音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

小拙作とプラグインと植樹寄附と〜不定調性作品のあみだくじ調性

 

先日のブラックフライデーではこちら買いました。凝ったプラグインですが、実はsineトーンが気に入って・・なかなかベーシックなサイン波を気軽に扱えるプラグインがなくて、ほかにもあるんでしょうが今回はこれ。

プラグイン右下にサイン入れてくれるのすごくイイですね。

去年見かけて、ブラックフライデーの時値下げされるわけじゃないんですが、この時期植樹の寄付を売り上げのついでにやってくれる粋なことをされていて、1年待って50本の植樹寄付の買い物をしました。宛先はこちら。

trees.org

このプラグイン自体が生命の樹みたいな感じです。

ちゃんと証明書も送ってくれて。。日本語の漢字がアレですがちゃんと寄付しました。

 

 

一方話変わって。満天星躑躅も色付いています。いわゆるドウダンです。

春の方が文字通り満天の星な感じですが、しっかり赤くなる秋の感じもオツです。

「躑躅」なんてなんとも異様な文字面ですね。髑髏みたい。

色々いわれがあるようなのですが、花が美しくて思わず立ち止まる、みたいな意味なのだそうで。

 

そこで満天星躑躅という文字面だけで小品を作りました。

『満天星躑躅』

 

 

不定調性をずっと作っていると、最初は和音の変化に富む方向を見出し、そのあともう少し抽象的な内声ラインに凝って、最近は微彩音でスパイスみたいな、幻覚みたいな音を加えて、二重三重の雰囲気を連鎖することに密かな自己表現を感じています。

 

これも中心がcから始まり、途中多分eになり、いつの間にか最後はb♭になります。

まあ不定調性概念を作った本人ですから、こういうのが一番自然なわけです。

 

今回は例示も一つ。下記はDm7 G7 CM7(9)的な。

こういうのは自動的に受け入れられる感性がこの国では育つと思います。

 

下記はDm7 G7 DM7的な感じを自然に繋げるために微彩音を入れ込んでいます。

 

3回聞いちゃうともう違和感なくなってしまうと思います。

あれ調性の気持ちよさってひょっとすると思い込み、だったのかな、なんて根本的なことに今更気がつきますよね。

このG7のところで低音のGを省いて、聞こえるか聞こえないかのe♭を鳴らしdに流れやすくして、上の和音には小さくA7も存在させています。

G7も鳴っているけど少し響きが澱んでいるように感じると思います。これは澱んでいるんじゃなくて、A7が同時に鳴っている(アフォーダンス)んであって、ドミナントモーションに毒された耳には、よりA7からDM7への流れを潜在的に感じやすくなっています。ドミナントモーションのアフォーダンスがない文化の人には淀んでいるとすら感じないかもしれませんが、そうした場合にはこうした仕掛けは必要ありません。

 

既存理論上は、この流れは全音上への転調のように感じますが、不定調の場合には調の決定は重要では無いので、こういう曖昧な和音の響きの違和感自体を楽しむ音楽表現になっていくわけです。

 

実際、作品のときには、ドミナントモーションという概念自体意識せずに、メロディ、内声、ベースの流れの中で、自然と流れる方向(進行感を感じて)に音楽を作っていきます。

作りながらどこに行くかわからない感じが楽しいですし、結果的に生まれる表現は不定調になり、自分が普段からいいなと思う音楽表現に勝手になってくれます。

作りながらどこに行くのかわからない感じも面白いし、出来上がった作品が自分の意図を超えて面白い作品になるのを見ていて聞いていて面白いです。

その代わり推敲に多少時間がかかりますが。

聞こえてるか聞こえていないかわからない小さな音を含む雰囲気に独特の孤独の寂寞さみたいなものを感じますし、なんとなく自分の本性にマッチしていて面白いです。

作っていて、どこに行くかわからないあみだくじみたいな流れは、悪く言えば監督不行き届きですが、植樹された木が自由に、高く無尽に枝を広げるさまを見届けるように、こちらは最低限のことだけをして自然な流れで広がっていくことが、私には音楽的な健全さというか、幾何学的な美にこだわらない日本人らしさというか、なんとも言えない得心を得るわけです。

制作メモ:秋の憬炯〜不定調性ピアノ曲


秋ですね。

ちょうど朝と夜の境目を歩ける季節です。

虚無のような碧と、黒染みた家並みを挟む橙の陽が滲んでいます。

この朝焼けにいかなる亡霊も浄化されてしまうでしょう。

朝にそびえる電信柱や鉄塔は、まるでそれぞれの人が生きていることを示す道標のようです。

朝の運動を日課にしてから、季節折々この景色に出逢います。

 

朝、お散歩してる人はいますか?

