音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

コード分析を通してわかること〜コードアナライズ作業周辺について丁寧に考えてみよう

膨大なコード分析をやってきて思うことです。

その間にたくさんのご批判もいただき、自分自身の考え方の革新を幾度も起こしていただきました。自分では分かっている気になってしまうものですが、それは「自分が知ってる範囲のさらにごく狭いところ」をわかった気になる性質が脳にはある、ということです。

音楽など、すべてを掌握した分かったつもりでやらないと表現などできません。が、それは全知全能だからではなく、知識に偏りがあるから「個性的な思想になる」「個性的な音楽になる」と言えます。だからこそその特異な表現が評価に値する時がある、それが芸術という分野の未知の懐の魅力でもあります。また恐ろしいところでもあります。

それに甘えず、利己的にならず。批判的にもならない、というのはなかなか難しいです。黙って作品を作り続ける、のが先人たちがとった歩み方なのかな、とも感じます。

そして、勉強して、全てを知ろうとする人は、論理的に完全は目指そうとする人は、作品がつくれない人になっています。


なんだかんだ言ってやっぱりその人が何に魅力を感じるかが、その人を表すのではないでしょうか。

 

コード進行を分析したのは、曲の特徴がすぐ分かってとても面白い!からでした。

その後も続けたのは不定調性論的思考を最もシンプルに伝えられる要素を内在させているな、と感じたからでした。

それが熱がこもってしまい、いかにも「コード進行に楽曲の魅力が満載である」的な表現を一時期してしまっていました。アーティストからすればいい迷惑です。

音楽は作詞作曲の着想からのドラマからレコーディングで起こるドラマやアーティストの人生の全てのグルーヴ、全ての追求されたサウンドが詰まって、かつ半分は偶然の産物で完成します。

その"結果論"を外野が論じても事実を語るには全く至りません。

楽曲の価値を語るのは「そう言って欲しい」を満たすエンターテインメントです。

www.terrax.site

ある意味ではそういう割り切りも途中から出てきました。

「作者が知らない価値を見つけよう」ぐらいの勢いです。

 

コードアナライズ、という学習形態自体がそもそも学習の一時期にちょこっとやる程度のもので、私のように半生をかけて、人生を捧げてやる必要は多くの人にはないと思います笑。

 

 

www.terrax.site

例えば「ひこうき雲」のBbm7は短三度移行がドラマチックなのは、そのエピソードももちろんですが、ダイナミックな"飛翔感"と"躍動感"が"ひこうき"という存在と、一つの死への思いなどと全てイメージがリンクしている(と私が思った)からです。

これはこのコードがそういう雰囲気を醸し出しているのではなく、荒井由実というアーティストの感覚がそこに全て封入されたような、歌詞、雰囲気、音の流れる順序、ストーリーがスパークしている素晴らしい一例だから紹介したくなるわけです。

これはただの短三度移行です。

コード進行だけが素晴らしいのではなく、そこに乗ったメロディ、歌詞、全てがユーミンというアーティストをいきなりデビューアルバムで強烈に見せつけたからその勝負勘に酔わされてしまうから語りたくなってしまうわけです。

 

ビートルズ(メロディセンスがずば抜けすぎていて知ってるコードを繋げるだけでよかった)や、スティービー・ワンダー(盲目であるがゆえのコード進行パターン=クリシェ的を編み出してしまった)など、本来は彼らでしかできない要素もたくさんあり、コード進行だけ真似ても、コードアナライズだけでしも、それがなぜあんな音楽を作り出したかのスキルまでを把握することはなかなかできません(めちゃくちゃわかった気にはなれます笑)。

 

「このコードはすごい」などと書いていますが、アーティストはそんなところで音楽をやってはいません。

そうやってアーティストのすごさをディフォルメし、プロモーションすることができるツールとして、コード進行解析プロモーションがあり、アーティストが"難しいコード進行"を作る文化が70年代以降のフュージョンにもありました。

"楽曲志向"なんて言葉も生まれました。

 

だからすごく時間のある方は、好きなアーティストの自伝を読みまくって、耳コピしまくって、演奏しまくる、っていうのをやってみてもいいです。

ものすごくわかった気になれるんで!!笑

www.terrax.site

 

