以前この曲を作らせていただいた経緯が、読者さまよりのご紹介からでした。www.youtube.com
私の記事はこちら。
改めて"宇宙"です。
私自身は拙論を機能和声的思想の対極に置く、という大言壮語を本気で考えているので決してにわかでも遊びでもありません。これに自分の人生を犠牲にする覚悟です。
これによってこれ以後の未来の、特に突飛で優秀な音楽家や芸術家?の"心"が解放できる、と信じているからです。
勉強と研究によってきっちり絞められた創作者自身のクリエイティブの蛇口を不定調性論的思考が開き、文字通り湯水のごとくその人ならではの創作意欲が潤い、生い茂ります。。。ぐらいに言っておきましょう。
大事だと思いません?自分を取り戻す、って。
とにかく自分が生きているうちは修正に修正を重ね、ご指摘頂いた問題点や課題を全て取り込んで参る所存です。もし修正のしようがない致命的な欠陥が見つかれば、そこで自分の半生は無駄になるわけですが、ここ数年でようやくそれを笑い飛ばす覚悟ができました。
ほぼ流れは出来上がった、と信じ始めると、年に一つか二つ、吐き気がするように焦る問題点に出会ったりしますからまだまだ全然精進なのでしょう。
自身が今何を、どの位置で、どのレベルでやれているのかよくわかっていないかもしれません。
そのためにこうして皆様に叱咤激励いただき、自分の足元を固めてまいりたい所存です。
しかし逆に言えば、なんらの先入観(他者が展開したコト)もないからこそ、いきなりモノからコトを紡ぎ出すことができたのかもしれません。
その通りです。先入観がなかったので作品そのものと向き合えました。見た瞬間自分がイメージしていた通りの写真でもあったので勢いがつきました。最初からこういうものを音楽にするつもりでご依頼したので、この人とウマが合うかも、等まで感じました笑。
私たちは音楽にするのは簡単です。良い作品ができるかはともかく、なんでも音にできます。「同時通訳」です。これをクオリア、共感覚的知覚、と言ってしまうとチープですが、一般的には一番わかりやすいギリギリの用語なので方法論内でも使わせていただいています。
いただいた"データ"を全部イメージに分解したあと、頭の中でだいたいの音楽の流れを構築します。数十秒でできます。またそれが25%ぐらい脳内でできたあたりから制作も始めます。作りながら意味がわかってきて、自分がやりたいことが鮮明になります。
過去の写真アルバムを見ているとどんどんその時のことが思い出されますよね。あれに似ています。やりたいことは作業の中から生まれます。
人生何をやればいいかわからない人はまずやってみて?笑
これもよく読みますと山口さんの記事にこうあります。
音楽は「一瞬で全体」である「モノ」を、歌や楽器などの「コト(琴)」を通じて、一度時間軸上に展開して、そして、私たちの脳内で再び「一瞬で全体」である「モノ」に帰すという、古代から人類が獲得していた「高次元へのアクセスツール」です。
そういうことだと思います。
おそらく多くの作家さんがこういうやり方をしていると思います。ただそのやり方に名前がなかっただけです。
頭の中に生まれたナニカを行動の動機にして、追加される何らかの意欲となるままに、手が進みます。根拠は言葉で説明できません(クオリア感)。
その間止めどなくイメージややりたいことが雨どいを流れる水のようにどんどん流れていきます。曲は悩むことなく最後までできます。
頭を使うのは推敲の時です。一週間ぐらいかけます。これは時間が掛かるのではなく、同じ曲に集中できる時間が90−120分ぐらいなので、毎日それだけの時間の間、翻訳の文面が間違っていないか、なんども読み返す作業をするわけです。
偉そうに書いていますが、こういうことは偉い作曲家の方は決して教えてはくれません。ましてや究極は「考えないでやる」ことですから、一般メディアからしたら何ともつかみようがない解答なのでそれを誰も聞き出そうとはしません。
おそらくまだまだその意味がわからないと思うのです。
そういうふうに脳を使ってそれを認知しながら、方法論としてやってるよ、というのが不定調性論による音楽制作の方法です。
考えないでやるために、膨大なインプットを日頃行い、繰り返し繰り返し考えないで制作する過程を経ます。そうすると、考えなくても行動ができるようになります。
それが脳の性能なのだと思います。
書いていることが稚拙ですが、「考えない」というのは思考の摩擦を置かないことです。思考はブレーキです。ブレーキふみながらアクセル踏んで車進みます?
