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<評価の錯覚>無名の新人の実力は正しく評価されない〜音楽制作で考える脳科学10

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参考にするのは「自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80」です。

 

脳は自分が知らないものの能力を過小評価する傾向があるが自分への警告には楽観的、という話と

自分のとった行動から、自分の心理状況を推測してしまう傾向がある、というお話です。

 

"新人は理解が足らない"と思ったり、

"新しく来た奴は前の場所での習慣に染まっていて良くない"とか

"自分はこれほど気を使っているのに相手は応えてくれない"とか 

"自分はこんなに働いてるのに周囲は評価してくれない"とか

誰でもこんなふうにほんのり思ったりします(非対称な洞察の錯覚-Illusion of AsmmetricInsight-)。

本当にそういう風に見えてしまう(そういう情報だけを拾ってしまうから)ので「絶対そうだ!」と思うからこそこういう感覚になるのでしょう。

 

これそのものが「人間らしさ」といえば「人間らしさ」です。人情です。

 

合わせて「自分はこんなに頑張っている⇨だから間違いない」という別の思い込み(非対称な洞察の錯覚)も加わるのでなおさらです。

 

列に一時間並んでやっと買えた!というハンバーガーが美味しく感じる、あれです(ハンバーガーは大抵美味しい)。実際美味しいのでしょうが、並んで待った、ということからくる達成感がさらにその感覚を加速します(並んで買ったのだから美味しいはずだ、という認知的不協和)。

皆が並んでるから間違いない、という同調圧力的な思い込みもあるでしょう。

仲のいい友達と行くと(行ったほうが)その感銘はさらに増します。

 

その列を上手にさばいているお店だとさらに「優秀だ」と感じるでしょう。

優秀なお店が不味いはずはない(根拠はない笑)!と思ってしまいます。

 

現実にはどこまでがバイアスで、どこまでが真実なのか判断できません。

 

それに一時間並んで後日みんなに「あそこはうまい!」とかって吹聴する自分を想像しますので、少し変わった味でも「最近の美味いっていうのは、きっとこういう味なのだろう」ぐらい思うものです笑。

 

手に負えません。健気といえば健気。

 

列に並ぶあなたを見つけた友人が「ここのはやめておいたほうがいい。食べたけど美味しくなかったよ。この列の人たちは全員サクラだよ」と言われてもにわかには信じられません。

そんなこと絶対にありえない、と根拠も無くそう思います。

自分が「まさか」と思うような警告は楽観的に捉えようとします。

人にはあれしろこれしろキツイことを言うのに、自分への警告は無視します笑。

火災報知器が鳴ってもなぜか「誤報ではないか?」と先に思うのが人の性です。

大雨でも自宅にとどまって避難しない現象です(正常性バイアス-Normalcy Bias-、ブラックスワン理論-Black Swan Theory-)。

 

これにはあわせて人間が、"自分の判断力は「平均以上である」と思う傾向があるため"だそうです(平均以上効果-Better-Than-Average Effect-)。自分の判断は大方合ってるだろう、と思いたいんですね。

脳が常に安定化、コンフォートゾンを保とうとするからです。相手を自分の側に寄せようとするのもある種の恒常化機能の延長戦なのでしょう。

自分は命令されると嫌なくせに笑。

社会での一番の問題は「人間関係」ですが、こう読んでくると、全部認知バイアスの仕業なのではないか?とか思ってしまいます笑。

 

体温を始め、体内を整えて一定に保とうとする生命維持装置が脳の判断力の傾向にまで現れているんですね。

だから人は身勝手なのではなく「それが人というもの」だと思いましょう。

そして終いには

「自分はこんなに相手に理解を示そうとしているのに相手は全く理解する努力をしようとしない」とかって思ってしまう(これさっき書いたっけ?笑)。

 

困ったものです。

 

それで新人さんが失敗でもしようものなら「だから言ったじゃないか!!!」という発言が飛び出します。これはお医者さんが「そんな生活をしていたら、病気になるのも当然です」と自分の診断力を過信して病気を予見してしまう傾向から発見された「後知恵バイアス-Hindsight Bias-」という認知バイアスだそうです笑。

 

そして、そう言われたお医者さんが、いつも接しているお医者さんだと「単純接触効果」が働きつい信頼してしまいます(このようなことは言葉を扱う現代のお医者様は認知されております)

