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不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

なぜ売れるためには売れる音楽を作る必要があるのか〜音楽制作で考える脳科学46

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当たり前構文な表題で恐れ入ります。

売れるためになぜ売れる要素を加える必要があるのか?という当たり前のことを整理する記事です。それらの要素無くして売れても一発屋で終わってしまう、と考えていただければわかります。

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(音楽的旋律に心象を感じる性質について)こう感じる脳の基盤は、主に学習によって作られるもので、それは語尾が上がると質問だと覚えるのに似ている。人はどんな文化に生まれようとも、誰でも言語的および音楽的な作業学習する生来の能力をもっており、それぞれの文化の音楽に触れる経験が神経経路を形成していって、やがてその音楽の伝統に共通したルールを身につけていく。

同書で、脳にはピッチを知覚する場所があって、電極を当てるとその人がどのピッチを今感じているかを測定することができる、という話も興味深かったです。

 

当たり前のことですが、音楽に意図が含まれているのではなく、生活の中の学習で同等の脳機能が習慣付くことによって、相手が含めた音楽的意図、音楽慣習が持つ意図を、学習から「自分なりに一時解釈」することができます。共通認識ではなく同じ文化圏で生きているから予測把握できる、というだけです。

 

たまたま優れていることを見つけられてもてはやされた人の感性は「君こそ優れている」と社会が認め、もてはやし、そこで生まれるビジネス価値が周囲によって消費されます。本来は、無視されている無数の才能が世の中には溢れています。広く世を見渡せば、今名が通ってる人よりも優れた人はたくさんいます。

 

ビジネスをまわすのに必要な分だけが注目されます。彼より優れた才能を急に送り出してもいちいち価値が確定できません。

その瞬間若く美しく才能があり、斬新であるものだけが閉鎖的にピックアップされ、持ち上げられ、確かな価値をつけて売り出されます。後の価値はとりあえず現状は軽視されます。

 

また「売れなくなった人」も急に周囲の協力者が去っていくかもしれませんが、それはあなたにビジネス的価値がなくなった、というだけで、

あなたの脳が彼らに削られて持っていかれたわけではありません。

ぜひ、それまでの制作で鍛え上げた忍耐力で、無視されるようになった時こそ、自分のやりたいことに命を燃やしていただきたいです。

社会的価値など健康の価値に比べたら鼻クソほどの価値もありません。

承認欲求が満たせないのが辛いだけで、それを気にしなければ著名人よりもずっと寝食人生自在です。

 

例えばドとミを聴くのに、またファとラを聴くのに、大脳皮質のどの部分が使われているかわかっている。ところがこれら両方の音程がなぜ、どのようにして、長三度として知覚されているのか、知覚の上でこれらを同等のものにする神経回路はどれなのかは、わかっていない。このような関係性は脳内の計算処理によって導き出す必要があるが、それはまだほとんど解明が進んでいない世界だ。

 

曲が白鍵だけで演奏されているなら、それがイ短調かハ長調か、どうすればわかるのだろうか?それは全く無意識のうちにではあるが、特定の音符が何回出てきたか、それが強拍と弱拍のどちらにあったか、どれだけ長く続いたかを、脳が常に追っているからだ。(中略)これもまた、音楽の訓練を受けなくても、心理学者が「宣言的知識」と呼ぶもの(言葉で説明できるような知識)がなくても、ほとんどの人ができることの例だ。私たちは正式に音楽の教育を受けたことがなくても、作曲家がその曲をどの調で作曲しようとしたのか、曲の中でいつ主音に戻ったのか、戻らなかったのかを聞き分けられる。

感覚的作曲ができる人は、この独習能力が優れているということが言えますね。

 

ある調を明確にする一番簡単な方法は、主音を何度も演奏することだ。(中略)音楽の調では、スピード違反の交通切符と同じで、当事者の意図ではなく観察された行動がものを言う。

 

おおむね文化的な理由から、私たちは長音階を嬉しい気持ちや勝利感と結びつけ、短音階を悲しい気持ちや敗北感と結びつける傾向がある。いくつかの研究では、このような関連づけが生まれつきのものかもしれないという結果が出ている。ただし、そのような結びつきは文化全体で共通しているという事実があるから、少なくとも特定の文化とのつながりのなかで経験を積んでいけば、生まれつきの傾向は抑えられていくわけだ。

