音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

<不定調性論教材紹介76>ブルースとブルーノートの実際と考察

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ブルースとブルーノートの実際と考察

四度領域音楽の総まとめに少し歴史と実際の音楽を遡って見比べてみましょう。

 

 大半は、19世紀半ばの南北戦争以前にアフリカ(サハラ砂漠以南のブラックアフリカ)から奴隷貿易によりアメリカに連れてこられた奴隷の子孫である。ただし若干だが、より新しい時代に自由な移民として渡米した黒人やその子孫もいる。彼らをアフリカ系 (African) と呼ぶべきかどうかについて、また、黒人 (Black) と呼ぶべきかどうかについては、論争がある。中米に奴隷として送られたのちに移民として渡米するなど、より複雑な経緯を持つ者もいる。 

 引用;アフリカ系アメリカ人

彼等の音楽がブルースに関与したことは間違いありません。

だからまず「サハラ以南のブラックアフリカ」に住んでいた人がどんな音楽を持っていたか、を確認しましょう。

 

奴隷海岸といわれる、大西洋側のアフリカ西海岸の民族が該当すると思いますが、別例として、キューバに連れて行かれた民族の分布図が下記にありました。

図録▽キューバ黒人奴隷の出身部族 


アフリカ系移民が奴隷解放とともにアフリカに帰還し建国したリベリアという国があります。

リベリア - Wikipedia

リベリアの国歌がまさにアメリカとイギリス的です。国旗も星一つの星条旗です。アフリカの国歌って西洋かぶれが凄くて逆にこれこそが思想の支配の象徴なのではないか、と君が代の我らは思うわけです。

日本も君が代が生まれる寸前まで西洋風な国歌にされそうでした。

三つの君が代の話

 

www.youtube.com

これはリベリアの伝統的な結婚式のダンス、と銘打たれています。

逆にキューバの匂いがします。

 

 

これはリベリアの音楽ということです。長三度のハモリのようなものを感じます。

 

www.youtube.com

これはガラ人の音楽、ということです。最近の録音かもしれませんが、このノリの感じ、日本民族にはありません。

繰り返されるリズムがどんどんトランスに導く音楽性です。

基本は儀式用に歌は使われていますから、とにかく儀式の後半に向かってトランスして神を肉体に降ろす、という目的があります。

ブルースやロックンロールは、この気風が残った文化と言えます。音構造だけでなく、音楽の目的、のようなものがロックには根付いています。

 

こうしたリズミカルな音楽性がキリスト教への改宗に伴い、アメリカ大陸で讃美歌と融合し(黒人霊歌の誕生)、独自の宗教的な歌唱が生まれ、それが庶民の「床屋和声」と融合・拡張します。床屋前で楽器を持ち寄って歌われた日頃の想いがやがてブルースとなり、現在のポップ・ミュージックとなります。アフリカンアメリカンは身体能力、運動能力も世界一ですが、教養や芸術的能力もおそらく超一流なのではないか、と思っています(だから最も長く生き残ってきた)。

それを奴隷として扱ったのは、白人のエゴだ、という見方もできますが、彼らよりも自分たちが劣っているのではないか、という劣等感や脅威がどこか潜在的にあったがゆえにこうもひどく差別が加速したのかもしれません。

 

ちなみに録音物という意味では、世界最古の録音は、1860年だそうです。

www.afpbb.com

 

最古のブルースレコードは、メイミー・スミスの「crazy blues」ということです。ブルース(引用)

かのロバート・ジョンソンの初レコーディングは1936年です。彼はデビュー二年後に死去しています。

聞いて頂くと分かる通り、すでにメロディをグリッサンドさせる技術があります。とてもブルーです。それにこれはだいぶ音楽性として確立されていますし、コード進行もあります。

1900年過ぎにはこうした歌唱の元はだいぶ確立されていたと考えるべきでしょう。

 

これも有名なジェイバード・コールマンの1927年の録音。完全にブルースです。歌い方をよく聞いてください。またハーモニカのグリスするラインなど。

 

この曲を音階にしてみると、和声はなく、
d#-f#-「g#」-a#-b-c-c#-d-d#
という感じですが、主音はg#だと思います。

 

