【作曲でお困りの方へ!】 #拡散希望️
— ヤマハ K-ONB(けいおん部) (@yamaha_k_onb) November 13, 2019
堤有加 @uta27drm 作曲アレンジ講座より
〜好きな曲のコード進行を借りる〜
・無理に「理論」から入らず、「いい曲だな」と思える曲のコード進行を借りる
→自分なりのメロディーをつければ、それも作曲♪
「好き」と思える曲のコードを研究してみましょう! pic.twitter.com/u3R9I8JS65
自分にはとてもイメージしやすいトピックだったので取り上げさせていただきました。
自分は「好き」のその先の自己探求がしたくて不定調性論をまとめました。
上記ツイートの動画内の先生の言葉ですが、
"「いい曲だな」と思うものは基本的に理論内でまとまっている"
一般的にはこれが正しいと思います。
不定調性論は「自分がいいと思うものを感じよ」と言っていますので、その思考法そのものです。あとはこの危険性を知っているかどうかだけです。
世の中には、変わったものを「好き」な人もいます。そしてそれでも音楽をやりたいと思っている層もいます。不定調性論は、こうした正論の裏に埋もれてしまう人たちのための思考法です。
私も「好き」が無調的なサウンドだったりしたので、長いこと、ぁあジブン音楽は無理だなぁ、って密かに思いながら音楽やっていました笑(・д・`*)ハァ
しかしこれは、そう思わされてしまっていただけでした。
自分は、理論の外にあるからこそ、そのスリリングさに、そのアヴァンギャルドさに惚れ込んでいました。最初はそれはあくまで補足的な嗜好で、メインは理論的に正しい音楽を自分も好きなはずだ、と言い聞かせていました。
当時から不定調性論はある程度まとまっていたのですが、こうした感性優先の主張はそこまで強くありませんでした。むしろ控えていたくらいです。
"自分の感性はおそらく誤っているだろう"
と心のどこかで恐れていたからです。
やがて「主観の独自性」をまず自分自身に認めさせることをスタートラインにしないと何もできないのではないか、と考えるようになりました。
まずは自分の「好き」を受け入れること。これが結構難しい。
「好き」がちょっと変わった音楽の人は、良い意味で売れることは諦めて、上手に音楽生活活動と仕事の立ち位置を決める決断をした方が良いと思います。工夫なくただ食えなくなるだけでは周囲との軋轢も強くなり、あなたは滅びてしまいます。
理解ある講師とじっくり話して、自分のこれからを早めに模索してください。
素敵な生き方はたくさんあります。
私は逆に押し切って生きてきました笑。
はじめのうちは、好きなものばかり追っていると考え方や信念に偏りが出る、と知りました。食べ物と同じですね。好きなものばかり食べていると体もおかしくなります。
「正しい」と言われるものを追いかけても同じことが起きるから面白いのですが。
不思議ですね。
まあ、社会でも好き勝手やりすぎると逮捕されます。
多分「好き」だけでは何かが不足していくのだ、と直感しました。
自分にとって良いものを取り入れていくためには「好き」「主観」「自分にとっての正当性」そのものを鍛え直す必要がありました。勉強しました。楽しい勉強でした。自分のためですから。
そして歴史上には変態がたくさんいてほっとしました。自分は普通でした笑
要は全体とのバランスとか、自分の役割をしっかり果たせない存在は「いらない存在」になってしまうという理屈が体でも社会でもあるのでしょう。
「好き」を通じて「自分の役割」を追求する行為が欠けていたわけです。
自分も淘汰されたくなかったので、自分の役割ってなんだろう、と考えました。
現在は役割として「独自論を作る人をサポートすること」ということを掲げています。
それに付属して、音楽活動をしたい人をサポートする、という仕事も自分はとても好きで、今の状態はまさに自分が望んだポジションです。
少し余裕が出て、次に感じたことは、
世間的基準と違う自分を修正して行動するときと、違う自分を活かして行動するときの区分けをどうすればいいか、ということを判断するための指標が必要だ、
と感じました。
いつ自分を出して、いつ引っ込めるか、の判断基準です。
そこで「音楽的なクオリア」という判断基準を設けました。
その鍛錬を行っていけば良い、ということに今はなっています。
これは何か根拠を求めるのではなく「そういう感覚が降ってくることで判断する」という発想法です。
これは根拠がないので、組織や仲間内で多用すると嫌がられます。
しかしあなたが一人で決断を迫られた時、これが役に経ちます。
「は!!今自分はこうすべきだ!」
と強く感じるからです。
注意深く日常で自分の感じたことに耳を傾けていけばこれは勝手に鍛錬されます。
秘訣も何もありません。「好き」と「自分の役割」さえ見つけられている人なら誰でもできます。
「感覚でやる」「直感で行動する」
ということが皆さんの日常でもあると思います。
さらに、これまでの人生で「確信的な直感」もあったと思うんです。
身体中にビビッとくるような直感が。
そういう時のビビ!!は「勘でやってる」時の「直感」とは何かが違います。
逆に言えば、それをいつでも降ろせるように鍛錬しておけばいいわけです。
ゾーン?という言い方をしますが、そこまで飾り立てたものではありません。
もっとシンプルで素朴な、日本人なら誰でもたどり着ける境地があるはず。
よく考えれば、理論的に正当だ、と判断する時だって、本当にそうか怪しいものです。
しかし「自分を研ぎ澄ます」ってどうすればいいの?