 

この三つの色+心象をピアノ曲にしていたら、久々に7分超えの作品になってしまっていたしかたなくYoutubeにて公開してみました。制作期間は四日間です。二手では多分弾けません。

youtu.be

もう少し綺麗な音源データは下記に置いておきます。ご自由にダウンロードください。

www.dropbox.com

珍しくはっきりした複調的な中間部は、二層あるいは三層の調的な色合いが混じるような心象表現になりました。

たまたま歩きながら浮かんできたフレーズがあったので曲にできました。

 

つくりながら、せっかくなので、ここ1、2年の内容を集大成して作品にしました。

それぞれの場所、リンク貼っておきます。

I.街の漆黝影

II.黎橙参拝

III.寂愴の心然

IV.臨暁

何となく四部構成になっています。I.のフレーズが頭に浮かんできたもので、II.とIV.は呼応してます。III.は即興的に作っており、不定調性的音楽的なクオリアの独壇場です。


この曲を聴いていただければ不定調性提唱者最前線がわかります。

解説は気が向いたら行うとして、11月のひんやりしてきた早暁の音、聴いてみてください。

この空で皆がつながっているので、孤独を感じる、とかはわがまま、というか自らを断絶させているのだなと感じます。

今日も安心して空の下でそれぞれの戯れを。

虹に響く〜不定調性音楽の作法

早朝に虹が出ていました。雨も降っていないのに。

日が短くなり、朝がだいぶ暗くなってきました。

起きている人もまばらな時間。

 

道ゆく人が誰もいないのに歌い続けるひとのよう。早暁の虹。

 

「不定調性音楽ってどう作るんですか」みたいなことは時々聞かれます。

 

今回も二つ小品を作りながらこの話題にトライしたいと思います。

 

不定調性を作る、というよりも、私がわがままに作った音楽が「不定調性」なだけです。この作り方以外できないのが実際。仕事で作っている音楽は、既存の概念をつなぎ合わせるだけですから私が作っているとは言えません(あまり所有感がない)。そう考えると自分の曲も、どこまで私が作っているのやら...それを自分が作りました、っていうんだから自分も傲慢だな、と思います。

 

ともかく皆さんが自然に作れて、最も心にしっくりくる音楽が、その人の音楽ジャンルなのだと思います。

 

写真を見るとまずこういうメロディが浮かんできました。

再生できない場合- 081401.mp3

こういうスケッチをマザーメロディと言い、これを聴きながらイメージを膨らませて簡単なハーモニーをつけられるところからつけたり、装飾音を入れていくうちに、ベースの流れや、局地的な内声の動きなどが見えてきます。それが文脈というやつで、個人の中に宿る文脈的間主観性です。これがしっくりこないと決まりません。できた断片を少しずつ装飾しながら、見えてくる輪郭の中にあるしっくりくる流れを感じます。

虹の写真を見ながら、1音1音添えて、生まれる心象に...

・これって曇ってる感じ...
・これはうすーい2本目の虹の匂い...
・あーこれは漂う水蒸気の感じだな...

と音と心象とを結んでいく感じです。 言葉になること自体が稀です。ほとんどは音を置いたその瞬間、瞬間の心象と写真との相性を感じながら、立ち止まらずどんどん音を置いていきます。 それ自体を方法論にしたのが不定調性論です。え?感覚でやるテキトーで日和見な行為に名前つけて意味あるの?と言われそうです。空気に「空気」って名前をつけた感じです。ほんの少しだけ意味はある、そう感じています。

 

音楽理論にうるさい人でも、作りながら結局直感やその時の気分で音を自在に置いて、たいした根拠もないのに、"これで良し"と感じる感覚でどんどん作り進んでいく時があると思います。

その時「良し」と判断する基準が拙論で繰り返し述べる「その人の音楽的なクオリア」です。

普段考えてること、その前後で悩んだこと、最近理想だと思っていること、最近起きた出来事、そうしたことがシチューのようになって無意識の湖に流れ込み、 何か創作作業をしていると、水飛沫のように意識に飛び込んでくる「想い」「心象」「信念」...etc

 

以前それを「構造源」から生まれてくる何か、みたいに表現しました。

www.terrax.site

なんだかんだ理屈を並べて、結局感覚に頼るのかとご批判されるでしょう。

音楽理論にうるさくなるのは、構造源から生まれてくるものを説明したくて論理的に考えようとするのであって、その説明や根拠付けに慣れてくると、結局頭の中に浮かんできた直感や心象を受け入れることに躊躇がなくなります。

これまでそれを言葉で説明してきた経験に慣れ、結果的に言葉で説明する必要がなくなるんです。学習段階では確かに論理的に説明することが義務になる時もありますが、最終的に、宇宙の神秘、と言うか、人の力が及ばない「直観」に惹かれるものです。それが人が知る論理的な話のさらに上段にある論理的構造だからでしょう。

 

