持ち込まれると、みんなが酔っぱらっているうちにレコードを持って来ちゃう、というような話をみると、音楽が本当に数少ない娯楽だったのだな、と気が付きます。現代ではあまり考えられません。

それからチャック・ベリーの登場です。それまでのロックの中身の無い歌詞作りに対して、チャックが見せた社会派的な歌詞や「ゴー、ジョニー、ゴー、ゴー」とギター少年がステージでギター一本持った瞬間ヒーローになれる、というストーリーを描いた「ジョニー・B・グッド」の少年達の心を揺さぶる歌詞の世界に少年ビートルズがひかれていくわけです。

そしてハンブルグの荒っぽい酒場の客の怒号にまけまいと、作り上げたドラムのバスドラを連打するヘヴィーなビートが生まれ、彼らの音楽的ルーツと、ヘヴィーサウンドがここで融合し、確立されます。

やがて多くのロックミュージシャンが事故や戦争などで業界を去ると、軽い健全な(?)ポップスが流行し始めます。またロック音楽への良識についてはエルヴィスの時代から問われていました。
そうしたなかそんな軽い音楽がチャートをにぎわせていたいたころ、ビートルズが誕生します。

白人のバンドで、黒人的要素を持ち、あの往年のロックを思わせるビートサウンド、深い内容を持つ歌詞、そして彼らの若さ、そしてジョージ・マーティンの音楽知識が化学反応を起こし、ビートル旋風が吹きます。

まさに奇跡の融合がここまで連発すると、もうお手上げです。

 

第三章です。

P80には、このブログで取り上げた数々のジャズスタンダードの曲をEMIオーディションで演奏するよう薦めたのが、マネージャーのブラインアン・エプスタインである、と書かれています。


ビートルズがEMIオーディションに落ちたのは、この無難すぎる選曲によって、新鮮味の無いバンドに映ってしまったのではないか?ということも書かれています。

デモ音源って本当に吟味して出さないと、それで全てが決まってしまう、ということですね。

 

ビートルズもこれで諦めていたら、それで終わりでした。
そのなかでもジョージ・マーティンが、彼らのオリジナルに目をつけ、へたくそな演奏の中に「何かしら捨てがたい魅力を感じた」ということです。このとき大きな歯車が、少しずつ動き出していたんでしょうね。

 

P84(ジョージ・マーティンの言葉)
ビートルズの演奏は、「粗削りですぐに使えるような代物ではない。だが、彼らには何かがある、音楽以外の何かがあった。(・・・・)彼らは不思議な要素ーカリスマ性をもっていたのだ」。
問題は、彼らに合う楽曲を探すことだ、とマーティンは考えた。
オリジナル曲についても「彼らの曲作りの能力では、先行き売れる見込みはまったくなかった」と判断した。

→本当に恐い話ですよね。これでやめていたら終わりだったんですから。
奇跡か偶然か、つまり私達は、あるべくしてあったポピュラー音楽を聴いているのではなく、たまたまマーティンの目に留まった、得体の知れないカリスマを持った若者が、その後生み出した偶然のポップミュージックに、「これぞ音楽だ!」という思い込みをしているのではないでしょうか?


ポール・マッカートニーは若かりし頃、友人宅で聴いた黒人コーラスユニット"コースターズ”のレコードを聴いて「砂金を掘り当てた」と思ったそうです。
これはプロデューサーが云う言葉ですよね。世間でそれほど認知されていないが、「このバンドは凄い!」と思える感覚、それをポール達は自らに当てはめてビートルズをセルフプロデュースしていきました。

「ジョン・レノン・・・こいつはいける!」
それがビートルズの成功を生み、「ポップスというのはこういう音楽を云うんだ」ということを自分で作ってしまったわけです。

同時にビートルズの曲を分析する、というのは、「ただビートルズというバンドの曲を分析する」というだけで、それがポップ音楽の真なる分析である、とは全然云えない、ということになります。

====

レノン&マッカートニーというコンビも、同時期に活躍していた作曲コンビのコンセプトからとったようです。

P92(ジョンの70年のインタビューより)
「ポールとぼくはまず、イギリスのゴフィン&キングになりたかったんだ。古い話だけど。彼らは当時すばらしい曲を書いていたからね。」

→このソングライターチームの曲を、ビートルズはデビューアルバムでカバーしています。
「チェインズ」がそれですが、ほかにも三曲カバーしているそうです。
ゴフィン&キングは、白人向けのポップスも黒人向けの曲も書いたそうです。

