音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

オリンピック2020〜開会式「君が代」を巡って街の音楽家が感じたこと

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音楽をやる人にとっては式典の「君が代」はいつも特別な気持ちがしてしまうものです。特に普段意識していないのに。

 

 

 

前回オリンピックの風潮

この記事はオリンピックの開会式君が代についてのみふれています。

運営スタッフには知人もおります。運営に携わり無事開催まで導いた、演者の皆様、現場スタッフの皆様に最大限の敬意を申し上げます。

 

下記は64年の「君が代」です。2021年の記録もきっと歴史的映像になって残ることでしょう。

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国旗が掲揚される音楽に「君が代」ってすごく厳かでぴったりだな、と感じます。

ja.wikipedia.org

「ファンファーレを公募」などの「みんなで創るオリンピック感」が満ちています。

各種芸術出品などがあり、日本文化の発信が活き活きと受け取られた時代でした。

 

そもそもデジタル化された現代にオリンピックの文化的側面の発出が盛り上がりに欠けるのは、致し仕方ないと感じます。現代は世界中に日本文化が日々発信されているからです。

 

国民感情は64年も同じでした。

「オリンピックを開くのにたくさんの費用をかけるくらいなら、今の日本でしなければならないことはたくさんあるはずだ」

これは64年の言葉です、2021年ではありません笑、この手の無責任発言はお約束です。

 

批判したくなるのは、イベントの成否ではなく個人感情から日頃の不満をぶつける宛てがないだけです。

だからイベントの成否を考えるときはそういう個人に帰する視点は一旦取り除いてみる必要があります。

私は音楽家、音楽講師ですから、「君が代」について丁寧に考えたいと感じました。

 

「君が代」についての世間の賛否 

たまたま検索した下記の記事主さんがポイントをすっきりまとめておられたので謹んで引用させて頂きます。

sakuraikodama.hatenablog.com

掲載されている賛否両論はどれも共感できます。

アレンジについて、衣装について、MISIA氏起用について、歌唱について、照明、映像について..これらは何をネックにするかでだいぶ印象が変わります。

私個人的には編曲も、MISIA歌唱も、衣装も全部素晴らしかったと思います。

あとはどう見せるか、っていう演出と運営側のストーリーを私はよく知らなかったから、誠に生意気ながらいまいち説得力を感じませんでした。

感動と一緒にモヤっと感じてしまい、その理由を紐解きたくて書いています。

真に受けないでください。ただの感想文です。

 

サブチャンネルで詳しく解説している動画とかありましたか?わたしはテレビを持っておらず。

"あの「よ」の発音についてはMISIAさんは2週間眠れなかったそうですよ?"

とか伝わってくるのが2021年ではないのかな、とか思ったりしてます。

"このアレンジは49回書き直されているんです"

とか。それが音楽の印象の厚みになります。音楽の価値って心の中に置かれたストーリーと化学反応するんです。

最近ぶっ飛んでるNHKさんの勢いも感じられません。

 

オリンピックに国民全体が反対、みたいな空気だったので、いきなり始まった感が凄かったです。始まったら当たり前のようにやっている!ことにも違和感がありました。

でも今回はそうするしかない、ってよくわかってます。

それが悔しいし、変な胸の痛み。やるせない空気感を感じました。

そのザワザワ感が凄すぎて、君が代の緻密で繊細なアレンジの温度感がザワザワ感で曇ってしまったぐらいです。

 

下記はリオオリンピック時の、君が代編曲をされた三宅氏の記事です。

『ブルガリアン・ヴォイスのスタイルでできないか?』と打診されまして」

"椎名林檎天才かよ。"までが構文ですね。

特に「君が代」をアレンジするなら、音楽を"識ってる"人のプロデュースが欠かせません。

spice.eplus.jp

今回もここに書かれているような君が代ストーリーがあると思います。

後出しで来るのでしょうが、早めに読みたいです。あのアレンジが誤解されて意識に定着してしまう。ストーリーは大事なんです。僕らは天才ではないから、与えられるストーリーで楽しめるんです。

 

なぜあのアレンジにしたのか、どんな意味があったのか、どんな思いがあったのか。それによって我々は何を達成したのか。何を得たのか。まだ何も知らないまま音だけ聞かされています。

