氏には名曲づくりとかに励むのはもっと後でいいので、四十歳までは音楽的に暴れて欲しいところです。年を重ねるとやりたくてもできなくなるので。
未見なのでドラマとは関係なく書きます。すみません。
今回もitune storeで購入。
コード譜
まだコードも出ていない(7.6時点)ようなので耳コピしますね。
(イントロ)C#m7(9) D#7(#9) |
C#m7 D#m7 |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |A#m7(b5) D#7 |
C#m7 D#m7 |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7(#9) |
(1A)
C#m7 D#7(#9) |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |A#m7(b5) D#7 |
C#m7 D#7(#9) |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |D#m7 G#|
(1A')
C#m7 D#7(#9) |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |A#m7(b5) D#7 |
C#m7 D#7(#9) |G#m7 Gm7 F#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7(#9) Ddim7|
C#m7 |Cm7(b5) |B69 ||
C#m7(9) D#7(#9) |
(1サビ)
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7 G#m7 |
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |F# B |
EM7 F# D#m7 A#m7 |A#m7(b5) D#7 G#m7 |C#m7 B |F# G#m7 |
(間奏1)
C#m7 D#m7 |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7(#9) |
(2A)
C#m7 D#7(#9) |G#m7 B7(13) |Fm7(b5) EM7 |F#7(#9) D#7 |
C#m7 D#7(#9) |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |D#m7 G#|
(2A')
C#m7 D#7(#9) |G#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |A#m7(b5) D#7 |
C#m7 D#7(#9) |G#m7 Gm7 F#m7 B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7(#9) Ddim7|
C#m7 |Cm7(b5) |B69 ||
C#m7(9) D#7(#9) |
(2サビ)
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7 G#m7 |
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |F# B |
EM7 F# D#m7 A#m7 |A#m7(b5) D#7 G#m7 |C#m7 B |F# G#m7 |
(C)
G# Bm7 |E7(9) A| EM7 D#7 G#m7 | ×4
(Bm7はB7(#9)かも)
(サビ)
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7 G#m7 |
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |F# B |
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |D#7 G#m7 |
G#m7 C#7|F# B7 |Fm7(b5) EM7 |F# B |
EM7 F# D#m7 A#m7 |A#m7(b5) D#7 G#m7 |C#m7 B |F# G#m7 |
G#m7||
テンションは特に目立って聞こえた音だけ書いています。
D#m7かD#7(#9)か区別がつかなかったところもあります。
自分が歌いやすい方にしてください。
赤字のコードは自信ないです。
馬と鹿?Flamingo?
コードが細かく展開するところなどは「馬と鹿」などでもありましたね。
細かいコード進行は「ピースをちりばめていく感」とか「拾い集めていく感」。を感じます。
"Flamingo"と似ている、という意見がありますが、どうでしょう。リズム感や歌詞のアプローチは同系統の"混沌"感を持ってますが、別物かな、と私は感じました。
コードについては「Flamingo」とは違うぞ、という根拠もあります。
今回の曲キーはG#mですが、II7が曲中に出てこないからです。つまりA#7が出てこないんです。「馬と鹿」ではII7がありました。これはとっても大事な違い。
前回「馬と鹿」で書きましたが、
・意味のないはずのものが訴えてくる意味
・矛盾しないと見えてこない答え
・混乱状態じゃないと生まれない秩序
考えれば元々これらを表現してた人だなぁ、と改めて思います。
「愛し合うように喧嘩しようぜ」って、混乱と矛盾で意味はわからないけど訴えてくるニュアンスはわかります。
相手が好きだから、と言って完全所有するために殺してはいけないと言われるし、今後一生全く傷つかないために自分を殺すのも違う、と言われる。
その間をとるって広すぎて...でも全部答えだよ、って言われてるみたい。
そのかわりやるせなさはずっとあるよ、と。
ビートルズなども後期、結局ファンを置いてきぼりにしてでも貪るように表現の探求に奔走しました。それを先例とするならば、そこまでいかないその間のどこかで答えを探して欲しい、っていうのがファンの願いでしょうか(自分の願いか)。
口と食にまつわる歌詞
「この煌めきを食べ尽くそう 二人でくたばるまで」
という歌詞があります。
lemonは「苦い味」が口に酸っぱかったです。
Flamingoには「吐いた唾も飲まないで」っていうのが気持ち悪かったです笑
馬と鹿の「噛み終えたガムの味」もなんかゲーーって感じでしたし ( >д<)笑
「噛み締めた砂の味」もオエーーーって感じでした ( >д<)笑。
とにかく「食」に関する表現ってイメージが湧くぶん、強烈です。
これは「歌詞テクニックの一つ」と言っていいんじゃないか、と思います。
この方はよく「吐く」笑。綺麗なものを求めている、からこそ反動的指向(ユーミンレポート参照)で汚いと普通思われるものを表現する??若いから飲みすぎているのか。
(追記;コロナ禍で飲食の機会が減って、歌詞のスタイルは変わるでしょうか?)
