音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

不定調性論について/インデックス(2026)〜感覚と直観から独自論を組み立てるために

不定調性論を見つけていただきありがとうございます。

拙論は、コード進行集や作曲テクニック集ではなく、既存理論では説明しづらい「自分らしい音の置き方」を、経験・学習・直感に基づく制作判断として扱うための方法論です。

不定調性論は、自分の感覚をブーストするためのプラグインといえます。独自論という性格上、本来なら隠すべき社会的非難や批判を公開受付しています。未熟さや偏見、個人趣味の視野の狭さなどを知り、そこから「独自論哲学」がどうあるのが現代人にとって適切なのか、というわかりきったことのように思えるその先を追っていこうと思います。現代人が出口のない疑念と迷いの森に取り残されているのは、(最も人数の多い才能もなくただ普通に生きる)個人が自分としてどうあるべきかを社会が教えられないからではないでしょうか。社会に合わせられない自分のパーツを大学受験の時並みに集中して丁寧に整理再構築し、何かもっと別の存在に育てることができると思うのです。

 

不定調性論*1とは...

不定調/不定調性*2調性組織を前提とせず、調的感覚を自在に扱う楽想状態を指す語という私が用いた用語から生まれた私自身の作曲技法集/独自論です*3

独自論と書くと色々語弊がありますが、

音楽をやっていて、自分にしっくりくるポイント、手法、スタンスを、いったん制作全体の主軸にしてみるということです。
「既存理論では説明しづらい自分の音の置き方」を、感覚・直観・経験に基づいた判断を優先する...不定調性論は、その瞬間のためにあります。

私の方法論の核は、音楽制作/鑑賞を感性*4直観*5で執り行う場合において真価を発揮するよう整えた点です。

私以外の人には不定調性論ではなく、「独自論(Social-Idionomia)」の必要性の方が面白いかもしれません。*6

不定調性論は一般的な意味での理論ではありません。

また、不定調性≠不定調性論です。

 

不定調性の簡単な例(和声を例に)

転調を伴う不定調性

Dm7 G7 DM7

という進行のDm7→G7はCメジャーキーのII、Vですから、G7の後には本来CM7、Em7、Am7に流れると調の予測が慣習的につきやすい、とされます。
一方上記のようにG7からは通例予想もしないDM7や他には例えばA♭m7等(ノンダイアトニックコード)に流れたりすると調性が和音連鎖の流れでは定まりません。こうして別の調性にどんどん展開してくような楽曲は不定調性楽曲と言えます。この場合、中心的調性が定まらずどんどん展開していく、という意味になります。

 

独創型の不定調性

Dm7 F#aug BmM7

のように、和声連結の根拠が一つに定まらないような進行も不定調性楽曲といえます。和声連鎖という形式はあるものの、調性的慣習に従っていません。

その他、メロディが調性判別しづらい楽曲(ラップのメロディ等も含め)や、無調的楽曲で通例の三和音に類似した和音が使用されている場合、部分的に「この楽曲のこのパートは不定調性的である」と表現しても良いでしょう。

 

不定調性論型不定調性

/C+w \|h| D-q< /F#+w

といった、調性的和声すら用いておらず、「調性」という存在を前提としない音楽制作方法等で音楽を作る場合があります(既存論から見た不協和音の使用など)。私が自分の作品制作で用いているのは、この不定調性論型と独創型を混ぜて発展させたものです。

 

不定調性の音楽をどう聴くか?

一般的にイメージのはっきり定まらない不定調性音楽に対しては、その流れによって自分の中に浮かぶイメージを優先して拡張し、音がどのように自分の輪郭、違和感、内的な圧力に作用してくるかを楽しむと良いです。リラックスして美味しい食事を楽しむのが調性音楽なら、マラソンで負荷を掛けたり、マッサージで痛気持ちイイを体験する、といった少しアクティブな音楽との向き合い方になります。

 

「音楽的なクオリア」の話

では実際、拙論を用いてどう音を置いていくか。

答えは「直感的に音を置く」です。

もう少し砕けば、感覚的に、感じるままに、やりたいように作る、ということです。
ただし、これはでたらめに音を並べるという意味ではありません。

未経験のままの「テキトー」は、本当にただのテキトーになりやすいです。
しかし、十分に聴き、学び、作り、失敗してきた人のテキトーは、経験が一瞬で統合されたスキルになります。

