key=C dur
G7⇨C
不定調性論では、この進行が「解決感を持つ」のではなく、
「解決感を覚えてしまうようになったから」
と答えます。
「解決する和音進行」
ではなく
「解決すると感じてしまう慣習的刷り込みによって解決すると認識するようになった和音進行」
です。
「自分がそう感じることを感じないようにする」ことは負荷です。
解決しない和音進行に対して不完全、不安定、未熟、1ランク下、というようなイメージも与えません。
Dm7 G7 C

「穏やかな終止」です。
Dm7 G7 FM7

「ちょっぴり切ないけど、私は大丈夫」的終止です。
Dm7 G7 DbM7

「思ってた以上になんか嬉しかった」的終止です。
Dm7 G7 AbM7

「もう少しだけ優しくなれそう」というような自分を促すような終止です。
Dm7 G7 BbM7

このようなちょっと変則な場合も「解決させてやろう」と思うとそれっぽく処置できます。
手前にGm7≒G7(#9)のスパイスを置き、Bbを鳴らせることで、BbM7への移行をスムーズにし、最後に高音部でCメジャートライアドを置いて(II/Iになるイメージ)つじつまを合わせます。
「曇りだった景色が急に晴れたような、動きの大きいダイナミックな終止」を感じます。
これらの和音進行の感じ方はあなたの自由です。
我々は日々、意識にかかわらず様々な音楽を聴いています。この全ての音楽を一つ一つ新たな情報として処理していては、脳の負荷がもの凄くかかってしまいますので、脳にはあらゆる音楽を普遍的知識としてできるだけ簡略に整頓し把握しようとする機能があります。それによって、新たな音楽を聴いても、次に何の音が来るかをある程度は予測することができ、脳の負荷を下げることができます。この予測しやすさは、脳が長年かけて作成してきた音楽の普遍的モデルがどれだけきれいに整頓されているか(不確実性が低いか)と関連しています。(中略)一方、ひとたび音楽構造を完全に把握しきってしまえば、もはやこれ以上の報酬(知の喜び)を望めないので、脳はつまらない情報とみなしてしまいます(中略)。それに対して、なにやら得体が知れない音楽は、不確かではありますが、もし構造を把握できるようになれば非常に大きな内発的報酬が期待できるので、脳はそういった不確かな音楽に興味を持つようになります。つまり、脳は潜在的に、さらなる内発的報酬を求めて、あえて音楽構造のエントロピー(不確実性)を上げるのです。このエントロピーの変化こそ、芸術的創造性や感性の起源なのではないかということが、近年の研究では示唆されています。
不定調性論的思考は、まさに「さらなる内発的報酬を求めて、あえて音楽構造のエントロピー(不確実性)を上げる」ために用いる思考法です。
V7⇨Iが「解決する」のは、「脳は予測する性質を持つ」というところからきています。大好きなアーティストの新曲は情報の洪水です。
だから時折挟まれる「聞いたことのある進行=カデンツなど」にはある種の安堵感を覚えます。
そしてどんな新曲も慣れてしまえば"脳にとってはつまらない情報"になってしまいます。
この「従来の音楽理論的常識が脳の慣習に関わる」という視点を持つことは重要だと思います。
====
一般に、音楽家は非音楽家に比べ聴覚野が大きいことが知られています。聴覚は、音楽を聴くだけでなく言語の処理にも重要な領域であることから、音楽教育によって側頭葉が発達すると、言語能力など音楽以外の聴覚機能も相乗的に向上するといわれています。
複雑な思考も音楽や言語を通してできるようになります。
音楽が得意な人は、音楽の能力を伸ばすことこそが他の教科の学力も伸ばすことにもつながる、そんなふうに解釈したら、これは音楽好きな子供にとっては朗報です。
不得意な教科を伸ばすのではなく、得意な音楽を伸ばすことで不得意な教科もそれに追随するように伸びるわけです。
ミスマッチ陰性電位
音源1
続いて次の音源も聴いてください。次も音源1とほぼ変わりません。
音源2
では次の音源を聞いてください。今度は少し変わります。
音源3
いかがでしょう。
音源1を聴こうとしたとき、ある程度の"期待感か何か"があったかと思います。
しかし、ただドが連続するだけで音源でした。
さらに音源2の説明も"音源1とほぼ変わらない"と聴くと、退屈です(実は同じ音源)。
そして次は"少し変わる"と言われ聴いてみると跳躍があったり音列が変化してます。
「ミスマッチ陰性電位」は、脳が予測できることに対して危機感を減らして注意がなくなり、逆に予測できなかった事態に脳波は反応を示す、という「オドボール課題」という実験成果なのです。
いわゆる危機管理です。
音源3でメロディが跳躍した瞬間、音楽家ならビク!とするはずです。
これは期待とか、変化欲求とか、様々な心象も関わってくると思います。
解決しないコード進行もこういった意外性の感覚への欲求にビク!っとします。
ただ周波数の異なる現象(音楽の旋律)に対して高度な理解を示せる(音楽教育を施された人は側頭葉などの特定部位がそうでない人より発達する)感覚を持つ人が音楽家になります。
また逆に決して音楽を理解しないからその人は繊細ではない、のではなく、ただ単に音楽教育を受けなかった、という解釈もあり得るといえます。
ある意味、現代社会において音楽的価値観を持たずに生きてくるという方が難しいですから、稀有な能力が伸びる可能性があります。
その音を聞くと、知識として記録されているある楽曲のメロディが浮かんだり、似たような音響効果があった映画の映像を思い起こせたり、単純にそのメロディからなんらかの情感を想起したりすることができます。
「退屈な音楽」はただ単にあなたにとって予測のできる音楽を指すのかもしれません。
「社会全体にとってつまらない音楽」というものはなく、そうした反応はやはり、その組織の文化水準や、その集団の経験値に基づく判断であると感じます。
「音源1」のようなものを「新曲です」といっても少なくとも先進国文化の中では「新曲」の文化的概念がある程度あるので、これを「つまらない音楽」ということはできますが、これも究極的には主観です。
V7⇨Iも予測に基づいた理解であるため、知らない曲でもV7-Iがでてくると、「聞いたことがある概念だから安心する」と捉えます。
====
思春期の脳
線条体は、未来の事象に対する期待や意欲に関係していると考えられています。例えば、何らかの問題を克服し、その対価として金銭的報酬をもらった時に線条体の感受性が高まることがわかっています。また、音楽演奏への意欲や期待にも関与していると示唆されており、音楽の創造性を高めるためにも重要な部位です。一方、大脳辺縁系と同様、線条体の成長スピードも思春期の感情変化と関連しているようです。