 

(中略)キャロル・クルムハンスルとその同僚たちは一連の研究によって、ごく普通の聞き手はこの階層構造の原則を脳の中に組み込んでいて、それは音楽や文化規範に受身でさらされることで身に付くことを立証した。

 

私たちの脳は、若い頃には極限まで受容力を持って---ほとんどスポンジのように---耳に届くあらゆるサウンドを吸収し、神経の配線構造そのものに組み込んでいる。年齢が上がるにつれて神経回路は柔軟性を失い、神経の深いレベルで、新しい音楽体系を、あるいは新しい言語体系でも、取り入れるのがだんだん難しくなっていく。

 

当時ビートルズを認めない大人は、単に「新しい音楽体系を〜取り入れるのがだんだん難しくなって...」しまった人なのでしょう。

 

人の耳は特に音色を識別する能力に長けているそうです。

生存のために必要だったんでしょうね。相手が威嚇しているのか、喜んでいるのか識別し、雨が強いのか、風が強いのか、どんな動物が鳴いているのか、どんな虫が鳴いているのか、人は何百という人それぞれの声の違いを聞き分けられるのだそうです。言われてみれば、ですね。

これが楽器の音色の識別、音色が示す情感を聞き分ける能力につながっているとわかります。

またその音色について識別できる理由は、人間の脳と耳のシステムが倍音を測定する能力に優れているからだそうです。ラモーが自然倍音こそ全て、という結論にたどり着いた理由も、彼自信の優れた耳の能力に気がついた、ということだけなのかもしれませんね。

基音と倍音によって音色が作られている時、倍音だけを聞いても人は基音を想定できる能力を持っています。

だからメジャーコードやトニックが安定しているのではなく、そういう風に聞くことができる性能を人の体の器官が持っている、ということができます。それらもやはり心が作っているわけです。

地球が宇宙人で溢れたら、音楽家はそれぞれの生命体に合った音楽を創る必要があります。

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また音色と同様に人が音色を識別する時に頼りにしている感覚がADSRの存在のようです(同書ではアタックとフラックス、と表現しています)。

ギターの演奏でペダルでアタックを消すと、全くギター的でない響きがします。そのニュアンスを耳が聞き分けるからあの演奏が面白く感じるわけです。

ギターからバイオリンのような音が出るから面白い、わけです。

1Hzピッチがずれても違和感を覚えないのと似たような曖昧さでしか人が音色を聞き分けられなかったら、あの"ヴァイオリン奏法"は別に面白くもなんともないはずです。音色の聞き分けには特に敏感なのだそうです。

 

協和と不協和については、

人間がなぜ一部の音程だけ協和していると感じるかについては、数多くの研究が行われてきたものの、今のところまだ同意が得られるような結論は出ていない。これまでに、脳幹と背側蝸牛神経核--非常に原始的なので、すべての脊椎動物が持っている中枢神経---が協和と不協和を区別できることだけは判明した。この区別は、人間の脳のもっと高いレベルの領域--大脳皮質--が関与する前に行われている。

協和と不協和は脳が高度化する前から判別できる必要があったのだとしたら、協和は生命活動上安全、不協和は生命活動上危険、という区別の上に作られた概念である、と考えたくなります。

 

それが音楽文化にも流用されている、としたら納得です。

 

不定調性論のように「不協和にも意味を求められる」みたいなことって、脳の進化ではなくて、もともと自然の中の不協和音、体内から感じる不協和音に意味を感じる能力が生命体にはあった、と捉えると不定調性論的な和音把握スキル獲得もまんざら無意味とは言えないかもしれません。違和感を嫌悪しないで受止められれば病気に気づく、とか。

森の中からこんな音がしたら、それは"自然ではない"からすぐ逃げた方がいいよ(津波、ライオンの襲撃)、なのか、危険だから身を伏せた方がいいよ(獲物を探す複数の敵に囲まれている)、なのか、用心してゆっくり逃げた方がいいよ(一方向に敵がいる)、なのか、という意味を読み取れず、ただ恐れるだけだったら逆に危険です。

そこから不協和音に情感を当て嵌め、それを表現に用いる、という感覚にまで研ぎ澄ませたのは音楽文化の役割が大きいかと感じます。

 

