音楽教育活動奮闘記

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直感の法則から見る「日常感」〜音楽制作で考える脳科学38

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綺麗な花の写真を「見せ」られて、それが花だと判断するのは、直感的判断である。この場合には、直線的な判断力をまったく必要としない。青い背景に、ピンク色の花びらが写っているのを見て、一瞬で「花だ」と直感するのである。

佐々木正悟. 脳は直感している

花を見て論理的思考で「花だ」と思っているわけではない、というわけです。

これがもし脳内で優先するのなら、論理的思考はいよいよ持って働きづらいですね。

脳にとっては何を持って論理的か、自体を定義する必要すらありそうです。

 

逆に論理的になるためには、論理的に考えること自体をトレーニングしないといけないのかもしれませんね。しかしそれは脳にとっては逆にCPUをあまり使わない解析レベルの低い判断といえるかもしれません。

油断すれば、すぐ直感的な判断が優先してしまいます。

「論理的に考えられないなんて、君は愚かだ」

論理的に考えられないから、その人は愚かだ、という"煽り"は直感的判断です。

その人をよく知りもせず様々な角度から検証もせず決めつけてしまうのは論理的には誤りと言えないでしょうか。

結局直感的に判断していることが論理的判断と相応するという状態が起きていても双方が気がつかないだけなのではないでしょうか。

 

普段直感、というと、あ、カレー食べよう!といった何の根拠もなく降ってくる感覚のことを言うでしょう。

「医者に塩分控えめにしなさい、と言われたので昼間は生野菜サラダだけにしよう」

と言う"論理的判断"も、医者の言うことを信じた方がいい、と言う直感に基づいた判断です。生野菜サラダなら、カレーを食べるより体に良いだろう、という論理的な根拠はやはり経験値でしかはっきりしないはずです。直感力が優秀であるがゆえにこの「論理的判断ぽく見える判断」が正当化されていることに本人も周囲も気がつきづらいのでしょう。

 

つまり論理的思考とは、「そこは信じることにしよう」と決めたことで人の直感的判断と違和感のないとされる事実のみを用いて判断した直感的思考であるといったほうが良いのかもしれません。

自分の考えたことよりも、論文掲載されたものを信じよう、という感覚がより確かであろう、ともしあなたが思うなら、あなたはいわゆる論理的思考に向いている、と言えます。

 

では直感とはいかなるものか。

 

同書に「直感の法則」というものがありましたのでご紹介します。

<直感の法則>

法則1.直感はその時、その場で、その人に発揮される

法則2.直感は非言語的なメッセージである

法則3.経験を積めば積むほど直感力は増大する

追加.目先の方法にとらわれ過ぎず、かつ諦めない

 

その現場にいて、実際に体験して、それを知覚できる感覚を持ち、その積み重ねによってのみ直感力は増大する、ということです。

作曲を上達させたければ、実際に作曲をしながらその現場で直感を感じ、感じ取り続けないと直感は磨けない、となります。神フレーズを、絶えず下ろそうとしていることでのみ降りてくる、というわけです。

 

 

それぞれに解説がついていますので直感を学習されたい方は是非同書をお手にとってください。2は今後の科学の発展でどこまでも言語化されていくでしょうね。

 

これは同書にはありませんが、これ以外は直感ではない、としてみましょう。

<科学(非直感)の法則>

法則1.直感でない感覚はいつでも、どこでも、誰にでも存在し続けている

法則2.直感でない感覚は言語的なメッセージである

法則3.経験を積まなくても直感でない力は存在し続ける

追加.どんな方法によっても常に証明できる

 

これはまさに科学的事実、そのものであると思います。これらを活用するのが論理的思考、と言えるでしょう。

 

この間にも次のような法則が存在するのではないでしょうか。

 

<日常感の法則>

法則1.その感覚は時々、ランダムな場所で、特定の人に発動するときがある

法則2.その感覚は時に言語的で、時に非言語的なメッセージである

法則3.経験の有無によってその力は発動したりしなかったりする

追加.いくつかの方法でのみ時折証明できる

 

