「不定調性」の構造美は、日本人が得意な、
・調和の中に潜む不調和
・不調和の中に潜む調和
に侘び寂びセンサーを呼び覚まし、憂い、脆さ、儚さ等を見つけて美意識を当てはめる民族的技能でしょう。
「良い響き」は、その人を通して、その人にしか得られない経験です。
それゆえに一人ひとりが同じ月を見て異なる句が読めるのだと思います*1。
今回も似た話ですが、繰り返し述べてまいりたいですのでお付き合いください。
シャコンヌのスペクトルにインスピレーションを得る
下記、バッハのシャコンヌの冒頭のDmを例に考えましょう。
このDmにも、3度がない等いくつかバリエーションがあるので任意です。

私はパールマンの演奏が好きなので、
この冒頭のDmの切迫感が、独特ですよね。
ただのDmなんですが、ただのDmとは思えない心象を持つじゃないですか。
それがこうした音楽家のすごいところだと思うのですが、私などはそう反応するだけで何もできません。でもなんとかこの感覚を表現する方法が欲しくて、自分の方法論の中からできることを導き出しています。
これは考え方の一例です。
こちらの音源の冒頭をPro-Q4でフリーズしてみました(先の譜例とは無関係/一致しない可能性あり)。

特徴的な音はc音(7th)とg音(11th)(位置によってはf#=3rd)です。これらの音が響く音響的理由は色々あるでしょうが、これがこの時のパールマンの音源をYoutubeやダウンロードソフトを通して聴いた結果の「音の指紋」といえます。
ただのDmじゃない根拠をここに見出しても良いと思ったのです。
本来この曲のDmの一例は、素直に解釈すれば、

こうですね。文字通りDmです。SRG表記では|Dwです。
これに対して、先のEQにおける特徴的な倍音の種類を平均律化した音を自由に加えてみます。
それぞれの音のバーの塗られた部分の長さの割合が、その音の強さを象徴してます。上部の音は構成音ではなく「音色」「心象」を司る役割になるために、薄ーく鳴らします。これについてはずっとこのブログで言ってきましたね。

こんなふうなDmができます。通例のコードネーム表記だと、Dm7(9,M3,11)です。
SRG表記でも下記のようにかけます。
ですから、
/D|u7w
または
|Dw¯.u7¯/.|
さらにここから、個人の嗜好、クオリア、今の感覚を反映させ、自分の心象に合う音を構成します。
シャコンヌのパールマンの響きには程遠いのですが、あのなんともいえない鬱屈したような感情を自発的に表現する一つの方法、手段にはなります。
上記の音画像を失念しました。。
微彩音と微彩和音
私はここ何年か、こういう響きで不定調な雰囲気を出すのを好んでいます。
これは響きのサンプリングであり、表題に名付けた通り、微彩音(Microreflective Tone)を用いた、微彩和音(Microreflective Chord)といえます。これは楽曲全体の色調が不定調性だから(私のようなものでも)比較的自在にできる、というところがポイントです。
あとは個人がどの程度再現するか、誇張するか、主張させるかで全く違うDmがいくつも生まれます。
構成音だけど、和音構成音ではない。微かな彩りを作る音。
一つの楽器で作る必要もありません。シンセを加えたり、ノイズを加えてもいいです。
感情や心象を音にします。この時伝統的な和声理論は邪魔になります。
またこの個人的心象を具現化するほど、社会性からは離れてゆきます。
正確にその音を再現したいのではなく、あのDmを聞いて感じたクオリアを表現したいんです。
私は、感動を再現したいのではなく、感動が生んだ音を作りたいんだと思います。
それが独りよがりの域を出ないので、私の場合は生涯独自論的な世界観で終わることでしょう。そして逆にこの立ち位置で極められるものは極めたいです。
ビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」の冒頭の和音を数学者が解明、とか、エンジニアが再現、といった記事が以前ありました。
あれは真実を再現する、というコンセプトでしたが、私はたとえ再現できたとしても、それってその人の解釈だよな、と感じました。再現できる技術力や探究心はもちろん素晴らしいですが。私には妙な違和感があります。
それをこのブログでは「独自論論」で括って表現します。私見です。
ビートルズを演奏している人の「ハードデイズナイト」の最初の和音は、演奏者の人生と、心象と、感情が全部乗って、それでその人が良いって決めて弾いているコードです。
正解以上に大事な要素を自分が弾く音は持ってる。
これを「不定調性微彩和音」という考え方によって、肯定したんですね。自分に。
また、私はギターだったからこの例を出しますが、ガツーンとAmを掻き鳴らす時、
低いE弦を開放のまま弾くと、低音がぼやけます。
だからe弦をブリッジか、左手の親指で軽くミュートして「ジャキッ!!!」と鳴らした方が、バーーん!とアタックと厚みが生まれ、Amがしっかり響くことを知っています。
これも楽譜は単にAmです。
誰でもこういうことは実践していると思います。
でもそういう心象を大事にするか、単に楽譜に従うだけか、で音楽性はまるで変わります。
プラグインが作る音と心象
たとえばDAWだとすぐわかるのですが、

