音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

ハーモロディクス理論の現代における実践的方法;オーネット・コールマン「ジャズを変えた男」6 読書感想文

前回

www.terrax.site

全部読み終えて、まとめです。

これまでのことからハーモロディクスという発想は一体どのように現代に当てはめて行けば良いのでしょう。

 

まず

「適当の指を動かして、音楽を演奏して、音楽だと聴き手に認識してもらうために不定調性論以前はどのような条件があったか?」

を考えてみてください。

その究極がコールマンであるとすると、やはりジャズに精通し、フレージングやリズム感に優れ、作ろうと思えばまともな曲も作れる、と言った素養があった上で、独自性も持ち、どうやったらフリーに演奏してそれが音楽になるか、を知っている必要がある、ということになります。かなり技術的敷居が高いです。

 

ただテキトーに弾くと理論的フレーズや、手癖が出てしまい"新しさ"が生まれません。

ここに真のフリーの難しさ、があります。

 

不定調性論的存在以後は、「聴き手が解釈を創造できる」となったので、ただのノイズでも「葛藤だ」と思うことができます。それらをアートとして認識するかどうかを個人の文脈で判断もできます。

否定も肯定も自由であり、その重要度はますます下がっていきます。

 

そうなると別にどっちでも良いわけで、有象無象が跋扈する、ということにはなりますし、実際になっています。AIがリリースOKと認識した素材はインターネットで世界中に公開されてしまいます。

 

そうなるとフリーである、ということ自体に希有な可否があることを認めることが面倒になります。そうやって時代は、より構成することに難度の高いEDMや最新のサウンドこそが現代における価値である、と現状は認識されています。

 

ではフリーである、ということの体験は、どのような意味を制作者にもたらすのでしょう。

それをここでは偶然と意図的という二つの段階で述べてみたいと思います。

 

パターン1;たとえば仕事で出かけた知らない街を休憩中に歩いていて、ふといいかんじの古本屋を見つけ、そこに入って眺めていたら、昔手に入れることができなかった「欲しかった本」が手に入ったとしたら、あなたはどういう気持ちがしますか?

 

パターン2;インターネットでその欲しかった本を検索して、その本が置いてある古書店を見つけ、ネット販売で一週間後、見事手に入れた。というときあなたはどういう気分を味わうでしょう。

ちなみに古書の検索は下記がすごいです。

www.kosho.or.jp

 

パターン1は本当に偶然ですよね。一週間ぐらい感動して人に話したくなります。パターン2はアクティブで意図的です。それでも目的達成はよろこばしいことです。

結果は同じでも過程が異なり、得る感情も少し変わる

人が同じ体験をしても、人の数だけ体験があります。

 

演奏しているとき、フリーの場合は、最終的にどうなるかわからないけれど、メンバー全員がその霞のような到達点を目指してガムシャラに演奏することで「信じられないような瞬間α」が訪れます。

一方、ある程度使用スケールや構成を決め、クライマックスではこういうことをしよう、と大体の青写真を伝えて演奏して、いい感じのところでそのクライマックスを持ってきてもやはり「信じられないような瞬間α」が体感できます。

 

あなたはどうやって目的の感情や目的の体験を得たいですか??

 

パターン1はハーモロディクス的体験です。即興的に行動していくことで得られるものを逃しません。パターン2はジャズ理論的なアプローチです。しっかり構成し、徹底的に練った上で音にすることで生まれる新たな創造の瞬間を逃しません。

それぞれ得ているものに若干違いがあるかも知れません、何より過程はまるで違います。同じ目的地に異なる風景を見ながら異なる交通手段を使って行くような違いです。

あなたはどちらに神秘や魅力、そうありたい、という思いを感じますか?