彼らのカバー曲の作曲者名を見てみてください。たいてい----&----というチームになっていませんか?
ヒット曲を量産できるのは、チームで書いて、その形式で曲を発表することだ!
そんなふうに当時の彼らも思ったのかもしれませんね。現代海外でコーライトで作曲するやり方が盛んになるのもわかります。

結果として誕生したレノン&マッカートニーは、一方が書いた曲でも連名になっている、という不思議は、そうした彼らの憧れから来ているようです。

 

こうして黒人スタイルの曲をポップにヘヴィに演奏できるバンド、というイメージが固まり、いよいよデビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」のレコーディングになります。

このアルバムは、サージェントペパーズと同様、コンセプトアルバムだった、という表現が印象的な第四章。

その他第三章では、ビートルズがカバーしたアーティスト、同時代のストーンズ、クラプトンなどの状況も合わせて精彩に書かれていますので、原著をご参考下さい。
ストーンズもクラプトンもかすむようなビートルズの勢い、どんな勢いだったのか、想像がつきますね。その大人陣の期待が、メンバー以上にヒートアップし、ビートル旋風を引き起こしていたのではないか?そんな気もしてきます。

 

P108からざらっとポイントを書いていきます。

■「プリーズプリーズミー」は当時のビートルズのライブをそのまま再現した「コンセプトアルバム」だった。ポールの「ワンツースリーフォー!」のはじまりや、あの奇跡の一発録音「ツイストアンドシャウト」までの流れは、彼らのライブそのものだ、というのです。
ひょっとすると「コンセプト」でアルバムを作る、というスタイルがこの頃から彼らのスタイルだったのかもしれません。それが”サージェントペパーズ”でついに結実したのであり、いきなりSGTでコンセプトという形式を持ちだしたバンドではなかった、という推測も出来ます。
オリジナル8曲/カバー6曲というパターンは二枚目のアルバムでも引き継がれます。
オリジナルがこれだけ入っている段階で当時は冒険だったし、画期的でした。売れるかどうかもわからない新人の曲を8曲も入れたらつまらないアルバムになる、というのが常識だったからですね。

 

■あのオーディション音源で無難すぎた選曲を一掃し、オリジナル曲と黒人ナンバーでまとめたサウンドが功を奏した。

 

■P114
アシスタント・エンジニアのリチャード・ランガムは「思わず跳びばねたくなった。驚異的な演奏だった。」と語り、このセッションの担当ではなかったがたまたまコントロール・ルームで聴いていた同僚のクリス・ニールは、「ジョンは上半身裸になって、あのものすごいボーカルを録ったんだ。翌朝ノーマン・スミスと僕は、スタジオのコピールームをまわってみんなにテープを聴かせながら『すごいだろう!』って言って歩いたよ。」(マーク・ルウィソーン『ビートルズ/レコーディング・セッション』シンコーミュージック刊)

→パフォーマンスはもちろんですが、こうした大人達の期待と反響が、おそらく営業活動や、口コミに反響を及ぼした、と感じました。「あいつがすごいっていうんだから、すごいのかも。」と思うのが人の性です。こうしたこともビートルズにとって小さな奇跡であり、幸運だったのではないでしょうか。

■二枚目のアルバムは、カバー曲へのアレンジが定評になり、結果としてビートルズに幅広い音楽性を決定づけました。このころボブ・ディランに会った彼らは、歌詞への重要性をさらに決定的なものにします。

■ハードデイズナイトは、さらに全曲オリジナルというこれまた画期的な戦略にでます。こうした戦略的な売り込みも、ビートルズというバンドの話題性を持ち上げた要素になっていたと思います。

■ハードデイズ~ジョンの陰鬱とした、個人的吐露のような歌詞が現れ、これがHELPという曲の歌詞の伏線になっていったかも、とのこと。

■そして多忙を極めてまたカバー曲を入れたフォーセールで、イエスタデイが生まれる。
ポールも最初は難色を示したストリングスアレンジは、批評家がまじめにビートルズを取り上げるようになり、定評が付き、スタンダード好きなポールが、ついに自ら永遠のスタンダードを生み出した瞬間だった、とも書かれています。

■A Hard Days Nightの冒頭のコードについては詳しく触れられていませんが、コードの話題として、このブログの観点を取り上げておきましょう。

https://www.gizmodo.jp/2011/12/post_9763.html

これを和音で考えると、
ハリソンコードが低音からG-C-F-A-C-GとポールのD、ジョンのD,G,A
ですから、
この曲はGメジャーキーですから、Gでみれば、G7sus4(9)、ポールのDをベースと見れば、Dm7(11)となります。