この時すでにb5thブルーノートである、d音が聴かれて、上手いことブルージーな節回しになっているので、かなり聴きやすいブルースだと思います。


また、長二度から短三度への節回し、短三度から長三度への節回し、四度から減五度への節回し、減五度から完全五度への節回しなどが現れています。

 

当然導音はなく、"主音"g#に対して、f#が低音から主音へ帰着する音として、いわゆる導音としての役割を果たしています。

 

音程もかなり音階的で、分かりやすいブルースだと思います。

この音の動きを覚え、ニュアンスを覚えて真似するだけで、このブルースの感じを出すことができると思います。

 

ハーモニカがすでにブルーノートが効果的に使われていて、歌い方には労働歌の歌唱法とも言えるヨーデル的技法も出しています。

ヨーデル(参考)

アメリカに渡った西欧人がミンストレルショーなどでヨーデルを歌い、やがてブルーヨーデルなどと言われ、カントリーと結びついたりしていくようですが、詳しい経緯はわかりません。

 

彼の歌は、フィールドハラーの影響を受けている、ということですから、この旋律感、節回しの感じに、さかのぼること黒人の労働歌の要素がある、ということになります。

 

つまり旋律だけの労働歌がすでにこうした旋律線を持っていたと考えることができます。

 

ブルースは録音された時すでにブルースでした。

 

だから録音前の世界を推測する事でしか、このうねるような旋律線(鍵盤で弾けない旋律の雰囲気)が成り立ったところを探ることができません。

 

 

西アフリカの音楽「グリオ」という伝承音楽があります。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/グリオ http://en.wikipedia.org/wiki/Griot

世襲制により引き継がれる神聖な職業で、即興的に歌が歌える能力を有している、となっています。 まさにブルース的な感覚。

彼らの先祖にも、アメリカに奴隷として連れて行かれた人達はいたのでしょうか?

西洋機能和声の音楽を聴く黒人たちの耳と、黒人独自の遺伝的音楽観がミックスされた状態でブルースができた、と考えると、この即興的なグリオの音楽のリズム、即興性、旋法の感覚が、教会音楽や労働歌が少しずつブルースを生んでいき、現代の主要な「洋楽」を形成しているわけで、本当に不思議です。

この動画の楽器旋律のイントロのフレーズは、gをセンタートーンとして、d,f,gで構成されています。これは不定調性論ではgの四度領域、Gu4ですね。

教材ではブルース(または各種の民族音楽)は四度領域の音楽としていますから、理解しやすいと思います。

で、歌われるメロディは、Gマイナーペンタトニックフレーズ

 

g,b♭,c,d,f

 

に近い音階構成で、やはりg音がセンタートーン(小泉理論における「核音」?)になっています。メロディの始まりの音はd音で、低いg音に帰着します。

合いの手で入ってくる音も平均律ではない音で非常に繊細な唸りのようなハーモニーを作っています。彼らは「同時に歌う」こと全てがハモりです。音程ではなく、自分がどう歌うかが体現できることで他者とハモるのだ、という発想と言えばいいでしょうか

"ピッチでもリズムでもない。お前らはピッチとかリズムとか言い過ぎる。フィーリングだ"

オーストラリアのアフリカン系の音楽家とスタジオで知り合いよく話すようになったのですが、よくこういうことを言ってました。

 

またグッと叫ぶときにa音が高いところで歌われています。9th音ですね。 彼らが普段どの程度平均律の音楽に接しているかはこの動画からは分かりませんが、非常に聴きやすい現代的な音楽になっているかもしれません。よく聞けばリズムも整っていて、外部発信用に整えられた感もあります。

 

下記はトーゴのグリオの演奏だそうです。

ここでもリズムと躍動感があります。

ここで歌われる旋律は、Au4(e,g,a)の四度領域を成していて、a音がセンタートーンになり、高いc,d,e音と行き来する旋律がランダムに繰り返されます。

後半にコーラスが入ってくると、ここでもb音つまり9th的な音が入ってきます。 偶然でしょうか。 もちろん平均律で聴き取っていますので思い込みがあるかもしれませんが、大変興味深い経過音です。

それにしてもこのリズム、「洋楽」ですね。日本人が割って入れない時間の刻みかたがあると感じます。攻撃性とか、積極性、訴求感を強く感じます。伝えたいと思う思いや、何かに追われるような疾走感。島国でのどかな日本にはない時間の流れの感じ方があるのでしょうか。

