今回はこちらの動画
ポピュラーミュージックはテトラコードを主体とした音楽と、ペンタコードを主体とした音楽がまじりあっている。
誰かと共有する商業的音楽の原初には常に個人が追及するプライベートな非商業音楽の携帯があることを思い出そう!個人の音楽に商業的価値を追加するのは社会のたくらみであり、また音楽家もそれを容認せざるを得ないのは、それによって、名声や自己肯定感、収入や表現活動の認知という金銭と合わせた報酬があるからであり、その報酬と、原初の個人的表現欲求の追及は全く異なるベクトルである場合もある。これらの関係性を良く把握したうえで、今は利益追求をすべきか、個人の表現欲求を追求すべきかを判断しないといけないのではないか。またこの商業・非商業の判断がはっきりつけられれば、芸術と商業の間の苦悩はだいぶ削らえれる。お金を頂く、ということは自分の芸術活動に別の側面が加わることを十分承知で受け取ることになるので、あとはそれを続けるか、断るか、という優柔不断さでのみ悩むことになろうかと思います。
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低音とはベースライン、
高音とはメロディライン
です。どちらが主体化、と言えば、むしろメロディではないか??
という意見があっても当然。
不定調性論では、この二極の主体を同様に考えていきます。
その考え方のベースとなるのが、五度領域の低音基音性質と、四度領域の高音基音性質の両立です。
また
でgを起点にする事でマナーペンタトニックスケールは生み出しやすい。
ペンタトニックスケールもまた恣意的な集合と考える。
それはまたコードネームもまた同様。
体験と記憶によって常識が形づくられている。それは恐怖。
音楽に迷ったら、理由はだいたいこれです。
いろんな音楽をやってみていいと思います。そのときの「楽しい」が本物かどうかをいつも探ってください。最初の商業的報酬に騙されていないかどうかを。
商業的報酬は音楽文化が作り上げた音楽家が生き残る術、ですから、それ自体は上手に活用いただきたいですが、もし億万長者だったらしないことを我慢して行っている自分のことも理解してあげましょう。
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だからもし少しでも余裕があったら、自分だけの音楽、作ってみてください。
まるで宇宙を再創造するような気持になります(おおげさ)。
四度領域の三和音集合
四度領域の主要三和音の音楽を作ることもできます。
四度領域の動進行、静進行について
自分を知った上で社会に順応するのと、自分が分からず盲目的に社会に順応するのは訳が違います。
でも自分のことなんておそらく一生分からないから、「追及するのをやめない」という姿勢しかないのかな、という理想論です。なかなか実際には折り合いがつけられなくなるものです。
むしろ人間40歳になったら、もう一回小学校に行った方がいいぐらいのレベルで人生分からなくなります。むしろ小学校時代はあの半分の学校生活で十分良くて、あとの頃は40になって仕事半分で十部暮らしていける社会にしてもらって学校行く方がよいかも、とか。思ったりします。イヤだけど笑。
下方領域にもマイナーペンタトニックは出てきますがこれをう意識的に有効にするには、先進国人は機能和声に侵されすぎです。
あなた次第ですが、「一般的」ではない、という理由で排除される事柄があります。でも判断するのは社会ではなくあなた。ここには法はないから。
教師は、受講生に特異性があった場合、それを認めてあげて、ある種の可能性までを示すのが仕事。あとはそれをどう判断するかを本人が決めないといけないよ、と教えてあげてください。そうした覚悟について考えるのは早いほうが良いと思っています。
AかBか、100人中99人がAというのだとしたら必ずそうあるべき理由がある
、、、ように見えてしまう。
あなたが最後の1名で、どちらかを選ぶとき、どれだけ99の先例を無視できるか、という覚悟です。とても難しく、人生で悩むとしたら、「なぜ自分なのか」という一点だけです。"自分は平均的で、またしかし人より優れていて、生きる意味があり、目的を追う権利があり、まさかの病気や事故なんて自分には起きない、という人生になる"と教わってきてしまったがためです。
でも実際は、あなたも私も明日死を宣告される可能性があります。
私などめっちゃ平均的に育てられたので、この覚悟の本質を未だ掌握できていません。
だからこそ99人だろうが、1億人だろうが、あなたは自分で選ぶ権利がある、ということを常に知る覚悟が必要だと思います。
なんなら両方選んだっていいし、どっちも放棄してもいいんですよ?なんなら両方選んだっていいし、どっちも放棄してもいいんですよ?
一番いいのは、
「明日あなたが死ぬなら、どっちを選ぶか」
をいつも考えるといいかもしれません。極論ですが。そっちを選ばなくても、そういう選択を常に頭のなかでしておくと自分当存在が少し見えてくるかな、と現時点では考えています。
あと、
結論が出ることはなく、
完成することはない。
という認識も必要かな、と思います。
人生で結論を色々出しているようで、実はたいしたことではなく、本当の結論
「もしその選択をしなかったら人生はどうなっていたか」
は絶対にわからないので、あなたの結論や成功もただの偶然なので、もっと軽く考えても、現状の科学技術では地球を滅ぼすぐらいで宇宙には別に何の影響もないぐらいに考えることがグローバル思考かな、と思います。
地球が無くなったら不定調性論をいくら残しても意味なんてないし、それでもこれやってるのは、いま単純に楽しいからで、これは贅沢以外の何者でもなく、そういうやつこそ死すべし、というのが競争社会の論理であることを知った上で、お前は文句を言ってるのか?といわれると、やはり自分がそれでもウンと言えるものを追求する人間なのだと感じます。
だから5年でも10年でも残したい。
宇宙に人類を送りたい!っていう科学者の大きな夢とは比較にならないぐらい小さな人生だけど、良い人生だと思っています。
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今回のテーマのこの表記には意味はありません。
音楽という存在自体は、ただの空気の振動です。
意味を与えているのはあなたです。
今年のグラミー賞受賞作品と、あなたの子が最初に覚えて家族の前で歌った歌、またはあなたが最初に作った歌。どっちがあなたにとって価値を感じますか?
価値は全部違い、あなたの思い方でいかようにも変えられます。
社会はそうさせないように巧みに「価値を決め」「結論を出させ」「完成した!」といっては、続編やより凄いものをまた平気で作ります。又は作れるようなれるのが人の凄いところだと思います。
どんなに人生の謎を解いていこうともあるのはあなたの意識だけ。
そして意識はほとんど解明されていません。
音楽もまた意識と深い関係にあります。
ここを突き詰められないので、上手なコンプの使い方をシェアした方が商業的価値を生む、というだけです。本質から逃げ続けることで商業的価値が生まれるその価値とは??
学習時期でしたか、本質と真っ向勝負で向き合える時期はありません。
若い方にはぜひ本質をしっかり体得した上で自分の向かいたい道に進んでください!!!
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