音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

第1感 「最初の2秒」が正しい;読書感想文

マルコム・グラッドウェルの著書の紹介です。

 

「直感」について触れておきたいと思います。

 

一気に結論に辿り着く脳の働きを「適応性無意識」と呼びます。

(注「適応性無意識(Adaptive unconscious)」はDaniel Wegnerの造語)

音楽でいえば、ぱっと出来たメロディ、ふっと浮かんできたメロディ、制作中何となく選んだプラグイン、なんとなくそうした展開、そういったそれまでの活動経験から生まれる直感的な回答は、その後熟考して得られる結論と同様に、またはそれ以上に実は適切である、ということを指摘しているのが同書のポイントです。

 

同書の中では、様々な事例が書かれていますが、音楽に関わりのある人にとって一番興味深いのは、その緊張についての話と、最後のエピローグの話です。

仕切り越しのオーディション

と題されたエピローグで、人の先入観と、物事のあいまいさについて述べています。

まず、あるイタリアで活躍するトロンボーン奏者がミュンヘン・フィルハーモニーのオーディションを受けた時の話から始まります。33人の応募があり、選考委員に見えないように仕切りを設けてその向こうで演奏して公平さを競う、というやり方でのオーディションでした。演奏者のキャリアなどで演奏に審査員の先入観が入らないようにするためです。

 

オーディションが終わり審査員だけになると、音楽監督である男は、その演奏を聞いたとき「ほしいのはこの演奏者だ!」と叫びました。

しかし その後その人物を見た音楽監督は「どういうことだ!まったく!勘弁してくれ!」と叫びました。

それは合格した人物が、女性だったからでした。

 

「女性がトロンボーンを吹けるわけがない」

「トロンボーンは男性的な楽器だ」

こういう先入観が音楽監督を襲ったことでしょう。彼女は見事次の2回のオーディションも合格し、その地位を得ましたが、1年後第二トロンボーンに降格になります。そして裁判を起こし、様々な屈辱的な経験を経て彼女は8年後第一トロンボーンに復帰します。

いかにクラシック音楽を私たちは「目で判断している要素が大きいか」ということが分かります。

よく見る広告でも、容姿麗しい女性ピアニストや、華やかな女性四人の弦楽四重奏の写真を見ます。

マーケティング上、お客さんもそうした目で音楽を見ている、見せようとしている、という点でお客さんの程度もそのように見積もられている、ということになります。

 

 

勇壮なベートーヴェンの楽曲を演奏するオーケストラの団員がもし八割女性であるとしたら、さすがにイメージがおかしい、とかいう人もおられるかもしれません。女子十二楽坊、というわけでもない限り、男性と女性は半分程度になるのが確率上自然です。

 

こう書かれています。

「仕切りがあったからこそ、彼女はミュンヘン・フィルにふさわしい力があると認められたのだ」仕切りがなければ、演奏を始める前に不合格になっていただろう、というわけです。

 

この場合、無意識の瞬時の判断が物事の正確な判断を狂わせる、ということについて述べられています。同書の表題とは真逆の事を述べています。そして筆者は添えます。

「だが実は(無意識の瞬時の判断)は制御できる。」

そのために同書は本編の中で様々なトレーニング事例を述べます。特に緊張感の克服についてはヒントをもらったので次に記事にしていきます。

次の話も面白いです。

「メトロポリタン美術館では秘書や学芸員に頼んで、購入を考えている作品を意外な場所に飾ってもらった。たとえばコートをかけるクローゼットの中。ドアを開けるとそこに作品がある。その作品に好印象を持つこともあれば、それまで気づかなかった欠点がふいに見えることもある。」

 

筆者がひげを伸ばしたら、やたらスピード違反で捕まるようになった、職務質問をされるようになった、という話も実際問題、世の中、というのはそうした「鍛えられていない、無意識の瞬時の判断」によって出来上がっているのだな、と感じさせられます。

 

もちろん優れた経験と勘を備えた警察官は、そうした先入観の先にある感覚を研ぎ澄ますトレーニングの大切さを知っているのでしょう。

 

では音楽の世界ではどうなのか、ということでたまたま今月号の「DigiRECO 9月号」の中に、楽曲コンペについて書かれていて、その中でプロデューサーは、

応募された作品は全部聴いている、正直言えばかなり大変な作業、

最初は作家名を見ずに、先入観を持たないように作品だけを聴く、

ということが書かれています。

 

結果的により良い作品、というのはやはりそうした厳しい目があって選ばれていくべきですから、あとは応募する側の精神面ですよね。

「どうせ自分の作品なんてちゃんと聞かれていないはずだ」

なんて思ってしまうのは、落ちた時の言い訳として巧みに無意識に用意されてしまうものとも言えます。

 

無意識の直観力は、意識していないぶん怖い存在です。

だからこそ、どうやってこの直観力を磨くか、ということについて考えることが創作者は必要なのでしょう。

また、そうした厄介な存在だからこそ論理的に、安易にヤマカンに頼ることを覚える前に、考えることが直感を身につける前に教育現場で与えられるのでしょう。

これは「だから論理的思考が何より優先する」という意味でないことは明らかです。

論理と非論理の間の領域に膨大な可能性があることを感じながらその大海を自分の船と航路と技術で渡っていく必要があるのでしょう。