音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

不定調和音の音楽的脈絡をどう繋げるか〜不定調性論への招待:その3

今回の動画

www.youtube.com

真面目に語っちゃってますが、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

事例として音を多めに詰め込んでます。深夜一人で頑張り過ぎてます。

 

その1

www.terrax.site

その2

www.terrax.site

密かに2019年は大きな飛躍ができた年でした。方法論ができて、それを制作活動に実際に活用できた一年でした。今後さらにその制作スタイルと、一般の商業音楽との兼ね合いをできる限り発展させていきたいところです。

 

二つの例を出して、直感的に音を連鎖させながら、作曲者本人さえ気がつかない意味を音符から構築していく作業です。

   

動画では述べていないより堅っ苦しい話を書きます。。

<現代音楽がセンセーショナルな理由は禁則を用いたから>

ショパン〜トリスタン和声を端緒とする「不協和の活用」は、まるで禁忌を犯すがごとく人々が「聞いてはならないこと」「やってはいけないこと」を見る"怖いもの見たさ"への欲求からある意味アンダーグラウンドで受け入れられていきました。

やがて近代でそれらの手法が拡大し、現代音楽でもっとも"ポピュラー"な4:33のような

”とにかく常識を打ち破るやり方で表現する作品、芸術がわからなくてもネタにしやすい作品”

が人々に知られることで一定の理解を得ていきました。

 

しかし現代において、もう音楽で驚くことが少なくなってきました。

1980年ぐらいから芸術の世界の入った人は、なぜ自分がジョン・ケージよりすごいことをしているのにあんまり認知されないのだろう、と理解に苦しんだかもしれません。現代音楽はこうあるべき、という伝統が出来上がってしまった結果、雨後の筍のような一定の認知度が出来上がってしまって、あらゆることが珍しくなくなってしまったためともいえます。実は現代音楽の最初の受け口は「驚かせること」出会ったことに気がついてしまったのです。

21世紀に入り、芸術はようやく「驚きで人の注目を集める」時代が終わり、またもう一度、トリスタン和声の時代のスタートラインに戻り、「驚きで人の注目を集める」ことではない表現方法の再スタートをすることになったように感じます。またはすでにそれはポピュラー音楽で塗り固められているのかもしれません。

 

<次の時代の感性を鍛え直す>

「今まで誰もやっていなかったこと」という消去法による表現方法の探索ではあとはもう犯罪に走るしかありません。実際犯罪行為に走ってしまう表現者も多いです。主には軽犯罪法違反の範囲止まるのでまたさらに現代芸術がセコく見られます。

 

そして新たな時代の感性を教えられる人もいません。

それを身につけても食べていけないからです。芸術など「実用的ではない」という勢いで。多分ですが、労働を人がやっている時代だから芸術どころではないのであってAIがどんどん労働に変わっていけば、人が想像できることは脳を200%使う作業しか残らないと思います。それすらも50年も経たずAIに奪われそうです。人がいらない社会になってどうするのでしょう。

 

身近に教えられる人がいない以上、自分で開拓しなければなりません。しかも自費で笑。生活保護を受けながら笑。あえて毒ガスが充満する部屋に入っていくような行為をしなければならないわけで、多少頭のネジが外れていないとそれは難しいと思います。

 

 

様々な難しい和音を覚え、難しい技法を覚えましたが、瞬時に浮かんでは消える自分の感情のどれにどの技法が使えるか瞬時に判断できないタイプの人間だった(もともと色々な面で瞬時の判断力が鈍いタイプなんです)ので、覚えたことを上手に活用できずにいました。そして結局は適当に弾いてしまって、「それっぽい如何にもな雰囲気」を出し続けることで「それは表現だったのだ」と思うことにしていました。それは旧時代の現代音楽のやり方です。虚像であり、虚栄です。

 

M-Bankが2009年に開校され、DTMを個人的に覚えることになり、そこから10年かけてようやく、ハタ!とある日気がつきました。

DTMなら、立ち止まりながら、一音、一音確認しながら音を探せる!!