結果そっくりな音を出そうと思ったら、ギター2本、ベース1本が必要、となります。

で、これをギター1本でやる時は、
六弦から、

3-0-0-0-1-3


か、もしくは

3-3-0-0-1-1

か、もしくは


3-3-3-2-3-3


などから自分がしっくり来るコードを選んで使って頂くと良いと思います。

このコードの出てくる部分は、弱起の部分で、曲中ではD7に当たりますから、D7sus4が意味合い的には近いです。しかしFが入っていますのでD7(#9)みたいになってしまうので、本当は、
Dm7(11)と書く必要があり、そうなると変です。GのキーにDmはありません。


ビートルコードと解釈しても良いのですが、それだったらGミクソリディアンと考え、G7という主和音を考え、その主和音を最初に打ち鳴らし、それをsus4化した、と捉えるのが自然です。

 

するとG7sus4(9)がここで表記すべきコードネーム、となります。

 

これはG-C-D-F-Aで、G-C-F-A-D-Gとほぼ四度堆積の和音になり、Gsus4+Dsus4という二段コードにもなります。三度がない分だけ何だか良く分からないコードの響きになっています。

 

しかしAメロのコードがG |G |F |と流れるのでGミクソリディアンをしっかり体現していて、そのモードをそのものを暗示したコードにもなっています。
ジョンの歌い出しは、B,C,Bですから(It's Been a)の部分。ここにB音がきていますので、この冒頭の小節はGミクソリディアンになります。

そうなるとこの一小節めは「ミクソリディアンの曲だよ!」って提言しているようなサウンドになっていますから、曲の中のコード進行と絶妙にマッチし、活き活きとしているのではないでしょうか?

 

それがまた「このカッコいいサウンド、何のコードだ?」という疑問になっていったのかもしれませんね。

 

だからこのG7sus4(9)は「A Hard Days Night」全体のモードの質感を凝縮させたコードであり、この当時のビートルズモードサウンドを凝縮したコードである、とも言えるのではないでしょうか?

 

なお、「マッカートニー321(ディズニープラスで観ることができます)」というドキュメンタリーではポール本人が冒頭の和音は映画の最初の和音だから広がりが出るようにジョージ・マーティンが加工してコードを広げたという発言がされています。

どのような電気的処理かについては述べられていませんが、メンバーも把握していないノリで作られていったということが言えます。

 

 

”ジョージ・マーティンが四人に与えたもの”

P146
たとえば、ビートルズ初期の最高傑作「シー・ラブズ・ユー」のコーラス部分、”イエー、イエー、イエー”に、ジョージ・ハリソンのアイデアで入れられたエンディングにおける六度の和音を、マーティンは「グレン・ミラーのようで、古くさい」と評したが、ビートルズはそれを押し通した。ポールは言う。
「彼(マーティン)は、そういうふうによく決まりごとを言うんだよ。”3度は重複させちゃいけない”とか”6度で終わるのは古い。7度はもっと古くさい”とか。でもぼくらはおかまいなしだった。(・・・)”僕らはこれが好きなんだ。ブルージーじゃないか”って。彼のいわゆる専門家としての決断を僕らの無知でどんどん踏みつぶしてしまう。それがよかったんだよ。」

→これだけ読むと、なんだかマーティンが堅物のようにも思えますが、同書では、マーティンがコメディ番組の音楽を担当したり、ピーター・セラーズのナンセンスコメディのレコードの音楽などを担当して、常に新しい表現を模索していたのも確かで、そうしたアイデアがビートルズとスパークした、という記述も見られます。

ジョージ・マーティンはビートルズのパロディバンドも作っているそうです。


Peter Sellers: A Hard Day's Night


レコーディングのプロであること、ビートルズメンバーにないクラシック音楽の知識、
この二つがジグソーパズルのピースのように当てはまっている、という記述もあり、納得!ですね。

 

P156
マーティンは、バディ・ホリー&クリケッツ、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズのように、誰かをリーダーに仕立て、”ポール・マッカートニー&ザ・ビートルズ”もしくは、”ジョン・レノン&ザ・ビートルズ”という編成にし、他の三人をバッキング・グループにするつもりだった。当時としては、それがごく当然のスタイルだったからである。

