セロニアス・モンクの不定調性進行分析
Ruby, My Dear / Thelonious Monk
この曲もコードが上がっていく曲です。
Thelonious Monk - Ruby, My Dear - YouTube
ちょっと見てみましょう。
Fm7(9) Bb7(b9) |EbM7 |Gm7 C7(b9)|FM7 |
Bbm7 Eb7(b9) |AbM7 |
Bbm7 AM7(9) |Bm7(11) Bb7(b5) :|
A6 |Bm7 E7(b9) |AM7 |Bb6 Bdim |
Cm7(9) | Cm7 Dm7|EbM7 |Ab7(b5) Eb7 |
Fm7(9) Bb7(b9) |EbM7 |Gm7 C7(b9)|FM7 |
Bbm7 Eb7(b9) |AbM7 |
Bbm7 AM7(9) |Bm7(11) Bb7(b5) :|
この人のサウンドには後に「カラートーン」と言われる音が混ざることがあります。
CM7にb7を加えたり、Cm7にb5が入ったりして、コードトーンの半音下の音が、絶妙な音量で混ざってきます。ブルーノートを加えている、という説も専門校時代の講師から聞いたことがあります。
「意識混濁」のような効果ですね。
それがどの程度意味を成すかは別として、モンクカラーを出していることは間違いありません。
これは"ミストーン"が表現する音楽的に混濁した精神性をモンクは活用しているのではないか、と思うほどです。ミストーンの独特の緊張と、挫折と、焦燥が美しい音楽が美しいのと同様な効果があるのではないか、と感じるほどです。
決してモンク先生がミスしてる、って言っているんではないですよ笑。
優れたピアニストは、自分がミストーンを出した時に感じた情感を覚えていて、それが変に癖になるような人は、そのミストーンがくすぐるのと同じ感覚をもっと洗練された形で出してみたいと、思うのではないか、という発想です。
これがアウトサウドフレーズの快感を生んでいくんでしょうけどね。
映画のカーチェイスのシーンで、いきなり横からトラックや人が飛び出してそれをよけるスリルのような光景が浮かびます。それはスリルです。だからそれは「ミス」ではなく「出来事」なんです。
人生にも、緊張、挫折、焦燥がつきものです。
それを表現するのは、このカラートーンだ、という発想ですね。
こうした発想がフリージャズや、フリーインプロヴィゼーションの精神的境地につながっているとしても不思議ではありません。
II-Vの方は素直に使用されています。
Gm7-C7-FM7からのBbm7-Eb7-AbM7が奇麗です。
これは最初のFM7でのFメジャーキーが、がらりとBbm7でFマイナーキーになっているんですね。
そしてBbm7-AM7(9)も奇麗です。
Bm7(11)-Bb7(b5)ではEの音がトップで残ります。
しずくがゆっくりと天井からたれてくるような瞬間です。
そしてその次のCm7--Dm7がドラマチックです。
これは、Im7--IIm7--IIIbM7という進行感をここで用いているだけですが、前後のつながりのクオリアが最高です。これ、本当にいつものDm7?て思いたくなるコードですね。
低音でたたいたDが好きだなぁ、と。
II-Vをただつなげるのではなく、次のコードにはどこに行けば良いか、自動的にならずじっくり考えて探してみる、という行為が大切なんだと、改めて思います。
例)
CM7-Dbm7(13)-F#m7(b5)-G7(b9,b13)-CM7
これはトップノートが Bから半音下がってくる例です。センターコードがCM7ですが、途中調が分からなくなります。それでもトップが半音ずつ下降することで、「調とは異なる秩序」が生まれています。
聴き手に翻訳の楽しみを強いる音楽ですね。
鑑賞するだけではなく、クリエイトする人向けの音楽であると感じます。