楽曲志向だけになるのは考えものです。感性が一部分しか育ちません。そこにしか耳がいかなくなる時があります。

ライブの衣装を心配する、など時間の無駄だ、考えている人も出てきます。

曲と演奏が上手ければトレーナーを着て歌っても感動が伝わるはず、と。

確かにそれはそうです。小さな落とし穴です。

ただ衣装を気にするタイプには、その人が持っているカリスマや努力によって作ってきた体型を美しく見せるためや、懸命にライティングする照明さんの照明を活かすためや、作曲者の曲の印象に映えるような歌い手の「作曲者に対する答え」のようなものまで全て余すところなく伝えたい、と思うアーティストがいます。

自分の周囲に関わる人を無視するようなことをする一流プレイヤーはいません。
だからこそ完璧を目指します。

全ての人の努力に対してそのステージで報いたい、と彼らは思っているからです。またそれを見ている全ての人たちに夢と人生讃歌を伝えたい、と無意識に思っているからです。そういう人は本当にヒーローだと思います。

 

もちろんそういう人が人生の全てにおいてうまくいく、とは申しませんが、激しく燃える人生の時間を作れていることに敬意を評したいです。

 

人のタイプにもよりますが、何が楽曲を輝かせるか、それも感性なのかな、と。

感性が乏しいと、視点が狭くなってしまうのかな、と自分なりに感じたりします。

芸術を素晴らしいものにするのは、分析できる素材だけではありません。

 

 

 

そういう意味では記号化してシンボル化する楽曲アナライズだけで音楽を把握するためには、学習者に深い造詣が必要なのではないか、判断力を求めてくるように感じます。

CM7というのはその曲のその小節を極限までディフォルメしたシンボルです。

アーティストが「CM7という概念を弾いている」わけでは無いんです。

コードネームなどは様々な技を繰り出した後の残像みたいなものです。

 

もちろん楽曲分析の全てが悪いわけではありません。その辺の良し悪しも全て把握した上でなぜ楽曲アナライズをするかというところまでわかって行うというのはいいと思います。コード進行分析はシンプルで面白いですからね。

ビートルズの「Something」の歌はじめ2小節目がCM7です。

www.terrax.site

また「Elenor Rigby」のブリッジ部分3小節目がCM7です。

www.terrax.site

二つの曲のCM7はまるで違う響きをしていますね。これが同じCM7で書かれてしまいます。「ポップスは単純」なのではなく、表記システムがシンプルで素晴らしいのであってアーティストが命をかけていることはバッハの時代から変わらないと思います。特に歴史に名を残すアーティストは。譜面すら情報量が絶対的に足らない、と知る者だけがコードネームを扱えるのではないでしょうか?

 

この便利なところは、

SomethingはCメジャーキーのトニックのIM7として

Elenor RigbyはEマイナーキーのサブドミナントマイナーVIbM7として

CM7が使われている、というように調と機能の概念を使うとその違いが明確にできるのが機能和声論の優れたところです。見える化した素晴らしいシステムです。これに良て仕事が早く回るようになったのも確かです。

 

しかし一方で、こうした一般知識を知らなくても、その人が知見深ければ、自分なりに理解します。「自分でわかった!」ことは授業で学んだ時以上に喜びがありますから、その解釈がたとえ誤っていてもそれは作曲や自己表現のものすごいエネルギーになります。そしてオリジナルな作品が出来上がります。

 

一般的常識や価値観を必ずその人がいま知る必要があるかどうか、すら断言できない、というのを講師業をやっていて感じました。知らないこと、間違っていることを批判する理由がなくなったのです。

なぜなら、その方が独自性が発揮できた事例を私は講師業を通して知ったからです。

 

 

さてそうなると自分のために何を勉強すればいいのでしょう。

私も結果として自分の作風が作れたので、それはそれでよかったと思っています。ただ何が幸いしたか、災いしたか、と明確に判断できるような要素はほとんどありません。全てが絡まって今に成った、そうとしか思えません。

 

なんだか色々話は広がりました。

拙いながら、ユーミン分析や、スティービー・ワンダー分析のレポートを読んでいただくと、アーティストの考えていること、自分がどう音楽を深く勉強していったらいいか?などあなたなりの方法が浮かんでくるかもしれません。

何かピンときて欲しいな、と思って書きました。

www.terrax.site

www.terrax.site
まぁ、とにかくコード進行を見るというのは面白かったですね笑