→”ポール・マッカートニー&ザ・ビートルズ”!すごくしっくりきませんね。マーティンがこれを選択していたら、きっと今のビートルズは無かった、という著者の言う通りかもしれません。
でもこれはそれだけジョンとポールのキャラクターが立っていた、ということで、結果的に前代未聞の「グループとして売り出す」という決断になったのだと思います。
これも凄い話ですね。

 

P157(「Love me doのジョンとポールのハーモニーを聴いたマーティンの話」)
「そのとき突然、私は思い当たった。私が聴いているのはグループなのだ。私は彼らをグループとして受け入れ、グループとして作り上げていくべきなのだ、と。この独特のハーモニー、ユニークな音のブレンド---これがセールス・ポイントだ。デモのラッカー盤を聴いたときにぼんやりと感じていた”何か”とは、これのことだったのだ。」

→このようなサウンドがそれまでに存在しないことを、ジョージ・マーティンは確信したんですね。「カリスマ」と思ったものは、「グループとしての存在力」だったんですね。こういう曖昧な気づきって大切にしたいです。違和感は絶対ヒントです。

ビートルズのコーラスがやたらと厚めに入ってくるのも、マーティンの最初の衝撃から展開されたコンセプトなのでは?とも思います。

あんまり綺麗じゃないからコーラスは減らそう、というプロデューサーだったらその音楽は主張を半減させていたことでしょう。マーティンには衝撃だった、だからあのビートルズハーモニーが生まれた、と言えます。

 

P158
EMIの会議では、ビートルズを聴いた管理職たちが「新手のスパイク・ミリガンか」と笑い転げたというが、マーティンには決意と自信があった。

→スパイク・ミリガンとはイギリスの伝説のコメディアン俳優のことです。


Spike Milligan - Irish Astronauts

ビートルズが中途半端なコメディバンドのサウンドに聴こえたのでしょうか。彼らの独特のハーモニーが斬新すぎて、ヘタクソに聴こえたのかもしれません。

いずれにせよ、ここから運命共同体としてのビートルズ+ジョージ・マーティンの仕事が始まり、優れたエンジニア陣との実験がスタートします。

これまでに無いものを作る、というのは大変難しい作業だと思います。
なにせ、これまでに無いのですから。


でも、それを作り上げるヒントがここに書かれているように思います。
追求し、考え抜く、という所の結果生まれる得体の知れない結論を受け入れる瞬間、がそのときなのかもしれません。

 

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真実のビートルズサウンド / 川瀬泰雄 著

2008年刊行の著書です。

P59
ハードデイズナイトのイントロコードをここでは、六弦から、
1-0-0-0-1-3
F-A-D-G-C-G
で紹介されています。
これも弾いてみると、そんなふうに聴こえますね。
ふしぎなものです。

先の参考図書部分で紹介した押さえ方、とはどれとも違うコードなのも興味を引きますね。このコードフォームも加えましょうか。

 

P60-61
(IF I Fellのイントロのコードについて)
(以下引用)
曲のキーDとは何の関係もないコード(Ebm)が使われているのだ。Dのキーなのにこんなコードで始まる曲は聴いたこともないし、そもそもこのコードで始めるなんてあり得ないほど唐突だ。(中略)音楽理論を知ってからは受け入れるも何も「なんて不思議なコード進行だろう」と呆然とするだけだ。

→こういう反応が現在の常識だと思います。このIF I Fellの冒頭の進行は、「不定調性進行」なんです。ただそういう言われ方がまだ一般的ではないというだけです。

結局「本来使わないコードを使うことの衝撃」「あり得ない進行の神懸かりさ」というものが先行し、さらに「音楽理論を知らない四人」というようなイメージが当然ありますから、「だからこそ生み出せたコード」というのが神秘的です。
実際多くの研究家が言及していることですから(本人達もそんな発言が多い)、間違いないのでしょうが、この曲を学校で取り上げるのはとても大変です。

https://www.terrax.site/entry/2018/01/12/133757

 

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「ビートルズ作曲法」リットーミュージック 高山博著
曲数は少ないのですが、いわゆる機能和声を用いて論じなければならないフィールドで、これだけの理論展開が図れるという意味では、説得力のある参考文献だと思います。

同書6ページに書かれていますが、当時ビートルズに作風は、プロフェッショナルからみたら
"奇妙な素人細工"
と言われていたわけですが、これがなぜ、今日ポピュラーミュージックの大きな潮流を作っていったのか、ということが今もこれからも大変重要です。

 

で、それは未だ何となくしか解明されていませんし、個々人がこうだ!と言っているレベルに留まっています。
これについては記事の最後に述べましょう。

 

同書でも、独自の概念がでてきます。その最たるものが「逆ブルーノート」についての著者の見解ではないでしょうか?

