ビートルズの不定調性コード進行研究
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ビートルコードができるまでを探る〜The Silver Beatles 2
ベサメ・ムーチョ - Besame Mucho
ポールの当時のお気に入りの楽曲だったとのことです。
Besame Mucho by The Beatles 1962 Decca Records audition
コンスエロ・ベラスケスという女性ピアニストの作品なんですね。1940年。
情熱的な進行と、独特の哀愁が、広く音楽ファンを捉えて止みません。
でビートルズのアレンジは、というと、かんぜんロカビリー(笑)。
でもかっこいい流れを持っています。
Gm |% |Cm Cm(#5) |Cm6 Cm(#5) |
Cm CmM7 |Cm7 D7 |Gm |Gm |
Gm |% |Cm |Cm |
Gm |Eb7 D7 |Gm |% |
Cm |% |Gm |% |
D |D |Gm |Gm |
Cm |Cm |Gm |Gm |
A |A |D |D |
クリシェの感じやII7であるA7が印象的ですね。アレンジはロカビリーですが、コーラスが美しく、コースターズのようなコーラスユニットの色合いが感じられます。
コーラスユニット+バディ・ホリーのアレンジ、バンドスタイルがこうやって確立されていったのかもしれません。
当然こうしたサウンドが、ビートルズの面々には頭の片隅にいつもあったでしょうから、II7やクリシェを難なく用いていても不思議ではない、ということが分かります。
ポールはドキュメンタリー「マッカートニー321」で、"(ライブハウスで)何時間も演奏するから、同じでは飽きてしまうんだ。だから工夫して新しいものにしていった"、と言う発言をしています。前のバンドと曲がかぶってもアレンジまでかぶらないように、ジャズをジャズっぽくやるのに飽きて、ロックをロックっぽくやるのに飽きないように、彼らの工夫が始まり、そこにビートルズとしての音楽性の主張や持久力、アイディアや瞬発力が生まれたのは間違いありません。
そうして「自分たちで曲を書けば、かぶることはないし、自分たちしか演奏できない」と言う発想が生まれます。ポールは「神の啓示ではなく、必要に迫られてオリジナル曲を書くようになった」と同じドキュメンタリーで述べています。
アラビアの酋長 - Sheik Of Araby
ジョージのボーカルによるこれまたハイセンスな歌ですね。
Db |Edim7 |Ebm7 |% |
Ebm7 |Ab7 |Db |% |
Db |Edim7 |Ebm7 |% |
Ebm7 |Ab7 |F |% |
Bb7 |% Eb7 |% |
Ebm7 |Ab7 |Bbm |Ab7 |
エンディング
Ebm7 |Ab7 |Bbm |Bb7 |
Ebm7 |Ab7 |Bbm |Bb7 |
面白い曲調ですよね。
ディミニッシュコードやセカンダリードミナントコードがふんだんに入っています。
もしこの年代からこうしたコードへの発見や、「コードっていうのはこう使うもんだ」というのが彼らの中にあったとしたら、ビートルズの楽曲が生まれるのも時間の問題だったのでしょう。
この曲では、I-I#dim7-IIm7の流れ!があります。音楽理論的に完璧なパッシングディミニッシュです。パッシングディミニッシュって適当に音楽やってて思いつくコンセプトじゃないんですよね。これは勉強しないと身につかないコードです。
またエンディングではBbm7=平行短調のVIm7を一旦VI7にしてアクセントをつけて繰り返しています。ドミナントコードにしているんですよね。細かいと言うか、確実と言うか、進行感にこだわっていたのでしょうか。
彼らが参考にしたアレンジがこうなっていたのでしょうか?
いずれにせよやっていることはジャズの手口です。
ここでもII7=Eb7への展開が出て来ていることから、もうかれらにとってのII7への展開はこの段階で既に体に染み込んでいたのかもしれません。
II7はポールの得意のコードであり、ここから調性外メジャーコード連鎖への進化の萌芽が見られます。