特に今回のは音だけで理解できるほど簡単なアレンジではないし、音だけで理解できるほどまだ社会は文化的に成熟していません。

でも日本人は、ちゃんと説明されたら分かります。理解できると思います。感性が豊かだから。理解しようという心構えがいつもある国民性だから。

 

君が代アレンジについて

今回の君が代表現の"攻め"はリオのスタンス踏襲を感じました。www.youtube.com

外国人が聞くアジアンで、謎めいた音楽の神秘性で見事に会場を引き込んだと思います。

Star Wars Episode 1 Soundtrack- Duel Of The Fates

日本の時代劇をモチーフにしたスターウォーズのこの曲をすぐ思い出しました。

一瞬で「ああ、未知の国の神秘と決意と運命を感じる!」です。

ブラジルは日本のアニメ文化にも詳しい人多いし。なおさら。

 

今回はコロナ禍で二百人密集の合唱というわけにもいかず、前の真似もできず、ソロ歌唱になったわけで、もうとにかくcovid最悪!という感情を隠すことができない状態です。そういう気分ばかり湧いてくるのです。

 

結局社会が冷笑してきた我らがアニメとゲームのオタク文化しか世界に通用する日本文化がない(重大犯罪の温床とまで言っていたではないか)、と認めた形になったのは、すごく出し抜かれた感、というか、なんとも言えない違和感がありました。それはリオの時もあったのですが。

もっと世界最古の伝統芸能がたくさんあります。それがあってあの君が代アレンジが初めて輝くんです。伝統芸能からゲーム文化を導いたから進化なんです。

国家が日本文化の底辺の育成に投資をせず、自動的に"勝手に受けいれてもらった文化"に乗っかる形になってしまっていたので文化人は冷めてしまうわけです。

これも結局力のない私どもの責任だ、と痛感しました。

 

これ、音楽に詳しくない人が依頼しているのかな?作曲家に投げっぱなしじゃないよね?とふと感じました。

音楽は「静かなる巨神兵」です。

ちゃんと制御できる者が使わないと。

 

MISIA氏も冒頭なんであんなにマイクを口にかぶせて歌ってしまわれたのか...泣

モニターが悪いと、あーしないと自分の音聞こえないですからね。

イヤモニ左耳の方がカメラ的に良かったんでは?ああ両耳つけてんのか!

ほんとに聞こえないのかな...ああじゃあスタンドマイクってわけにもいかなかったのかな(スタンドマイクはカッコいいから...)。

 

とか何か色々感じてしまって、逆に口パクだと思われやしないかヒヤヒヤしました。

華麗な口元が見えていたほうが良かったですが、別にそんなことは大した問題ではありません。問題はcovidだけです。

 

君が代流れて、リハ不足とか、準備不足とかすごいプレッシャーとか最初の「き」の後半のピッチの揺れとか、何かすごいものが伝わってきてすぐ感動で泣けてきました。誰かの責任以前に、なんでこんなことになっちゃったのかな世界って。

 

同時にMISIAのやるっきゃないよなぁー感。を感じて押し寄せる水圧のような勇気をいただきました。矢面立って歌うMISIAかっこよかった。全てを背負わされてしまってるみたいで、ほんとごめんなさい、ぐらいに感じた。なんでだろう。

 

で、すぐに「千代」の「ち」のところで「あれアレンジがオカシイ」と感じました。これは君が代ではない、と。これは武満徹〜吉松隆からくる、日本人が作った美意識の発現だ、と!

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このアレンジの役、久石譲氏がやったらどうなったんだろう、とか感じながら。

covdじゃなかったらジブリサウンドでも良かったのかな、とか。

でもいまはこれしかないよな、とか、なんか余計なことに耳が吸い寄せられました。

何でこんなどーでもいい感じに扱われているんだろうなあのアレンジ、音響、という思いも湧いてきて。誰かを批判したいとかじゃなくて。

 

 

何度も繰り返し観れば、鷺巣アレンジは、日本の風景、心情が静かに確かにワールドワイドに通じるクオリア(世界中の若者が聞いているゲーム/映像サウンドの質感)になって音に成っていたと私は感じました。

日本の現代音楽の文脈を知っている人なら、世界が感じる西洋音楽理論を通した日本の美はあのサウンドしかありません。

 

あの君が代を自分達のサウンドだと感じることはできましたか。

  

きっと皆さん「不思議なサウンド」体験だったと思います。

勝手な発言ですが、その「不思議だな」を乗り越えていただけたら嬉しいです。その先が日本人だけが持っている耳の美意識を自覚することになるからです。

みなさんは最初から、あのサウンドが持つ美を感じられるんです。学校でちゃんと習ってないだけです。

ポップスの耳で聞かないでください。

雅楽の耳で聞いてください。

雅楽の耳で聞くと絶妙に西洋音律と日本の映像文化の音楽になっていませんか??