普通のことです。人生はこれによって一喜一憂しています。

しかしこういうのを直感、と信じてしまっているときってないでしょうか。

先生やインフルエンサーによって激励された時にだけ達成できることってあります。

はっきりとした科学的事実っぽいことと感覚的に確からしい感覚で売りつけられる商品があります。

最初は良好だったけどしばらくするとうまくいかなくなる人間関係のような概念ってあります。

チームが結束して一つの目標を信じた時達成できる勝利があったかと思えば、小さな不信一つだけで崩れ去る信念があります。

 

人は直感と科学と日常感がごたまぜの世界に生きていると思います。

直感ってなかなか持って高度な感覚であるように感じます。

自分の知覚情報を無視して本やネット、インフルエンサーの言葉にしたがったり、スマホの情報に頼る、という行為は直感とは違います。いわゆるファン心理です。これは双方が気持ちがいいのでその関係を切るのはなかなか大変です。

天気予報を参考にしている時点で、自分の肌感覚を信じていません。

我々はスマホのファン、天気予報のファンだとなります。

 

「情報は知識ではない」

ってアインシュタインも言ってます。続けて彼はこう言います。

「知識の唯一の源は経験である」

まさに直感の法則そのものについて述べています。
アインシュタインの言葉を我々の次元で解釈していいかは別として笑。

 

私たちの脳は、いつも私たちの役に立とうとしている。私たちが心のどこかで「これは大事なことだ」と考えているものを失おうとしていたり、壊そうとしていたりすれば、直感的にそのことを察知して、それを独特のエピソードで伝えてくるのである。

佐々木正悟. 脳は直感している

「私たちの役に立とうとしている」という文章が適切かは別として、脳が自身の性質に沿って振舞おうとするのはわかります。それはバイアスの記事でも述べました。

 

同書には、カードを裏向きにして何のカードなのか当てるテストで、透視能力は存在する、と信じている人のグループの方が、透視能力を信じていない人よりも若干正答率が上がるそうです(信じていない人の総数で確率を割り出すと、人間が透視能力を持つとは言えない確率結果にはなったとのこと)。

これこそ「直感に近い日常感」と言えなくもありません。

解釈をポジティブにすれば、

直感力は「鍛えられる」と信じる人にのみ発揮の確率が上がる

とも言えます。

これは論理思考もトレーニングによって充実する、とわかります。

 

 

人は自分が「そう信じる」ことに長ける、ということが言えそうです。

インフルエンサーの言葉を盲目的に信じているときはそれでその個人は"うまくいく"のでしょう。

スマホと過ごして健康的でいられるなら、その生き方の中で直感的になれる、というわけです。結局人の判断の8割が直感的判断だから。

 

前回の「クマ」の例などで「車にいれば大丈夫だろう、車を降りて走って逃げることを躊躇する、それはちょっ非論理的で恥ずかしい」といった思考感覚経験を積むうちに直感力「ひたすらともかく逃げろ!!!」という直感知覚が薄れていくそうです。

またはそれが日常感であり、人間の感覚である、とも言えます。

 

扁桃体は経験値によって、本能的回避行動を抑制することもあるそうです。

クマが走ってきても猿なら車から逃げようとしますが、人間は「車の中ならば安全では?..」と本能的な回避欲求を抑えます。

 

同書にも書かれていますが、

「今日のあなたがあなたの人生で最も直感力の優れている状態」

であることは間違いありません。認知力そのものが衰えるその日まで頑張りたいです。

 

日常感から直感に進化させるには、人よりもたくさん、自分が考えている以上にその感覚を使い倒していかないといけないのでしょう。

作曲でいうなら、もし今のペースで出来ないなら、今の三倍やれ!

っていう先生方の当たり前の言葉にたどり着くだけです笑。

直感は働きやすいが故に「ゆるい直感=日常感」にすぐなってしまう。そこにバイアスがかかり「それでよし」としてしまうから、人は努力しきれないのではないでしょうか。コンフォートゾーンは努力によってもただ拡張するだけで、その外で違和感を抱えながら常に規格外の作品を作れるのが天才、なのでしょうか。

 

じゃ、一般人が直感てどう鍛えるの?ですよね。その辺をもう少し探ってみましょう。

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