音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

制作メモ:...crept,...slept〜夐謐の蒼 / 不定調なソロ・ピアノ

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少し前に作った作品です。

 

少し前のご依頼はピアノ曲の子守唄でした。

今回は、それを自分用にしました。

 

聞き心地の良い音域がちょうど最低音g、でも微妙に高く感じたので、417Hzの調律にしました(pianoteqで設定できる一番低い調律)。

かつ、いくつかあった調律を聞き比べて、今回はピタゴラス音律?的なものにしました。

辻褄合わせで不協和なところはあるのですが、平均律の音よりなんかざわざわしないような気がしたのです。

ja.wikipedia.org

 

今回は、フェルトの音が優しいpianoteqを使って...。

 



417だと本当はg#なんですが、それだと黒鍵ばかりになるでしょ。そこで無理して白鍵中心にできるgで。

音楽自体はこういう感じで、眠りのスポットに落ちて行きます。

ボリュームも小さくなります。

 

テンポも落ちます。

だいたい成人の通常時の心拍数から、睡眠時の心拍数まで落ちます。

参考にした論文はチャチャっと探せるものを参考にさせていただきました。

https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/textiles/db/seeds/descente11_25_kitaura.pdf

「一日総心拍数の得点化 (心臓活動指数)」

その四拍分が一つの和音になっています。でも概算です。あまり呼吸を合わせられても困りますし、同期現象が起きても眠れません。その辺は、ファンファーレ作る時にもそれなりに調べました笑。あんまりお客さんが手拍子しやすいリズムにしてしまうと、会場が異様な雰囲気になり、お馬さんが興奮してレースに事故が起きる確率を増やさないようにするためです。

動物好きなせいか、レースより無事に終わることを優先したファンファーレです。

この曲の場合にはあまりにテンポと拍がかっちりしすぎると呼吸が緊張してしまうのではないかと感じたゆえのゆらぎです。

 

この曲も和音とテンポとずれていく流れに気を取られないように、ゆったりとリズムに丸め込まれるように、的なイメージです。

かつモノフォニックの設定にして、三台ピアノを使って、左右と真ん中に振って重ねました。いろんな設定でやってみましたが、この曲はこれがしっくりきました。

 

頭の中は関連性がない情報を思い浮かべると眠くなりやすいのだとか。

Cognitive shuffle - Wikipedia

土台はしっかりG△がありながら、上の方は崩れる砂のように不定調に揺れて溶けていきます。

<聴き方?>

それぞれの和音が流れている時、それぞれの和音に異なる風景を描いてみてください。

なんとなくでいいです。川面、野原、夕暮れ、夜空、ぼんやりとした風景、ぼんやりとした思い出。一つの風景を違った角度から見てもOKです。関連付けなくていいです。ただの色合いとか、模様だけ、になってもOKです。

あとはなすがままにイメージのままに。

脳が自由に思考するように自分を解放してください。

ゅっと掴んでるブレーキを離してください。

足首の力を抜いて、脇腹を緩めてください。

腰で支えている内臓が全部ベッドに沈んで溶けていくようなイメージです。

なんやかんや忙しくやってる人はベッドに寝ても全然力が抜けていません。

そして 子供の頃からすっきりとした睡眠の方法も学んだことがないと思います。

生き方だけを教わり、休み方を学んでいないのです。

そんな感じで、ぼんやり聞いてください。

まだ起きているのに頭の中は夢を見ているような感じがしてきます。

聴き終わってまだ眠くなくても、さぁ今からココイチでカレー食べに行こう!!とは思わないはずです笑。

 

ご依頼してくださった方も、まず自分の平安を中心に生きる方でした。

情報過多で頭が沸騰している時代、寝るほんの少し前の時間は頭を空っぽにするようにして眠ると、朝もすっきり目覚めます。

または夜中の2時に起きても、3日間ぐらい寝たような気分で起きるはずです。

 

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こちらに元データを置いておくので、データ量の大きいクリアなデータをお使いください。自由にダウンロードしてご利用ください。

 

