音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

音楽理論を知らない人のための音楽理解の考え方と不定調性論の応用

音楽のことを何も知らない人は音楽に触れてはいけないのでしょうか。

短い人生の中で、さまざまな表現物に触れて何かを感じる時、知識が何もないなら、果たしてどのような方法でそれらに接していけば有意義なのでしょうか。

 

音楽史を知り、作曲家の方法論を知り、音楽理論を知り、楽譜が読めて、楽器も人並みに弾けるようになれば、音楽の理解は深まり、楽しいかもしれませんが、それは単に社会的価値の向上がなされ、給料がちょっと上がり豊かな社会生活を送れるだけです。

幸福になるわけではありません。幸福は自分からしか生み出せません。

この記事ではいわゆる音楽理論を用いないでどうやって音楽を理解し、感じるか、について語ってみたいと思います。

 

ジャズはわからない?「ザ・エージェント」

誰もが音楽教育を受け取れるわけではありません。

トム・クルーズの主演映画「ザ・エージェント」でトム演じる主人公ジェリー・マグワイアは、ベッドで女性と向き合いながら部屋に流したマイルスとコルトレーンの1963年ストックホルムライブを聴きながら、「...なんだ、この音楽は」と笑います。

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しかしこれは、彼が浮世離れした変人ではなく、普通の人の目線を持って、大事なのは難解な美意識を知ることでも金の亡者になることでも、人類への貢献をすることでもなく、ただ愛するひとへの愛で生きられる、そういう普通の感覚を持つ親しみやすい人なのだ、という印象を与えてくれます。

マイルスとコルトレーンはそのための出汁に使われたのです(物語ではこのテープを誰からもらったか、もこの心象の根拠になっていると思います)。

 

ジャズをそういうふうに感じてもいいのだ、と私たちは往年の映画から学びました。

(その方がモテる時だってあるのだ、とか思ったり笑)

 

そこには「個人の価値観」「個人の解釈」「今本当はどう思ったか」の表明ができることの大切さがあります。

それによって馬鹿にされるかもしれないし、無知だと罵られることもあるかもしれませんが、その都度謝って学べばいいだけです。でもあなたの意見に率直に共感してくれる人もいるだろうし、あなたの同じ感性の人に出逢いやすくなります。

 

理解や解釈はその都度個人の中で変わっていきます。どんどん年々豊かにしていくのみです。知識/解釈自慢はあくまで社会的競争エンタメであって、本来のあなたの幸福とは全く関係ありません。

自分をよく見せる必要があることもありますが、裏返せば「自分は本当はどう思っているか」をいつでも自覚できることも必要です。

 

音楽的なクオリアで正直に感じる

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この曲を聴いてください。

背景の知識がないと「あーなんとなくアメリカの古い音楽かな?」ぐらいしか感じないと思います。

 

音楽分析だと、これが長調かどうか、とか短調かどうかとかを調べ、楽譜を書いて分析します。ソウルの音楽制作過程を知り、レコーディング技術を語り、歌唱法のルーツから歌を評することもできます。

先のエージェントのジェリー・マグワイヤ(トム・クルーズ)もその場で女性を抱くのをやめて、コルトレーンの使っているフレーズを楽譜に落とし、そのコードとスケールの関係を分析し、その美意識やテクニック、そこに使われている音楽理論を知れば、感動してくれたかも知れません。しかしそんなことをしていたら、彼は未来の仕事をそこでとれたでしょうか。愛する人を抱くことができたでしょうか。それが彼の人生に必要でしょうか。

 

音楽史、音楽理論がわからない状態でこの曲を聴いた時、素直に

「古臭いな、今はもっと激しいのを聞かせてくれよ」

「いいノリじゃないか」

「セクシーな声だね、好きだよこのボーカル」

とかって率直に等身大の意見を感じられることはとても大切です。

あなた自身の主張だからです。

これが「音楽的なクオリア」の応用の利点です。

今のあなたに与える、その音楽の心象を、正直に捉える

ことは自己表現のスキルです。

 