 

これらの感覚全体が「確証バイアス」と言ってもいいでしょう。

人間関係全体がバイアスに溢れていることになります。

 

そのような意味で、大きなレコード会社は無名の新人の、まだ世間で認知されていない才能に片っ端から声をかけて、1000組から一人逸材を生み出す声掛けビジネスになっているといえます。

これは予算力を用いて自分のバイアスで判断しない大企業的な手法としては適切なのでしょう。

 

こういったバイアスがいつ働いているかを瞬時に判断することはできないので、

・大きな決断をする時、

・人との対面をしている時、

・他者から警告を受けた時、

・自分の目標にひた走っている時、

そんな時に、周囲の良き理解者が結果として当人のバイアスの加減をうまくガス抜きさせてあげる、というのが理想です。仲間は大事。

以前観た映画で、当時最強を誇ったソ連チームに学生弱小チームでオリンピックに挑むアメリカのホッケーチームの実話を扱った映画を思い出しました。

人格者である監督は、合同で集まってチーム内で敵対する学生たちを団結させるために最初から高圧的な態度で突き放します。練習も命に関わるような指導法でコーチすら心配します。

学生はそれぞれ"俺が声を発しないとオリンピックどころか皆が潰れる"と錯覚しはじめ、結果として学生同士で絆を強くしていき監督の意図に皆が気づき始めます。

お互いの偏見が別の偏見を共有することで団結を促す、という、我々からしたらめちゃくちゃ高度な指導法。複数のバイアスを生得的の想定でき流タイプの指導者じゃないとこういうことはできません。

 

せっかくですから逆バージョンも。

こちらはそれまで「スカウトの直感」に頼っていた選手運営を、実績データの詳細な確率分析から、他球団に埋もれている低年棒で出塁力の高い選手を集め、周囲の偏見と戦いながらそれまでにないやり方でチームを再建していく、こちらも実話を元にした映画です。

 

不定調性論でも「直感を磨く」といつも考えています。

錆びた直感は結果に繋がりません。

誰もが当たり前だ、と思っているバイアスを外すのは本当に大変です。

この「マネーボール」での分析データは、いわばEQ上の数値を実際目で観て数字で確認する、という作業に似ています。

 

昔のEQやコンプは波形がわかりません。エンジニアの耳が全てでした。

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ちゃんと波形を見て、数値を捉えて必要なところに適切にEQをかけるダイナミックイコライザーみたいな戦法が現代的なアプローチです。

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選手の適材適所活用、現代のデータ野球の元祖だそうです。でもこれはデータ野球が素晴らしいのでなく、主人公ビリー・ビーンの直観力とそれを支えた右腕ピーターブランド戦略と行動力が周囲の偏見を打ち破れたという点が全てだと思います。

 

余談ですが、映画の最後に、太っている選手の打った打球が外野に飛び、彼はひょっとして自分の足でも二塁行けるのでは!と打球も見ず必死に一塁を回ったところで、体格のためか、足がもつれて転んでしまう選手のビデオをピーター・ブランドが示します。

本人は急いで這いつくばって1塁に戻ります。

しかし相手チーム仲間も走れ走れ!となぜかまくしたてます。

本人は状況が理解できません。

 

打球はホームランだったのです。

そんな懸命に走った打者を、相手チームも試合を忘れて祝福します。

「やっぱり野球にはロマンがある」はそこでの主人公のセリフです。

 

様々なバイアスが自分の行動を決めています。

でも蓋を開けたら結果は思わぬものであることもあります。

 

脳はバイアスに左右されますが、体はバイアスに左右されないそうです。

それはまるで先のバッターの打球の軌跡のようです。

 

このバイアスのズレは、表情や感情は、体の進化よりも後から進化したからだそうです(自己知覚-Self-perception-)。ガッツポーズをとると、笑顔を作るよりも喜びが大きいのだとか。笑顔の進化は身体の進化よりも後だからですね。

 

不定調性論自体も旧前で愚鈍な直感を安易に扱うようなことにならないような方法論を開発し続けていきたいです。

様々な認知から生まれる、偏見、思い込み、それらとどう対処するか、音楽制作の現場でも大切なバイアスとの戦いがあるのではないでしょうか?

 

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