そしてブレーキを離すには勇気が要ります。カーブも下りもブレーキかけませんからね。慣れるまでちょっと時間が要りますが慣れればこんなに楽しいことはありません。
そして楽です。スタミナも持ちます。気を使ってブレーキ踏んでいなくていいわけですから。
追突?最初はしますね。即死レベルで笑。でも実際の事故じゃないので。バカにされるとか、冷笑される、とかだけです笑。決して死にません。
少しでも追突のロスを避けるために毎日毎日アウトプットを繰り返します。自分もちゃんとできていると思ったことはありません。やっぱり人生一つ使い切らないといけないですね。
ここが「理解を超えているところ」だとすれば、しばらく理解されることはないでしょう。でも若い人は実はみんな知ってます。まだそういう力が衰えていないからです。
それが衰えた大人しか周りにいないことで若者のそうした力が失われていっても誰も気にしない、という情況はないでしょうか。
山口さんの記事にある「音楽のことたま」とは、不定調性論では「多解釈可能な存在であること」を意味します。
例えば「あまむら」という言葉を聞いた時、何をイメージするかは人それぞれ微妙に違います。音楽の旋律も同様です。この時パッと開くのがイメージでありクオリアです。それを自在に許してあげるのが不定調性論的思考の第一歩です。自分より優れた受講生がそれをやるのを先生としてみてきました。みなさん解釈力がすごい。
様々な解釈が可能な一つの言葉=音楽の旋律(和音も含めて)です。だから音楽を聴くと、自分の潜在意識の中に埋もれている言葉や思いが沸騰して意識の上まで泡となって飛び跳ねます。それらが感情になって吐き出されます。音楽が終わると音楽が始まる前よりも穏やかな気持ちになっています。感情の灰汁が自然と外に出るからではないでしょうか。これも脳の活動の一つだと信じます。
作曲行為にもまた同じ作用があります。作曲していると今の自分を軽く超えてます。悩みとかそういう生きてる上で感じる後から乗っかってきたものを感じない自分がいます。あれは、なんなのでしょうか。
クオリアが動機になっていると人はもっと別なものにアクセスして呼吸しているように感じます。
瞑想かな。ちがうか笑。
しかし作曲のためには、一般に厳密な音楽理論への理解が必要で、これはまたとても高いハードルです。
だからハードルのない方法論を作ったんです。ハードルがある音楽をやりたい人はそっちもやって頂いて。私も普段そっちをやっています。
この考えない音楽は、
思い⇨旋律=音楽
というシンプルな構造式で出来てます。今回の「青緑の調性」はそうやって作りました。
ネガティブハーモニーが云々と言っていますが、これは作っている時のマイブームだったので、そうだ、この曲でちょっとやってみよう、と思っただけで、推敲がかなり進んだ時に音型を見てふっと思い浮かんだんです。最初から意図したものではありません。
「君、そういう雑念は抑えなきゃ」と言われるなら、それは私の修行不足ゆえ笑。
また「その音は違うのではないか」などと考えるのは大抵「知識」です。
「それをやったら非常識では?稚拙では?無知では?」と思うのも大体は刷り込まれた常識と照合して判断しています。
現実に犯罪を犯してはいけませんが、そういうことをしなくて済むように人は芸術を作ったんだと思います。そもそも芸術は庶民のものであり、庶民こそが最も芸術の真髄を知る人たちです。だから流行も庶民が決めるんです。芸術ではどんなことも表現実現可能です。欲望のままにというか、欲望をもう一つ上の概念に昇華して実施します。工夫がいるんです。面白いです。
自分がやっていることは地面に石を並べて遊ぶ子供達の発想そのものです。石を並べても面白くもないはずなのに、なんであんなにワクワクしたんでしょうか。今も無秩序な音の配置にワクワクします。
そういう自在な心を取り戻しませんか?ということを問いかけるのも芸術家の仕事かもしれません。
コロナ時期、芸術や思想・今必要でないものが常に疎まれますが、様々な災いを乗り越えて残ってきた文化の灯火はどれが消えても見えないバランスを欠くと思います。拙作メモで「均衡」と言っていますが、個人に必要ないから排除する、ではバランスを保つ努力を拒否しているに過ぎません。
つまりそれではバランスが崩れます。この大きなバランスが崩れれば結果としてその人も自分も影響をうけます。
お互いが支えあえる努力を保つためには、芸術が持つような柔軟な発想力や突飛な解決力を忘れないこと、に尽きると思います。
自分も石並べのその先にある"芸術"をひたすら目指すのみです。
拙作が山口さんの即興演奏のスタイルに似ている、ということでひょっとすると、本当に考え方とか、似ているかもしれませんよ笑
光栄です。
ディスカッションしたら何か見つかるかもしれませんね。物理学者とか哲学者とか思想家の言葉をご存知のようで、私が言葉にできていないことを言葉にして頂けそうです。私はそういう分野をほとんど理解できていません。
なかなか会いたいから会う、ということを避けねばならない時節ですので、まずはブログ記事にて返礼を差し上げます。
ありがとうございました。
幅広い交流範囲をお持ちで、大変多岐にわたる話題に、読んでいて決して飽きない山口さんのブログ、どうぞご覧ください。