口で感じることってリアルすぎませんか?「キス」とかもそうですが、日本人はあまりキスの習慣が日常にないので、やっぱり「食」ですよね。
あと「呑み」。感情が一番溢れる現場が「飲み会」。
洋楽文化を受けて「口づけ」っていうのを輸入して、キスといえば流行りのポップス、みたいなイメージを出してきましたが、それは洋楽の真似だったんですよね。
日本人の口が一番求めるリアルを「キス」より「会話」より「食べること吐くこと」に米津J-popが出ていて冴えてるなぁ、と。
Cメロの不定調性コード
やってんな笑と思ったのがCメロ。2:53ぐらいから。ここは機能和声で分析しないでください。不定調性的思考で一時解釈した方が早いと思います。
こういう進行を「調が破綻している」的に表現すると、いかにも「音楽には調がなくてはならない」という潜在的な発想に縛られてしまいます。
「破綻しているから価値が一段下がる」という発想は差別的でもありです。
海の波の音は調性があるとは言えませんが、価値はない、と思う人はいないでしょう。
(C)
G# Bm7 |E7(9) A| EM7 D#7 | G#m7 | ×4
コードあってますか?これ不定調性ですよね。
この進行を地上波ドラマ曲で使ったことが革命的です。
lemonに始まった革命です。みんなが不定調性進行に慣れてくれる笑。
==飛ばして==
和音に詳しい人のためにクオリアの話しましょう。例えば最初のG#ですが、どこかで聴いたことのあるようなニュアンスを感じませんか?
ふわっと浮くような感じ。そう、I7とかVI7のクオリアです。拙論ではこういう進行感を「I7感」とか「VI7感」と呼びます。
(例)
i)Dm7(b5) G7 |Cm C7 |Fm
のC7とか
ii)F G |Am A7 |Dm |
のA7とかです。ふわっと浮く感じ。
コードのクオリアが分かる人は隣の人に解説してあげて。
この曲では、G#m7からG#に流れてきます。G#m7はIm7ですから、ちょうどii)に該当します。で次に短三度移行でBmに行きます。このパートはベースがないのでハッキリしませんが、Bm7ではなく増四度上のDに行っている印象も受けます。ギターのストロークの感じを聞き取ってBm7ぽいな、と感じたのでこう書きました。違ったらすみません。
明らかに「違和感を作ろうとしている」と感じます。
そのあとは、E7(9)に流れますから、そこはII-Vであり、これのE7(9)はギターでよく弾く下記フォームでしょう。
明らかにE7(9)はこの押さえ方を感じます。まあ、これはギタリストがわかればいいです。
I7 IIIbm7 |VIb7 IIb |VIb7 V7 | Im |
と流れる解釈になります。
そしてこのBm7の時にメロディはM3が鳴ってる(経過してる)んです。だからここもB7(#9)かもしれません。でもm7な感じがするんですよねー~( ´•︵•` )~。
これコード進行で考えてないな。後付けっぽいアレンジ。
って、ここまで機能和声的に見ても、これだけだと、だから何?って話ですよね。
そこで不定調性論の登場です。
このCメロ部分を聴いてどんな印象を皆さん持ちますか?
同じ歌詞を二回繰り返します。
ちょっと韻を踏んで。
まるで呪文のようです。怪しさとか、意味深さ、などを感じませんか?