そこで参考したのが日本の武道文道の考え方でした。
精神が研ぎ澄まされていなければ、直感は降って来ません。
日本人と言いましたが、このような文化背景がしっかりと体に根差している人物なら誰でも可能だと考えます。
物怖じなく、引け目なくリラックスを持った緊張感の中でないと直感は上手に機能しません。
それらを体系化した、武道の教えや、「道」と名のつく日本的思想は、そうした考えに満ち満ちています。せっかく日本人の精神世界を持っているのですから、これを活用しない手はありません。アフロ・アメリカンがブルースを活用したように。
掃除をやる、とか、規則正しい生活をする、とか、直感には大事なんだなぁ、と、年々感じます(日本人に限らずか)笑
ただ歳をとっただけかもしれません。
野球部でグラウンドに一礼する感覚を、音楽で仕事を始めてからわかるようになりました。つい朝一、パソコンに一礼してしまったり笑。それによって集中できます。
自分たちの音楽文化を、我々のやり方で独自性を磨き上げていくには、別にパソコンに一礼しなくても、そういう「日本人的気概」が真ん中にないと、次のメロディをどうすればいいか、というような直感すら降ってこないのではないかと思うのです。
世界的感染症の中、満員電車を非難するきらいもありますが、ひょっとするとあれによって日本人は他人の細菌に強くなっているのかもしれません(すみません適当です)。
結局きっとああいうのが好きな民族だと思うのです。一生懸命が。
もし満員電車最高!俺働いてる!って思えることはそれこそ「認めづらい自分の"好き"」だと思うのです。
それを認めるのがまず難しいよ?という話は先にしました。
まずそれを認めましょう。
その次は、潔く、他人に敬意を払いながら、この大変な世界の状況下で頑張って働こう!感染対策しっかりやって頑張ろう、となるのが「主観の鍛錬」だと思います。しのごの言われて引き下がって欲しくないです。私たちは12年続けたスタジオを閉じて全てテレワークにして感染症防止に協力することにしました。
これからこそが一生懸命の見せ所。
私は自分の「好き」は現代音楽でした。
本当はポップスが作れる人間であったらなぁ、とか思う癖があります。
このスタンスも洋楽に憧れて自分を変えようとする思考に似ているな、と感じます。
自己を卑下するのも日本人らしくて良いと思います。
その向こうに磨き上げられた信念さえあれば。
これからの人には、ぜひ「好き」の段階もほどほどに、「好き」の向こうに攻め入ってください。役割を早めに見つけてください。
「嫌い」の向こう側に行くのもいいですね。意外な世界が広がっているかも。
「好き」の探求は全く楽ではないので、
「「好き」と思える曲のコードを研究してみましょう!
という言葉は、実はとてつもない音楽沼に誘っているのです笑 。
耳触りの良い誘い文句だけに注意が必要です。
先生方もその先に待っているものをきっと説明なさっておられると思います。
一人でも多く自分の音楽活動のあり方を創造できるようにこれからもサポート業を一生懸命頑張っていきたいと思います。
音楽的なクオリアの話は下記からかいつまんでいただければ幸いです。