まずはこれができるようになってください。その音楽について何も知らなくていいんです。あなたが生きてきた人生を総合し、どう感じたかを率直に言えることがとても大切です。その発言をしたあと、一生馬鹿にされるかも知れませんし、好きな人に絶縁されるかも知れません。それなら言わない方がいいですが笑、自分が正直に思ったことを確信できること、が大切と言いたいのです。

つい「褒めよう」とかつい「ちょっとでも知ってることを言おう」とか思うはずです。でもそれは「社会的価値への従属」であり、社会の中で上手に生きられるために構築された脳回路が導き出そうとしている生存するための権利獲得の行動です。

それと対照的なのが「個人的価値の獲得」です。「ジェリー的発言」とでもこの記事では言いましょうか。

 

音楽ではなく、出来事として捉えてみる

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では次に天下のクセナキスのピアノを聴いて、あなたの率直な感想をください。

。。

。。

、、

。。

 

「よくみんな笑わないでいられますね」

いやー本当に。

でもこの手の発言は、社会的価値の中で生きる場合「無知」だと言われます。

そこでこのように返しましょう。

「これは今の自分の率直な音楽的なクオリアに従った意見であって、批判ではない」

と。もちろん作品や演奏者を馬鹿にする気はありません。「率直に感想を聞かせてくれ」と言われなければ表明しません。

そして次の言葉をかけましょう。

「この感想はきっと私が無知だからだ、この曲のあなたが知る価値を教えてくれ、それを学びたい」

と。

それでも怒る人がいたら、その人は本当の無知かも、です。人の脳について、人の認知について、何も知らないからです。

ここで肝心なのは、作品を馬鹿にしたいわけではなく、本当にそう思ったからそう述べただけです。

中には、芸術音楽を学ばずとも「うわ、やべーこの曲!カッケー!」と思う人だっているでしょう。

だから自分がそう感じたことはまず置いておいて、この曲を芸術音楽と謳う社会的価値の観点から、この曲をどのように鑑賞したらいいか教えてくれ、と頼んでいます。

 

先の動画は可笑しさの要素も確かにあります。

背景に座る金管楽器の人たちも譜面めくりをする人も全く動じず、ピアニストの必死な演奏に真剣な眼差しを向けているからです。そういう出来事が起きているんです。どんな状況??って突っ込みたくなることが。

これは「時系列情報」と言って、人は五感で感じるすべての情報に心象を感じるものです。これについては時間についての知識が必要です。

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この楽曲を音だけで聞くとまた違った印象を持つことでしょう。

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ではポップスを鑑賞してみましょう。

この曲はどうでしょう。どう感じますか?

"米津玄師はすごい"

というよくわからない先入観が現々代人にあるので、もう全然体に入ってくる感じが違うと思います(先入観、洗脳)。

でもこれも先のクセナキスと同じ印象で聞かなければなりません。

 

先の時系列情報で言えば、画角もかっこいいし、映像もかっこいい。声もカッコよければ、ダンスも歌詞も、メロディもコード進行もかっこいい。

でもその感じ方は、芸術音楽に親しんでいる人がクセナキスを聴くときのかんじと全く同じなんです。

ジェリーがコルトレーンを理解できない感覚と同じです。

何が違うんでしょう。

 

周辺の状況が印象を作ってしまう

それは「あなたの状況」です。

ジェリーだって、愛する彼女が実はジャズ・ミュージシャンで、プロポーズしようと思った晩に、彼女が汗を迸らせ青筋を立てながら喘ぐようにコルトレーンを吹く姿を著名なライブハウスで聴かされたら、痺れるはずです。

 

「時系列情報」が人の印象を左右します。

だから彼女とまったりとワインを飲んでる三つ星レストランのBGMでloserが流れたらたまりません。

・何言ってるかわからない

・なんで負け犬の曲をいま流すんだ

・パキパキしすぎやろ今。

・このレストラン、米津玄師流すんか。

とか色々思ってしまいます笑。

 