 

グリオはその音楽性や口頭伝承的な音楽文化があって、それが西アフリカの音楽文化の一つである、と分かれば、ブルースが持つリズム、即興性のルーツの一つを考える機会になるのではないか、と思います。

(参考)アフリカの民族言語map

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/Africa_ethnic_groups_1996.jpg

アフリカ - Wikipedia

 

 

チャーリー・パットンのブルースもちょっと見ていきましょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/チャーリー・パットン

この人も古いです。

ヘンリー・スローンという人からギターを学んだらしいのですが、このスローンと言う人の録音はないそうです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Sloan

www.youtube.com

当時の名人芸が聴けます。1929年の頃と考えておいてください。

コールマンの音楽性(1927)からギタープレイはまさに日進月歩のようです。

よりブルース的で、カントリー的な独特な旋律が印象的です。ギターという楽器の伴奏とコードに沿っていて、実に聴きやすいです。 カントリーフォークソングを聴いているような感じもします。 これがデルタブルース、ということになるでのでしょうか。

 

 

下記 34 Blue を聴いてみてください。 旋律にブルーノートが絶妙に響きます。ボーカルの音程がカーブを描いていると思います。上の音程に当てに行くような独特なせり上がりがまさにブルーノートです。

www.youtube.com

 

下記「Poor Me 」は結構変わった和声的進行をしていると思います。 

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 (1934年作品)

D |D | D |D |D |D | D |D |

A7 |A7 | D |C |B A |D | D |D G |

D |D | D |C |B A |D | D |D |D |D |

D |C |B A |D | D |D G |D |D |

ブルースも絶対にスリーコードというわけではありません。

DとA7以外は三度の有無もあまり重要ではないように思います(四度領域音楽の特徴)。

それよりも手近のフォームに移動し、それに伴いメロディも変化し、音楽が出来上がったようにも思えます(床屋和声)。

またA7→Dというドミナントモーションが採用されていますが、こうした文化はキリスト教楽曲から引き継がれているようにも思えますが、W.サージェントの著書などでもこうした解決進行は自然と採用されているようなので、あまり黒人音楽だからと言って特異視する必要はないと思いますが、「ドミナントモーションは人種を問わず普遍的な和声進行なのだ」と言ってしまうのも危険です。

 

こうした変則的な和声の流れを持つ楽曲が初期のブルースには多くあったことでしょう。 当然クラシックのレコードがあったでしょうし、かのジョージ・ガーシュインは1919年には、人気ソングライターとなっていますし、ひと月ほどで書いた「ラプソディ・イン・ブルー」は1924年2月です。ブルースを取り混ぜた作品「アイガットリズム」がでたのは、1930年です。ラベルが「ボレロ」を録音した年です。

アメリカは確かに独自の商業文化を作り始めています。

ガーシュインがラベルに弟子入りしようとして"君に教えることはない"と言われた話は有名です。

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ちなみに日本最初の商業レコードも1928年ということです。

ja.wikipedia.org

アメリカの各地でもさまざまな音楽の融合がすでに起きていたことでしょう。

世界中で過去と未来が同時に存在しているような錯覚に陥りますね。

 

19世紀後半には、西洋音楽自体は精緻な和声理論が完成していましたから、こうした理論を理解できたアフリカンミュージシャンだって多数いたはずです。

名も知らない庶民の中にだって、きっとストラヴィンスキーに感動するアフリカ人だっていたでしょう。

では、次にまた時代をさかのぼって、"黒人作曲家"と言われたスコット・ジョプリンはどうでしょう。 彼を通して見えてくる黒人音楽の姿勢などを少し復習してみましょう。

 

(参考)アフリカの民族言語map

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/Africa_ethnic_groups_1996.jpg

アフリカ - Wikipedia

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スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1868年11月24日 - 1917年4月1日)

(参考) http://ja.wikipedia.org/wiki/スコット・ジョプリン http://en.wikipedia.org/wiki/Scott_Joplin

リンカーンの奴隷解放宣言が1862年ですから、そのすぐあとの混乱の中で誕生したこの"黒人作曲家"が、当時自分の身近に存在したであろう音楽をその作品に投影していたのは間違いないでしょう。