不定調性論が扱うのは、この「経験に支えられた直感」です。
これまで「なんか感覚でやったよ」としか言えなかった制作判断を、

自分の経験が作り出した音楽的なクオリアに基づいて音楽を作った

と言い換えられるようにすることが、不定調性論の特徴です。

www.terrax.site

 

不定調性論はいつ使うのか

不定調性論は、自分の意思で自分だけの音楽を制作するときに最も有効です。

依頼仕事やリファレンスのある制作では、まず既存理論や一般的な制作方法で対応する方が自然です。
一方で、学校を出た後や、フリーで自分の表現を探す時期、趣味で自分の音楽を深めたい時期には、相性が良いと考えています。

 

 

なぜ不定調性という言葉が必要だったか

調性を拡張して捉える一般的概念として「多調」「複調」「汎調性」などがあります。

20世紀以降、大衆音楽の世界でビートルズやニルヴァーナのように伝統的な調性概念だけでは捉えきれない音楽が現れました。嗜好や非体系的学習による経験値の中から生まれ(つまり才能豊かな人が発動する直感的な制作)、かつ高い商品性を持っていたため広く普及しました(ラップ等に見られる旋律感も、その延長上にある)。

こうした音楽を「多調」「複調」という既存の枠組みを前提とした語だけで呼ぶのでは不十分だと感じました。

私はそれらの楽曲ニュアンスを「不定調性」と呼びました。「不定調性」は、調という概念自体が曖昧(不定)で、経験値的・直観的に作られた場合の外観を言い表すことができます(彼らの音楽の魅力すべてを不定調性で説明できるわけではない)。

 

音楽理論から独自論へ

音楽理論は社会の中で共有するための共通語です。

私にとっての音楽は、社会の一翼を担うためではなく、ただ自分のバランスや輪郭を保ち、存在理由を確かめるための行為でした。これは不定調性論を詰めていた結果わかったことです。

私自身が自律神経が過敏なために、穏やかな曲は逆に不安に感じてしまい、むしろ少し殺伐とした感じの曲を聴くことで、自分の敏感さと闘うような行為で音楽をやる癖がついてしまいました。そのため、私には私自身の音楽理論と音楽作品制作の道を作らざるを得ませんでした。

自分の感覚を重視していくと、自分がしっくりくる生き方が見えてくるのではないでしょうか*7

自分の思いを無視しない生き方...メシアンは「(自分が)偏愛する(対象)」とも表現しました。

独自論を練磨し実践を重ねながら心象と直観の目利きになり、自己が歩める道を見つけて切り開いていきたいものです。

 

 

技法と原理の全編解説(全ての関連記事へのリンク)

不定調性論教材より/技法/用語/概念紹介記事目次一覧(2026)

 

 

不定調性論関連の主な制作作品再生リスト(Youtube)

著作権フリーBGM素材 Audiostock(KAN TAKEUCHI)

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*1:The Tonal Indeterminacy Approach

*2:Tonal IndeterminacyまたはIndeterminate Tonality、邦語作成が先

*3:あえて専門的に言うとしたら、「自己モデル化を目的としたリフレクティブ・プラクティスに基づく独自論哲学」です。つまり個人の内面で起きている現象を構造化し、それをツールとして扱える形にする「独自論哲学」の実践と記録です

*4:論理によらない思考や判断、分析的過程より無意識的,情報統合的な過程。-(「論理によらない」=脳の認知が表面的論理思考に追いつかないスピードで判断できるの意味、脳を使っていないのではない〜ブログ主注)-コトバンク

*5:瞬間的に対象の特質や関連性,問題の意味や重要性を認知・理解する認識の一形式。コトバンク

*6:私自身の思考体験の観察/記述/構造化行為集です。専門的には第一人称方法論-first-person methods、実践反復のリフレクティブ・プラクティス(内省的実践)、自己記述である点では自己ナラティブといった概念と関わります。こうした「自己方法の省察と自己記述」にこだわる行為も芸術研究に近い自己実践研究に属します。

*7:「音認知は脳の中で作られる主観」と考え、同じ音を聞いても人は同じ心象を持たないとします。個人の人生経験の違いが心象の違いを生む(いわゆるシニフィエの違い)からです。逆転クオリアの話にもつながります。その個々人の心象の違いからさまざまな行動の違いが生まれます。