音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と...旧音楽教室運営奮闘記。

コンテンポラリーピアノ作品「夢のくゆり」〜不定調性論を実際に用いる

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先日作った作品です。

 

 

この感覚も皆さんにどれだけ伝わるかわからないのですが、この作品もずっと作りたかった作品でした。

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これ、冒頭の部分ですが、とにかくこれは自分にとってのケーデンスなんです。

これが曲の最後まで延々と続きます。ケーデンス全集です。

 

私は和音のつながりが大好きでした。それを聴いてるだけで、メロディもいらないし、リズムもいりません。アンサンブルもいりません。

和声フェチを拗らせて、人生の足を踏み外し、一番貴重な青春を不定調性論作成に当て込んでいました。それも気がついたらそうなっていたんです。目が覚めたらまるで知らない星にいたような気分です。

 

あれ?ひょっとして自分も人生っていうのを過ごしてる?

 

なんでもそうですが、気がついた時には時すでに遅し。

今から必死に取り返そうとしても、生きる術を知りません。

 

まあ、それは置いておいて。

 

とにかく、こういう「和音だけの作品」「響きだけの作品」が作れればいいな、とずっと何処かで思っていたように感じます。

 

でも

そんなの世間に必要なくない?

誰も聞かなくない?

自己満足以外の何があるの?

みたいなことをずっと思っていて、恥ずかしくて作れませんでした。

でもふつふつと想いだけはあったように感じます。

 

ようやく諦めがついて、恥ずかしさとかもなくなって、何もなくなったところに、この素敵な動画を拝見して、なんとなくシルクの布のくゆる感じがずっと浮かび、

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あ、和音の流れって、意味がある、というよりも、あれは水面がただ揺れる、ただそれだけなんだ、みたいに感じてしまって、動画を使わせていただき、今回の作品ができました。

 

とにかく好きな響き、感応する響きをひたすらふんだんに用いいただけの作品です。

 

アート的病的衝動が理解できない人には意味がわからないでしょうが、「自分が作りたい作品がある」というのはそれだけで魂の内部が多幸感に溢れます。

 

結局、そういうことだけで生きれてしまう生き物なのだ、と。

社会生活は無理でも「何かこれでも役立つことができるはずだ」みたいなところは自覚できます。それは確信です。

 

おんなじような感覚を持つアーティストがいれば繋がってみたいところですが、私と繋がっても孤立することはあれどもなんのメリットもないと思うので笑

不定調性論的作品を作り始めて2年ぐらいでしょうか。

 

個人的には最近イチオシは

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この作品なのですが、皆様がどう感じておられるのか。

 

一つ具現化できたけど、もうこれで終わりなんじゃないか?そんな凹み感を感じながらまた進んでいければ、と思っています。

もし何かの間違いで、この作品がいいですね、と思った人が万一いたら、ぜひお声掛けください。

 

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