音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

「君は音楽理論的に間違っている」アドバイスと指摘とヤジの違い

独自解釈論を推して運営し、同様の指摘の中で生きてきました。

基本はSNSの上でエンタメとして以外は真剣な議論を戦わせない、をお勧めします。

見ず知らずの人に断罪されることは全て良い意味の「評価」と捉えてましょう。

タチの悪い激励、です。

 

私たち個人も日々成長しています。常にその方法論を磨き上げなければなりません。

批判は当たり前です。問題は無駄に気分を害する指摘、のスタンスです。

 

実力がついて来ればくるほど、負の力も大きくなるので噛み砕く力も同時に鍛えていく必要があります。賞賛もある意味では"耳触りのいい批判"です。

人は自分にメリットがないと他人を褒めません。

 

 

あなたは落ち込む必要はなく、今日以上に明日は勉強し、精進すれば良いだけです。 批判の雰囲気に慣れていってください。これは慣れるしかありません。

 

直接の利害関係のない相手からの指摘はただの"ヤジ"

現在のあなたに貢献/教育/指導育成/活動参与している人以外の"なぜか気分をちょっと害する指摘"は全て、ヤジ=冷やかしと同じとしましょう。

反応したくなる文言を自然と選べる人たち(ある種の才能)なので注意して無視してください。

 

真に重要な議論がしたければもっとやり方があるはずです。

そこまではしないのなら「学術的な場を設けるまでではない話」です。

SNSはヤジ屋の土俵です。ネットプロレスラーもいます。

故に彼らはSNS上で戦おうとします。

 

 

 

 

 

ヤジの活用法

見ず知らずの相手に間違いの指摘をする際には

・自己紹介と指摘の動機

・相手の感情に十分配慮をする

・相手の思惑を十分汲んで認められるべきところも探す

・こちら側に指摘の誤りの可能性もあること、独自的発想に基づく指摘であることも伝え、議論に参加するよう促していると認めてもらう努力を示す

は守りたいですね。

また、正誤判断も一時代の価値基準です。

 

そもそもあなた以上に成果が出ている人が進んであなたに意見をするでしょうか。

 

しかしヤジには時にある種の真理(成長へのヒント)が潜んでいる場合があります。

"ヤジとハサミは使いよう"です。"民の声"だったりします。

ピンと感じたヤジは、その場では一切無視し、日記にメモっておきましょう。

そして時折メンター、理解者に相談しましょう。 

もし正しい指摘であれば、あなたは労せずして適切な指摘をもらっていたことになります。お得です。黙って頂戴しましょう。もちろんただのヤジだった、ってこともあります。

 

自分が天狗になってしまっている時にヤジメモは効きます。

気持ちを引き締めてくれます。本当に成長のヒントになったりもします。

 

一方「正しいヤジ」を飛ばしたヤジ屋は、無視され、感謝もされず、仲間にもなれず、相手をタダで成長させるちょい役のまま本人の承認欲求すら満たされません。

パフォーマンスコストが悪いことこの上ないです。

しかもヤジをする代償が「その相手とその周辺から今後一切無視される」です。

普通に社交的に話しかければいいのに、とかって思ってしまう笑

 

反論できないからヤジ屋を無視しているのではありません。

ひょっとして相手は自分と関わり合いたくないから自分は無視されたのではないか?

と気がついてください。

そもそも反論する義務はないんです。

実際に今あなたが誰かの役に立てているのであれば、そこから一歩一歩成長し、これまで通り歩き続ければ大丈夫です。外野の人は中には入ってきません。

 

一旦やりとりして途中でやめると逃げた、と言われます。

だからこそヤジを無視してあげる、はむしろ好意です。

 

「相手が不快感を持った行為は迷惑行為」です。

不快感は相手が勝手に持つので、こちらからは決められません。

 

 

