音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

講師は教えず、受講生から教わること。受講生は学ばず、講師を導くこと。

要は講師も生徒も対等だ、ということです。もちろん講師は教えようとしてます。受講生も学ぼうとしてます。だからこそベクトルは双方向に生まれます。

私は教える側ですから、教わろうとする姿勢から多くを学びます。

そしてあとはやるだけやって残るのは運だけです。四の五の言ってもダメな時はダメ。上手くいく時は山をも崩します。

結果を常にコントロールはできない、と知ることで、講師は謙虚になれるのだと思います。実績が常に結果に繋がるわけがない、蓄積や過程が常に良い結果を生むわけではない、それが当たり前の世界ではあるということ。相手が自分の要求とは異なる反応をしてもそれが相手の反応だと受け取り続けること。信頼は命を掛けないと生まれない。そしてくしゃみ一つで失われます。私のような変人だともうほんと毎日そういう感じでどうしましょ。

 

とにかく毎日毎日前に進みながら工夫するしか前に進めないので勝手に判断を下してはいけない、と学びました。講師も常に教わる立場です。「学ぶ」というのは予期している状況ですのでまだまだ余裕ですが、「今自分教わってる???」って思い知らされた時に恥ずかしく、時に予期していなくて、時に惨めです。でもそこからまたいろいろなことがクリアーになっていきます。

教える暇などが無いくらい講師は教わります。

家で音楽理論研究しているうちはまだまだで、『グーニーズ』の少女のように、クライマックスで骸骨オルガンを楽譜通り弾けるかどうかが大事、みたいな。あれは教訓です。楽譜読めるようになろうって思った笑。

 さすがスピルバーグ。

 

講師はまず自分が与えることができるスキルを要望して頂き、目標を達成した上で、その対価を頂かなければならないわけですが、10回中10回とも完璧にそれが行えるわけもなく、申し訳ない気持ちで対価をお預かりする、というのもプロとして受けなければならない試練です。上手く表現できません。

 

だからレッスンが上手く行ったときの達成感は受講生の達成感を上回る喜びです(笑)

 

積極的な受講生は、講師を導いてくれます。教わることを待ってはいません。

「先生、今度○○○○○って曲の分析をやりたいんだけど、先生やってみてくれない?」

「今度ライブすることに決めたんだけど、どんなスケジュールで練習していったらいいと思う?」

「練習スケジュールは組めたんだけど、譜面を書いてる時間がないんだ、先生書いてくれない?」

キッズでも、

「今日はやりたくない」

と一言言ってくれれば、考えます笑。

なんでやりたくないのか、何があったのか。何ならやりたいのか。もしそれが理科の実験がやりたいからなら、レッスンをやめてそれをやります。

そこから興味が湧けば自分で考えようとします。

今何が大事ですか?

本当に金銭を払ったそのレッスン?今日大事??

それともこの子が泣くほどやりたい、という興味の方が大事?

いつも人生は火事場です。どうやって何を選択するかいつもあたふたしています。

こんな火事!経験がない!!なんて思いながら。

 

社会人で重要なポストに就いている人が、自分の仕事をそっちのけにして、自分のライブの楽譜を書いていたら経済は滞ります。部下たちの仕事や生活が危ぶまれます。それをせずに彼らが趣味を楽しむためには、その時間を短縮してあげる作業・方法論を講師側が探すべきです。お互いが工夫して結果を共有するから燃えるんです。

楽譜なんて我々はソフトを使って5分で書けます。

レッスンはあらゆる物事が前に進む糸口を見つける場所です。

そして時には音楽のレッスンをするより大事なこともあります。

子供なら親とケンカしたとか、いじめられたとか。

大人なら、仕事の問題とか、家庭の問題とか。

こんな時に講師は、どうやったらその人の人生を前に進められると思いますか?

 

自分にできることは限られていますが、私はとにかく考えていろいろなことを相談し合います。時には奥様を褒めてあげるべき場所をはなしあうだけで、受講生である旦那様は自ら解決策を考えられるポジティブさを取り戻すときがあります。解決策などが最初から分かろうはずはありません。

家に帰るとまたふさぎ込んで宿題やれそうもない、という子供なら一緒に宿題をやって、家ではもっと集中して別な問題に取り組める、ということもあります。

 

そうやることで次回のレッスンの効率は二倍になり、前回遅れた分など簡単に取り戻せたりします。そういうときの人の笑顔は報酬ともいえる近い感触を得ます。

人間万事塞翁が馬。 

 

分かったような振りして、実は何も分からず、迷ってばかりであることがほとんどです。だから今現れた結果を受け止める勇気だけは持ちたいです。

クビになったらそれを受け入れるしかないし、メジャーデビューに繋がったらそれも受け入れるしかありません。

どちらが最期自分が死ぬ時に意義ある結果になるのか分からないのだから、"受け入れる"しかありません。

だから講師は偉くもなんともないと思うのです。

その時点では。偉くしてくれるのは後世の人の勝手です。

 

   

教育行動だけなら義務です。社会は教育を受けたいと願うものに無償で教えなければなりません。そしてそれは今インターネットが代わりにやってくれます。

昔はインターネットがなかったので、いかにも知っている人がそれを話すだけで対価が発生したでしょうが、それは知っていれば良いだけで、それなら誰でも見られるところに書いておけばいいだけです。

ちょっとやそっとでは真似できないスキルを頼りに自分の問題を解決してもらうことでサービス業は成り立っています。

 

好き勝手書いていますが、私のような変わった人間の考え方なので、くれぐれもご了承ください。

 

私は勘が鈍いので、自分が今何を求められているか受講生に事前に聞きます。教えてもらいます。それに従いスケジュールを組みレッスンに臨みます。そして、レッスンの結果で、すぐ何かを判断しようとは思いません。というかこれだけ火事場が多いと判断できるはずがないんです。

 

もはや以前の教育スタイルは現代において意味を成していません。

でもそう簡単に変えられません。だからまず一番底辺の我々個人私塾から新しいスタイルを作り上げて結果を出していきましょう。

 

また、理想の低い、希望を持たない、傲慢な人間も一方でいるようです。本当の意味で殴らないと分からない人間もいるのかもしれません。真の教育における問題は、これまでの教育スタイルで生み出してしまった"教育を放棄した人への社会の在り様"だと思います。幸い、私の周囲にはそういう人はいないので、該当する現場におられる方にその解決策は柔軟に提案して頂きたいと思っています。

 

現われた結果がすべてであるということを受け入れ、そこから果敢に前に進める強い人間でありたいです。

 

手前味噌ですが、不定調性論は、いわゆる感覚を磨くための方法論です。

いざ火事場になった!という時にぱっとちゃんとすべきことが浮かぶように!理屈ではなくて、あなたの勇気でひねり出す直感的結論が良きものであるように!

なっかなかこれが難しーーーーー!!

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