猫守り歌かどうかはわかりません。たまたまこの曲の編集中よく近くで寝ていたので。

 

gが低音なのだから、不定調じゃないだろ、g調だろ、と云うかと思います。

この曲の場合、寝ている時に聞こえるのは、音楽だけではなく夜の音とか心臓の鼓動(呼吸と体内の音)です。

心臓は0.05Hz以下から100Hzぐらいの周波数成分が鳴っています。

解釈としてa=417Hzならば、26.625Hz〜104.25Hzの中に2オクターブの音階が入ることになります。当然個人差があり、どの成分が低音に来るかわかりません、

心臓の音がベース音であるならば、低音は変化します。低音が変われば根音が変わり、基音も変わり、調解釈も不確定、となります。ゆえに不定調です。耳鳴りとか、エアコンの音とかある人は、それも受け入れた方がいいかも、意思をもって音楽と区別しないで。

楽なのは、空っぽがいいんだと思います。

期待や希望や幸福感とかも感じない方が楽でしょう。

感情を感じることは体を機能させている証拠です。

生きていることに意味を感じないことを自然に思える体感を、寝る前に思い出すと上手に寝れると思います。

 

寝れる時は、1分以上聞いていられませんが、2回流しても寝れない時は、身体に寝る気がないのだと諦め、ブログの編集とかをするようにしています笑

 

おかげさまでミー君も元気です。イケメンハチワレ。

...zzz^ ̳ᴗ ̫ ᴗ ̳^...

 

制作メモ;『みるくてぃ』〜『ハピハピ』

活動休止前のオリジナル作品として光栄にもまた編曲を担当させていただきました。

両曲またMVまで作っていただいて、とても良い記念作品になりました。

ありがとうございました。

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みるくてぃ

歌詞を読ませていただき、色々な葛藤の曲なのかな、とか深く考えたんですが、ご本人も感覚でお作りになるので、こちらも最後は感覚で作りました。

イントロのフレーズはシンセとギターの二つのラインが混じっています。どっちが主線でも良いんですが、二つ混ぜてもそういうフレーズに聞こえますし、単発でも意味を持ちます。うまく混ざっているように見えて、独立していたり、それぞれ独立しているように見えて、依存しあっていたり。そういう関係性の象徴的なものです。

小さいシンセノイズがずーっとところどころ入ってるんです。

でもデジタルノイズだと思われてはいけないんで微妙にフレーズになっています。よーく聞くと聞こえてくるノイズ。

喧嘩するとどうでもいいちっちゃいノイズがやたら大きく聞こえるんですよね、ずっと最初からあったものなのに。今健全な人間関係を作っている人には聞こえません笑。

曲の最後に「鈴梛」時代に最初にご依頼いただいたオリジナル曲のイントロのフレーズがゆっくりめで入って曲が締められています。全てはあの曲から始まりました。youtubeでアップされているファンの方の動画もあるようです。探してみてください。

最初ぼんやりとアイディアとしてあって、昔のデータ引っ張ってきて並べてみたら『みるくてぃ』とキーが一緒だったので、迷わず採用。

終わりを締める者は初まりの者。

ネックレスとか、首に巻いて円にして閉じて初めて輝く、的な意味で。

 

ハピハピ

これが最後の曲に思えますが、これは始まりの曲です。次の人生はもうこの曲から始まっているんだと感じました。

だからお花と春と入学式とか、門出とかそういうイメージ+ちゃらんぽらんな音、というもはや作る前から破綻した(笑)リファレンスで楽しく作り始めました。

なんだかんだ100トラックくらい音並べてます。これまで使ってきた効果音とか、使っていない最近の効果音とか、いろんな要素を混ぜこぜしたらそういう感じになりました。

おもちゃ箱をひっくりかえしたら歌と世界がひろがって続いていった、的に勝手に思っていたのですが、MVでオコジョがハピハピな世界線を歩いて、花に水をやっているのを見て泣いた笑。そういえば「みるくてぃ」もなんか葛藤が頭の中でぐるぐる回っていたのでMVが色々回ってて感心してしまいました。私はMV制作には全く0タッチですが、なんか共有していたんでしょう。そういう気とは一切話し合ってもいないのに。まあチームというのはそういうものです。

 

「呼ばれて振り向いた時の顔がオコジョに似てると言われた」のだそうです。

オコジョって。似てるっていう時に例える動物がなかなかレアですね。

ホールズワース神とかも生前「虫みたいな人」とか言われててなんでしたね。

オコジョはかわいいからいいですね。

 

活動期間本当にお疲れ様でした!