 

不定調性にも通常のブルーノート以外のブルーノートを「レッドノート」と言っています。この二つは全く違うものですが、どちらも個人が作った方法論であることには違いありません。

で、読み手にとって難しいのは、
「逆ブルーノート」や「レッドノート」の考え方を自分の音楽性に置き換えられるか?
だと思うのです。ただその方法論を見て「オレは違うと思う」とか「しっくりこない」でとどめていては、それは映画の感想を言っているようなもので、何の意味もありません。気に入らなかったら自分で映画を作るしかないからです。

ビートルズは、理論や伝統に囚われず、自己の考えややり方を追求していいんだぞ!ということを声高に叫び続けました。

だから次世代の若者にとって魅力的だったんじゃないでしょうか。

 

 

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『ビートルズ語録』マイルズ著 
吉成信幸 訳
シンコーミュージック 2002年

P72
ポール;
はじめての曲が"マイ・リトル・ガール"。~
16の時に"ホエン・アイム・シックスティーフォー"を作った。~
曲を書くのでギターをはじめたわけだ。
ピアノでも作ってみた。もう両方ごちゃまぜだよ。今でもギターとピアノの両刀使いだ。そのとき近くにある楽器で作曲するんだ。
"イエスタディ"は曲が先だった。
ほんとうにいつもやり方が違う。公式を持ちたくないんだ。そのつど、自然にアイディアがわくようにね。

 

P74
ジョン;
理論とは、評論家や聴衆のためにある。経験とは、アーティストや理論づけをしない聴衆のためにある。あたりまえのことさ。ぼくには批評など存在しない。ひどい曲を作ったと言われようが、すごい曲を作ったと言われようが、それはぼくが着ている服が好きか嫌いか言われているのと、おんなじことだ。

 

P75
ジョン;
おたがいの関係がうまくいった時に、いわゆるビートルズ・ミュージックが生まれる。

 

P78
ジョン;
ぼくの曲は楽譜になったらおしまいさ。楽譜だけたよりに演奏したら、とんでもないことになってしまう。メイジャーではなく、マイナー・ノーツをいつも歌っているんだ。その方がブルースっぽいと思うからね。だけど楽譜じゃブルースを表せない。(中略)譜面だけで演奏しているバンドは、すべてデタラメさ。書けない音楽があるのさ。すべてを表わせる新しい記譜法が考えられない限りそうなんだ。発明されても、きっとどこかが狂っているだろうけど...。

 

P82
"ナット・ア・セカンド・タイム"
ジョン:2枚目のアルバムのために書いた曲だ。ウイリアム・マンがタイムズに取り上げた。彼は半音ずつキイをずらすやり方とかイオリアン・スケールの進行とか書いたあとで最後にマーラーの"大地の歌"に似てるって書いてたぜ。実際はほかのコードとおなじような単なるコードさ。ぼくらについてそのようなことを書いたのはあれが最初だった。

→いろいろチクチク来ると思います笑。こうしたことをこれまでの音楽学習は"丁重に無視"してきました。ゆえにロックから学べることに対してスルーする事が習慣となってしまいました。

でも現代は"不定調性論的思考"があります。個人が"それが好きだ"と思うことを追求してやってみてよい、という方法論です。そしてそれはバッハもモーツァルトもビートルズもラップミュージックもサンプリングも偶然性の音楽もみなそのスタンスが必ずどこかにあって、その部分だけ無視されてきたわけです。それが伝統的音楽の理論的価値観と相反していると、信じ込んでいたせいです。

 

あなたがふっと良いメロディが浮かんだ時、それは理論ではないです。

友人が死ぬ間際に残した作品の中の音楽理論的なミスが啓示的であった時、彼に親しかったあなたはきっと「良い」と思うはずです。人間だからです。理屈を越えた、感覚を覚えるからです。まだ科学的に解明されていない「脳」の作用がそこに起動するからです。

もし静寂を「素晴らしい」と感じたら、それはあなたの感性だと思います。それも聴覚で感じたものであり、音楽と同じであると思います。

娯楽としての音楽がつまらない、と感じる人は静寂を音楽と感じていないのかもしれません。 音楽がつまらなくなったら心臓の音も雑音に聞こえるが、音楽が面白い時は心臓の音に命を感じる、ようは見方。そんな気もします。

 

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