上記はオーソドックスなC∇です。

で次が不定調性微彩和音のC∇。

これをSRG表記すると、
ですから、
\Csh!w
または
|Ch¯.|h±u5¯|.-w¯.
です。

この場合、低いところにd音が目立ってきています。この時使ったのが、

これです。
現状設定の何らかの理由によって低いdが目立つ、という状況が生じます。
EQでは見えない要素もたくさんあるわけで、結果的に、人が心象で判断します。
ここではそうした音が作り出す心象と影響を「音象/音影」としました。
これを全て論理的に説明できる人もいるでしょう。
しかし私はC∇と置いているのに低音にdが出ているなど考えもしません。もちろん聞こえません。だから全体を聞いて、自分の耳と心象と信念で良し悪しを判断します。
dがなっているから9thがどうのこうのC/Dがどうのこうの、という話ではなく、結果的に響いた和音のCメジャーコードの質感が、今表現したいことに沿っているか、沿っていないかだけで捉えます。コードネームやテンションなどの既存理論的発想に直ぐに押し込めないところがポイントです。
この和音が持っている絵の具が滲むような、涼やかな味の後に苦味が残るレモンのような爽やかな自然の味。それが素朴さや、思い通りにならない自然の趣、などを感じてすごく可能性を感じます。
調的メロディの不定調性化
もう一つ考えてみましょう。

このようなメロディがあったとしましょう。
これをアレンジしましょう。

"和音を載せていく"という発想ではなく、その音の流れに沿って思い描いた音をポツポツと足してゆきます。足していきながら広がるイメージの方向性の舵をとり、今感じたい映像を感じる方向に促していきます。
当然響きの良し悪しではなく、横に紡がれる雰囲気が、メロディの雰囲気と今描いている心象を醸し出しているかどうか、で選んでいきます。
たとえば、上のアレンジの最後の和音は、和音というか、どこか大地に生えている木のようにメロディの締めくくりを一本の木から生えた無数の枝の葉がくゆるように覆います。それがどんなふうな心象のフォルムになって心に浮かぶか、時には、全く見落としていた琴線に触れる時もあります*2。
またg#から下がっていくフレーズがあるのですが、これは、私がこういう連関性が好きなので、メロディの流れに合うように工夫しながら一つのラインになるようにすることで時間の流れを創造してる気分になります。
同じメロディでもう一つ。

こちらは9度上と、さらにオクターブの同じメロディ和声単位として重なり、旋律を金属的に、寒々しくしています。
そこに撓むような、落ち葉が落ちるような静かなフレーズが絡んできます。
これも音楽的にどうこう、というのではなくて、この元々の持っているフレーズの焦燥感を表現したもので、意味もなく舞う枯葉が心が凍える人の胸にヒタっと張り付く時の虚しさのような、そういう心象を感じたので、それを表現してます。
完全に自己満足の世界だとわかっていますが、特に私の場合、自己満足が仕事の糧になることが多く、そういう嗜癖をしっかり把握してしっかり仕事をしたいです。
一方、単純にポピュラー/ジャズ音楽的(?)に和音を載せる場合も、少し趣が変わります。

全然ちゃんとしてないじゃないか、と言われそうですが、これはポピュラージャズ音楽理論で学んだやり方でメロディに和音を載せています。
調的連関と機能性を第一に考え、セオリーが望む流れに沿わせています。その際参考にしているのが、ちょっと近代的な進行だ、というだけです。
さらにポピュラーメディア的にしましょう。

これだと私がやらなくてもいい、こういう音楽は共有財産だと思っています。
ゆえに同じセオリーで作ったものが、AIで量産化されるのは仕方のないことです。
皆その狭間の表現を狙って、日々新しい楽曲を作っているのでこうした工夫のないメロディ、アレンジ、音楽は、どんどんAIに担当してもらった方が良いとも思います。
で、このように適当に作った音楽をどのように分析するか、が次のポイントになります。これらの不定調性音楽を、これまでのアナライズとは違う観点で分析、または解剖できないと、この方法論は完結しません。
それについても少しずつ進めているので、次回は「不定調性音楽の解題について」で書けたらいいな、と思っています。