また次のハピハピに向かって進んでいただきたいです。

Youtubeカバーとかはまだまだ依頼いただいてますので、全然終わった感ないのですが引き続き頑張って作ってまいります、よろしくお願いします!!

 

カバー曲とかも結構な曲数になりました。

自分の20代と比べると本当に尊敬しかありません。
就職等したら、いつまで動画残していただけるのかわかりませんがYoutubeチャンネルで公開していただいております。

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aisawarinna.thebase.in

 

制作メモ;躁炎〜ソロピアノ作品

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涼しくなってきて曲を作る時間を取ることができました。

自分的には秋のピアノ曲です。

 

今回は不定調性の基本に立ち返って。

まず下記を聞いてください。

これは何のコードタイプだかわかりますか?

次はいかがでしょう。

最初の和音がCです。

後の和音が高いところにCが乗ったAメジャートライアドです。

高いところに音が乗ると、不協和度が薄れます。高い音が聞こえにくくなったり、音色が耳の中でさまざまな干渉作用を起こすせいで響き感に変化が出るためでしょう。

正確なことはわかりませんし、絶対音感がある方には関係のない話かもしれません。

楽器によっても違うでしょう。

このように高音部に配置された不協和音は、十分な不協和度の印象を与える前に、音楽の流れで許諾されてしまう場合があります。

 

こんな変な和音も下のCが強いから、なんか厳しいC7のtensionコードにしか聞こえません。

そんなことわかっているとは思いますが、この手の技法自体をメインに使うことはないと思います。

自分の場合はそうした効果自体がメインなので、こうした和音を時折ちょこっと使うことでいつもの普通感を消し去ってくれる感じが好きです。

時には何とも言えない緊張感や葛藤を作り出してくれます。

 

 

 

もう一つトピックを。

まずこれを聞いてください。

Dm7 G7 CM7です。

理想的なケーデンスですが、実際の楽曲ではこんなふうにそのまんま使われることはありません。

 

こんなふうに少し崩します。これだけでも調性は曖昧になります。

G7で何らかの複合的なスケールやプローチが使われていると考えてみてください。

これでも結局CM7に結びつけば、不安定→安定が成り立ちケーデンスは成立します。

 

意図的にこの感覚を肥大させて用いると、

これをコード表記すると、Dm7 G7 Gです。ビートルズのHelp!終止ですね。

最後にはGadd9をいかにも余韻があります的に使っているので、ミスディレクションを補強します。違和感も数回聞くうちに慣れてしまいます。

自分が"音楽である"と認識できるフォルムをその旋律が持っていれば持っているほど、それは表現に変態してしまいます。現代音楽もそこに挑戦していると思います。

 

このような認識や、美的価値観には個人差があります。

社会においても、こうした(姑息?反流義的?)やり方を積極的に教えることはしません(主題が多すぎてそれを教える時間がない)。

また、こうした補足技法によって社会で生きて行くような人間形成を時間を作って行うことが推奨される、とも思いません。

 

ただ自分は認めなくはなかったのですが、こうした表現によって音楽がみせる表情の不思議さにすごく魅力を感じてしまい、往生して受け入れてしまいました。

結果どうしてもこうした表現が主体になってくるので、それについては存分に自作品で追求しよう、と思っているだけです。まぁ犯罪を犯すよりはマシか、程度に思ってやってください。

 

今回は上記の二つの技法がメインになって、色々な展開をしています。

 