もし楽曲の中に怪しさをメロディや全体に出そうと思ったら、機能的進行より非機能進行=不定調性的進行をマイナーキーのコード進行に織り交ぜたほうがそういう雰囲気が出やすいです。
ところでこのCパート
G#7 C#m7 |Bb7 A| EM7 D#7 G#m7 |
これでも歌えるんです。G#がC#mに解決したり、Bb7が裏コードになってAに解決したりして理論的にはこちらの方が正しいんです。
でもこれだとそれまでの流れの怪しさと大して変わりません。さっきまでの怪しさよりさらに怪しくしないといけない、って言うクオリアを感じるなら、こういう普通な感じではいけません。
だからこそ不定調性的進行がここに来るべきであったのかなと思います。
この手の進行は、理屈を知っていても作れません(コードで作っていない場合もありますし、アレンジャーがデモを解釈して近いコードを追加したりして事故的に完成してしまう場合もあり、必ずしもアーティストの意思が100%完全再現されたから完成となる、ということはない-結果としてより良いものができてしまうケースもたくさんある-ので、悪しからず)。
G#⇨Bm7
と
G#⇨C#m7
例えばどっちがこの曲にふさわしいか、どっちがこの曲で使用されるべきか、を選択できる判断力がないといけません。理論の向こうの「判断力」が求められます。
ジャズ理論的アナライズ
ジャズ理論的リハーモナイズ
こんな風にもできます。和音に音は合いますが音楽的なダイナミックになりません。
やはり理屈抜きで置いていける不定調性進行はある意味最強です。
このCメロは12音全部出てきます。
これがこのパートの怪しさになってる、っていうのも確かにそう思います。
楽器による分析、楽譜による分析、って時に面白い発見を引き出しますよね。
こちらの記事も面白いので是非。
クオリアの使い方
変な進行を作るときは、色々コードを弾きながら、今まで感じたことのないクオリアが出てくるまで待ちます。大抵は数十秒でパッと浮かびます(それがクオリア思考のすごいとこ?)。
クオリア思考は直感思考ですから自分を超越した答えを自分に出してくれる時もあります。
目の前で美味しそうなハンバーガーが売ってたら健康のことなど考えず買いたくなるでしょう?この時、あなたは一瞬で、それを食べて美味しいと感じている自分を想像し、それによって得られる感情を体験し、それをしたいから、健康のことは一旦忘れ、それを買うことで満足し満たされることで健康を増進させよう、ぐらいまで言葉にせず感じています。そこまで約1秒。
変なコード進行も同様です。音楽理論での前提以上にそういうサウンドを聞くと「こういう感じ使いたい!」ってピンと来るんです。
今回のBm7はサイコロを振って決めたって言われても納得です。
神はサイコロは振らないが人はサイコロを振る。
西洋音楽理論は神の考え方的?ですが、不定調性論は人の考え方的?です。
人のクオリアはぞれぞれ違います。「赤いリンゴ」の「赤」をCMYK数値のスライダーを一つ一つ動かしたら全員違う赤になります。この微妙な差を個性としましょう。
それを「赤」としてまとめてしまっているのは言語の「役割」です。
言語が様々な表現のバイアスになってしまうのは脳科学も謳っています。
ボカロ歌詞文化の先端=jpopの先端になった
ボカロ楽曲文化の優れたところは、個人の違いを個人の違いで感じられる歌詞表現文化を作ったところです。
肺に睡蓮 遠くのサイレン 響きあう境界線
これを水の中に沈んだ自分だと考えれば、肺に水や水草が入り、救急車が近づき、水面が揺らいでる、または生と死の間で揺らいでいる。だから
愛し合うように喧嘩しようぜ やるせなさを引っさげて
というのは、人の愛と喧嘩ではなく生と死の関係であり、死ぬんじゃなくて死を覚悟して生きようぜ、やるせなさを隠さずちゃんと感じようぜ、みたいに読み解くこともできます。
もちろん全く違うようにあなたが読んでもOK。
答えは必要ないからです。自分が感じたいように言葉を感じればいいわけです。逆にバイアス感を活用してるんですね。
音楽は聞いた瞬間個人の体験になります。
ライブは一体感が必要でしたが、現代はSNSで好きな時間に体験できます。きっと時間帯によって観る場所によって全然印象も違うと思います。だから答えなんて作らない、という現代pops文化になったのだと思います。
昭和系歌詞では曖昧すぎる表現はNGをくらいました。人がちゃんと同じものをイメージできないとダメ、みたいな。
緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ
という表現でないと、がーん!とこないじゃないか!とか言われました。
そしてテレビの前の人は、この「緑」を、水の藻の中、とは思いません笑。また緑色のペンキの海の中でもありません。山口百恵が歌っている限りそういうイメージは誰も持たないんです。
この緑とは"街路樹の深い殺伐とした通り"に決まっています。こうしたことが当たり前の昭和歌詞表現は読む人にある程度の教養を要求してきました。
でもボカロ歌詞文化は、教養の先、イメージを優先しています。自我が理解する前に脳が感じるイメージを刺激するので、それぞれの体験に基づく潜在意識に直接届かせようとしている力があり斬新でした。
個人の付き合いを超えて脳の付き合い。みたいな。
これがそれまでの行き詰ったj-popの表現文化(当時はラップの歌詞表現が自在性の最前線だった=「理性の証としての韻踏み効果(Ryme as reason effect)」=リズム感をもたせたり、韻を踏んだり、似た表現を反復すると、説得力や真実味が増す、という効果で彩った音楽によって音楽が一時期ぬるくなってしまった。自分では気づかない、ココロの盲点 )の行き止まりの壁を軽々と越えて行ったんです。
コードや響き選びも同様です。
またそれを理解しているチームのサポートも必要です。
そのほか、まとめ
他にも2AのF#7(#9)(=合ってないかも?)も「あ〜あ」っていうクオリアがちゃんと和音になってます。これこそ変なコード。
音楽表現は個人に帰するもの、とすれば楽曲分析というのは自分が良いと思い、自分が活用できるところ、を自分で読み解き活かすための宝物を探す作業です。
音楽理論勉強した人はアーティストの"良いところ"を見つけるために、楽曲分析の手法を使って頂きたいです。
(参考)