音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

真の「偶然の音楽」は創れるのか

思考実験の話です。皆さんも考えてみてください。

偶然(ぐうぜん) 

[名・形動]何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。

偶然(ぐうぜん)の意味 - goo国語辞書 抜粋

偶然性の音楽 - Wikipedia

偶然性の音楽(ぐうぜんせいのおんがく、英語: aleatoric music, aleatory music, chance music)は、不確定性の音楽をさらに過激に西洋音楽の伝統から逸脱させたものである。創始者はジョン・ケージで、1957年のWinter Musicで初めて偶然性が完全な形で実現した。alea はラテン語でサイコロを意味する。

 

言葉の意味だけを考えても、真に偶然を意図して作り出すのは難しそうです。

ケージらが作ったのは「偶然性を織り込んだ音楽」だったんですね。

 

この記事では「私にとっての真に偶然の音楽」について考えてみましょう。

私がそれを体験できるとしたらどういう状況か、です。

皆さんも考えてみてください。

偶然耳に入り、それが因果関係のない音楽であること、ってどこまでを予期できないか、因果関係がないか、っていうこじつけのような気もしますので、正式なものとは思えません。あくまで思考ゲームとして。

また、因果関係という条件も、私達の時間感覚があるせいで引き起こされる条件ですから、注意して考えてみましょう。

 

まず人体自体が必然性で動いています。

息を吸おうと体が意思すれば息を吸えます。

心臓は生命維持、という指向性があるからこそ動いています。または「死に1回1回近づく」という意味でもやはり指向性が認められます。これらは因果関係といえなくもありません。

 

意思も偶然ではありません。少なからず小さな因果関係で、できていると言えます。

五感が一定程度機能する人間が音を聞けば、聞いた瞬間知覚が発生し、それを認識すると意思が発生します。

 

猫が鍵盤の上を歩いても、猫が歩く方向はある程度決まっています。もしそれを私がみていたら次の一歩で出る音もその鍵盤だと予測できるようになります。

これは偶然の連続ではなく、因果関係の発見です。

もし猫を飼っていない状況でいきなり窓から猫が現れ、ピアノの上に飛び乗って「津軽海峡冬景色」を弾いたら「あ、津軽海峡冬景色だ」と認識するまでは、偶然の音楽、と言えるでしょうか。脳はいつ気がつくでしょう。脳が察知した後、意識はいつ気がつくでしょう。どのタイミングまでを「予期しないもの」と定めるべきでしょう。

 

ピアノの音が鳴った瞬間、それがピアノだとわかれば、その音が続く未来を予測できます。予期と因果関係が生まれます。

 

また音がなくても人は物思いに耽ります。

何か考えが浮かんだら意思してしまいます。人にとって無音は偶然の音楽になりません。脳がある限り。同時に常に"意思を聞いて"いるからです。

いきなり無音になったら、何かを考える次の瞬間までは偶然の表現と言えるかもしれません。

 

また、全く見知らぬ音を聞いたとしても「ひらめきの音の幻覚を聞いた」と勘違いして、理解を進めてしまう場合もあるでしょう。「勘違い」も意思です。

 

これらのことから、まず体内の音を聞けないようにし、脳が予測しない音を知覚した次の瞬間から予期と意思を感じる寸前に記憶や意識が消えるような装置が必要です。

少しでもそれらの処置が遅れればそれは「私にとっての真の偶然の音楽」ではなくなります。

 

「私が今予測しない音が響いたほんの瞬間のみ"私にとっての真の偶然の音楽"」が起きた、と言えるのでしょうか。

  

因果関係のない現象、とは?