でもそう思って笑えることがとても大切です。

音楽に価値がないとか、よくわからんからダメだ、とか、古臭いからダメだ、みたいなことは「不満」であって、あなたの中で勝手に起きている心象にすぎません。音楽的なクオリアの悪い面を制御できず自分に垂れ流している状態です。

笑って店長を呼んで、なんでここで米津なの?って訊けばいいと思うのです。ちょっと興味深い答えが聞けると思います。

 

まったり一人の時間にブログ読みながら聞く米津玄師は確かに最高です。

自分の会社の好みの美人が弾くクセナキスはまた違って聴こえるでしょう。

それらが時系列情報が醸し出す心象のマジックです。

全てにおいてそれは作用し、絡み合います。

現代音楽を普段から聴いている人は、さまざまな自分の時間の感傷の場面で強い心象を持ちながら聴いてきているので、クセナキスの音楽はいつ聴いても感動的です。

 

そうした自分の背景を一切無視して、ただ楽譜から読み解けることを分析することは学術的意義であって、あなたの幸せとは少しかけ離れた位置にある価値観です。

「音楽を分析できるようになりたい」の意味をもっとよく考えてみましょう。何のために他者との共通言語である音楽分析をあなたはしたいのですか?

 

一方で自分の心をただ表明できることの面白さ、豊かさ、意義を感じるなら、勉強よりも自身の気持ちに素直になるトレーニングを積んでみてください。

どちらがあなたは欲しいのですか?

 

自分にとっての価値を生み出す

音楽は所詮空気の振動が、耳の中で音程情報に変わった極めて主観的な情報です。

そして前後の雰囲気や感情、現在の気分、思い、さまざまな自分の現状がその音楽情報の心象を勝手に作り出します。これを「音楽的なクオリア」とします。

 

だから全く音楽理論をわからない状態で、その曲がメジャーキーの曲か、マイナーキーな曲かを判別できるようになりたい、などを判断しようとしなくてよいんです。

それはあくまで「音楽の価値を測る社会的価値情報」であり、あなたという一人の人間が持つ価値ではありません。

勉強する余裕があって、そうした音楽情報を識別判断できることは素晴らしいですが、あなたがそれを本当に楽しめない限り、単に自分を偽る仮面を作っているだけです。

 

Loserを聴いて明るいか、暗いかを音楽理論的に分析できる前に

・あーこの緑色マトリックスの映画みたいでいいなあ、そそるなぁ

・あーこの有機体みたいなクネクネダンスの異物感たまらんなぁ、逃避できるなぁ。

・あーこの音の流れなんか好きだなぁ(Loserのコード進行は伝統的なロック進行だから、日本人の意識に染み込んでいるので、カッコ悪いと感じるはずがない形式になっている)

・この歌詞、検索して書き出したいなあー。

とかを感じることが最優先です。まず欲望や感情をしっかり感じてみましょう。それはこの曲がF#マイナーキーだとわかること以上に今後のあなたの人生に大切なことです。好きな人に対して分析するのではなく、好きだと思う気持ちを伝えることの方が有意義な時が、人生にはあります。

その音楽の自分にとっての価値を自分で見つけるんです。

ジェリーは「君と過ごす夜には、超一流のジャズだって要らないんだ、君と楽しく過ごせれば全部楽しくなるじゃないか」と言っている、と思えば、あの発言の裏のジェリーのその瞬間のイキリ具合が読み取れます。

マイルスとコルトレーンが霞むほど君といると楽しい。のですから。

 

クセナキスなら

・やべー、あんな適当でいいんなら俺にも芸術音楽できるかも

・音楽深けーおもしれー

・俺もテキトーにピアノ叩きてー

・俺もあの横に座って、何もしないけどなんかしてるふーにしてー

とかってまずは楽しんでください。

きっとそういう風に言って友達から軽蔑されるのが嫌な人はこういう楽しみ方はできないでしょう。そして全てやってみてください。意外と大変ですから。またやってみると面白くなかったりします。

