音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

コード進行と情報エントロピー〜音楽制作で考える脳科学27

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前回

芸術的創造は脳のどこから産まれるか? (光文社新書)

 

情報エントロピーとは、情報の「複雑性」の度合いを指すそうです。

CM7 Dm7 Em7 FM7 G7 ( α  )

前出してきたコードを使うとして、かっこの中に入る和音は想像できますか?素直に答えてください。

 

素直に答えるなら、CM7ですね。では

F#m7  Em7(b5) Adim7  BbmM7  ( β   )

このかっこの中はどうでしょうか。

 

このβの方が情報エントロピーは複雑(「コード進行の情報量が低い」と表現)です。何がくるか予想できません。

音楽家は経験からコード進行というツールをたくさん抱えています。

このコードがきたら次は普通こっち...

それを裏切るならこっち...

この間このコードで裏切ったから今度はこっち...

あの曲と同じ裏切りをしたいからこれ...

とかです。

 

コード進行が重要なのではなく、結果としてそれらの和音連鎖がコード進行情報だ、と分析されるだけです。

楽曲をコード進行から作ろう、とすると、頭の中での「曲のつじつま合わせ」のための情報エントロピーの複雑性が増して、音はいいんだけど、作曲者本人がそれをイメージできていないため「それっぽい曲はできるけど、なんか違う」と本人が思ってしまう曲ができたりします。やたらかっこいいけど、なんか無理しちゃってる曲とか。

才人になると、そこから改めて作りたい曲ができてしまうわけですが。

 

「失恋の曲に合うコード進行」

というのは無いのかもしれませんよ? 

そういった漠然とした場合分け指摘は、あくまで商業主義ですので、それはそういうものだと受け止めて分けておかれると良いのではないかと思います。

作曲時には、言葉から入ったり、ちょっとしたメロディから入ることでそこにフッと乗っかるのが和音です。

この最初の着想の段階に理由なく入れる人だけが作曲ができます。何か理由が必要な人は音楽を創造的に作るのはなかなか厄介ではないかと日頃感じています。

 

学校が「作曲を教えている」のは、作曲は勉強すればできるのではなく、最初から作曲ができる人が、効率よく先例を学ぶ場である、のではないかと感じます。

 

Am7....で「ラララーーー」とメロディが出てきた時、そこからDm7に行くか、FM7に行くか、Cに行くか、Gに行くか?どう選ぶかが問題です。

 

機能和声論では、Amはトニックなので、どこにでもいける、みたいなことだけを述べます。

そこにコード進行文化が「よくあるコード進行はこれ」などとアドバイスしてくれます。

不定調性論は、そこに「音楽的なクオリア」を活用します。

とうとうと過去を語る感じだから、次はDm7かな、とか

思い出になったよ、とするからD7かな、

思い出を美しく語るからFM7かな、

よくある話風ならCかな、

がっつり重い系ならGかな、

地味な話だからE7かな、

ほんのりシャレオツだからBm7(b5)かな...etc

みたいな「個人の進行感」を重視します。

それをどう感じるかで作曲への活かし方が決まります。

あとは個々人の音楽経験から直感できる脈絡が新しい曲になってくれます。

 

そして、ある程度作っていって、区切りとして「トニックに戻る流れ」を作ることで聞き手も自分も情報エントロピーの高い着地感によって「一件落着」して2コーラス目にいきます。

 

ドミナントモーションは脳にとっては「新しい流れの中で出てくるいつもの安心感」「情報エントロピーの高いアクセント」なのかもしれません。だからこそ裏切っても快感だし、そのまま流れても快感です。

声部の流れがどうこう、という話でなかったらどうでしょう。

 

そして、どんなに斬新な進行でも聞いているうちに慣れてしまうのは、脳の性質です。アーティストが古くなったんじゃないんです。

脳が予測できるものに刺激を感じなくなるだけです。

だから時々80年代の音楽っていいよね、と若い世代が言ってくれて、同世代のおじさんたちは狂喜するんです(我々か笑)。でも、それは80年代の音楽が素晴らしいのではなく、彼らは初めて聞いたからです笑。

いや、音楽は基本的にどれも素晴らしい、でいいじゃないか。

色あせたんじゃない、僕が年を取ってつまらない脳になっただけだ笑。

 

音楽家は長期間の音楽訓練によって、音楽に普遍的な統計的モデルを脳内で作成していると言います。(中略)

このような結果は神経生理学的研究によっても確認されており、音楽家の脳は、統計学習(潜在学習)能力が非音楽家に比べて高く、より効率的に音楽情報処理を行なっていると考えられます。

 

従来の学習方法で、コード進行やヴォイシング、リズム、アレンジを学んで活用する理由は、音楽的な美的センスを養うのではなく、それまでの時代の音楽情報を効率よく覚え、それをあなた自身が使いまわすことで、情報エントロピーのちょうど良いさじ加減の曲を作れるようにするために学んでいるのだとしたらどうでしょう。

 

 

誰もそれまでやっていないことを教えようとはしてないとしたら。

 

マイルスがこれをやった、コルトレーンがこうやった、というのももはや歴史であり伝統です。

 

そこで「じゃあ、あなたはどんな音楽をやればいいのか?」

 

は誰も教えてくれないんですね。

だからこそ、在学中から、自分の感性で作った音楽表現を突き詰めることを同時にやっていってはどうか?と提案しています。

そこから音楽でない道が開かれたとしても、それはそれで成功だと思います。

自分が本当は何がしたいか、を一番直感の受信性の高い音楽という文化情報ジャンルがあなたが進みやすい道を開いてくれた、というだけのことです。

 

研究によるとベートーベンのピアノソナタの情報エントロピーは後年になるに従い複雑性を増しているんですって。さすが本物のクリエイター、って感じですね。

 

最下層の手続き記憶は(中略)魚類の時代から存在した記憶方法と言われています。一方、上位のエピソード記憶や意味記憶は、進化した脳の海馬で作られます。つまり、このエピソード記憶と意味記憶の連鎖から生じる「新しいものをモデル化しようという意味記憶への欲求と(不確実性の低下)、まだモデル化されていない新しいエピソード記憶への追求(不確実性の増加)」のせめぎ合いこそが、人間らしさ、自我の認識、そして芸術的思考と言えるのかもしれません。このように、脳の進化的側面から見ても「自我」という感覚は、人間が進化の過程で得た特有の機能なのかもしれません。

「自分自身」ですら、脳の作り上げた"機能"なんですね。

 

つまり「自分自身」というのは存在しておらず、本来は他人も自分も「ヒトという種族」という事実だけかもしれませんね。

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