げん‐しょう【現象】 

1 人間が知覚することのできるすべての物事。自然界や人間界に形をとって現れるもの。

2 哲学で、

㋐本体・本質が外的に発現したもの。

㋑カント哲学で、主観によって感性的に受容された内容が、時間・空間およびカテゴリーなどの主観にそなわる認識形式によって、総合的に統一されたもの。その背後にある物自体は不可知とされる。

㋒フッサールの現象学で、意識に現前し、直接的に自らを現している事実。本体などの背後根拠との相関は想定しない。

現象(げんしょう)の意味 - goo国語辞書 抜粋

 

例えば、周囲に何もない宇宙空間で、予測もしない方向で、予測もしないタイミングで、何の因果関係もないのに、得体の知れない人が感知できる振動が響き、生命体が一切聞いていない状況であれば、それは偶然の音が連続している、と言えるでしょうか。

それを今私がイメージしたら、それはもう偶然の音楽と言えなくなるのでしょうか。

そもそも音現象自体が脳内で作られる概念ですから、気体の振動そのものを音に成りうる存在と考えて良いかもしれません。

 

そうなると、 

・私が予期していないタイミングで

・どこかの宇宙空間で起きる、脈絡のない不思議な振動

・私がそれを聞いてはいけない。

が「私にとっての真に偶然の音楽」です。"現状の私の思考ではそれが最も偶然だ!と思える音楽状態"と言い換えられます。皆さんはそれぞれ違うでしょう。

つまり、真の偶然の音楽は自分の耳で継続的に聴くことができない訳です。

 

量子の世界の小さな振動がこれに該当するでしょうか。

体内の量子が鳴らす音を耳が探知できない、と捉えるか、聞こえていなくても確かにそれは微細に聴覚を刺激してる、と捉えるかでも違うでしょう。また量子もつれを考えたら、全宇宙と全てが連動していて、遠くの宇宙の量子の振動も我々と関連があり、何らかの共振が起きていたら、「どこかの宇宙空間で起きる、脈絡のない不思議な音連鎖」

自体がありえないことになります。

 

家で作業をしている時、晴れた日に急に鳴りひびく雷は、予測もしない音です。

でもこう書いてしまうと、今日以降雷を潜在意識で予測してしまっている、と言えるかもしれません。

 

電車の中で、いきなり誰かが叫び声をあげても、それは驚くけど、「あれ?」と思いどこか「やはりこういうことが起きたか」と思うかもしれません。社会生活では、どこかそういうことをいつも予想している気がします。臨戦態勢で社会の中では生きているように思います。これも個人差あるでしょう。

 

ここだけの話、こうしたことを曖昧にして現代音楽が行う「Artにしようとして奇抜に音を出す現代音楽」の感じがどうにも苦手です。

「Artにしよう」という意思の前面の出し方ではpop musicの方が古風現代音楽を飛び越えて先端現代音楽的で洗練されているように感じています。

ダサダサのアイドルソングみたいなものが、逆に先端すぎる偶然性の音楽、と捉えられなくもないからです。どう予測したってそんな音楽にはならない、って思う時もありますが、それがケージが作った概念の先にある表現であれば、それは伝統的な脈絡を持つ音楽です。今後未来誰もそう定義はしない、と断言できないのですから、それが芸術音楽と認識される可能性は消えません。

 

純粋な芸術というのは、矛盾をはらんだ言葉なのかもしれません。

タレント発掘番組などで意外な風貌をした人が、素晴らしい歌声で歌う、なども偶然性の音楽以外の何物でもありません。現代音楽はやはり概念ごと進化しているのではないでしょうか。

 

私には「偶然もどきの音楽」しか作れない気がします。

まとめとして、下記のような作品の作りました。

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作品∞

ਸੱਚੀ ਇਤਫਾਕ ਸੰਗੀਤ〜真偶然音楽   

・私が認識できない状態の空間で私が知覚できる振動現象が起きること

・生命的意思/人が理解できる運動力学等と無関係な振動連鎖であること。

・そうした現象が起きた場合、それは私が作品として定義した存在であるから、その作品の著作権は私に帰する。

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宇宙一長い音楽も、宇宙一短い音楽もこれに決まりですね。

夢の中の音楽か。 

矛盾や齟齬はまだまだ指摘できるでしょう。

むしろ矛盾そのものがないとこの音楽は成り立たないのかもしれません。

しかしそれは人の認識できる矛盾だから、それ以上の未知のシステムが関わっている可能性もあります。

 

今回の記念に、脈絡のない音が次から次へと聞こえてくる偶然性popBGMをレッスン内で作ったので仕上げました。

www.youtube.com

 

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