誰だって間違いはあるし誰だって未熟

ブログでも新聞記事でも書いているのは人間です。

人は誰でも未熟、と思っておくと、許せることが多くなります。

言い間違ったり、ちょっと知ったかぶったり、何十年も誤った用語用法をしていたり、時々傲慢になったり、運悪く無知のまま勢いで書いたりする事故は誰にでもあります。

それを無下に指摘されれば素直になれる人ばかりではありません。

間違いだと気がついていないこともあります。

 

相手の間違いを正したければ相手に通じる礼を尽くしてください。

人を変える、というのは難しいものです。

失礼な人間に丁寧な対応で返せる人は少ないものです。

 

個人個人は未熟なのだから、自分の意識に合う人とコミュニティを作り、コミュニティを育てることも一方で大切だと思います。

講師が未熟でも、優れた受講生と助け合いながら個々の上達や成長も可能です。それがコミュニティの素晴らしいところです。

また人間関係ができると、講師の言い間違いや勘違いをメンバーはニュアンスで汲み取り理解は滞らずむしろ進みます。「相互補助」。

やがて優れた人材がコミュニティから生まれコミュニティ自体が向上します。  

 

そうした関係の中で「アドバイス」「指摘」が初めて成り立ちます。

そのコミュニティで共に成長したい、と思うからこそ、意見の観点が変わってきます。相手への配慮も変わってきます。

故に「受け取る価値のある意見」として心の中に置き換えることも容易です。

一方、ヤジは一手間かかります。ヤジはある程度成長しないともらえません。だから実力がある人でもヤジに対しては初心者なので気が動転して余計な反応をしたりします。批判に慣れていないからです。

 

強い心で上手に咀嚼していく訓練を自らに課してください。

 

 

 

 

 

 

まとめ

こちらが望んで意図的にいただくものが「アドバイス」です。

「指摘」は利害関係のある相手とのやりとりの中で行われるコミュニケーションで生まれます。

これらとヤジは全く違います。 

批判そのものはヒントにできる人間力が必要です。真理を常に追っている人にしかできないことで、なかなか苦心します。私もようやく自分の方法論を外側から見ることができて、ピンとくる批判に対して、なるほど!!!と手を叩くぐらいの余裕が出てきました。だいたい弱いところを突かれるので、目を醒ましてくれるのも適切な批判です。

それと不躾なヤジはちょっと違います。相手が嫌な思いをしたら、それは意見ではなく、迷惑行為になってしまいます。嫌な気がしたらそれは自分の器の小ささを感じながら、今回はヤジとして処理させていただきましょう。

 

自分よりも上のレベルの人をフォローできるのがSNSの良いところです。

ヤジ屋はそれを利用しています。SNS以外でそれをやる手段がないのです。

 

 

しかし、ヤジ屋に実際会ってみるとその外面人物像は驚くほど普通な人だったりします。

私はヤジ屋に一度名指しで会ってみたことがあります。その後受講生になっていただけました。いたって普通の人物です。しかし常識があるからこそ自身の内面の問題に気がついていません。もっと深いところに刻まれたものでそれを理解できる時とできない時があります。

そして彼らに必要なのは私ではなくカウンセラーでした。

 

めんどくさいやり取りをしなければいけないような文句は、その場でやりとりせず、一旦ブログ記事か何かに想定されるやり取りの質疑を自分なりにまとめて置いてから、それを相手に読んで

もらって指摘してもらうと良いです。その後修正すれば、どんどん記事は良くなりますし、呼んでもらって広告を貼っている人は、多少の収益にもなります。

そしてその場が一旦クールに収まることで、ヤジ屋も記事を読む頃にはクールダウンしていて読無までに至らない、こともあります。

 

そしてより高度なのが「対面のクレーム処理」です。

うちの代表がクレーム対応のスペシャリストです(営業責任者出身)。

私も事務職でしたので勉強させていただきました。私はネットプロレスラーではありませんが、それなりの対処をさせていただいており今日まで続けられていますので、無名のヤジ屋方にある種の敬意も持っています。

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