音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

制作メモ;(読者さん関連企画)青緑の澄性〜ネガティブハーモニー的書法の展開の一例とし

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直接のご依頼というよりも、無理やり写真ください!曲作ります!ってお願いして作らせていただいています。記事にしていただいたので公開、ということでリンクを貼らせていただきます。

山口さん、この度は制作逆依頼に、快く協力いただき、また出口王仁三郎の耀わんという"本物"を題材にしていただき、感無量です。こういう作品が作れるように年甲斐もなく精進してまいります。ありがとうございました。

 

三つの領域の均衡

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ぱっと見、深い宇宙の漆黒と命豊かな草原がお互いを侵食しようとしているようにも見え、逆に融和しようとしているようにも見えます。

じっと写真の中に溶け込むような音楽ができました。

同時にこの色合いが発している音とメッセージを代弁するつもりで作りました。

「融和と対立があることを認めよ....」

戦争と平和がある中でどう生きるか、を、争いを憂えず、平和にボケず、諦めず追求せよ、と読みました。一冊の本と同等なことを一瞬で教えてくれます。

その代わり拙論で言うところの「音楽的なクオリア」が必要です。

自分の力でイメージして、それを想像できる力です。これがなければ視界が「情報」になりません。

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今回は低音と高音にそれぞれのようわんの色合い(藍色と緑色)を呼応させ、二つが混ざりあう中音域に「人(心、意図)の気配(黄色)」として配置してみました。

高音も低音も澄んでいますが、低音はちょっと暴れれば濁り、高音はちょっと強く打ち過ぎれば突き刺すように耳に攻撃を加えてきます。

人間の曲=機能和声曲は、それをコントロールできますが、自然はそうはいきません。

低音は予期せず濁り、高音は時々、痛みを伴う音になります(今作は鑑賞の上で耳に問題ないように処理してあります)。

 ようは、濁っても、澄んでも、どちらも受け入れられるかは、受け取る人次第です。

宇宙と草原と人間の三つ。同時にあるさま。

平和なんだけど「相手が襲ってくるのではないか」という疑心暗鬼が消えることはありません。それで何事もなく過ぎ去ることで結果的に「平和」と定義されているだけです。そういうのはなんという状態ですか?やっぱり「均衡」ですよね。平和ではなくて均衡。平和だとボケるけど、均衡を保つための修練は必要。

 

線対称・点対称

メロディは、明るくならず、暗くもならず、無調的にもならないよう配慮しました。

冷たい"無調の曲"ではなく、柔らかい"澄調の曲"にしたいと思いました。

これを純粋不定調性、とカッコつけて呼んでもいいでしょう。

中音域は人の心ですが、どうしても憂いを呼んでしまいます。

でもそれを低音と高音が大きな力で掻き消して、浄化してくれます。自然なくしては人の憂いも存在しない、ということを思い知ります。

前半

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後半

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今回は前半と後半がなんとなく線対称、点対称が混じったようなフォルムになっています。

ようわんを円と見立てるなら、一方から巡ったものは一巡して戻ってきます。でも同じ道を辿りません。自然だからずっと同じところには止まりません。円であり渦を描いて時空を進んでいくからです。

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そして最初と最後の音は同じです。テンポ感が違うだけです。

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 上がって下がっていく音の形は、ようわんの温度、です。

お茶が入ったとかではなくて笑、人肌とか、陽光とか、あらゆるものを感じて、自然は勝手に温まり、容赦無く冷めていく。義理で温めたりしない。無下に冷たくなったりもしない。摂理としてイメージした温度の揺らぎです。

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写像書法からの展開

これらのフレーズの対称を作るとき、今回、以下のようなトランスポーズを一箇所使いました。

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以前ネガティブハーモニーの応用として、動画を作った時に思いついた方法です。

www.terrax.site

ネガティブハーモニーは下記の対応になります。

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DAWではオクターブが変わってくるので、厳密にその対応に従うわけではなく、オクターブは適宜コンセプトに合わせて作曲者が音楽的なクオリアを駆使して変えていきます。私個人はこのように、ネガティブハーモニー的な写像書法は個人の意思で展開できることで自分の今の意思を生み出すと感じています。今回はそれを実践してみました。

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特にこの二つのフレーズは見事に写像できて、インスピレーションもぴったりでした。

あとはこちらでオクターブの位置をかえ、ニュアンスの感じから、出音の順番も少し変えました。この加減は音楽的クオリアが行うことです。

ネガティブハーモニー的な自動写像は、個人がどのくらい意思を持って操作するかまでを含めて考えないといけないのではないか、と感じます。いくら石油が吹き出してもそれをただ眺めていては、それは価値を産みません。

 

その前の部分もネガティブハーモニー写像なのですが、ここはインスピレーションが浮かんで、だいぶ配置を変えてしまいました。後半の高音部が揃った状態が前半低音部でも同様にあったのですが、どうもこの低音の羅列は違うな、と感じ呼応するように変えていくフレーズを作りました。結果として音高も違う旋律になりました。

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いつこういった処理をするか、をネガティブハーモニーだけではうまく捉えられません。そのフレーズを写像した後に、どう感じるかを発動できる音楽表現感覚を日頃から鍛えておかなければならない訳で、結局私自身は自分のやり方での写像(インスピレーションを得るための数学的な対称)として今回ピンときたので行いました。

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この辺は入れ替えによって対称性を作っています。

この時も、入れ替えたあと、音楽的なクオリアがニュアンスを違えるようであれば、音を変化させます。タイミングやヴェロシティも変えないとおかしくなる時があります。

そういうのをセオリーからではなく、自分の感性で感じて作業できれば自在性は増すと思います。

学習期は「こうしたほうがいい」「ここはこうするべきだ」という指導者の意見を聞き、実際にそういうアドバイスの方が優れている時があるので「自己を見失い」ます。

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まとめ

今回自分が考えたことなど、このようわんの作者も十二分に知っていただろうし、他の芸術家にとっても初歩的な話であることは分かっています。

今回、自作に取り組むにあたり、こういった初歩芸術的な価値観をしっかり取り入れて提示したいな、と思い、基本に戻って作りました(基本しかないけど)。

 

聴く作品ではなく、このようわんのある風景に静かにひっそり存在していてほしい"音現象"です。静かな部屋でようわんと対峙して眺めながら音を流してみてください。

良い意味で食欲がなくなります笑。

まるで仏前に置かれたお菓子が美味しそうに見えなくなるように。

なんか別の欲望が湧きますよね。何欲なんだろう。

 

このように自曲解説をする習慣が社会にないので、どうも痛痒い感じがしますが、本来、こうした曲こそ、自分で解説(プレゼンテーション)しないとその構造を理解するのに他者の時間を奪います(イメージを与えれば、人は想像できる)。一方で、こういう構造と意図で作ったが、あとはあなたの分析でやってもらったらいい、という風に不定調性論は言えるので、自曲解説も気楽です。

 

私自身この制作自体がまだまだ修行です。

もう一作、同様な作品を頼まれています。

飽きるぐらい作って、次のステップに自分が進めるように頑張ります。

よろしくおねがいいたします!