 

そこから興味を持って、真剣に伝統音楽の意義や、自己表現の探究を目指せる人は本気で勉強してみてください。

 

 

知識は自分の畑から生み出せる

音楽構造に興味を持つと、すぐに楽典の勉強、wikiで歴史の勉強、となってしまうかもしれません。でもその前にもう一段階、自分で掘り上げてみてください。

Loserなら

・なんかどっかで聴いたことある曲の流れのかんじだよな、なんだろうな。。

・この手拍子(クラップ)みたいな音好きかも、アガる

・「どこにもいけやしないのに」って歌詞が刺さる

とか曲が醸し出す情報を真剣に自分の耳で聞き掘り下げてみるんです。それをこうしたブログの記事のようにまとめてみてください。これを続けると半年後めちゃくちゃ音楽に詳しくなっています。

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いきなりブログで調べたり、インタビュー記事読んだりせず。

あなたが大事だ、と思うポイントは音楽理論的にも大体重要なポイントです。

だからあなたが曲を作るとき「Loserの手拍子みたいの入れたい」という発言と「2、4でクラップ入れて?」は同じ意味なんです。

大事なのはあなたが何を感じてどういう動機にできたか、です。知識ではなく、やはり音楽的なクオリアが動機を生み出している、という点がポイントです。

 

クセナキスなら

・なんで人はこういうものに価値を感じるんだろう

・この異質感に対する敬意はどこからくるんだろう

・クセナキスって何者?何がすごいの?

・なんでこの演奏家、こんなに真剣に取り組めるの?その価値や情熱てどこからくるの?

 

とまで感じる人は、きっと近いうちにクセナキスの伝記を読むでしょうし、演奏家について調べて、彼のツイッターをフォローするでしょう。なんでクセナキスに入れ込んで、彼が何をそこから表現しようとしているか、その価値に共感するところまで辿り着けるでしょう。それはあなたにも似たような要素があるからです。連絡を取り合って様々な趣味の共通点を見つけるかもしれません。

そこからあなた自身の真の興味を見つけられるかもしれません。

 

音楽理論を学ばなければならない、という必然性はもっとずっと後で補足的に感じれば良いと思います。「辞書読みてー」と思う人はあまりいないでしょう。

勉強だけが勉強ではありません。

まず自分で自分が知りうるセンサーで詳しくなってみること、自分の心象現象に対してしっかりと向き合って、それを知識とできること、まさに知識の自給自足です。

知らないことは永遠に減りません。音楽理論を学んでも音楽に詳しくなれないのは、自分が望む感覚の知識を自分で自給自足できないからだと思います。

自炊できる料理力があっても、スーパーやコンビニがなくなったら自炊できないのと似ています。

知識は自分の畑からある程度生み出せる、と知っていただき、自分の心象力を鍛え、自分のための知識や価値を創造できることが音楽を学ぶ一番最初にできることだと思っていただけるとうれしく思います。

 

最後に大事なことを。

そうやって音楽理論を学習すると学ぶこと、覚えること、同意すべき規則/美意識/慣習が沢山ありすぎて辟易するでしょう。でも「音楽的なクオリア」をそれ以前にしっかり働かせることできていれば、「次、自分何すべき?」がわかるようになると思います。

音楽方法論や技術集って、そうやって「自分が次にすべき行動が分かっている人」が活用できる存在だと思います。「あ次アッパーストラクチャートライアドだ」とかって思ったけど、よく分かっていない人が覚えるまで何度も開くのが音楽理論書、だと思います。料理を一切作れない人が子羊のローストの作り方を読んでも、なんで子羊を殺して食べるんだ、って悲しくなるだけかも。英語を学んだことがなくても普段英語を話す知人とやりとりしていれば、英語感覚はすでにあなたにありますから必要なことを身につけやすくなります。