またリズムに関しても

目を見張るようなこの正確さの神経的な基礎は、おそらく小脳にある。小脳は毎日の暮らしのタイムキーパーをしているシステムをもち、聞こえてくる音楽に同期すると考えられている。何らかの方法で、耳から入ってくる音楽への同期に使う「設定」を覚えておくことができ、記憶だけで歌を歌うときにはその設定を思い出せるということだ。(中略)大脳基底核(ジェラルド・エーデルマンが「継承の器官」と呼んだもの)も、リズム、テンポ、拍子を生み出したり作り出したりするのに関与していると見なされている。

なるほど。リズムは小脳が持つ機能拡張なんだ。小脳切ったらリズムは分からなくなるのかな。

 

いずれにせよ音楽は脳が持っている機能をまるで、休日にアクティブな人がジムでそれぞれの運動器具を使って、体の各部位を鍛え上げるような感覚で扱って楽しむ行為なのかもしれません。

 

脳のそれぞれの機能が、音楽の要素を識別し、判別し、太古の昔から人が生存のために用いてきた各機能を引っ張り出しては楽しむような感覚で音楽を脳内で処理しているのかもしれません。

それこそ不定調性音楽を聴く、創る、なんて、ジムで"鍛える必要のない筋肉まで鍛えて自慢しているようなもの"かもしれませんね。

 

それを「この音楽は素晴らしい」とか「このアーティストは神だ」みたいにいうのは、やはり心が引き起こしていることと、"この人が良いっていうから俺もいいと思う"と言うような社会生活上の仲間意識みたいなものが色々絡み合って存在しているのかもしれません。

 

鼻糞をほじる、みたいな行為は人と共有したり、「あのほじり方は素晴らしい」などと言わないのはなぜでしょうか?ただそう言う文化がなかったからだけでしょうか。

 

音楽にはそうしたプライベートな行為とは違う共感を必要とする行為なのでしょう。

 

だからこそ、音楽が脳の機能と、社会的な共感行為、群れ社会成立に必要だからヒットアーティストが祭り上げられる、というようなスタンスを知っておけば、祭り上げられたいなら不定調性音楽なんかやらずに、ちゃんと今ヒットしている体系を学び、ヒットしている音楽を作る必要がある、と言う理屈も理解できます。

絶対的な理由があってヒットする、というよりも、それまで脳に蓄えられた経験があって、何らかの新しい要素があって、それに得体の知れない理由や勢いがあって、ヒットするわけで、理由はあるけど決して言い当てられない脳の幻想の集団共有みたいなところがあります。優れた作家の優れた曲が、売れないのは、今人々が求めている、熱くなっているいくつかの事由のどれかに当てはまらないからです。

今この瞬間欲しいもの、に該当しないのでしょう。

そして今欲しいものは、紛い物ではなく、彼らの音楽そのものだから、注目されることで彼らを聞き、崇拝するのが人の集団心理だと思います。この辺の話はこの「音楽制作心理学」の記事をお読みの方であれば頷いてくださることでしょう。

 

あなたが作りたい音楽と、世の中が今必要とする音楽について考えることは、脳機能と、社会が音楽に求める集団心理みたいなものを上手に分けて考えることに繋がるのではないでしょうか。

求められているものには深い理由があって、それが時代の空気や活力を彩ります。それに委ね、それに任せていると安心、という感覚でしょう。

だからヒット曲の要素を常に研究し、その意味を探して、ヒット曲を狙う必要があるわけです。

だからと言って、同じものばかりでは人は飽きてしまうので、時々違和感のある存在が、時代の流れと対抗して注目されたりします。それは「売れた」のではなく、必要悪のような存在で注目されたわけです。そのニュアンスが理解できないと、一発屋で終わってしまいます。

結局ビジネスには分析能力、宣伝能力、そして努力が欠かせません。

売れる売れないは幻想に従って行動していくようなある意味では虚しい戦いなので、若いうちに疲弊しない程度に楽しんで、運が良ければ名声を得て、周囲の人もたくさん幸福にしていただければ、と思います。

 

売れたいのに不定調性音楽をやっても、あなたの脳機能にはいいけど、社会的共感にはならないよ?だから自己満足で終わるよ(現状はね)、みたいな説明も脳機能と集団心理への理解を推し進めることによって明確にできると思います。

 

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