そしてできたのがこれ。

『朝虹』

再生できない場合 - 081402.mp3 

程よく調性感自体はありますでしょ?特殊なことをしようとしているわけではなくて、やっていることは皆さんと同じです。ただ感じるままに音を置いていっただけです。

この「ただ置く」作業をしっかりできるように、普段からその直感が意味するものを考え続けたりします。

・誤った思い込み

・そっちにいきたい欲情からくる想い

・そっちにいきたくない偏見からくる想い

・カッコつけようとして背伸びした行動思想

...などの世迷い直感は、そう自分に認めることでこういう制作時の直感と向き合いやすくなります。選択眼が少しずつ鍛えられるのだと思います。そうして良い時といけない時を直観が分けてくれます。あとで「これは私の絶対的に正しい直観がこれを導いたのだ私すごい」と言ってもいいですし、「自分が作った」という権利を放棄してもいいでしょう。それらの旋律はこれまで学んだ知識が作ってくれたもので、権利は半々、と言ったところでしょう。論理的に作っても感覚的に作ってもあなたの権利は半分くらい。あとは歴史のおかげ、五感を作ってくれた母のおかげ、とか。何か人に自慢できるものが残るでしょうか。

 

また私の特徴として、自律神経が弱いので、安定した響き、心地よいケーデンスに現実味を覚えません。

いつもすこーし不安。でも結局それは慰めで、しょーもない自分への赦しでもあります。それはとても恥ずべきことですが、それを認めて自分の音楽を作りたいな、って今日まで思って不定調性論を独自論として承認欲求の代わりにブログで宣伝して満足しています。

私は調性音楽に憧れを持っています。しかし上手にできない。

平均律も大好きです。

自分のテキトーと調性音楽を合体させた自分の音楽への免状が不定調性論です。

 

さて、時間があったので次のメロディも浮かびました。

再生できない場合- 081403.mp3

これは、だいたいこうなるかな、っていう完成後のフォルムをある程度イメージしながらまとめてますね。

 

あとはおんなじように音を1音1音足していきながら修正展開装飾していくのみ。

 

『夜露の余韻』

再生できない場合- 081404.mp3

マザーメロディからイメージが変わることはザラです。

自分がイメージしやすいところからハーモニーをつけたり、合いの手をいれたり。モグラ叩きのようにポコポコアイディアが浮かんでくるところからまとめていきます。

 

音を置きながら「これは虹を表しているかな」とだけ考えます。時々、えーめっちゃVIbじゃん、とか思ったら一旦消します。手垢がつきすぎた(既存の和声の)雰囲気が、その曲に似合う時もありますが、そういうのは全体で数カ所です。

 

こうやって「個々人が独自論を持てば良い」という話になっていくのがご理解いただけると思います。

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虹の写真てあんまりピンときませんね。

実際の目で見る虹は、心に響きます。ふぁぁって鳴る。

 

実際の、リアルだけがその人の人生だとしたら、ほとんどが妄想や偽りの誇示。奇跡の一生であるけど、そんなに活きがらなくてもいいよね。逆に疲れるよ。

 

なんかそういうふうに音に嗜められるような今日の一曲でした。

不定調性アレンジの現在(拙作について)

たまにはサクッと読める記事を。自分語りするだけです。

 

こういうメロディを作ったとします。

再生できない場合mp3

なんとなく並べてできたフレーズです。

 

こちらが機能和声的アレンジです。

再生できない場合mp3

雨上がりの多摩川の川っ縁を歩いてた頃を思い出しました笑

静かな川際と騒がしい陸橋と密集したビルが遠くに見える風景に、何とも言えない空虚さを感じました。

こういう感じは、学んだそのまんまで私がどこにも入っていません。こういうのが作れるようになりたくて勉強しましたが、なんていえばいいのでしょう。飽和感とある種の息苦しさを感じるのです。現状でも少し崩れている感じが始まってますね、これ以上作り込んだらいつものような作品になっちゃうと思います。

うまく表現できないのですが、自律神経が弱いせいか、安定という状態が怖いのです。

自律神経がうまく整わない人はわかると思うのですが、独特の悪心、妙な体内の違和感を発作的に感じる人生です。音楽もいつもどこか落ち着かない感じに共感できます。機能和声音楽には現実味を感じません(バッハくらいSFになると共感だけはできます)。

 

 

現時点での不定調性アレンジではこうなります。辿り着いた自律神経失調音楽。

再生できない場合mp3

二本の手で弾けないDAW独自ピアノ曲。

元メロディを、クオリアを頼りにバラバラにして、自身にとっての自然さに近づけます。

鑑賞するためではなく、先日書いた"息吹"を感じた過程が音に記録されているだけで、まだその承認欲求行為程度です。

音楽表現まではいかない、中途半端な独り言。

街の中で変な独り言言ってるおじさんいますよね、あれです。こういうサウンドって、音楽を集中して聴かないと延々不協なんですね。つまり俺の話を聞け!っていうことが前提になっている...。ただこれが一番しっくりくるので本当に厄介です。

とにかく迷惑にならないように活動したいです。

 

お前の独自論であり一人でやっとれ、と言われることを受け入れた結果、自分のやりたいことが少しずつ整って来ました。

勉強してまいりたいです。

 

"おまえは何をポチポチやってるんだ。。。"

と、いつも横でたしなめられています。