また

こうしたミニクラスターも「ゴボッとした響感」が好きになって以来使っています。本曲でも数箇所使っています。

過密配置和音はどこか、葛藤、言葉にならない声、得も言われぬ感、文字通り?得も言われぬエモ、を感じてしまうのです。

個性の探求なんて、自分のような一般人がやっても1円の得にもならないのですが、これも坐禅を組んでる時間と思うと、活力になるというか、リセットできる、というか、まみれた自分のマイナスをゼロに戻す効果はあるのではないでしょうか。

大体自分が今表現したい作品はこの作品くらいで網羅できました。

また何か作りたい作品が出てくるまでネタを練りたいです。

 

 

制作メモ;こいのぼり〜ピアノアレンジ作品

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今年の五月の連休はなんとなく猫と過ごしながらニャコニャコ遊んだりしてモフモフ過ごしました。まだ蝉も虫もほとんど鳴かない、五月の新緑の静けさがいいなと思い、作りました。

 

今回はピアノがペダルを踏みっぱなしです。ずっと音はいつまでも響いている、というイメージです。おかげで見づらいですね笑。

画質が悪くて音がよく見えない時は、

ここの設定画面でいい画質を選んでください。

 

そもそも音は途切れだり終わったりしているのでしょうか。

音符に関わらず、人に聞こえる聞こえないに関わらず、音はずっとそこにあって永遠に鳴り響いているのでは、、静けさという音の海はずっと満たされているのでは。

 

この美しいメロディを、いかにも子供が歌いやすい簡易なアレンジで歌う、歌わせる童謡合唱という文化はあくまで文化の継承の役割において行われているであり、本来はもっと表現範囲の広い芸術であると思います。

 

日本の童謡の旋律には、霊的で、静けさを感じます。

日本の音楽に限らず、民俗の音楽は、土地に溶け込み魂を揺さぶる要素を感じます。

 

今回はペダルを踏みっぱなしなので音の被りによる響きの不協和、不意図な響きに空間がならないように流れの中で響く感じの丁度良さを調節しながら作りました。

 

例えば上図、丸Aの音のあと丸Bの音がなりますが、これは完全四度なので、いわゆるよく響くのですが、二つの音のタイミング、音の強さを間違うと「なんかウザい完全四度の協和感」が私は気に入りません。

いかにも四度で響いているから、おまえら全員了承すべきだ、という機能和声音楽文化が相変わらずにもたらす同調圧力が気に入りません(そう教育されて受け入れた自分の責任だが)。

またそのあと丸Cの音がなると、三音が響く結果となり、他の音も背景で薄くなっていますから、いかにも不協和な空間になり、工夫しないとなんともダラダラ音をよだれのようにたれながす感じで聞くに耐えません。

今回はこうした被りの音のタイミング、強さ、響き感において、音を区切らずともちょうど良い響きで鳴るように聞きながら作ってきました。一定的なリズムの流れを持たない私の作品ならそれができます。所詮はただ自分が好むかんじ、というだけでなんの正統性もないのですが。

 

鳴った音ではなく、音が止まった時、各々の役目を終えた音たちが重なり合って残響がキラキラと光る様子を聞いていただければそれが今回の意図です。

 

音を区切ればいい、というのは西欧的です。庭の植物を見栄えがいいように四角とか丸に切ればいい、というような感覚です。植物の立場を思うと妙な痛々しさを感じます。

西洋庭園には支配と力の象徴のような脅迫感を感じます。

 

そうではなく、鳴り響いてしまうことを受け入れ、それがお互い邪魔にならないように作ることはできないのでしょうか。

もし変な響きなる時は、次の音を遅らせる、前の音の強さを弱くする、他の音を加える、といった行為によって自分が望むタイミングで作る音楽の周辺をコントロールするわけです。旋律以外の音は「伴奏」ではありません。それらは自然に庭に生えてくれるように配置する、石や、段差、虫たち、といってもいいです。

しかしながら、結局は支配しようとしてしまってるんですね。共存したい、と言いつつ支配しようとしてしまう。

 

 

