困惑する速さで、急に秋の気配がやってきました。
秋の匂いに応えた曲です。
今回はとりとめもなく、クオリアを追って自然に作りました。
動画後半ではDAW画面で音の確認もできます。
いくつか語らせてください。
5:26
①
なんか音階があるようですが、特にないです。一音一音流れを聞いて作っています。本来はそういうやり方で音楽は作るべきなのでしょうが、現代は音が多く、納期も短く、こういうやり方で作っていたら音楽はできません。ただ個人の作品はこういう風に作りたいだけです。スタンプのような印象の押印感はないと思います。その代わり抽象性が増してしまうので今回は叙情性をつくるために低音ラインもあります。これがあることで印象を牽引してもらえます。
③
この和音はG#mトライアドをイメージしてます。G#madd9omit3みたいですね。
これも和音から作っていないので中途半端です。でもこの響きは暗すぎずしつこすぎず好きです。
②
でこの部分でG#mへ流れるD#7omit5が弾かれているんです。この前のフレーズが①で調が曖昧で、この部分も名前がつかないコードになっています。A△とAmを足したような。だからこのD#7omit5も浮いています。ちゃんと次のドミナントコードなのに。
機能和音はちゃんと機能するところに置かなければ機能しません。でもどこへ置けばいいか、など誰も教えてくれません。この部分も思考錯誤してV7を込めておいてみたら、なかなか持って不可思議な秋の切なさを生んでくれたので、そのまま採用しました。機能しないVですね。
5:56ごろ。旋律ではなく流れを作っているところ。三つの平行線が意識されています。
他の部分でもいくつか出てきます。他の曲でも使っています。
音楽を時間で捉えず、幾何学でとらえている自分が時々ポッと多重人格のように現れるために急にやりたくなります。この"ある想い(人格?)の想起"は理屈ではなく、急に襲ってくるので、そういうことを音楽理論や形式論で考えようとすると、それはストレスで仕方がないのです。
そんな自分のために拙論があります。
6:11
この和音は4、5回聞かないと意味がわからない和音です。何回か聞くと耳に馴染んで、意味が生まれてくる音があります(そういう曲ってありますよね)。
そういうのも音楽理論ではまだ示せていません。
だから音を個人の心象をベースに類別していくと、少なくとも個人の中では、系統立てて理解し、またそれを表現に用いることができるので、そうしたツールとして不定調性論があります。
「1回聞いてもうまく混じらないが数回聞くと混じってくれる旋律を作る音楽理論」
もきっとあるのでしょうけど。私には面倒です。
6:21
このg#はこの高さでこの強さ以外にはこのくぐもった不安と煙りはでない!!
みたいなことがDAWではできます。
この曲は手で弾くことが難しいフレーズも出てきますが、こうしたDAWならではの(自分にとって)完璧なタイミング、強弱が作り出せるので、DAWでの現代音楽制作には可能性を感じます。
6:47
不定調性論的思考ならではの「崩れの和音」です。
不安、とか、漠然とした焦り、を表現するのに最適です(自分には)。
一般理論では「不協和」で片付けられるか、いちいち論理で説明する必要があり面倒なので、不定調性論で考える、というスタンスを持っています。
だからこうした表現を心象的に処理できる人は一般理論とは別に不定調性論的な心象論を持つと、便利ですよ?というのはいつも言っていることですね。
ラスト
最後もドミナントモーションを作っているのですが、最後の和音は四度和音で、
G#M7(9,13)ですね。それがM7thのg音を土台に作られています。
こういう和音も一般曲では使いづらいです。曲全体にある程度不協和がないとこうした和音は目立ちすぎます。まるで頼りないもみじの葉を立てたような和音のボリューム。
もみじの葉を
ひっくり返すと、どこか力強くて、しっかりしてしまいます。秋ではありません。春です。
今回は秋の曲ですから、低音優先な音楽理論に反した響きでなければ。。。。
なんてこじつけてもちゃんと方法論に収まるように不定調性論的思考があるわけですが。
音楽を聴く、というより、聴覚を少し休ませて、その周りでぐたっとしている感性に浴びせるようにして感じていただければ幸いです。
そんなこんなで今年も秋の曲ができてよかったです。