理性を司る前頭前野に比べて、線条体は急激に思春期に活発になるのだとか。だから思春期は理性より欲求が先にくる、と考えても良いと思います。
脳は自分がこれから生きていく社会の中でどういう感情を持つことが、どういう行動パターンを取ることが自分に適切なのか試しているのでしょうか。
線条体の働きで「やり遂げる」「相手を打ち負かす」「報酬を獲得する」「優越感に浸る」みたいな感情への喜びが増します。
スポーツも、いじめも、テストの高得点も、先生から褒められるのも全て思春期の刺激の結果です。
だから学生に嫌われてもあまり気にしないでください。本人が脳の報酬を作り線条体を刺激しているだけです。
結果がよくからないままどういう気分になるか試しています。
ある意味では本当に危ない時期です。
どこかでさりげなく「思春期の脳はこれこれだ」と教えてあげることで冷静になれる時もあります。
事が大きくなる前なら良いところは伸ばせますし、悪いところは脳の仕業だ、と自覚と身体(脳)の勉強を促す、ぐらいの余裕を持ちたいです。
悲観は「悲観したいから悲観する」のであって現実はそこまで絶望的なものではなく、
怒りや悪意も「それを感じて扱いたいからそれを扱う」のでしょう。
まさに思春期は「自分試用期間」です。
人もいじめてどんな反応をするか脳は知りたがっています。
その反応経験をもとにその後の人生が作られます。社会的悪になる自己満足/快感にならないようにしたいものです。
親は勉強させたい、遅刻させない、という観点でしっかり育てようとします。そういう親の態度が気にくわないと、先生に相談してきます。それらも脳を刺激して子供をもみくちゃにします。反抗期は脳が自分自身に反抗しているのではないでしょうか。
文句、反抗は想像力の未熟さから起きるので、彼らの言葉や態度に振り回されず、我慢強く本質である追いつかない想像力を刺激できるよう工夫を凝らしたいです。