奴隷でなくなり、「自由な時間」に音楽を楽しむ、と言う習慣はどの程度馴染めたのでしょうか。

 

畑で働くときの労働のかけ声は、彼らの音楽にどのような影響を持っていたのでしょう。強制労働時のフィールドハラーによってこなれた発声が歌に適用されたであろうことは想像できます。 

 

ジョプリンは、アフリカの血を持ち、アメリカの大学で音楽を専門に学んだ、大変貴重な音楽家です。 「ジ・エンターテイナー」は有名ですが、彼の作り出すラグタイムの楽曲は、西洋の様式美と黒人の即興性に満ちています。こうした英雄の出現に勇気付けられた人も多かったでしょう。新たな音楽を自分も作るぞ!と奮起した人もいたでしょう。

The Entertainer - YouTube

1896年の作品、です。 これを聴くと、右手はまさにクラシック音楽ですね。で、左手がラグタイムの未来を示しています。このリズミカルな明るさは、画期的ですね。

(中にはちゃんと教育を受けられた裕福なアフリカ人も多数いたらしいです)

ブルーノートという意味でいえば、3:02~の不協和音の旋律感が、独特で、コミカルです。 ピアノと言う楽器は、ブルース独特の節回しができないので、こうした不協和音を演出する、と言う新たな表現方法がとられたのでしょうか。

これはこれで後のブルースフレージングに関係がないとは言い切れないでしょう。 

 

ラグタイムのリズムは、当時のラベルや、ストラヴィンスキー、ドビュッシーに影響を与え、世界中をアメリカの音楽に注目させました。

ジョプリンの曲を聴いていると、西洋の音楽の豊かさにひどく感銘を受けていたんじゃないかなぁ、と感じます。楽想にロマン派時代の優しい雰囲気があり、そこに機関車のように打ち鳴らされるアフリカのリズムとのコラボレーションが斬新です。

人種の違いや民族の違いを越えて、音楽では左手と右手が融合しました。

 

ジョプリン以降の商業音楽はこのラグのリズムを無視して進むことはできなくなります。

 

それではラグタイムという音楽ができる前、いったいどこで大陸の音楽は融合していたのでしょう。 そのあたりをより細かく少し探ってみましょう。

 

(参考)アフリカの民族言語map

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/Africa_ethnic_groups_1996.jpg

アフリカ - Wikipedia

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W.C.Handy(1873 - 1958)「ブルースの父」と言われた人です。

(参考) http://en.wikipedia.org/wiki/W._C._Handy

The primitive southern Negro, as he sang, was sure to bear down on the third and seventh tone of the scale, slurring between major and minor. Whether in the cotton field of the Delta or on the Levee up St. Louis way, it was always the same. Till then, however, I had never heard this slur used by a more sophisticated Negro, or by any white man. I tried to convey this effect... by introducing flat thirds and sevenths (now called blue notes) into my song, although its prevailing key was major..., and I carried this device into my melody as well... This was a distinct departure, but as it turned out, it touched the spot.

ここにブルーノートについての記述があります。

「音階の三度と七度を下げて歌う。それらの音はM7thとm7thの音である。どこで聴いても同じような音で歌っていた。白人の歌ではこのようなのは聴いたことがない」

と言うようなことですが、これは確かに明確にこのことを述べています。

彼の著書「BLUES:AN ANTHOLOGY」には詳しく書かれていると言うことですが、私はW.サージェントが引用した部分しか分かりませんので、こうした記述の語源はここにある、と言う程度にしか書くつもりはありません。

彼が1903年、ミシシッピ州のデルタ地帯、タトワイラー駅でブルースに出会った、という話を発端に、1912年最初のブルース曲が出版されます。ガーシュインは13年ごろから曲を発表し始めますから、まだガーシュイン以前です。

曲は「メンフィス・ブルース」さて、どんな音楽なんでしょうか。この頃はすでにスコット・ジョプリンのラグタイムが世間にはありました。

ブルースはその狭間で少しずつポピュラーになっていったことでしょう。

和声進行としては、

Eb7 |% |Ab7 Abm7 |Bb7 |

Ab7 |% |Eb7 |% |

Bb7 |Ab7 |Eb7 |% |

という感じです。

しっかり12小節ブルースしていますね。ラグタイム的な要素もあります。

楽譜を見ると、ブルーノートが絶妙に使われており、半音下からのアプローチノート的な使用は、まさにブルーノートの仕様です。

 