近所の川でこいのぼりが空を泳いでいました。

風に揺られ、意志もなく泳ぐ姿はとても不思議な光景です。

同時に、人がこいのぼりに興味すら覚えなくなってしまう時代にならないといいな、

と思います。

 

でも子供はきっといつの時代も喜ぶでしょう。

多分それは不思議だからではないでしょうか。こいのぼりが風に揺れて泳ぐ意味など、何もないけれど、心はいろんな意味を求め、ぼんやりと浮かぶ答えで遊べるから。

 

そういう平和な日々が少しでも続きますように。

 

(⁠画はイメージです⁠)

 

不定調性感制作の過程と独自論の作り方

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今回の作品の冒頭部分で行った制作意向の詳細を紐解きながら、独自傾向の意義の探究と音楽制作や個性形成の難しさについてまとめたいと思います。

 

この部分です。

 

この冒頭を

ポロロロロロン

ジャジャーン

ポローン

などのどの感じで始めるかを考えながらも、よく決めないで鍵盤を押さえ打ち込み始めました。

最初はこんなふうにまとめたと思います。

この曲の原曲のキーはCメジャーだったので、低音にcを置くことだけは避けよう、と感じとりあえずdにしました。あとはメジャートライアドにならないようf#,aを避けようとしたと思います。

この音集合は、C7(13)/Dになっています。結果メジャートライアドを含みますが、響きとしての曖昧さが好きで、これはこれでこの関連性がいいな、と感じこれを採用しました。目的と過程と結果がバラバラなのですが、そこに論理は求めず作り、結果で判断します。論理的に作るよりも試行錯誤に時間がかかりますが、作らされている感じはありません。

最初のこの「メジャートライアドにしたくない」という直感はどれほど正しいのでしょうか。直感は嘘をつきます。

最終的な響きを改めて感じて選ぶ、という試行錯誤を大切にしています。

これが正しい、とかではなく、自分にはしっくりくるんです、こういう無駄な感じの流れが。だからこれを独自論だ、といっているだけで、誰かに勧めようとは思いません。

 

 

そのあとの二つの和音を、なんとなく下がってくる感じかな、と心象し、並べ、雰囲気を作っていきます。その作業で、

・くぐもった夜

・ぼんやりした黄色い月

・静かな雰囲気

・誰にも邪魔されない時間

という雰囲気を纏えるようになるといいな、と直感=不定調性論的思考、し始め、その過程で雰囲気があまりに濁ったので最初の和音の1音をずらしてディレイドさせました。

これにより

という心象連環を落とし込むことができて。

この曲の冒頭はこういうのがいいな、と感じ初めて、この雰囲気をベースに全体の制作を進めました。

 

この時、最初からこれらの和音が頭に中で鳴っていたのでも、そうしようと思って作り始めたのでもありません。

皆さんはお腹が減った時、あれを作って、こう食べて、こういう感じを得られたい、とかって細部まで感じて思って予測して料理したり、冷蔵庫から食べ物を取ったり、棚からお菓子を食べたりしますか(几帳面な方はそうするかもしれません)?

 

=====

明け方、猫が外を見ていました、そこには普段あるはずもないと思っていた位置に半分にかけた黄色い月があり、ハッとしました。その時はそれ以上は何も思わなかったのですが、朝になり、昼になり、その印象が欲望を侵食するように、昨日の月をMoon Riverで残しておきたいな、と思いはじめ、ふと制作しました。制作には延べ二日かかりました。

 

=====

個性の探求ではありません。「個性」とは誰かと比較して表現しています。

十人同じやり方をしても、結果は変わります。

その過程のどこかの思考のステップや技量の小さな差こそ独自論の思念が広がっている部分です。だから結果が人と変わります。

だから独自論は学校教育でも見つけられます。

小さな差はなぜ生まれたのか、を考えればいいだけですから。

 

こうして置いた和音が音楽理論的におかしくても響きが自分の心象に刺さってきたら、OKとしてしまえる気質がありました。

これも社会的にみれば、ただの自己の正当化です。

 