 

きっとそれらの指向性があなたの表現も人生も決めているのではないか、と思います。

 

不定調性論ではより柔軟に、

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毎回、それらの体験のありよう、創造性のありようの位置取りを決めていこう、と提案しています。

例としてビートルズの下記曲を挙げたいと思います。

The Beatles - I Feel Fine

この曲の冒頭のウにューーーンは、チューニングの音叉の音がカッコよかったので冒頭に録音しよう、と意図されました。偶然から意図を生み出したものです。

ja.wikipedia.org

こういうことは皆さんもよくあると思います。ポジティブに頑張っているときは、さまざまな偶然に助けられたりします。それだけクリエイティブだからこそその出会いを大切にして、それを活かそうとします。

 

西洋音楽理論からの逸脱を目指した偶然性の音楽は、人の意思をこえたところにも意味が生み出される、というあらたな価値?を作りました。

 

音楽制作も偶然と意図の連続です。

ある程度計画したけど、途中で変更を迫られ、途中で魅力ある逸脱に惹かれ、途中で嫌になったりします。どんなに計画をしても事故や偶然が入り込みます。

それがうまくハマったとき、「運も実力のうち」などと言ったりします。

私はコールマンのような即興演奏はできませんが、DAWで音楽を作るときは、1音1音置いてゆきながら、そのときその時でランダムに置いたり、直感的に創ったりします。DAWなら途中で戻っていくらでも直すこともできます。だからDAWでつくる即興演奏的音楽体験で、コールマンが作り上げた一期一会の即興演奏とゆっくりではあるものの同じような体感を得ます。現代ならではの偶然性の活用です。

それにより私の不定調性音楽はできています。最初から最後が構想されていた曲は一つもありません。どのくらい自分が興奮することをやっているか、で偶然の事故も表現に昇華できます。

 

クラシック音楽は楽譜に沿って演奏することで起きる聴覚的体験において、聴き手が意図せずあっと驚いたり、美しいフレーズに酔う音楽でした。その中からブルースやジャズは、より即興性をフューチャーし、ライブ演奏、生の即興演奏が繰り出される瞬間こそが音楽である、としました。そしてその即興語法を定式化したのがビ・バップという発明でした。さらにその定式化すらもなくし、すべてを即興的に繰り出すことで、それまでの音楽の歴史にはなかった表現体験を創ったのがコールマンやジョン・ケージといったアーティストでした。真の偶然性の中で体感できる驚きや満足はもはや性的嗜好と言っていいほど個人的な目的意識がないと全くついていけないかも知れません。私は同じ嗜好なのでよくわかります。

 

コールマンの凄いところは、即興体験空間こそが全てなのに録音された作品もまるでビ・バップのような音楽体験を含んでいる点です。これがその瞬間消えて終わりなだけのフリー音楽とは違う、まさにケージの偶然性の音楽のように記録することにも耐えられるアート性を持っています(野太い音、精密なテーマフレーズ、修練し尽くされたフレージング、教科書的なリズム感)。コルトレーンの暴走するようなフリー演奏は、あえて、録音で聴くことを求めたりしないですが、コールマンは改めて聴きたくなります。

 

何かを作る人は、また仕事にしても生活にしても、偶然と意図のバランス、事故と計画のバランスにたいして、それぞれが存在し、その結果何が生み出されるか意図しながらも結果的に生まれた作品を受け入れる準備も理解も示す、というスタンスで音楽を作る、それこそがハーモロディクスが言いたかったことなのかな、と今は感じます。

 

DAWでの制作/ミックスの技法は確立されつつありますが、パラメーターがたくさんありすぎて、曲が良くてもアレンジをミスったら曲が空中分解します。とてもこうやれば全てOKというようなことはありません。つまり、意図を持ちながら作業しながらも偶然や事故、意図しないことなどをうまく活用していくことで自己を乗り越えてゆく、というスタンスはしばらく必要なようです。

 

生活の中でも意図して行動する、意図せず行動する、無駄をさせられる、回り道をさせられる、といったことはコールマンの音楽(またはあなたが好きな無鉄砲?なアーティストのスタンス)で今は表現/確立しなければならんのか!ぐらいに感じてクリエイティブに考えてみる、というのはいかがでしょう?

そのためにも音楽を学習するひとは、ハーモロディクスコンセプトを学ぶことによって自分の人生/生活の中での計画/意図と偶然/事故への接し方、捉え方、考え方、自分のクセなどについて理解を深めておくと、音楽以外でも様々な人生の瞬間を捉えられるのではないでしょうか。

不定調性論的思考を身につけても、大体そういう感じになるかと思います。

 

オーネット・コールマン―ジャズを変えた男