このような旋律を聴くと、ハンディがブルースのどういうところに感銘を受けたか、という点に着目することができます。

この時すでに、V7→IV7→I7という流れができていますので、まさに元祖ブルースの形式がここにできています。

この形式がハンディが作ったものなのか、それとも彼がこのような形式を作ったのか、が興味深いですね。

このあたりについては、ガンサー・シュラーがこのメンフィス・ブルースを「ブルースと言うよりも、ケイクウォークに近い」と表現しているところからも、彼がミンストレルの音楽家であることを指摘しています。

しかしながら、この時点で、V7-IV7-Iという形式ができたわけで、ブルースの和声12小節形式は1912年にはある程度形になっていたことを伺わせるに十分です。

ミンストレルと言うのは、黒人のように顔を黒く縫った召使いが出てくるコメディ舞台で、音楽もそこに流れていました。

これが1830年頃の庶民の音楽であったとすると、これが白人の「ブルース感」であることは間違いありません。

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しかしながら、これらのオーケストラ感は、クラシック音楽の知識が十分に活用されているので、 彼らに誤ったブルース音楽、または黒人音楽観を植え付けていた可能性がないとは云えません。

しかしこうした白人音楽と生粋の酒場ブルースがどこかで融合し、よりアメリカらしいジャズが生まれたのは自然であったように感じますね。

 

そのような意味でもハンディが駅で出会った"本物のブルース"に感銘を受けたのかもしれませんね。そしてその根拠をブルーノート表現に求めたかもしません。ハンディのメロディを聞くとそんな風に感じないこともありません。

 

またブロードウェイではティン・パン・アレーというあだ名の付けられた区域で1880年頃から「ポピュラーミュージック」の文化が花を咲かせ、のちにガーシュインなどもこうした現場で作曲を続けていました。

やはり、この1830年以前のブルースの灯を少しでも探るため、次はフィールドハラー(労働歌)について残っているものを探してみたいと思います。

 

これらのブルースを野蛮だ、と感じた当時の人たちもいたでしょう。

しかし我々も若者の新しい解釈と方法論の音楽を「音楽の伝統への侮辱だ」と思ってはいないでしょうか?

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奥和弘 著 「アメリカン・ルーツ・ミュージック 楽器と音楽の旅」 音楽之友社 

より。

あわせて歴史認識を確認しておきましょう。

黒人霊歌に関連して、讃美歌専門の作曲家、アイラ・デイビッド・サンキーについて触れておきましょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アイラ・サンキー

http://en.wikipedia.org/wiki/Ira_D._Sankey

この人が、ゴスペル大流行の立役者ということです。

ゴスペルはご存知の通り、19世紀後半にアメリカの大衆伝道家が信仰復興運動の勃興のために盛んに作り歌わせた音楽。音楽の力での布教だったんですね。

サンキーの曲を聴いてみましょう。

1898年の録音だそうです。

同書によれば、この人は1200曲もの歌を作ったんだそうです。

1873年には、英国ツアーも行い好評を博したとか。

楽曲はコード進行と言うより、まさに西洋歌曲の厳かな進行を持っています。 この感じが黒人のゴスペルにつながり、白人のセイクレッド・ソングというジャンルにつながっていくんでしょうね。現代のセイクレッドソングもテクノロジーを活用してどんどん進化していきます。下記はそういう一例だと思います。

ゴスペルから生まれたクリスチャンミュージックというジャンルがあります。

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こういう曲は、これでこれで癒されると、確かに思います。

サウンドが綺麗です。 仏教世界では出せない"神聖"さ。

また1866年、奴隷解放に勢いをつけるため、その流れで設立されたアメリカの黒人のための大学、フィスク大学での高度な黒人教育なんかもきっと白人音楽と黒人の音楽の融合に一役買っていたんではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィスク大学

こうした大学で結成されたコーラスグループは、完全に白人のハーモニーだったそうで、こうした黒人ハーモニーの設立が、白人にも「黒人の宗教音楽」への意識を変え、容認されるようになり、よりアフリカ系移民の音楽性を濃くしたゴスペルの発生を促したであろうことは容易に想像ができます。

 

またそれとは別に黒人のワークソングについての記述にも触れておきましょう。

 