あのサウンドは侘び寂びを平均律12音で世界向けに表現されているのかな、と。

 

 

日本の芸術性は、整った幾何学ではなく、侘び寂び枯山水です。そこにははっきりとした色調やわかりやすい幾何学模様はないんです。そのなんでもない風景を見て、私たちのこころはわけもなく何かを感じるんです。

それがあのふわふわとしたサウンドに反映されている、ってもう思い込んで聴いてください。その聴き方は学校で習っていなかったと思います。

初めてあのサウンドを聴いた人は、今回で把握してください。

そうか、わびさびって、12音で出そうと思ったらああなるんだ、とか。

 

あれを尺八でやったらウチに籠もるだけです。やはり12音平均律でやらないと。

それが不定調性的な表現が日本人が得意である理由だと私は信じます。

 

などと思っていたら、

サンクエさんが耳コピしてくれてました!

あれ耳で採れるんだすごいな!とか思ってしまった。素晴らしいです。

すみません、私採っていませんので全面的にこれを信じて話進めます。

 

具体的にアレンジのテイストで言えば、「これぞ不定調性である」と言ってしまえば済むのですが、ちょっと音楽を知ってる人だと

「あ、なるほどね、わかんね」

でしょう。

武満の文脈から来ている美意識が、アニメ・ゲームテンションでシンプルかつ重厚に成って使われている、わけですが、

「まあ、そうかもね、でもわかんね」

 だと思います。

 

不定調性的なアレンジの難しさは、理解するために

「聴く側に理解しようと意欲的な心を持つ必要がある」

という点が、武士道のやり取りみたいな手間暇かかる一面があります。

でも日本人にはしっくりくる感あると思います。ちゃんと理解しようと思えば。

 

しかしこのコロナ禍の中で聴くアレンジとしては、聴き手に負担の大きいアレンジかもなぁ、なんて思ったり。

そこに集中する体力がいまはないよなぁー、とか。

 

普通に聞きたい人は「普通にやってほしい」と云うでしょう。歌い方も普通にしてくれ、って云うでしょう。

でもこれは「不定調性サウンドを理解しようと云う気持ちのない聞き方」なんですね。

コンテンポラリーにはある程度聴きかたがあるので、そこは一般に浸透していません。テレビでもやってくれないかな?現代音楽の聴き方。現代音楽舐められてるようなーって思ったりします。

聴き手に聴きかたを要求する音楽は(自分がそれ作ってるからわかるのですが)ウザいです笑。こっちが名乗ったらそっちも名乗れ、みたいなリズム。

 

でもオリンピックという絶妙な場でこのアレンジが君が代で具現化されて初めて2021年ぽく成った、と感じました。やっと令和の価値観が発信された、ぐらいに感じました。

 

あのアレンジは、

演歌を聴く耳には抽象的すぎるし、

映画音楽を聴く耳にも抽象的かも。

EDMしか聴かない人は、声部移動の水墨画の線のような美しさが肝になったコンセプトがパンチに欠けてちょっと地味に聞こえたかも。

歌物ポップスが好きな人にはふわふわパンチがなかったかも。

逆に現代音楽の人には編曲の迫力が物足らないかも。

でもビートルズやクイーンが好きだった人はニンマリしたかも。

ボカロ世代の人たちも「いまっぽくていんじゃね?」てさらりと受け入れられたかも。

ロックンローラーの人も「いんじゃね?あれはロックだよ」っておもったかも。

 

この手のアレンジは、途中が多少変わってもそんなに全体に影響はないんです。例えば「残酷な天使のテーゼ」のサビをいきなりこの不定調性アレンジにしたら、大クレームでしょ?

