音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と...旧音楽教室運営奮闘記。

生きてるだけで丸儲け/黒い蝶と白い蝶〜音楽制作で考える脳科学39

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人類が賢くなりすぎると、それぞれが自分の能力を過信することになり、他人の能力に期待したり、頼ったりしなくなる。そのように、社会的協力体制や社会のまとまりが欠けた状態よりは、個々人はそんなに賢くなくても、だからこそみんなでまとまって生きていこうという協調性が働いたほうが、人類という種の保存には有利であると遺伝子が「考えた」から、人類の知性は一定のレベルで抑えられている、というのがハンフリーの説明である。

※ニコラス・ハンフリー(進化心理学者)のエッセイからの引用

佐々木正悟. 脳は直感している

 

自分がたとえただ生きているだけでも、それは生命が5000年後進化するために必要だから生かされている、という発想。

これ好きなので引用しました。

 

優れた人が生き残るべき!という論理主張はこの進化のシステム仮定では崩れますね。

優生発言の違和感は「自分が生きている期間だけ気持ち良ければいい」と云っているだけのように感じるからでしょう。人類の未来を考えていない。そしてこの違和感を持つ、という直感が正しいなら、ハンフリー氏の説は正しい。

まあ普通にエゴイストは嫌われますが。

でも、実にエゴイスティックで人間的な発言だからこそ、映画などで「俺がよけりゃそれでいい」という存在は最も憎たらしい悪役になり続けるのでしょう。

 

一方でこの思想を穿って捉えると、犯罪者も人の進化に必要、と言わざるを得なくなり、これではリアルタイムの社会が破綻します。

そのために一定の正義の人が、正義の鉄槌を振りかざしている状態が必要となり、優生思想者も必要、となります。そして極論を望まぬ人が争いエゴを打ち砕き、暴走を食い止める。

やはり「争い」も進化に一役買っているのでしょうか。進化というのは、やはり厳しい領域の話なのですね。

 

結果、人はやりたいことに邁進し、いかにそれを生きる指標にできるかを考えて奔走するのがなんとなく確かなように感じました。

「なんで自分はすごい曲が書けないんだろう」

と思うのは「進化したい」という意味であって、すごい曲を書いても決して満たされることはないように思います。1曲1曲が進化を望む遺伝子の欲求の副産物であり、死ぬまでそれを続けていくしかない。だから好きなこと、得意なことをせよ、ということが社会的に、というよりも生命体として正しい、ということになります。

 

 

同書からの引用ですが、ゴールドラッシュのアメリカで、金採掘ではなく、その輸送手段を確立することで馬車を走らせて、金の輸送ビジネスを一手に引き受けたウェルズ・ファーゴ銀行の話が象徴的でした。

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金採掘の時代に金を掘ることなく、富を築いたわけです。

音楽でいえば、チャートを駆け上がるような音楽を作るのではなく、チャートサイトを作って儲けるようなものです。

ここで「直感の法則」に著者が

追加.目先の方法にとらわれ過ぎず、かつ諦めない

を追加しています。何か解決したい、と思ったら遺伝子の欲求だけではなく、本当に「解決しよう」という別のモードに切り替えてひたすら悩み、考えなければならない、ということです。

遺伝子はそこまで求めていません。なにせあなたが生きてさえいればいいのですから。

だから「問題解決」は本能を超えて、本気で直感的に脳が解を生み出すまで考えて脳に「答えをくれ!」と訴えないと答えは降ってこない、そんな風に読み取りました。

 

社会は、人が解を探し求めるのが難しすぎるために、選択肢を狭めてきます。

・何歳になったらこうなる

・この成績だったら進路はここかここ

・この性別だったらこれはダメ

・この収入だったらこれしかできない

・この店でこの時間食べられるのはAセットかBセットのみ

...etc選択を制限することで「生き方が決まっているように見える」わけです。

本当はもっと様々な無限の可能性があるのに。

「現状考えられるのはこれとこれしかない」と考えがちです。

むしろそう考えた方が楽だからでしょう。遺伝子的にはとりあえず生きていられればそれでいい、わけですから。

 

特に学力があり、収入がある人は自動的に高みに登れます。得なように見えますがとにかく財を稼ぎ稼いだ財を死ぬまで配れ、というレールに乗せられる、というわけで、それが良いのか悪いのか。

 

あとは具体的にその正解の求め方、ですよね。

あなたがやりたいことがあって、それが収益にならなくても諦めなければならない、なんて宇宙の法則にはどこにもありません。

 

同書の引用です。

黒い蝶の中で自分が目立つためには「最も美しい黒い蝶になれば良い」が最初の進化の論理での正解だったが、一羽が逆に「誰より真っ白な蝶になってみた」ことによって、黒い蝶の組織では最も目立つことができた、という進化論的正解が新たに生まれることになります。

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そして皆が今度は白い蝶を目指して進化をすると、「誰より真っ白な蝶になる」はいつの間にか正解ではなくなり、全ての蝶が白くなっていく中で「最も美しい黒い蝶のまま生き残ればいい」と最後の一羽が黒の蝶ままでいることが「新たな進化論的正解」となる、という話が印象的でした。

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これまでの話を総合すると、こうした答えを論理的に考えるとき、本当に自分に危険を感じて、本能が直感をざわつかせるレベルで自分を追い込んで考えないとその答えは出ない、となります。

「論理的に考えればきっと答えは出る」

では、答えは出なくて、「もうやばい!」という状態で最後の一瞬まで諦めないで考え尽くしたものだけが思わぬ進化論的正解を得る、というわけです。

 

そして多くの発明や問題解決は、悩んだ末、ふとした瞬間に降ってきます。

 

誰でもそうした純度100%の直感経験ありませんか?

伴侶との出会いとか、今の仕事を得たきっかけとか、人生を決めた一大事、とか。

 

一生に何回も降ってこないのかもしれませんね。

でもいざもうだめだ!という時、必死を覚悟して思考をめぐらせれば答えが出る、というワンチャンスがあることに少し勇気付けられましたので記事にしました。

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