一人のリーダーが音頭を取り、残りの全員がこれに応えるコール&レスポンス(掛け合い)が、作業のリズムを取るのに適していたため、歓迎されたと思われる。ワーク・ソングの歌声は、作業が順調に進んでいることを示すバロメーターでもあった。南北戦争以前に何部のプランテーションを訪れた人々は、こうした黒人たちのワーク・ソングに心動かされたとみえて、多くの記述を残している。

 

 同書p23

 

黒人奴隷の文化の徹底抹殺が最初の奴隷政策であったにもかかわらず、これらの歌の文化だけは、白人たちの心を動かした、というのが皮肉でもあり象徴的です。結局ロックミュージックは差別意識を超えたところで無意識のうちに白人と黒人が「かっこよさ」で結びついた文化であると思います。ロック最強。

世界の中心はロックになり、その背景には、潜在的な人と人との融合、という和平への思いが根底にはあったと信じたいです。

もともとは互いが生活を共にするための音楽。

 

この最初のインパクトが、その後の白人によるブルース讃歌であり贖罪なのかな、とも感じますし、その点についてブルースを演奏する黒人たちとの温度差も最初はあったのではないでしょうか。

 

奴隷解放とともに、プランテーションがなくなり、労働歌はフィールドハラー(農園の叫び)となり、レスポンス部分がなくなり「ソロコール」となり、これがブルースにつながったのだといいます。

こうした労働歌の伝統は、刑務所における労働の際に歌われ「プリズンゾング」となって伝わっていったのだとか。

 

ウィリアム・F・アレンSlave Songs of the United States (1867)

この書が紹介されていたのをみつけたのは、日本のアメリカ文学者ウェルズ恵子氏のpdfからです。
出典は、「アメリカ黒人霊歌の世界 ─初期収集者たちとテクスト─」です。

何年の論文かは、ちょっと調べていません。

そのまとめ部分にこんな記述があります。実際検索で見ることができますので、読んでみてください。P74~

 

 

解放された奴隷にはじめて接触した白人たちが歌を収集した南北戦争初期は、黒人霊歌テクスト成立の第一期と考えられる。収集者たちは、奴隷解放に対する信念や新たな文学思潮に裏付けられて、既存の偏見を 排除しながら黒人の歌に接しようとした。また一方では、19世紀初頭のヨーロッパで盛んだった民話民謡収集の動きに影響され、研究対象を自分とは距離のある下層の人々と捉え、そこに残存する前近代的なものを保存する動機を持っていた。しかし同時に彼らは黒人の歌に感動していて、個々の歌の特色について記録を残し、芸術的価値を我々に伝えている。

 

 

そういう背景を経て完成された、『合衆国奴隷の歌』もpdfで見ることができます。

この本について、一橋大学の桜井 雅人教授による、「黒人霊歌とその起源論争」というpdfの中で、
P321-


現在の研究水準からみると記譜方法、南部や白人民謡についての知識の欠如などにおいて様々な欠陥がある。

 

としながらも、著者が記した前文における訳文での一節を指摘しています。
同p321-

 

 

しかし、序文で素直に記譜の難しさを述べており、「紙とタイプではせいぜいオリジナルとぼんやりと写し取ることしか出来ない。黒人の声にはまねの出来ない独特の性質があり、たった一人の歌い手でさえそのイントネーションや微妙なヴァリエーションを紙の上に再現するのは不可能である」と告白している。

 

原本が下記で読むことが出来ます。

https://archive.org/stream/slavesongsunite00garrgoog#page/n58/mode/2up

ぱっと見る限り、この採譜形式で記録することが大変難しいだろうなあ、と感じます。

 

人類史上最も洗練された魂の音楽文化を持った黒人音楽は決して滅びることなく現代では音楽業界の天下を取っています。

最初はなんとない郷愁と追いかけた音楽が、やがて人類全体に強い感銘を残す音楽であると人が感じ、結果として現代の音楽文化を牽引する役割を担っています。

 

楽譜に表記される前から、彼らのメロディは「blue」だったことはわかったと思います。blueが最初にあり、それらはあらゆる労働歌、生活の歌、として伝承され、いつのまにか周辺の音楽文化を取り込んで音楽の歴史に存在しなかった魂の音楽を作り上げました。

 

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