でも今回の君が代のアレンジの場合、途中別のやり方をしてもそんなにコンセプトは変わらないんです。

不定調性ですから、流れの中で作られる抽象さが別の抽象さになるだけなんです。

だから聴き手が豊かなストーリーを持ちながら聴けないと理解できない音楽なんです。

 

あの音の雰囲気が「国旗が上がっていくときの音楽としての音楽的なクオリア(心象)に合っていないのでは?」という疑問も確かにわかります。

衣装にあのアレンジあってる?とか。もっと仮想の歴史映画の衣装みたいのが合うんじゃない?

あの照明で良かったの?とか。

あのアングルの感じで映像カット固定で良かったの?とか。アレンジが映像的なのに、映像あんまり普通でしたよね、みたいに言われないかな、とか。

アニメのMISIAが天地初發を背景に歌うシーン挿れてくるのかな、とか思った自分求めすぎ。

でもそういう風景に合う素晴らしいドラマチックなアレンジじゃないか!

 

だから音楽の力分かってない人が演出したんかな、と思ったりしてしまうわけです(自分できもしないけどすみません)。

ちょっとオケの音小さくねーか!もっと先生の音を上げろよ!ぐらいに思ったり。音上げないなら、アカペラでよかったじゃん最初から!(すみません、失敬m(_ _)m)

 

音以外に完璧さを求めてしまうのはあの音楽に映像音楽的な完璧さを感じるからでしょう。

 

でも仕方ない、やれただけ良しとしなくちゃ、って思えてきたりして批判する気も萎えるコロナ禍。

 

色々難しいと思うんです、あのアレンジの価値と向き合うのが。今は。

だから2030年には伝説になっていると思います。

先に音楽は「静かなる巨神兵」と書きました。

音になるととんでもないパワーを心に打ち込んできます。リハと本番でも違います。

あのアレンジは生で見たら荘厳でしょう。生演奏ならなおさらです。

 だからあれ、生演奏で生で見ることを前提に作られたのでは?とかって思ってしまいました。

 

私は日本の花鳥風月と、世界への意気込みと、君が代の持つ意味と、オリンピックの精神を全てが現在の日本文化の色合いで見事に表現されたアレンジ、不定調性ありがとう!といまは思っています。

  

 

今回歌唱も攻めに攻めまくった君が代、と感じました。発音がいわゆる日本のR&B的で、「を」「お」が「Woah」に聞こえました。

やばい!!大丈夫だろうか!!とか思ってしまいました笑。おじさんたちに怒られる(周囲のこれから日本支える世代は、あれでいいじゃん、だってMISIAだよ?で済んでます)!

自分がもし隣でサポートしていたら「あ、すみません、そこはちゃんと"を"って言いましょう」とか絶対言っちゃうやつです。

結果、日本語の歌ではなくNIPPON語でした。それはどう云う意図なのか、これも今回のコンセプトや意図を説明いただいた方が納得できそうです。我ら庶民は天才たちの進みすぎた頭脳にいつもついていけないので、早めにメッセージが欲しいです。

 

MISIA氏であったことに不満はありません。50年後、大いなる文化人として名前を残すアーティストになっている人を選ぶべきですから。

 

でもMISIA氏ならアカペラでも1000人分のパワーがあります。

いや、アカペラのほうがいいんだよ。

知らないのかい、この人は人間オーケストラなんだよ。って思ったのは内緒。

 

それならば。R&B日本語でいいのなら、そしてあのアレンジならば「宇多田ヒカル」氏とかだったら世界は狂喜するわけで。ゲーム/アニメ五輪として世界中にさらに一本筋が通ったはず、とか思っちゃうわけですよ。

 

また、それなら細川たかし氏にソロで歌ってもらったほうがよかったんじゃない?

あの人マイクもオケも要らないよ?

とか色々感じたり。生でないと伝わらないスゴサを持つ人は今回は選ばれないか。。

 

結局自分も個人の感想になっちゃいますね。失礼はその都度お詫び致します。

 

今回のオリンピックの映像は、やっている人たちの感情を特に強く感じてしまって上手に観れません。

国民の祭典を祝えない国民になってしまった。それは自分の責任であり、わたしの選択の問題です。

 

私の書いた文章など、的外れだと思うので、早くそれを埋め合わせる関係者のストーリーを聞きたいです。それが出ましたらこの記事も訂正文を入れます。

 

何より早くこの災禍が過ぎますように。

 

海上自衛隊東京音楽隊ホームページ

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こちらもぜひ。

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