冒頭のこれについて解説します。

普通の音楽理論だけでは、この三つの和音は、

こう分析され、

「あ、アナライズできないタイプの不定調性的ですね」

「強いていうなら7thコードが短三度移行しているモダンスタイルですね」

みたいな当たり障りのない分析がされ、

「抽象的で近代音楽の劣化した模倣ですね、権威もないし、売れないですね。」

で終わるのが学術的分析の色合いでしょう。

知識があれば先人のこの曲の冒頭に似てますね、とか言えるかもですが、別に私は誰かのスタイルを模倣したいわけではないのです。

それは結局作品に社会的価値への従属を作ろうとしている分析だと思うのです。

 

独自論、という文化は全く未発達です。

自分を知り、自分に合った生き方を創造する行為です。

自分としては、直観的熟慮という発想によって「あ、これいいな!!」って思ったからその音を置いたのです。

心象連環では一時的にこのように和音を説明づけます。

翌日にはそれらの心象は変わりますが、響きは変わらないので整合性が乱れることはありません。その響きから今何を得るか?と自分のモチベーションと常にリンクできれば良いのです。

そしてこの最初のC7(13)/Dという和音は、

低音から、d,g,a,b♭,c,eという構成ですが、これもコードネームではなく、

Cu7+cの側面領域+cの下方7倍音

とか

Cu7+Dul3

と言った和声単位分解によって表記することで、機能和声的観念から離れて和音集合を扱うこともできます。この和声単位分析は、どんな音集合でも12音に振り分けて細分化、命名化できるので即興的に音を置く私には大変有用性があります。

 

また、これらの集合をどのように解析するかは、分析者の音楽性で判断すべきで、その分析を自身の音楽性に反映して各自の独自論を作れば良いことになります。

 

=====

個性とは、本来得体の知れないものです。

もしあなたが天井のシミを数えるのが一番人生で楽しいと小学生時代に知る事ができて高校生になってもその癖が変わらないのであれば、そこを起点に仕事を探す必要があります。何かを数える仕事か、仰向けになってできる仕事か、何か自分のその性癖と見合う仕事があるはずです。

 

どうしても適正年齢までに性癖と仕事が合致せず見つからなかった場合は、仕方がありません。負担にならない仕事を探してとりあえず生活を作らなければなりません。

 

また小児愛好を社会貢献に活かそうとして学校の教師となり、実際に学生への犯罪行為にのめり込んでしまう例もあります。この場合もシステムが、性癖の問題点を見ようとしないがために起きています。社会の個別性癖探求の甘さ、というか、反社会性行為を孕む性癖は犯罪ですから、早い段階で(配属翌日より)セラピーを受けながら、もっと上手な社会的範囲での発散を見つける努力を学校全体で理解して推し進める体制の不足、としか言いようがありません。

 

現状はまだまだ社会が未成熟なので仕方ありません。

社会不適合者を個人が望む形で活かせないのですから。

現状では「独自論の柔軟な理解と展開」が、未来の人材育成のための一つのヒントになるかもしれないというほのかな確信を抱きながら、今しばらくはこのやり方で音楽制作やレッスンを進めてみたいと考えております。

個人が何を求めるかを引き出し、それをどう社会の中で表現するか、にはまだまだハードルがいっぱいです。そうこうしているうちにAIが台頭してきています。

人間はどんどん不完全であること、無用であること、取るに足らないことを嘆くでしょう。でも独自論をやっていれば、それは闘える要素になります。いかに自分の不完全さを嘆かず、それを見つめて得心できるまで探求するか?です。そこと闘うことが表現の苦しみであり、そこで落ち込んでいては表現活動はできません。

鳥のように空を飛べないからと泣いていては飛行機は作れなかったからです。

そこがうまく回れば、飛行機ができても「もうやることがない」とも思いません。

AIの登場なんて人間の創造性には関係ないんです。

ちゃんと自己と日々上手に闘えていれば。

ただそれだけをやっていると本当に社会で生きられなくなるので、社会性と独自論を上手に分けて生きられるよう鍛錬できるまで育てるのが我々趣味私塾の先生の役目かもしれません。