そうして不定調性論的な制作方法は初めて確立されました。

それまでもギターなどで作品を作っていましたが、

その和音がどの技法に当てはまるかわからないまま和音を当てることに罪悪感を感じていました。

しかし作品を制作していくにつれて、使いたい和音を先に探すのは、目の前にある決められたおもちゃだけで遊ぶようなもので、それはまやかしだ、と感じるようになりました。

 

子供であれば、それで誤魔化せることもありましょうが、大人の場合遊びたい、という欲求は、もっと具体的で、ある一定の決められた快楽を求めているものです。

そこで、頭の中に整理された、またはPCのフォルダに整理された、最新の理論書の中に整理された手法から、作りたい音楽表現手法を選ぶのではなく、集中して、音楽の流れをまず配置し、それを聴きながら、一番自分の心の状態に近い音を探りながら移動させて決めて構築していく、というスタイルができました。

 

それらの和音が結果として、ハイブリッドコードになろうが、II-Vになろうが、ただのメジャーコードになろうが、結果論で分析したい人が分析すれば良い、と考えるようになりました。

それからブログでも安易なコード進行分析をやめ、実際の制作に重きを置いて、脳の中に直感とDTM作業と音楽理論(不定調性論を主に)を連結させる脳回路の作成を急務としました。2019年はだいぶそれらが固まりました。

   

その手法は動画でも示した通りです。

あとはこのやり方に向いているタイプもあろうかと思い、最後に列挙してみました。

f:id:terraxart:20191230175122p:plain

ロックミュージシャンですと、音楽理論をやらず、譜面も読めず、ただ知っているコードを鳴らして名曲を作り、どこかいつも周囲に気後れしながら、自分を守りながら、悪ぶって自分の道を歩いているロックスターが多いな、と感じます。

しかし、この不定調性論的音楽制作の考え方でいうと、そのやり方は教育音楽的アプロチーとまさに対極のもう一つの正当な音楽活動であることがわかります。

大学で管弦楽を学び、映画映像音楽をオーケストラで作るやり方と、全て独学で自分だけの思想とやり方で独自の音楽を作っていくやり方は、手法は違えども、「独自表現の脳回路を作る」という意味では適切ではないか、と提案しています。

不良になる必要はないんです。またはもともとワルな人は、こういった独自論的アプローチの方が向いているからワルなんでしょう。

「俺は別にチューニングなんてカンケーねーんだよ」

っていうところから入って良いのだと思います。

ただし「チューニングをして普通にブルースぐらいできるとあなたの自由なスタイルも認められやすくなりますよ?」と処世術で提案するのみです。

 

どちらのやり方も成功している人をはたから見てると魅力的に見えますが、中の苦労は同じですし、コンプレックスは普通に暮らしている人よりも大きいです。

 

<自己流と一般手法の差異を見極める経験値>

人が綺麗だ、というものをどれだけ自分が共感できるかで、他者との差がわかります。これは無名なうちに把握しておくのが良いです。あなたが有名になったら、あなたの価値観が市民権になってしまってそれに賛同・応援・共感する人が増えてしまうからです。ある種の催眠状態ですね。誰もが自分が共感尊敬、模範とできる規範を自分の頭上に持ちたいものです。

 

だから受講生が最も最初の段階で見せる姿、一年ぐらい学習して見せてくれる自在でわがままな方向性には彼の生き方のヒントが隠されているので、ぜひ先生方は、その受講生がどういう能力を持っていてどうしたらその能力を伸ばせるかを最初の段階でよく注視すると良いのではないか、と思います。

受講生側に講師への信頼が生まれてしまうと、受講生が自分のやり方を知らぬ間に変えていってしまうからです。

この辺は注意していないと、講師が「自分のやり方は正しかった」などと思いかねません。正しい方法などそう簡単に共有できません。それは学校ビジネスの甘い罠です。

講師は100人中一人感性が合えばラッキー!!でしょう。あとはそれをみて俺も私も、とついてくる人は、先ほど述べた「共感できる規範を欲しい人」です。だから常にその周りにはあなたを「あいつはペテン師だ」という人がいます。その決して悪口ではない真実の言葉を聞き逃してはいけません笑。

 

私は、自分のやり方をDTMという武器を使って初めて実現できました。30年前には選択肢になかったものです(あったけど無視していました)。

まだ生まれたての不定調性論的制作方法は、しばらくはDTMを使って可能性を模索したいと思います。そしてその後どのような表現方法になるかは全く予測できません。

 

こればかりやっていても食べていけませんから、どんどん商業的音楽の中にも不定調性論的手法をどんどん取り入れてより実用的なスタイルに変えていきたいと考えております。

 

f:id:terraxart:20191230183716j:plaintopic image

AD